今日もニコニコ乱読味読

~レガ爺 dameo の泡沫ライフ~

小山清「小さな町」を読む

 図書館の書棚で小説を物色するとき、何をたよりに本を選ぶか。ふつうは著者や作品の知名度ではないでせうか。特に著者についてはほとんどが「知ってる名前」を優先して手に取るのではと思います。


前回に図書館を訪れたときは何故か「全然知らない作家の小説を読んでみよう」というアイデアが閃き、この本を借りました。小山清・・知らない名前です。 で、なにげに開いたページに記された短編のタイトルが「をぢさんの話」。
 「おじさん」と「をぢさん」のニュアンスの違いがわかる最後の世代と勝手に思ってる自分の好みにぴったりのタイトルです。読んでみれば、下町の貧乏暮らしの日々を描いた、なんということもない作品でした。


作品を読んでから「小山清」で検索してみた。ちょっと驚きました。

|候補| 第26回芥川賞(昭和26年/1951年下期)「安い頭」
|候補| 第27回芥川賞(昭和27年/1952年上期)「小さな町」
|候補| 第30回芥川賞(昭和28年/1953年下期)「をぢさんの話」
|候補| 第1回新潮社文学賞(昭和29年/1954年)『小さな町』
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今回読んだ「小さな町」と「をぢさんの話」いずれも芥川賞の候補になった作品でした。無名作家ではありませんでした。才能を認める人がいるから平成の時代になってもこの本が発行されたわけです。だからといって、世間で小山清作品を再評価しようという風潮が生まれたというものでもない。


当時の芥川賞選考会議での選考委員の発言が一言ふうに残っている。第26回の選考会議での川端康成(当時52歳)の言葉が印象深い。
「長年、特色のある作家だが、一隅の存在という感じがする。」


そういう見方をするのか・・これぞプロの発想だと思いました。著者自身の職業であった新聞配達人という生業とまわりに蠢く下層市民の日常をちまちまと描く。それ自体は悪くないけど、これに拘泥しすぎて同じパターンの作品を続けてしまった。そんな世界から脱皮できなかった。この仕事ぶりを川端康成はマイナスに捉えて「一隅の存在」と評した。他にも宇野浩二は「発想がワンパターン」だと批判している。


巻末の堀江敏幸の解説文を読んでびっくりした。文学青年、小山清島崎藤村の紹介を得て日本ペンクラブで書記の仕事に就いたが、そこで公金を使い込み、八ヶ月の刑務所暮らしをしたと。ええ~~!ホンマかいな、であります。さらに驚いたのは、そんな犯罪者になる前、十代のときにカトリックの洗礼を受けていたと書いてある。作品を読んだ感想とリアルな小山清の人物像が乖離して脳内はワヤワヤであります。文学人生にMAX級の汚点を残してなお文学にしがみついた著者をどう評価すれば良いのか。無名作家を選んだのに自分のメモリーには忘れ得ぬ作家としてインプットされてしまいました。(2006年みすず書房発行)

 

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齋藤孝「読書力」を読む

 先週末に紹介した同じ著者の「本は読んだらすぐアウトプットする」よりずっとマジメな内容であります。読書は自己形成の最良の方法である、と論じる齋藤センセは、近ごろの若者が読書を軽視していることに怒り、危機感をもっている。じっさい「本は読まなくてもいい」と言う風潮がある。読書なんてしなくてもネットで十分知識を仕入れられると思ってる人が増えてきた。


センセは言う。読書力は国民の知的インフラである。読書力の高さが日本の文明、文化を支えてきたという。領土は小さく、資源もない日本がアジアにおける先進国になり得たのは、国民の知的レベル(読書力)が高かったからである。この「読書は自己形成の方法」と「読書力は知的インフラ」論にはもろ手をあげて賛成します。しかし、読書必要論はなんだか劣勢になっているのが実情でせう。数量的にも出版文化は衰退傾向が顕著だ。


読書のクオリティについてはどうか。センセの見立てはこうだ。読書好き=読書力がある、ではない。大量生産のミステリーやハウツーものの本を100冊読んだ人は読書好きに違いないが、読書力がある人とはいえない。娯楽の一つとしての読書にすぎない。本当の読書力は精神の緊張を伴う内容の本を読んで培われる。精神の糧、自己形成の糧になる本を読んでこその読書力である。


では、マンガを含めた娯楽としての読書と、自己形成に与する教養としての読書、その境目はどのへんにありんすか。齋藤センセは「司馬遼太郎あたりが境界線」という。なるほど、これは分かりやすい。多くの読書ファンが納得できる例えだと思います。逆に言えば、司馬遼太郎はこのポジションであるゆえに多くの読者をつかみ、幅広い人気を保っている。娯楽書ファンと教養書ファン、どちらにも受け入れられる作家だと言えます。


世間には、若いときからほとんど読書をしなかった。しかし、日々の生活や人間関係で困ることはなかったと考える人もいる。そういうライフスタイルも是でありますが、著者は、読まない人が増えると国民の知的レベルが下がることを懸念する。読書しない人が増えて国民の知性や道徳心がアップすることはあり得ないと。


 著者は教育者目線で読書の大切さを説いている。しかし、子供時分から読書経験の乏しい人が、読書人に劣等感をもっているわけではない。大人になって、もっと本を読んでおけば良かったと後悔する人なんて極めて少ない。そんな人に「読書で自己形成を」なんて、余計なお世話でありませう。この本自体が「余計なお世話本」といえなくもない。


 本書は久しぶりに大活字本で読みました。B5サイズで18ポイントのゴシック体、すいすいスラスラ快速読書ができて、250ページを2時間余りで読めました。視力正常の人にもおすすめします。(図書館で借用・大活字本は2012年発行)


大活字本 週刊誌と同じB5サイズ、2分冊

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山本博文「忠臣蔵の決算書」を読む

  武士の暮らしは「忠」や「義」といったメンタルな面が主で、エコノミー(経済)にはさしたる関心をもたないのが普通です。その忠と義のドラマの典型である「忠臣蔵」をゼニ勘定でとらえたのがこの本。別に皮肉やイヤミで「金と忠義」をテーマにしたわけではなく、くそまじめに、討ち入りを支えた経済的裏付けを研究したものです。


はじめに、討ち入りの決算報告書から述べると、総費用は8400万円になります。当時の金で約700両、一両を12万円としての計算です。う~ん、そんなもんかなあと、駄目男は納得出来る金額でありますが、高すぎる、いや、安いもんや・・いろいろ見方があるでせう。


どうしてこんなにリアルな金額が算出できたのか。それは主人公の大石内蔵助がマメに帳簿をつけていたからです。忠臣蔵といえば、主君の仇討ちという忠義の思想から生まれる人間ドラマばかり取り上げられるのですが、義士といえど普通の生活人でもあるから、衣食住にお金がかかります。それが47名もいるのだから、経理担当の大石内蔵助は銭勘定の面でも苦労が絶えませんでした。


大石が丹念に書き付けていた帳簿は「金銀請払帳」です。これがきちんと残っていた。元禄14年(1701)3月に主君、浅野内匠頭が殿中松の廊下で刃傷沙汰を起こし切腹。幕府は赤穂藩取りつぶしを決めます。赤穂藩を会社に例えるなら倒産です。重役から平社員まで全員解雇。強力なコネのある人は他の藩に仕官できますが、大方は失業者になりました。しかし、ここで救いになったのは、赤穂藩がひどい貧乏藩ではなかったことです。領地は小さく、藩士も少ないのに、塩田の経営などで、そこそこ潤っていました。


家老であった大石内蔵助は藩にあった金をかき集めてみんなに退職慰労金として配ります。刃傷事件は3月でしたが、6月には残務整理も大方落着して、各種支払いのあとの残金が700両となりました。これが「討ち入りプロジェクト」の資金となり、この時点から帳簿付けが始まります。帳簿付けといっても当然「収入の部」はありません。全部支出です。その支払い相手は討ち入り参加予定者だけど、これがなかなか決まらない。忠義のタテマエから言うと、主君に近い幹部、会社でいえば重役、部長クラスがメインになるはずなのに、実際の義士は課長や係長クラス、平社員が中心になりました。エグゼクティブほど忠誠心が薄いのでせうか。


著者は支払いの内訳を分類して,何に多くの費用がかかったか計算しています。222ページの文をコピーすると、こうなります。

 

討ち入りプロジェクトの費用内訳
■仏事費・・・・・・・1524万円
■御家再興工作費・・・・780万円
江戸屋敷購入費・・・・840万円
■旅費・江戸逗留費・・2976万円
■会議・通信費・・・・・132万円
■生活補助費・・・・・1584万円
■討ち入り装備費・・・・144万円
■その他・・・・・・・・360万円

 

はじめの仏事費と御家再興工作費は討ち入り計画とは直接関係のない費用なので、実際には約6000万円が資金になりました。また、江戸屋敷購入費は、アジト用に買った物件が、幕府の公共工事予定地とかち合ってしまい、使えなくなって840万円がパーになっています。


帳簿によると、出費のほとんどは大石が家来に直接手渡しており、すべて領収書をとっています。武士とは思えないこまめさです。「討ち入装備費」では衣装や帷子、槍や長刀、木戸を打ち破るための木製ハンマーの値段までいちいち書いてある。 さらに感心するのは、帳簿の締め切りを討ち入りの二日前とし、義士全員に借家の家賃や掛け買いの精算を済ませるよう命じていることです。町民に借金を残しては折角の大義がすたると考えたのでせう。


討ち入りは元禄15年12月14日に行われた。刃傷沙汰から1年9ヶ月も経っており、当時は遅すぎたという批判が多かった。外野席だけではなく、義士の間でも遅い、もっと早く実施すべきという意見が多かった。途中で怖じ気づいたり、シラけて脱退した者もいる。大石内蔵助は家来の突き上げや批判に悩み、一方で資金はずんずん減っていく。この 「人事と金」の案配を計りながら決定したのが12月14日という日程だと言えます。帳簿締め切り時点では資金が底をつき、大石個人の財布から払うような場面もあった。


討ち入りをもってプロジェクトは終了し、義士たちは江戸在各藩にお預けの身となった上、翌年の2月4日、幕府の命により切腹します。
 以上が忠臣蔵の決算物語でありますが、歌舞伎や文楽忠臣蔵に親しむと、ドキュメントとフィクションが頭のなかでごっちゃになってしまいます。萱野三平(ドキュメント)と早野勘平(フィクション)を「仕分け」しながら読まねばなりません。また,大石の京都での遊興費用なんて出費があると、つい「祇園一力茶屋の場」の場面を想像してしまいますが、これは芝居での場面です。芝居しか知らない人は、遊女「お軽」の身請け代に何両使ったの?と気になったりして・・。


もうトコトン解説され尽くしたと思える忠臣蔵でありますが、こんなウラ話もなかなか興味深い。著者は現在、東京大学大学院情報学教授です。(2012年11月 新潮社発行)

 

夏目漱石「道草」を読む

 前回紹介の「彼岸過迄」よりはいくらか読みやすいけど、全編、陰々滅々物語で、これを楽しく読んだ人っているの?な感じ。大正4年に朝日新聞に連載された。毎日、まじめに読み続けた読者は、さぞかし気が滅入ったことでせう。


本作品は夏目漱石の自叙伝に近いというのが定番解釈だそうです。但し、リアルに生い立ち、人生を描いているのではなくて、人物像などかなり変えられてるところもあるが、人間関係についてはほぼ事実に近いらしい。この小説を書いたときは、作品に描かれた人物は生存し、本人の親類なども生きていたのですから、書くのには随分勇気が要ったに違いない。漱石に関わった人を褒めるのなら何の問題も無いけど、ほぼ全員、悪く描かれている。こりゃ、たまりませんです。ブンガクって、因果な仕事ですなあ。


現実に生活を共にしているヨメさん(夏目鏡子)をコテンパンにくさし、昔の養親だった男は強請、たかりの悪人、その回りの人物もろくでなしばかり、という設定で話しが進むから、陰々滅々物語になって当然です。そして物語の軸になるのが夫婦不和で、DVこそ起きないが、悪意とイヤミ満載、救いのないまま終わっている。


 ・・てな単純な話だったらブンガクたりえない。なので読者は上っ面だけ読んで「しょーもな」なんて文句垂れてはいけないのであります。では、この陰気な小説から何を読み取るべきなのか。dameo の脳ではどだい無理な命題ゆえ、巻末の解説の一部を引用します。(青色文字)


「主人公、健三(漱石)と妻のお住(鏡子夫人)との根本的な対立の一つは、実用的価値を重んじる生活者と、実用性から切り離された精神的価値に生きる知識人との葛藤にあるとされている。これは単に健三夫婦に固有な対立にとどまらず、西洋的な学問や論理に従って自己を立てていった知識人と日本の身辺現実に忠実であった庶民との断層という、日本近代全体の大きな歪みを鋭敏に嗅ぎあてているということができよう」


・・てな具合に読み解かなければ文学鑑賞にならないのであります。主人公は、知識人、エリートの自覚が強いぶん、庶民感覚と折り合いをつけるのが難しい。全く、家族からも世間からも浮いてしまってるインテリのしんどさであります。まあ、この「近代の相克」みたいな難儀が漱石作品を私小説に堕することから救っているとも言えますけど。嗚呼、漫画が読みたい。(2009年2月 岩波書店発行)

 

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夏目漱石「彼岸過迄」を読む

 昨年夏にOさんから頂いた「夏目漱石を楽しむ」という本がきっかけになって、このトシで漱石再入門です・・と言えば聞こえが良いけど、半ば、義理読み。いまどき、はてなブロガーで夏目漱石の愛読者なんて10人くらいしかいないような気がします。


 とっかかりに「明暗」を手にしたところ、わ、かなわんなあという、なんか拒絶感みたいなのが起きて出直し、あらためて、この「彼岸過迄」を選びました。岩波書店版で無論、現代かな遣いです。


正直言って、これも読むのに苦労しました。文体や語彙が難解だからではなく、ストーリーの展開がもたもたしてるからです。現代作家の文章に慣れているものには十分イライラさせるスローモーな進行で、中頃まではひたすらガマンしつつ読みました。「草枕」ファーストシーンのカッコイイ書きだしに比べたら雲泥の差で「さっさと先へ進まんかい」と尻を叩きたくなります。純文学的に吟味しつつ読むファンはともかく、自分みたいなB級読者の大半はスイスイ読めないのではと勝手に想像します。


内容は、Kという男が、青年期から経験する複雑な人間関係を軸に、短編を組み合わせるように構成されたものですが、主題は「嫉妬」であります。漱石が書きたかったのは「嫉妬」の表裏です。このテーマへの執着ぶりが文に表れていて、これはこれで読み応えがある。嫉妬を素直に表現すればブンガクにならないから、ねじり、ひねくらせて葛藤に苦しむ場面を延々と書く。ヘタな作家なら説得力、表現力不足で行き詰まるところ、飽きさせずに読者を吸い付けておくところが漱石たるゆえんでありませうか。一行書くのに、如何ほど呻吟したのだろうかとB級読者は半ば覚めて読んだのでありました。(2008年9月 岩波書店発行)

 

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雨宮処凛(かりん)「右翼と左翼はどうちがう?」を読む

 図書館の青少年向け書架で見つけた本。「14歳の世渡り術」というサブタイトルがついていて、大人社会の難儀な問題を分かりやすく解説するシリーズ本であります。著者は40代?の女性作家で、はじめ右翼、次いで左翼の思想に共感し、街宣など運動にも携わった。男なら「アホちゃうか」と蔑まれるところ、女性だと「ま、ええか」となるのでせうか。しかし、思い詰めたら行動に移すところは、何も考えずにボケーと生きてる人よりはベターであります。


なにしろ青少年向けの本ですから、極論や過激な表現は慎み、ソフトに分かりやすく書いていて、大人が読んでも十分勉強になります。右と左、それぞれの思想を解説しつつ、全ての考え方において左右が対立しているわけではなく、共通の問題意識もあると述べています。


左右共通の認識と言えるのは「反資本主義(反資本家)」と「反グローバリズム」の二つ。もっとも、右翼側はだからといって社会主義が良いなんて、絶体言わないのですが。要は、資本家による搾取、格差社会化など、庶民、若者が生きにくい世の中をなんとかしたい、人間らしく生きたいという点では左右とも似たような見識のもとで活動していると。


では、左右の明快な対立点は何か。大人ならみんな知っていることですが、憲法問題、天皇制、教育問題、などで、これらで容易に歩み寄ることは無さそう。しかし、著者に思想的な影響を与えた知人は、左右関係なく、人間として十分魅力的なオジサンばかりだったという。


右の人はやかましいだけの街宣右翼を嫌い、左の人は革マルなど暴力が本命の左翼を軽蔑する、いわば教養人だからでせう。そして、左右の活動家及び著者自身が一番危惧するのは国民の「無関心」です。だから、君が14歳であっても、政治だけでなく,身の回りに起きることに関心をもち、疑問が起きれば積極的に関わることをすすめています。


戦後最初の小学一年生になった dameo の経験からいえば、当時の親の考え、学校教育が共に「戦前の全否定」になってしまったのは仕方ないと思ってます。あらがうことは出来なかった。問題はそのあとの考え方です。「戦前の全否定」を検証しようともせず、そのまま引きずってるのが左翼でせう。「自虐史観」なんかはその副産物です。もっとも、自分だって昔は土井たか子のファンだったから、えらそーなことは言えません。


世渡りをする中で、ちょっと待てよ、と「戦前の全否定」に疑問をもった人と持たなかった人、ここんところが分かれ目です。全否定という国民総洗脳状態から脱却できたか、できなかったか、です。自分の場合は長い年月かけてジワジワと脱全否定、脱自虐史観に至った。これができたのはやはり読書のお陰だと思ってます。(河出書房新社 2007年5月発行)

 

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斉藤孝「本は読んだらすぐアウトプットする」を読む

佐藤優氏などとともに斉藤孝センセも「スーパー読書人」の一人でありませう。読むだけでなく、著作活動ものすごくて、累計発行部数は1000万冊を越えるそうであります。読書好きが社会的知名度を高め、財を築く。万年無名、貧乏読書人とは天地の差があります。


しかし、この本を開いて「なんだか・・斉藤センセもネタ切れなのかなあ」と思った。100頁で書ける内容を200頁に「増量」している。2頁で掲載できる「目次」に8頁も費やしている。もしや、編集者の売り上げ優先の発想かもしれないが、装幀を含めた書物のクオリティーとしては斉藤センセのイメージダウンを誘うのではと感じました。本のカタチとしては文庫や新書のほうが良いのではと思ってます。

 

読む尻から忘れるのがふつう
 しかし、内容は至極まっとう、納得できることばかりです。読書好きの人が毎日せっせと本を読んでも、実は読む尻から忘れるのが実情だと。ほんま、その通りです。年間100冊もの本を読んだとして、その内容のいかほどが新たな知識になり、精神の糧となって残るのか。これを説明できなければ、読書も単なる娯楽、ヒマつぶしでしかない。


「だから、読んだらすぐにアウトプットせよ」と奨める。そのアウトプットのハウツーを詳細に、延々と説明するのですが、中身は常識的なもので、読書好きな人ならだれでも思いつくことが大半です。むしろ、丁寧な説明が煩わしいと思うくらいです。


読書好きにしてブログの登録者はほとんどが自分流スタイルで感想文などを投稿(アウトプット)しています。自分にはこれを読むことがとても勉強になります。石器時代脳しか持ち合わせない者にはいろんな世代の人の作文を読むことで世相や時代感覚を知ることができます。(自分と同じ世代のはてなブロガーが何パーセントくらいおられるのか、知りたいけどデータが見つからない)。


我田引水・二次アウトプットは「紙」で・・・
 読んだ本の紹介文をブログに投稿して「アウトプット」できた。これでヨシでありますが・・。嗚呼、そのアウトプットした文章もまた忘却するのであります(笑)数年も経てば、紹介文どころか、その本を読んだことも忘れてる。そんなの、あんたがアホやから、で済むことですが、悲しいかな、本当であります。


投稿した文の9割は再読に値しない駄文だとしても、少しは、感銘した、読んでよかったと思う本や感想文もある。それを選んで残しておきたい。しかし、記録保存に何の安全保証もないブログで残すのはまずいでせう。ならば、紙で残すのが一番簡単です。紙にプリントしてファイルに綴じる。誰でも簡単につくれます。たぶん、100年くらいは保存可能です。


ん?・・もしや、この「紙の記録」を作ったことも忘れるのでは?。いいえ、忘れる前にあの世へ行くから大丈夫です。(2019年 興陽館発行)


dameoの手づくり<ええかげん 読書ノート>。ネット環境のない人も読めます。

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(2019年 興陽館発行)

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2013年 北と南  ミュージアム巡りの旅 (12)

桜島観光と仙巌園・尚古集成館 見物

  6月9日、最終日はお上りさん観光です。昨夜の雨は上がって、暑くも寒くもない行楽日和り。午前中は桜島観光で、フェリーで渡り、アイランドビューという小型バスで、約1時間の展望台巡りをします。山頂にかかった雲がとれず、間近で山の全貌を眺めることはできませんでしたが、なかなか快適なドライブでした。

 桜島は噴火という大災害の発生源であり、しかし、観光の目玉でもある、なんだか付き合いの難しい山で、地元としては、ひたすらおとなしくしてほしいとお祈りするしかありません。町のあちこちで見かける「克灰袋」は、平穏に慣れすぎたらアカンで、という警告の意味もあるのでせう。
 

利用した「アービックホテル」にはトレインビューという、鉄ちゃん愛用の部屋があり、ここしか空いてなかったので使いました。フロントで駅発着の時刻表をくれます。今回の旅で一番高価な6000円。しかし、ランドリーが無料なので、実質5700円という価格になります。
鹿児島9日 

フェリーで桜島へ。わずか15分ほどで着きます。
9日 

小型のバスで見晴らしのよいコースを巡ります。
9日 

フェリー乗り場近くの公園には足湯がある。源泉に近いところは熱くて入れない。向こうの建物は国民宿舎
9日 

2004年、長渕剛が溶岩台地の特設広場で7万5千人を集めてコンサートを開催。これを記念して「叫び」と題する石像がつくられた。
9日


湯ノ平展望所で15分休憩します。
9日 

山頂に雲がまとわりついて、見慣れた桜島とは思えないシルエットに
9日 

昭和61年の大爆発を報じる新聞(山麓の資料館にて)
9日 


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仙巌園・尚古集成館 見物
 これも鹿児島観光の目玉、歴代藩主、島津家の別邸で、海に面して広い庭園があり、京都の庭のように侘びだのさびだの言わない開放的なつくりです。なんせ、桜島を庭の築山に、錦江湾を池泉に見立ててという豪快な設計だから、コマイこと言うなよ、って感じですね。燈籠のサイズもバカでかくて、笠石の大きさは畳8畳ぶん、日本一らしいです。


これで庭の前が白砂青松の浜辺だったらどんなにすばらしい景観でありませうか。残念ながら、国道とJRの線路が邪魔をしています。島津の殿様がこれを見たら、頭かきむしって嘆くでありませう。
 
 尚古集成館は大いに期待したのですが、展示物が少なくて少々期待はずれでした。イギリスの産業革命時代の機械があり、ちょんまげの時代にこんな機械を使っていたなんて信じられない思いです。
 明治維新において、江戸から見たらド田舎である薩摩藩が常にエラソーな態度でおれたのは、この先進性ゆえです。ヤミ貿易で稼いだたっぷりの資金と最新型の武器をそろえて徳川幕府何するものぞ、と上から目線で世情をみていた。


これで予定のスケジュールを全部こなして、鹿児島発16時43分発の「さくら」に乗車、21時30分、無事、自宅へ戻りました。


仙巌園庭園
9日 

人気スポットなので団体客が続々来園します。
9日 

こんな大砲で英国艦隊と撃ち合った。結果は「ボロ負け」「五分五分」「善戦」いろいろな説がありますが、アチラの大砲の性能の良さを認めて仲直り、英国から武器を買うことになります。

9日 

大きさ日本一の石灯籠。畳8畳の大石をどうして持ち上げ、乗せることができたのか。
9日 

「猫神」という小さい祠があります。「犬神」って聞いたことあるけど、猫ははじめてです。
 9日

9日 

尚古集成館 西洋式の「工場」をつくって一挙に近代化をめざした。
9日 

***************(完)**************

2013年の「ミュージアム巡りの旅」は無事終了。2年後、長崎のミュージアム巡りの旅を加えました。後日、掲載する予定です。

北と南  ミュージアム巡りの旅 (11)

 

熊本県立美術館
 熊本城内の二の丸、静かな森のなかにあり、昨日訪れた福岡市美術館と同じく、前川國雄の設計。高さを樹木より高くせず、森に埋もれたようなたたずまいです。ここでも常設展のみ拝見。

ランチはテラスでコーヒーとサンドイッチを
熊本美術館 


 細川コレクションの部屋に入って最初に目に入ったのが、横山大観の「焚き火」。おおーーっ、目が点になりました。まさか、ここで出会えるとは。疲れがいっぺんに吹き飛びました。

 

 今まで作品の感想などかいもく書きませんでしたが、ここではウンチクを少々。題名は「焚き火」とあるけど、これは「寒山拾得図」の横山バージョンです。寒山拾得とは人名で、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)という男の名前。実在したのかしないのかはっきりしない、おそらくは伝説の人物で、世俗を避けて山の中に住み、食うや食わず、衣類はボロボロという、ホームレスふうの人物でありながら、実は高僧だった、思想家だった、いや、仏の化身だといろいろ解釈されています。


この、外見は乞食同然である・・しかし、実は偉大な人物かもしれないという、なんか、ようわからん人物像が絵描きたちの想像力を大いに刺激しました。ワシならこんな人物に描いてみせると、いろんな寒山拾得像が生まれました。「焚き火」は横山大観が「ワシならこう描く」と想像した寒山拾得の姿です。駄目男のお気に入りは、右側、拾得のなんともいえない笑みの表情です。陰影をつけない日本画で、よくぞこんなに微妙な表情が描けたもんだと感心し、惚れてしまったのです。(何十年も昔のことです)また、これが最もエレガントな寒山拾得像ではないか、と思っています。


興味深いのは、かの伊藤若冲も曽我蕭白も自己流の寒山拾得像を描いていることです。当然ながら、個性強烈、ここまでやるか、と感心する、自由な発想です。彼らが寒山拾得をどれほど理解していたのか分かりませんが、若冲の、二人を童子の姿にした絵は、もう四次元的に飛躍したというしかない。なんか、一瞬のひらめきでパパッと筆を走らせた、そんな感じさえします。(同じ作者の別の寒山拾得図もあります)


曾我蕭白の絵は、昔、京都国立博物館で見て強烈な印象を受けました。横山大観のエレガントな描き方に比べたら、同じ人物とは思えないボロボロぶりです。こんなふうに描いてなお尊敬や畏怖の気持ちを込めているのか、それとも逆に皮肉や貶める意図で描いてるのか、よく分からない。かくいう自分も寒山拾得の何たるかは不勉強で、たんなる印象に過ぎないのですが。しかし、このテーマは本当に面白い。これだけを集めた「寒山拾得大集合展」という企画展を催してほしいくらいです。

(注)横山大観も、同じ「焚き火」というタイトルで別の寒山拾得図を描いてることがわかりました。豊田市美術館所蔵の「焚き火」です。発想が自由にできるぶん、これでキマリ、という自信作も描きにくいのかも知れません。


横山大観の「焚き火」 左が寒山、右が拾得。寒山拾得をどのように表現するのかは全く自由ですが、唯一のキマリとして寒山は「巻物」拾得は「箒」をもつことが条件になってるみたいです。
熊本美術館 


曾我蕭白が描いた寒山
熊本美術館 


同じく拾得
熊本美術館


伊藤若冲が描いた寒山拾得
熊本美術館


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鹿児島市立美術館
 熊本から1時間くらいで鹿児島中央駅着。小樽から延々2700キロの列島縦断旅、8本の特急列車を乗り継いで、ここで終了です。改札の係員に「このキップ、記念に残したいのですが」というと、検印して返してくれました。これが一番のお土産になりました。


市電に乗って城山公園の近くまで行き、市立美術館を訪ねます。もう築40年くらい経つのですが、石貼りの堂々たる構えの建物です。
 どこの美術館でも、常設展が混雑するってことはあり得ないので、一人で借り切りみたいな贅沢な鑑賞ができます。海老原喜之助、和田英作シスレー、ルオー、ピカソマリー・ローランサンカンディンスキーなど、地方の美術館にしてはよく集めたなあと思いながら鑑賞しました。


鹿児島市立美術館

鹿児島8日 

エントランスホール
鹿児島8日 

パブロ・ピカソ「女の顔」1943年

鹿児島 

マリー・ローランサンマンドリンのレッスン」1923年
鹿児島 


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安くて美味しい「かごっま屋台村」
 ホテルで洗濯と風呂を済ませて、どっか安い酒場ないかしらんとフロントに行くと「かごっま屋台村」のパンフがあり、徒歩10分くらいで行けそうなので、ここに決まりです。雨が降り出したので近場がいい。全10日の行程中、傘をさしたのは、この酒場往復の30分ほどで済み、とてもラッキーでした。

 

 雨降りだからがら空きのはずと想像して行ってみれば、なんと大繁盛でどの店も満員御礼状態。ようやく丸イス一つが空いてる店を見つけ、スミマセンネ、皆さん、な感じで割り込ませてもらいました。こんなに窮屈な酒場って近頃経験したことがない。でも、新しいのに「場末感」ふんぷんというのが好ましい。ふと「こんな狭い、ぐちゃぐちゃの配置、消防法でアウトちゃうか」の疑問が湧きましたが、ビール飲むとすぐ忘れた。

 ぎゅうぎゅう詰めなので、お皿一枚置くにも隣客にスミマセンネ。だから、自然に会話がはじまります。青森の酒場でもそうだったけど、メニュー見てもなんの料理か分からないのがあります。隣のおっちゃんに尋ねて、注文して、すごく美味しかったのが「首折れ鯖の刺身」でした。屋久島の沖合で一本釣りしたゴマサバを血抜き(活け締め)したものです。トロふうの食感で、ナマの鯖ってこんな味だったのかとカルチャーショックを受けました。日頃、食べ慣れている「しめ鯖」や「塩鯖」からは想像できない味と食感です。


この「かごっま屋台村」は珍しくNPO法人の運営で、開業に際してはいろいろアイデアを盛り込んで「共存共栄」を意図したという。たとえば焼酎のお湯割りは全店一律200円にして過当競争をふせぐとか。鹿児島へ旅する方おられたら、晩メシはぜひ「かごっま屋台村」へ。ラーメンやおでんの店もあります。(6月8日)



この場末感が気に入りました。ショボショボ降る雨も雰囲気を高めます。
鹿児島8日 

人生最初で最後かもしれない「首折れ鯖の刺身」を賞味
鹿児島 

豚足
鹿児島 

にぎり寿司 左・きびなご 右・とびっこ(トビウオの卵をイクラふうに味付け)

焼酎は姶良の白銀酒造のナントカをロックで。
鹿児島


SEKAOWA 藤崎彩織「読書間奏文」を読む

 古本だけど表紙のデザインが気に入って300円で買った。でも、藤崎彩織って何者ぞ、です。読み始めたら、著者は文筆家ではなく、SEKAINO OWARIというバンドのメンバー(ピアニスト)だった。通称、セカオワだそう。


職業はわかったけど、ミュージシャンがなんの縁でエッセイストになったのか、音楽は今でも現役?らしいけど、ある日「文學界」の編集者から声がかかって同誌にエッセイを書く注文をもらった。もとより読書大好き人間なので、このオーダーに大喜び、その成果が本書であります。(1年半連載した)


前半はバンド結成と売れないゆえのミジメな暮らしぶりが繰り返し描かれる。お金がなくてライブハウスの舞台装置は日曜大工でこしらえた。昼飯代さえけちってベニヤ板を購入した・・なんて貧乏物語が続く。まあ、売れない芸人はだれでも通る苦難の道であります。普通は困窮に耐えかねて喧嘩したり、解散するバンドが多いのに、セカオワはなんとか持ちこたえた。そして、2006年?突如、大ブレーク&貧乏暮らしはオワリになった。辛抱と努力の甲斐があった。


なのに、今や人気は落ち目?なのでせうか。エッセイを書けるくらい時間の余裕ができた。はじめて書いた小説が直木賞の候補になったというから相当の文章力はあるのでせう。もし、上手く転身できたら珍しい経歴をもつ作家になります。でも、資質のベースは子供時分からの読書好きで培われたと思います。


和製「セカオワ」のことは全く知らないけど、舶来の「セカイノ オワリ」なら知ってますよ。ブレンダ・リーが歌った同名の曲です。1960年ごろだったかもなあ。この歌知ってる人たち、しみじみと「コノヨノ オワリ」を迎えてるところです。(2018年 文藝春秋発行)

 

おしゃれな表紙が気に入って買った。

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