A・ランボオ「地獄の季節」を読む

 eight8eight_888 さんのブログに触発されて小林秀雄訳で読みました。フランスの詩集といえば青春時代に上田敏訳の「ヴェルレーヌ詩集」くらいしか読んだことがない。今回「地獄の季節」を読んだらこれはとんでもない辛口でアブサンを直に呑んだような・・知らんけど。これに比べたらヴェルレーヌの詩はあんこ餅に砂糖をまぶしたような大甘口であります。


えらい本借りてしもうた、と半ば後悔しながら、まずは拒絶反応をすこしでも和らげるために,巻末の「あとがき」「解説」各編に目を通す。ここには若き小林センセ(30歳ごろ)の対ランボオ格闘記?も綴られている。本編を読めば想像できるのですが、一行、一語ごとに頭かきむしって呻吟するさまが脳裏に浮かんではらはらするのであります。

 
102頁「海景」という詩の一部を引用すると・・・

(略)
曠野の潮流と
引き潮の巨大な轍は
ぐるぐる廻り、流れ去る、東の方へ、
森の列柱の方へ、
波止場の幹材の方へ
その角は光の旋風に衝突する。


100年前、昭和時代のはじめによくぞこんな斬新な詩文が書けたもんだと感心します。小林秀雄センセが必死のパッチでなんとかランボオ世界のイメージを読者に伝えようと格闘するさまが想像できるけど、それにしてもこれだけ抽象化されると自分のような鈍感人間はとりあえず「困惑」するしかない。一方、「地獄の季節」が世に出たときはクリムトの作品が人気を博した時分と重なるのなら、時代感はなんとなく想像できる。クリムトのセンスにヴェルレーヌは似合わないもんなあ・・とか、なんとか、アホなりに「地獄」へのアプローチを試みるのでありました。


 昭和の初期にかくも難儀な仕事に取り組みながら、若輩の小林センセは自負と自虐の念の山を築きつつ翻訳と文芸批評のジャンルで実績を積んでいた。当時、こんな仕事に取り組める秀才は数人しかいなかったのではないでせうか。仏語の翻訳だけでなく、ランボオ時代感覚に追いつける日本語を創作しなければ・・。そんな必要に迫られた時代だったと想像します。


何回読んでも難解なランボオ作品でありますが、それでもうっすらながらイメージできることはランボオは半世紀早く生まれてしまったのではという思いです。19世紀後半ではこんな天才を受けいれるシャバが出来ていなかった。
 そして、へ?と驚いたことにランボオヴェルレーヌと友人関係だったというではありませんか。仲良しと喧嘩を繰り返して最後は別れてしまうのですが、ランボオに対する<孤高の天才>のイメージが少し薄れます。


一から十まで全部難解作品ばかりかというと、そうでもない。韻文詩の「オフェリヤ」なんかふつうに親しめるロマンチックな表現の文で、これの翻訳では小林センセも鼻歌まじりにスイスイ筆を進めたはずと勝手に想像しました。(平成14年 新潮社発行)