和田秀樹「80歳の壁」を読む

 同い年の友人からもらった本。老人の健康情報本を次ぎ次ぎ出してヒットさせてる和田センセ、帯に45万部売ったと宣伝しています。仮に一冊50円のロイヤリティなら・・2250万円ナリ。ええなあ。読む前にゼニ勘定して僻んでしまう○ビ80歳超dameo でありました。


中身はすでに知ってることが大半で新鮮情報はありません。要するに、80歳過ぎたら医者頼り、クスリ頼りの健康維持はやめて「好きを優先したライフスタイルを楽しもう」と奨めている。具体的には・・・・

○食べたいものを食べよう。お酒も飲もう。
○眠れなかったら寝なくていい。
○ダイエット無用。小太りくらいでいい。
○無理して運動するな。散歩だけで十分。
○医療に頼るな。医師には「健康」という視点がない。
○薬は不調なときだけ飲もう。
○老いを受け入れ、できることを大事にする‥云々。


自ら医師なのに「医療に頼るな」なんちゃって無責任ですが、センセは精神科医だから、とりあえず他人事みたいに言えるんでせうね。内科やガンの医師が本書を読めば「おーおー、ええかげんなこと書くなよ、商売の邪魔する気かい?」と言いたくなるかもしれません。しかし、どんな医師にもホンネとタテマエ、両方ありますから,ホンネでは和田センセに共感する医師も多いと思います。


医者に頼るな、という和田センセの意見には賛成でありますが、自分は一つだけ「医者を頼り」にしていることがあります。それは歯のメンテナンス。10年くらい前から歯痛とかが無くても年に10回は歯科医に通って掃除と検査をしてもらっている。おかげさまで抜歯するようなトラブルはなし、歯痛で困ったこともありません。なので、他人にも定期検診を奨めるのですが、反応は「具合悪くなったら医院へ行く」と言う人が多い。検診にこだわるのは、自分は入れ歯なんて絶対イヤで「死ぬまで入れ歯ナシで過ごす」と決めているからです。(歯周病や入れ歯が認知症など、脳の健康に悪影響があるとの説もあるそう)いくら歯磨きのワザを磨いても完璧は難しい。だったら専門家に助けてもらおうと「医者頼り」しています。


本書をはじめ、老いてなお心身の健康を維持するためのハウツーブックが溢れています。そこでdameo が言いたいのは「健康な心身で何がしたいの?」であります。身体健康、生きがいナシみたいなロージンが増えているような気がします。健康を自己目的化して肝心の「生きている意味」を考えない。読書と言えばハウツーものしか読まない人が年老いたら・・最後は<ハウツー安楽死>ブックを読むのでせうね。(2022年 幻冬舎発行)

 

<追記>

 和田センセがオンラインで講義している、健康と長寿についての提言を紹介。

長生きしたければテレビは見るな…老年医学の専門医が「街ブラ番組は特に危険」と訴えるワケ 最大の問題点は「人を座らせたままにする」こと | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

 

和田竜「村上海賊の娘」を読む

  上下巻合わせて1000頁、上巻は友人から頂戴し、下巻は図書館で借りて読んだ。瀬戸内海に実在した村上海賊が毛利家の要請で大阪の石山本願寺へ10万俵の米を届ける。しかし、織田信長はこれを阻止せんと泉州の海賊、眞鍋一族などを使って合戦となった。その顛末を描いた時代劇、歴史教科書で学ぶ「石山合戦」の一部であります。


上巻の半分程まで読み進んだとき、この作品はコミックで読んだほうがいいのでは?と思いつく。(コミック版もある)結局は最後まで活字を読んだのでありますが、話のくどいのにはウンザリしましたね。アクションものなのに人事の解説が続いてなかなか前へ進まない。著者は大量の歴史資料を読み込んでいるので、そのウンチクのあれこれを披露したくて、つい過剰な説明をしてしまう。で、話が進まないのであります。


なのに、本願寺や近辺の砦、要するに合戦の地理的な説明があいまいで戦場としてのロケーションが描けていない。木津川海戦といいながら、どんな風景なのかかいもく分からない。地理ファンとしては不満が募るのであります。著者が16世紀の大阪の地理、地形の概念をもてなかったからでせう。文献資料だけではリアルな風景は想像しにくいのです。


下巻最後のヒロイン(村上海賊の娘)とヒーロー(泉州海賊のリーダー)との一騎打ちなんか延々と何十頁も続いて「ええ加減にせんかい」と読み飛ばしたくなります。劇画を文字にしてるだけで文学的なネウチなんかありません。しかし、コミックファンがこれを読めば「文学作品を読んだ」と思うかもしれない。


泉州海賊の出番では泉州弁の会話が誇張されて書かれ、面白いけど、どうして著者は泉州弁を学んだのでせう。大阪生まれだけど赤ちゃんのときに広島へ引っ越してるからネイティブな泉州弁は身についてないはず。身分差があっても敬語を使わないというような感覚で泉州人のキャラクターづくりをしている。各地から兵士が集まるのだから、全部標準語で会話させたら退屈する・・そんな意図があったのかもしれません。
 著者の全力投球ぶりは十分感じることができる。しかし、読後感は「なんだかなあ」のB級時代小説でした。(注)本書は<2014年度本屋大賞>受賞作品(2013年 新潮社発行)

 

 

長浜浩明「日本人ルーツの謎を解く」を読む

 何十年か前、韓国の南部で前方後円型の古墳が見つかった、というニュースを耳にした覚えがある。日本の前方後円型古墳の手本になった先輩古墳だと思った。自分だけでなく、日本人みんながそう思ったはずだ。日本の文明文化の多くは大陸から朝鮮半島を経て日本にもたらされたというのが鉄板に近い常識だった。

 しかし、その後、研究が進んで先輩古墳の話は大逆転する。韓国の前方後円型古墳のデザインは日本がオリジナルで、それを韓国に伝えたというのだ。日本が先輩だった。ガガ~ン。
 研究の結果、韓国の同型古墳はすべて日本の古墳より築造が新しいと分かった。五世紀から六世紀にかけての話である。古代においても日本より先進国だと自負していた韓国人にとってはえらいショックだった。


 本書で語られるのは、古墳よりもっと大昔の話、縄文時代がテーマである。この時代のはじめのほう、1万5000年前というと、日本列島はまだアジア大陸と陸続きで日本海がなかった。従って、文明文化が海を超えて渡来した、という常識の当てはまらない時代である。
 現在の常識とされる人類の発祥地がアフリカだとすれば、何百年、何千年かかってアフリカから東アジアまで旅した人間がいてもおかしくない。そんな人物の一部が今の日本の土地に住み着いて日本人の始祖となった。縄文人であります。なんか、気宇壮大な話ではありませんか。


 著者は当然考古学者だと思っていたら違いました。東京工大出て日建設計に勤務、設備設計の仕事に携わったサラリーマンです。しかし、本書を読めば、趣味でここまで書けるのかと思うくらいの博識家であります。プロの研究者と議論で渡り合えるくらいの自信をもってるに違いない。


 本書で著者は何を言いたいのか。はじめに書いた「日本の文明、文化のモトはすべて大陸からもたらされた」説の否定である。国家の形成期には中国から文明文化をせっせと輸入したが、その数百年間を除いた時期、とくに縄文時代においては日本独自の文明文化が育ち、輸入どころか、むしろ海外へ積極的に出かけて自分たちの文化を売り込んだ。そのセールス品のなかに前方後円型古墳があり「あのね、日本では親分が死ぬと墓はこんなデザインにしますねん」とか言ってメイドインジャパンの墓を売り込んだ。むろん、売るだけでなく、現地のよい物は仕入れて帰った。


 しかし、教科書や報道で擦り込まれてしまった知識は簡単にチェンジできない。今でも日本人のほとんどは「文明文化は大陸、朝鮮からもたらされた」説を信じている。そんなインチキ情報で影響の大きいものに「NHKスペシャル」というドキュメント番組があり、何度も文明文化渡来説を報道して視聴者を洗脳している。ドキュメント番組だからウソはないと思い込んでる人が多すぎる。
 著者が「無知の象徴」としてボロクソに批判しているのが司馬遼太郎であります。司馬氏の晩年のころには古墳の情報など知れ渡っていたはずなのに司馬氏はひたすら中国、朝鮮を崇める姿勢を崩さなかった。きつい思い込みは事実を拒否するものらしい。


 なんでもかんでも渡来説が正しいのなら、以前、ここで紹介した本、「土偶界へようこそ」に出て来る土偶も、その原形が大陸や朝鮮で見つかるはずである。しかし、そんなもの一つもない。縄文土器は日本のオリジナルである。稲づくり(水田耕作)も渡来文化というのがなんとなく常識になっているけれど、渡来説の時期よりはるか昔の水田跡が九州で見つかっている。歴史教科書も信じてはいけない。


 いつぞや、まったく偶然に見たBS番組で古代史のなかの縄文人をテーマにしたものがあり、我ら縄文人は大陸の陸づたいに小舟で北上し、ベーリング海経由でアメリカ西部の海岸にたどりつき、そこで定着した。すなわち、彼らが最初のアメリカ人であるという。縄文人が元祖アメリカ人になったという。なんだかおとぎ話のような内容でした。ま、好きにしとくなはれ。(平成22年 展転社発行)

 

 

A・ランボオ「地獄の季節」を読む

 eight8eight_888 さんのブログに触発されて小林秀雄訳で読みました。フランスの詩集といえば青春時代に上田敏訳の「ヴェルレーヌ詩集」くらいしか読んだことがない。今回「地獄の季節」を読んだらこれはとんでもない辛口でアブサンを直に呑んだような・・知らんけど。これに比べたらヴェルレーヌの詩はあんこ餅に砂糖をまぶしたような大甘口であります。


えらい本借りてしもうた、と半ば後悔しながら、まずは拒絶反応をすこしでも和らげるために,巻末の「あとがき」「解説」各編に目を通す。ここには若き小林センセ(30歳ごろ)の対ランボオ格闘記?も綴られている。本編を読めば想像できるのですが、一行、一語ごとに頭かきむしって呻吟するさまが脳裏に浮かんではらはらするのであります。

 
102頁「海景」という詩の一部を引用すると・・・

(略)
曠野の潮流と
引き潮の巨大な轍は
ぐるぐる廻り、流れ去る、東の方へ、
森の列柱の方へ、
波止場の幹材の方へ
その角は光の旋風に衝突する。


100年前、昭和時代のはじめによくぞこんな斬新な詩文が書けたもんだと感心します。小林秀雄センセが必死のパッチでなんとかランボオ世界のイメージを読者に伝えようと格闘するさまが想像できるけど、それにしてもこれだけ抽象化されると自分のような鈍感人間はとりあえず「困惑」するしかない。一方、「地獄の季節」が世に出たときはクリムトの作品が人気を博した時分と重なるのなら、時代感はなんとなく想像できる。クリムトのセンスにヴェルレーヌは似合わないもんなあ・・とか、なんとか、アホなりに「地獄」へのアプローチを試みるのでありました。


 昭和の初期にかくも難儀な仕事に取り組みながら、若輩の小林センセは自負と自虐の念の山を築きつつ翻訳と文芸批評のジャンルで実績を積んでいた。当時、こんな仕事に取り組める秀才は数人しかいなかったのではないでせうか。仏語の翻訳だけでなく、ランボオ時代感覚に追いつける日本語を創作しなければ・・。そんな必要に迫られた時代だったと想像します。


何回読んでも難解なランボオ作品でありますが、それでもうっすらながらイメージできることはランボオは半世紀早く生まれてしまったのではという思いです。19世紀後半ではこんな天才を受けいれるシャバが出来ていなかった。
 そして、へ?と驚いたことにランボオヴェルレーヌと友人関係だったというではありませんか。仲良しと喧嘩を繰り返して最後は別れてしまうのですが、ランボオに対する<孤高の天才>のイメージが少し薄れます。


一から十まで全部難解作品ばかりかというと、そうでもない。韻文詩の「オフェリヤ」なんかふつうに親しめるロマンチックな表現の文で、これの翻訳では小林センセも鼻歌まじりにスイスイ筆を進めたはずと勝手に想像しました。(平成14年 新潮社発行)

 

 

 

<閑人帳> ネット世間=愚者の楽園

◆ファスト映画の罪と罰
 映画を10分くらいに短く編集して投稿サイトに有料かつ無断で公開した若者が起訴され、厳しい判決が出た。男女二人の被告が稼いだ金額は約700万円なのに対して判決で示された罰金は5億円である。二十代にして人生終了であります。


報道によると、令和2年の10か月間にファストで再生した回数は約1000万回。映画会社等の被害額は約20億円にのぼり、その一部5億円を賠償金として被告に課した。ムショ暮らしの上に5億円の損害賠償金。出所後、マジメに働いて毎年100万円ずつ納入したら・・500年かかる。1000万円でも50年。まあ、その辺は諸般の事情を鑑みて軽減されるかもしれませんが、当分は死にたくなる地獄の日々でありませう。大反省も大後悔もあとの祭り、ネット社会における<アホの見本>として数年は語り継がれると思います。


ファスト映画を見た人は罪に問われないらしいけど、犯罪に荷担したと少しは自責の念に囚われるかもしれない。そんな人が500万人いたとして、一人100円拠出すれば合計5億円。これで犯人の罰金刑はチャラにできる・・という話は余りに甘すぎるので、このカネでたとえば海外での心臓移植手術費用の援助に使えば自責の念は癒やされ、実際にとても役立つ・・と、これはたった今思いついたしょーもないアイデアであります。ま、ファスト映画を見るような輩は良心の呵責などは無縁の人種でありませう。
 それにしても、有料でいいから映画を10分で見たい、という人の気持ちが分からない。何が面白いのか、役立つのか、石器人は理解不可能であります。


◆ウエブ就活を替え玉受験して小遣い稼ぎ
 優秀な頭脳を犯罪で生かしてゼニ儲け・・京大出身、関西電力勤務の男がウエブでの就活テストの替え玉受験を請け負って・・逮捕されました。ツイッターで宣伝して集客、集金したのだから犯意100%のワル。一方、替え玉受験を依頼する人も100%不正であること自覚しているから100%ワルであります。双方ともバレて逮捕されることも想定していたはずだから純度の高いアホであります。この発想の軽薄さ、倫理観ゼロの低脳ぶりは感動的です。
 替え玉になった容疑者はすでに300人からの注文をこなし、400万円程稼いでいたという。勤務先が関電だったらテレワークを悪用してのバイトかもしれない。しかし、年収にも満たない悪ゼニを稼いだあげくにバレて逮捕、人生終了であります。親の悲嘆を想像すると心が痛むが、安易な同情はできない。

https://www.bing.com/search?q=%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%96%E5%B0%B1%E6%B4%BB%E3%82%92%E6%9B%BF%E3%81%88%E7%8E%89%E5%8F%97%E9%A8%93%E3%81%97%E3%81%A6%E8%8D%92%E7%A8%BC%E3%81%8E&cvid=ce0b61b2bd8a4e1bb91af53c27bd1641&aqs=edge..69i57.46412j0j4&FORM=ANAB01&PC=NMTS

 

 山本藤枝「現代語で読む<太平記>」

 この本に出会わなければ「太平記」なんて難儀な古典に接すること100%なかったでせう。文庫本240ページに膨大な情報を凝縮かつ分かりやすく表現している。
  それにしてもややこしい話である。何十人もの天皇、公家、武家、僧侶などが出入りし、登場人物の名前を覚えるだけでも苦労する。後醍醐天皇足利尊氏新田義貞楠木正成高師直、くらいはなんとか知ってるけれど、これの20倍くらいの人物がバイプレイヤーとして登場し、結構、重要な役目を果たすので、もう話がこんがらがって何度もページを遡りつつ読んだ。でも、その物語の波瀾万丈ぶりが十分読み応えありだから止められない。

 

 主役の一人である後醍醐天皇天皇としては珍しく「政治も行う」天皇で幕府に対抗して新しい発想で「建武の中興(新政)」なる政策を唱えたことは教科書で習った。なのに、その反面、人格的に駄目なおっちゃんでもあり、都を追われて笠置や吉野の山中を逃げ回るという、天皇らしからぬブサイクな体たらくをさらし、結局、捕らえられて隠岐の島へ島流し・・。これも教科書に載っていましたね。これでくたばるのかと思いきゃさにあらず、密かに島を脱出し、軍勢を整えて都へ帰還・・。この執念、バイタリティは凄い。天皇のイメージから外れている。

 

 江戸時代に成立した「仮名手本忠臣蔵」の序章に出て来る高師直(こうのもろなお)は太平記高師直を400年ほどスライドさせて登場するが、歌舞伎ではパワハラ親父として描かれている。太平記でも執事として有能である反面、陰湿なイジメ役として描かれている。ということは、江戸時代には庶民のあいだでも太平記の世界がそこそこ知られていたことになります。単純な勧善懲悪物語では師直は悪役の見本みたいなイメージだった。(赤穂事件をリアルに描いた作品は真山青果作「元禄忠臣蔵」で昭和時代に完成した。)

 

 太平記ではもうイヤになるほど合戦場面が何度も出てくる。そこで気になるのが戦闘員の人数であります。湊川合戦では足利尊氏の軍は30万、水軍が調達した大型船700隻といった数字が出てくるけど、ホンマか?と疑ってしまう。応援に駆けつけた上杉軍が8万・・。ちょっと数字を盛りすぎじゃありません? 30万の兵士が巾3間の道路に並んで行進したら行列の長さいかほどになるか。仮に1キロに1万人並んだとしても30万人なら最後尾は30キロも離れることになる。

 

 甲子園球場満タンの人数が4万5千、これの6~7倍のスケールに相当します。十分の一の3万でも大群衆で、指揮官が兵士に命令を発するとして、どうしてそれを伝えるのか。スマホも拡声器もない時代、情報を伝えるだけでも大難儀のはずです。実際には馬も加わるのだから行列の長さはさらに長くなる。兵士の食糧補給はどうするのか、まで考えるとこれらの数字はとても怪しい。本当は十分の一くらいではなかったのか。逆に「楠木正成が五〇〇余騎を率いて突撃」なんて場面はリアルに想像できます。太平記を記したのはもちろん当時のインテリですが、インテリといえば公家か僧侶しかいなかった時代、軍事情報に疎いまま、武家の話を丸呑みし、ときに自分で数字を盛ってしまったのではないか。

 ともあれ、中世史の一部を学ぶには恰好の本です。大苦労して現代語でまとめてくれた著者に感謝します。(1990年 集英社発行)

 

 

訪ねてみたい<石川県立図書館>

 今年7月にオープンした当図書館は設計の斬新さで評判になり、図書館らしくない?賑わいぶりらしい。当初は一日5千人もの入場者があったとか。下のHPの画像を見ても本で埋まった円形劇場みたいなインテリアでうろうろ回遊するだけでも楽しそう。先日紹介した、大阪中之島の<子供の森>図書館をうんと拡大したような感じらしい。本が売れなくなり、出版業界がピンチに陥る一方でこのような魅力的な図書館がデビューすること大賛成であります。


たくさんある設計コンセプトのなかに <どうぞお静かになさらず>があるのも楽しい。ここは、おしゃべりOKの図書館、賑わいに溢れた図書館です。でも、「静かな空間で読書したい」そんなあなたのためには、特別なご予約席をご用意してあります。その名も「サイレントルーム」。落ち着いた空間で、本の世界にどっぷり浸かってください・・との案内がある。利用者もちょっぴり意識を変えないと新しい図書館のコンセプトについていけなくなりそう。


・・と、新型図書館のデビューを祝いながら、図書館利用者の増加が本の売り上げ増加に直結しないという、作家や出版会社の悩みは解消されない。以前にも書いたような気がするけど、あるとき、作家の朝井まかてさんが図書館で講演会を行い、本を借りるだけでなく、買ってくださいという趣旨の話をされた。
 図書館でそんなこと言って委員会?・・でありますが、言いたい気持ちも分かる。ヒット作品が生まれて売り上げが何十万冊となっても、その外側にタダ読みする読者、即ち、図書館利用者がいて、彼らは作家や出版者の利益にほとんど寄与しない。苦労して世に出した本を読んでもらえる有り難さと一部の人にタダ読みされる無念さ、なんとかならんかい?であります。ヒット作品が図書館で予約待ち100人、なんて情報は出版社を大いにいらつかせる。そのうち、改善策が生まれるかも知れませんが。

 

石川県立図書館 公式HP
https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/

 

 

 

 

<続> 日高義樹「アメリカが日本に<昭和憲法>を与えた真相」

~その2~

147~149ページに興味深い対談文がある。
日高・・・要するに、国会議員のほとんど全員が憲法改正に賛成、軍事力の放棄にも反対はしなかった。

ビクター・ウイリアム・・・その通りです。憲法の改正は国会議員の間では極めて好評で、ほとんど全員が賛成しました。共産党だけが反対した。8人の議員が新しい憲法に反対しました。

日高・・・憲法草案のうち、国会議員が最も熱狂的に受け入れたのは?

イリアム・・・象徴天皇でした。そして国家主権を国会に与えることも大歓迎されました。衆議院ではほとんど全員が憲法の草案に賛成したが、貴族院が反対したため、両院の審議会が開かれることになりました。(注)貴族院=現在の参議院

日高・・・憲法第九条も歓迎されたのですね。

イリアム・・・その通りです。共産党を除いて全員が賛成した。
(引用ここまで)

第九条を含む新しい憲法の草案に対して共産党だけが反対した。そんなアホな、という気がします。錦の御旗のように大事にしている平和憲法を当時の共産党は否定した。ま、今の日本共産党に言わせれば「あの当時の共産党はアカン共産党だった」と弁解するでせう。暴力革命を是とする思想の古い共産党といっしょにされたら迷惑だと。


かくして、新しい憲法のもとで日本は生まれ変わった。めでたし、めでたし・・と安堵したのもつかの間、たちまち、日本もアメリカも軍事的脅威にさらされることになる。ソ連や中国という共産党の勢いが増し、日本を呑み込んで共産党国家に、という野心が露骨になる。なんか、ヤバイな、と心配する矢先に朝鮮戦争勃発。ついこのあいだ「日本には二度と軍事力を持たせない」と言っていたアメリカから「武器は貸したるさかい、はよ軍隊(自衛隊)作らんかい」と矢の催促。な、なに考えてまんねん、アメリカって、先見の明、ぜんぜんありませんがな。その上、平和憲法生みの親、マッカーサーは上司(大統領)と喧嘩してクビになった。日本ともプッツンしてしまいました。


著者、日高氏は憲法改正を是とする立場で本書を書いている。安保条約や日米同盟の重要さも説くが、今後のアメリカに対する信頼感は薄い。アメリカの衰退が止まらず、中国の脅威がますます大きくなる状況において、日米安保条約が日本の安全を担保するなんて、もう考えないほうがよいと言う。

 アメリカ国防総省幹部が繰り返し著者に述べた言葉を紹介すれば、尖閣諸島問題について「アメリカの海兵隊が日本の自衛隊といっしょに戦って日本の領土を守るということは考えていない。尖閣で地上戦闘があれば、日本だけで戦う必要がある」(247頁)

 アメリカが守りたいのは周辺海域の自由航行権であって尖閣の島ではない。島自体を守るのは自衛隊のお仕事、と割り切っている。日本側がどう考えようと、事実上の安保条約の形骸化が進んでる。
  まして、今の弱腰オバマ大統領が尖閣というちっぽけな島の防衛のために米軍を出動させるなんてありえない。こんな超ローカルなところで米中全面衝突なんて、考えたくもないだろう。(実際に何が起きるかは不明でありますが)


あらためて憲法全文と日米安保条約の条文を読んでみました。

憲法第九条】
戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


この文章には書かれていないが、自衛権の保持は認められている。マッカーサーは、これも認めない意向だったが、日米の交渉の末、了解された。


竹島問題や尖閣諸島問題など、現実の脅威が増してくるほど護憲論は政治思想というより信仰に近づいている。福島瑞穂が街頭演説などで訴えていた典型的なフレーズは「こんな立派な憲法をもつ日本に攻め込んでくる外国があるはずがない。現に60年以上、平和が守れたではないか」でありました。これって「神が私たちを見捨てるはずがない」という身勝手な願望、思い込みと変わらない。

 60年以上、平和が守られた、という実績を言うなら、しかし、平和を守るのに、自衛隊の必要は全くなかったと言わなければ、ええとこ取り、安直なご都合主義ではないか。
 論理的な説得力を失ったら、精神論や感情に訴えるしかない。行き着くところ信仰である。さしづめ「護憲教」「護憲原理主義」でありませうか。困ったあげくに「国連」なんかを持ち出すようでは、もう精神年齢12歳未満だ。(2013年7月 PHP研究所発行)

 

 日高義樹「アメリカが日本に<昭和憲法>を与えた真相」~その1~

長文になったので2回に分けてアップします。

 dameo は憲法改正賛成論者でありますが、賛否いずれであっても最低数冊の書物を読まないと現憲法の発想~成立のプロセスは理解できないと思っている。一冊読んで「憲法、ぜんぶ理解できました」はあり得ない。ネットで家庭料理のレシピを数本読んで「和洋料理の作り方全部分かりました」と云うようなものだ。しかし、現実はどうか。一冊も読んでいない人が国民の半分位いるのではないか。


本書はNHKの特派員として長くアメリカで活動した著者が、その豊富な人脈を生かし、インタビューを重ねて日本国憲法成立の裏側を明かした本。
 
どんな人にインタビューしたか。主な名前を挙げると・・
ヘンリー・キッシンジャー(元国務長官
・ジェームス・シュレジンジャー(元国防長官)
・ズブグニュー・ブレジンスキー(元大統領補佐官
ジョージ・ブッシュ(第41代大統領)
ジミー・カーター(第39代大統領)
・ヘムルート・シュミット(元ドイツ首相)
・ゲアハルト・シュレーダー(元ドイツ首相)
・ジョン・ガルブレイス歴史学者
ピーター・ドラッカー経営学者)
・ジャック・キャノン(連合国軍キャノン機関長)
・ビクター・ウイリアムズ(連合国総司令部民生部長)ほか


さて、内容を簡潔にまとめて紹介すべきところ、これが難儀でございます。残り少ない頭の毛をかきむしって呻吟・・というほどでもないけど、何から書いていいのやら。ま、なるべく柔らか~く書いてみませう。


地球上には善意満タンの国家、国民しかいないハズ、と説くキレイゴト満点の憲法「前文」をはじめ、原案は日本を占領していたアメリカのプロジェクトチームによって発案され、日本政府に呈示、合意の上で完成した。これが憲法問題を考える上での大前提です。つまり、日本国憲法は事実上MADE IN USA。


その製造責任者がダグラス・マッカーサー。むろん、彼一人が仕切ったわけではないけど、マッカーサー憲法と言ってもよいほど影響力は強かった。そして、新憲法づくりの一番のコンセプトは「日本への復讐」であった。自国にも多大の犠牲者を出した、戦争の勝利者としては当たり前の発想である。日本が二度と欧米に刃向かうことができないように、徹底して無力化する。世界に冠たる「平和憲法」の発想のモトは、まず復讐ありきだった。そのホンネを隠して美しく文章化したのが第九条だ。


このことはほとんどの日本人が知っているハズでありますが、戦争放棄を謳う「九条」が、まるで戦後日本人の発想、総意で出来たかのように思い違いしている人もいる。言うまでもないが、新憲法制定の経緯において日本国民の発想が反映されることなどあり得なかった。


日本をどう処罰するか、はポッダム会議の時点から議論されたが、結局はマッカーサーに委ねられた。日本への復讐は成就したとして、もう一つ大きな課題は天皇の扱い。映画「終戦のエンペラー」にも天皇の処遇、付き合い方をどうするか、の場面があるけど、マッカーサーに限らず、欧米人には天皇の存在自体がとても理解しにくい。むろん、戦争責任者として断罪することも可能だったが、結局「国民の象徴」として残すことになった。


それは、天皇への畏敬の念ゆえではなく、存続させたほうが占領国家を統治しやすくなると考えたから。もし、勝利者の権限で天皇を廃止したら、日本国内は一挙に不穏になり、各地で反乱が起きかねず、それを収束するための軍事行動で米軍に死者が出ること必定である。そんなリスクを犯すより、残して平穏を保つほうが理にかなっている。ハイハイと占領軍のいいなりになっている日本政府も、天皇制の存廃問題にはえらくこだわった。国民に計らないまま歴史を断絶させるなんて耐えられない。


憲法の原案は英文で作成され、日本語に訳されて政府へ届けられ、要望事項や修正で何度もやりとりがあって最後に英語、日本語で正式文がつくられて、双方が確認した。この間のやりとりで、かの白州次郎が活動した。


新しい憲法について国会議員の反応は良かった。米軍関係者がたびたび国会議員と接触し、反応を確かめたが、九条を含め好意的に受け止めていた。一番歓迎された案は「象徴天皇制」だった。(つづく)

宝島編集部「日本の新宗教50」を読む

 元統一教会が安倍首相暗殺事件に関わったことで目下は非難囂々の有様で、世間では新興宗教団体への眼が厳しくなっている。では、実際にはどれくらいの新興宗教が存在、活動しているのだろうか・・という関心に応えてくれる本であります。対象は、仏教や神道キリスト教を除く、江戸時代末期より後に創立された宗教です。信仰の自由は憲法で保障されていること周知の通りですが、本書を読めば新宗教のほとんどはトラブルメーカーでもあるということが分かります。神仏への帰依を放り出して、金や人事で争いの絶えないのが実情。とはいえ、キリスト教イスラム教、それに仏教も創始以来ゴタゴタ続きであること同じだから,エラソーなことは言えない。


15ページに「新宗教国内信者数ランキング」という表があって、上位30の団体が掲載されている。トップは言わずもがな「創価学会」で827万世帯、2位が「幸福の科学」で1,100万人・・。ホンマか?と疑うのが正しい。デタラメと言ってよい数字です。創価学会は世帯数が827万ですが、先の国政選挙では比例票が600万しか取れなかった。幸福の科学は今回も多数の候補者を立てたのに一人も当選しなかった。1,100万人どころか、100万人もいないのではないか。そのほかの各宗教団体のほとんどが信者数を水増ししている。その証拠に上位10団体までの信者数を合計すると3000万人を越え、日本人の3人に一人が新宗教の信者ということになる。そんなアホな・・。

 

本書15頁の<新宗教国内信者数ランキング>の一部

 


今、問題になっている「元統一教会」は信者数ランク15位。信者数56万人となっているが、これもインチキでせう。信者数が少ないから一人当たりから何百万、何千万の金を巻き上げなければならない。もはや宗教団体ではなく、詐欺や恐喝で集金する悪質な宗教法人であります。
 本書が意図的に新宗教の悪口や批判ばかり書いているのでなければ、常識で判断して7~8割の団体は信仰より金集めが目的で運営していると言われても仕方ない。おまけに、ほぼ全ての団体において信者数の減少が進んでおり、運営資金が潤沢なところは皆無といってもよい。


本書によれば、有名団体で遠くない時期に崩壊が危惧されるのはPL教団。衰退著しいのが霊友会立正佼成会、と書いてある。信者数が数万から数十万の団体は民間における中小企業のように生き残りに必死という状況にある。


トップの創価学会は信者数のジリ貧も問題だけど、盟主、池田大作の去就が最大の悩み。どんなポジションを与えたらよいのか、彼は三代目だから教祖と言えないし、未だに宙ぶらりんのままであります。ふだんの呼称にさえ苦労して目下は「池田先生」で通しているけど、芸がないなあと同情したくなる。そのカリスマ「池田先生」の跡を継ぐ人はどう考えても「フツーの人」しかいない。このひどいギャップをどうして埋めるのか。次世代で内紛が起きること必定でありませう。(池田大作を象徴化して現状維持を図るかも)


各教団の実情を読み終えての感想をいえば、本書に記された団体のなかで一番穏やかで安定感を感じたのは天理教くらいでせうか。教えが過激ではない。内輪もめが少なそう(実情不詳)。強引な勧誘をしない。という印象があります。他に共感や魅力を感じた団体はゼロです。あってはならない宗教団体の政治への関与に関しては、元統一教会だけでなく、創価学会に対しても同じくらい不快感をもっています。(2017年 宝島社発行)