山本藤枝「現代語で読む<太平記>」

 この本に出会わなければ「太平記」なんて難儀な古典に接すること100%なかったでせう。文庫本240ページに膨大な情報を凝縮かつ分かりやすく表現している。
  それにしてもややこしい話である。何十人もの天皇、公家、武家、僧侶などが出入りし、登場人物の名前を覚えるだけでも苦労する。後醍醐天皇足利尊氏新田義貞楠木正成高師直、くらいはなんとか知ってるけれど、これの20倍くらいの人物がバイプレイヤーとして登場し、結構、重要な役目を果たすので、もう話がこんがらがって何度もページを遡りつつ読んだ。でも、その物語の波瀾万丈ぶりが十分読み応えありだから止められない。

 

 主役の一人である後醍醐天皇天皇としては珍しく「政治も行う」天皇で幕府に対抗して新しい発想で「建武の中興(新政)」なる政策を唱えたことは教科書で習った。なのに、その反面、人格的に駄目なおっちゃんでもあり、都を追われて笠置や吉野の山中を逃げ回るという、天皇らしからぬブサイクな体たらくをさらし、結局、捕らえられて隠岐の島へ島流し・・。これも教科書に載っていましたね。これでくたばるのかと思いきゃさにあらず、密かに島を脱出し、軍勢を整えて都へ帰還・・。この執念、バイタリティは凄い。天皇のイメージから外れている。

 

 江戸時代に成立した「仮名手本忠臣蔵」の序章に出て来る高師直(こうのもろなお)は太平記高師直を400年ほどスライドさせて登場するが、歌舞伎ではパワハラ親父として描かれている。太平記でも執事として有能である反面、陰湿なイジメ役として描かれている。ということは、江戸時代には庶民のあいだでも太平記の世界がそこそこ知られていたことになります。単純な勧善懲悪物語では師直は悪役の見本みたいなイメージだった。(赤穂事件をリアルに描いた作品は真山青果作「元禄忠臣蔵」で昭和時代に完成した。)

 

 太平記ではもうイヤになるほど合戦場面が何度も出てくる。そこで気になるのが戦闘員の人数であります。湊川合戦では足利尊氏の軍は30万、水軍が調達した大型船700隻といった数字が出てくるけど、ホンマか?と疑ってしまう。応援に駆けつけた上杉軍が8万・・。ちょっと数字を盛りすぎじゃありません? 30万の兵士が巾3間の道路に並んで行進したら行列の長さいかほどになるか。仮に1キロに1万人並んだとしても30万人なら最後尾は30キロも離れることになる。

 

 甲子園球場満タンの人数が4万5千、これの6~7倍のスケールに相当します。十分の一の3万でも大群衆で、指揮官が兵士に命令を発するとして、どうしてそれを伝えるのか。スマホも拡声器もない時代、情報を伝えるだけでも大難儀のはずです。実際には馬も加わるのだから行列の長さはさらに長くなる。兵士の食糧補給はどうするのか、まで考えるとこれらの数字はとても怪しい。本当は十分の一くらいではなかったのか。逆に「楠木正成が五〇〇余騎を率いて突撃」なんて場面はリアルに想像できます。太平記を記したのはもちろん当時のインテリですが、インテリといえば公家か僧侶しかいなかった時代、軍事情報に疎いまま、武家の話を丸呑みし、ときに自分で数字を盛ってしまったのではないか。

 ともあれ、中世史の一部を学ぶには恰好の本です。大苦労して現代語でまとめてくれた著者に感謝します。(1990年 集英社発行)