今日もニコニコ乱読味読

~レガ爺 dameo の泡沫ライフ~

岡崎武志「人と会う力」を読む

 なんとも脱力するタイトルであります。表紙の「力」の文字が心なしか細身でヘナヘナ感がする・・のは勘ぐりすぎでせうか。で、ページを開けると最初に「人と会うのはそもそも面倒で、困難なことである」という見出しが・・。
 そもそも、著者は人に会って取材し、記事やエッセイを書くことが仕事なのに「会うのが面倒・・」では商売になりません。実際、かなりの人は会合、会食に気後れや苦手意識があるけれど、何十年も経験すればおおかた自然に克服できる。フランクにつきあえる友人が一人もいない人生を想像すると、無理しない程度に「人と会う力」は養っておきたいと言う。教養豊かで円満な性格の持ち主が「誰とも付き合わない」なんてあり得ないと思うのですが。


架空だけど「会いたくない人物」の見本に夏目漱石の「坊ちゃん」を挙げている。これは分かりやすい。わがまま、威張り散らす、マナー最低・・。こんな男と付き合いたい人は皆無のはずですが、そこはブンゴー夏目漱石の腕達者で国民的文学の見本に祭り挙げられた。しかし、いくら善意に考えても坊ちゃんのその後の人生が幸福だったとは思えない。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」の延長でミジメな人生を送ったのではないか。小説「坊ちゃん」を読んだり、これをネタにした青春ドラマを観て、自分も坊ちゃんみたいな青春時代を送りたいと思うひとがいたら、普通にアホでせう。


居酒屋でどうでもいい世間話に付き合うなら「会う力」など必要ないけれど、もう少し上等の会話を楽しむには会話のクオリティに応じた性格や趣味嗜好が求められます。終わって、楽しかった、満足した、といえる会話や会合ですが、そういう機会は少ない。むしろ、老境に入って好き嫌いがきつくなると会合会食の機会が減ってしまいます。優れた人との出会いの大切さは分かっていても、現実は宝くじ2等賞が当たるくらいに確立が小さい。


それでも幸福な出会いがもたらした成功例の一つとして、花森安治大橋鎭子の事業成功話を紹介している。二人の出会いと業績は2016年のNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」で放映された。生い立ちも性格もまったく異なる二人が今までに無い雑紙をつくろうという理想を掲げ奮闘する物語で誌名は「暮らしの手帖」。両名とも故人になったけど雑紙は今でも発行されている。


この二人の出会いの場をつくったのが田所太郎という小さい出版社の社長で紆余曲折の末、二人はお茶の水の喫茶店で会い、主に大橋が「こんな雑紙をつくりたい」と理想を延べ、花森がこれを応援するかたちで企画、出版できた。広告をとらない雑紙ということが人気を呼び、最高100万部に達したというから出版史に残る大成功物語です。小さな偶然が重なったような「出会い」が生んだ事業成功物語。そして、相手に対する些細な好き嫌いを乗り越えた信頼と寛容の精神が生んだ良い事業でした。


情報の質量が大きくなりすぎた現代は「人に会う力」より「情報を集める力」が優先され、このような素朴物語は生まれにくい。はじめに計算ありきでモメたら責任のなすりあいが常識になってしまった。それでも、人との出会いを通じて無から有を生むような新しいアイテムが生まれるかもしれず、草葉の陰で期待しています。(2018年 新講社発行)

 



今週のお題「おすすめブログ紹介」 <朱雀の洛中日記>

 かれこれ10年以上愛読しているのが「朱雀の洛中日記」。長崎生まれのおばさんが老後は京都で暮らしたいという夢を実現させた。これを機にはじめたブログが自分の趣味や感性と合い、学ぶところも多くてネット上の「座右の書」になっています。
 旅好き、アート好き、読書好き、グルメ好き・・を全部実現できる恵まれた環境にあるのが羨ましい。一度だけ友人の紹介でお会いしたことがあるけど、想像外の地味で謙虚な人柄とお見受けしました。なお、朱雀さんは長崎ゆかりの伊東静雄野呂邦暢の研究、啓蒙をライフワークとして続けておられます。


おすすめブログ<朱雀の洛中日記>
http://suzaku62.blog.jp 

 

河村俊宏「あるBARのエッセイ」を読む

 昭和36年生まれの著者は神戸で居酒屋を経営していたが、阪神大震災で店が焼失し、これを機にバー経営に転向した。なぜバーに?の理由が語られていないけど、居酒屋とは似て非なる業態だから、苦労も多かっただろうと察します。こういう転向は、はじめからオーセンティックなバーを経営しているマスターから見れば「ぱちもん(二流)とちゃうか?」の目で見られるかもしれない。


常に不思議に思うのは、世間には無数といえるほどの酒場があり、酒飲みがいるのに、行きつけの店をもってる人は意外に少ないこと。毎日のように酒場へ行く人でも、店が白木屋とかチェーン店だったら「行きつけの店」とは言えない。単に、安いから、便利だから行く店に過ぎない。最低限、店主と客が互いに顔と名前を認識していることが「行きつけの店」の条件になる。本書にはそんな常連客の面々が仮名でたくさん登場して、酔態を大げさに書かれた人は迷惑と思うかもしれないが、ま、そこはカンニンしてや、ということで・・。


多様な酒場のなかで、店主(マスター)のキャラクターによって客筋が決まるのがバーだと言えませうか。客は好みで店を選んだつもりであるが、マスターも客を選んでいる。さらに、客が客を選ぶという三角関係によって店のキャラクター(評価)が定まる。文字で書けば理屈っぽいが、実際はビミョーな人間関係の積み重ねで成立、維持される。このアヤが面白い。円満な人付き合いが出来ない人やデリカシーに欠ける人はいつのまにか排除されている。酒場で嫌われる客は職場でも家庭でも嫌われる人物だといって間違いない。


本書にもたくさん登場するが、近年はバーでも女性の一人客が増えた。初回はかなり勇気がいると思うけど、今はネットなどである程度情報が仕入れられるので昔ほど敷居は高くない。30~50歳代で、一目で管理職、オーナーと分かる雰囲気をもってる人もいる。職場や仕事とプッツンして、一人静かに過ごしたいとき、バーは安息の場所になる。居酒屋やカフェにない静かさや暗さも必要であります。(2004年12月 文芸社発行)

著者は、現在、神戸市中央区でバー「Haccho」を経営。
  https://barhaccho.com

 

 

石ころでミニ石仏をつくる<石ころアート展>

 友人のOさんが「こんなもん、作ったんやけど」と見せてくれたのが写真のミニサイズの石仏。なんの細工も施さない「純粋石ころ」なのに組み合わせの妙で石仏に見える。「お、これ、おもろいやん」と直感したので「ぎょうさん作って作品展したら?」と半分冗談で提案しました。


それから幾星霜・・は大げさだけど、Oさんは近くの河原で石ころ拾いを続け、何十キログラムもの小石を集めたらしい。さらに、近所の木工所の入口の箱にゴミとして投げ込まれている木片を「あの~、これ頂いてええでせうか」とお願いして持ち帰った。材料費タダ、技術不要、センスだけで創作する新種の石ころアートです。


石仏は石にノミを入れて造形するけれど、素人には無理。しかし、このミニ石仏づくりは石を拾う、組み合わせるだけで創作します。石ころを探すときのセンス、遊び心が大事といえます。今回展示した作品は石仏をイメージしたものですが、犬、猫など動物でも良いし、造形の面白さを愉しむ抽象作品もヨシです。Oさんは50体ほどのミニ石仏を展示した上、希望者には無料でプレゼントするという大サービスをしたので、ほぼ全部が観覧者引き取られました。河原を歩く機会があったら「アート眼」でお気に入りの石ころを探してみませんか。(豊中市環境交流センターにて 9月17~23まで展示)

 

今年3月にここで紹介した初期の作品 「親子石仏」

 

左端は赤ちゃんを抱いてるようなデザイン

 

これはなぜか後ろを向いてるように見えるのですが・・

 

小石は接着剤で貼り付けています。

 

円空仏を想像させるデザインの石ころです。

 

岡 潔「情と日本人」を読む

 日常の生活態度においては自分は唯物論ふう思考の人間だと勝手に思っているけれど、岡センセの根本思想を為す、人間は「情」で生きるべし論を読むとなぜか「そやそや」と共感してしまうのであります。論理的思考のカタマリみたいな数学になんで情が絡むのか、ず~~っと不思議に思いながら今日に至ってこの薄っぺらな冊子に出会い、これがとてもソフトな語り口の日本人論なので二度読みして半分くらい納得しました。(残りの半分は理解不能


センセが偉大な数学者であったことを前提に考えるとやはり脳ミソがワヤワヤになるので、そこは端折ります。で、「人間は情で生きるべき」という説を明快に伝えるためにセンセは何と言うか。「儒教も仏教も思想・哲学としては二流である」と。(注)二流という言葉は使っていない。思想、哲学として完成度が低いという意味。
 知・情・意、の中で人間がオギャアと生まれたときから備わっているのは「情」だけである。知や意は成長過程での教育や社会経験で身につけるものだ。よって、人間の人間たる由縁は「情」である。だが、現代人はこれを忘れ、「知」や「意」の練達が優れた人間の証のように思っている。


然るに、儒教も仏教も情ではなく、知を駆使した思想・哲学である。たとえば、儒教のコンポン思想は「仁」だと説いているけれど、では「仁」とは何なのか。これの説明がない。(仁を掘り下げれば情になるはず)で、本意(本質)の説明をパスして儒教のコンポン思想は「仁なり」と説く。情を忘れて知の世界で意味づけするから定義や格言が量産されて儒教になった。そんなもん、二流ですがな、と岡センセはのたまうのであります。


仏教もインドから各地に流れて地域や民族ごとに「知」のチカラによって解釈、形式化され、本来、人間の心(情)の問題であったのに、知による操作で人や地域による幾通りもの仏教ができた。逆に言えば、そんな知的な操作を加えなければ多くの人に伝わらなかったとも言える。
 キリスト教徒に日本人の「情」が理解出来るか。宗教観でいえば彼らは「情」を魂」と置き換えて考えがちだから同一視は難しい。日本人にとってすごくシンプルな「情」の概念を中国人や西洋人に伝えるのは意外に難しいのであります。


岡センセは素粒子論の解説をしながら同じ文脈で「情を大切にせよ」と説く。その乖離の大きさにたいていの人はついていけない。それはセンセも分かっているので、くどいけれど同じフレーズが何度もでてきて「どない?」と念を押すのであります。それでも「最高難度の数学の研究に<情>は必須である」といわれると、センセは宇宙人かい?と思ってしまいそう。
 唐突にこんな読み物に出会って脳ミソがポカ~~ン状態でありますが、センセの発想は現代の道徳論や教育論の要になりうるというか、大事なヒントになるのではと思います。岡センセが我々に遺した大きな宿題ではないでせうか。


この冊子は「岡潔思想研究会」の主宰者、横山賢二氏が1972年にインタビューして原稿をつくり、(株)まほろば という自然食品の会社が発行したものです。北海道余市郡岡潔の思想を実践するための「情の里村」づくりをしています。冊子は非売品。
 ・・・と、書き終わってから「岡 潔」の名前を知ってる人がどれくらいいるのか気になったのでURLをご紹介。dameo は30年くらい前に岡センセが若いじぶんに暮らした旧宅を訪ねたことがあります。大阪府和歌山県の県境「紀見峠」の集落にある、ごく普通の和風民家でした。峠は江戸時代から明治時代は京都や大阪からの高野詣での人で賑わったところです。(旧宅はとりこわされて無くなりました)このときに「春宵十話」を読んだはずなのに全然覚えていない。

岡潔
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%BD%94

 

 

川上武志「原発放浪記」を読む

 原発の工事現場で働く末端労働者のレポート。雇用のありかた、労働環境、放射能リスクを避けるための規則など、私的経験を綴っている。放浪記という題名から察せられるように、原発現場の工事作業員は定住することは無く、発電所の新増設、定期点検工事の現場を追っかけて日本中を転々とする。彼らの身分は電力会社から見たら子会社~下請け~孫請け・・と系列の末端に位置し、身分保障は無いに等しい。


逆に言えば、入社、退社もルーズで規則に縛られない、出入りが自由な会社ということもできる。従って学校を出てすぐこの仕事につく人はなく、あちこちの職場を転々とした挙げ句に就職するとか、ヤクザが足を洗っても就職先が見つからず、ここで拾われるというケースもある。


公務員や堅気のサラリーマンから見たら「あり得ん!」職場遍歴に思えるけど、では原発労働者の大半が就職してもすぐ辞めてしまうのかというとそうでもない。過酷な仕事もあるが、それは稀で、普通は一般の土木建設労働より実働時間が少なく、残業や休日出勤はほとんどない。昇進昇格でストレスが起きることもなく、宿舎や寮もあって高い家賃に悩むことも無い。割り切ってしまえば、決して「辛い仕事」ではないので、さしたる抵抗もなく日本中の原発を転々と「放浪」する人が多い。著者は御前崎在住なので近くの浜岡原発での仕事が多かったが、他に、敦賀や美浜などの原発でも働いた。


コツコツと貯金して将来はマイホームを建てて・・というタイプの人は皆無に近い。生き方自体が行き当たりばったり、給料をもらったらギャンブルやフーゾクでたちまち散財してしまい、足りずに会社から前借りする。この借金で会社に縛られてしまう。
 稀に、生真面目で仲間と遊びほうけたりしない人もいるが、異端者として職場でいじめに遭いやすい。フーテンの寅さんが全国の縁日めぐりをするように、彼らは原発を転々として糊口を凌ぐといった感じである。


読者として気になるのは放射線被爆の怖さ。著者の場合、一番恐ろしかったのは蒸気発生器という原子炉の隣の施設でロボットの設置をする作業。一人一回に許される作業時間が15秒という「地獄の釜」みたいな空間で、さすがに生きた心地がしなかった。でも、こんな地獄は滅多にない。10年、20年、原発を放浪しても放射線を大量に浴びて死亡という労働災害は、今のところ皆無に近いようだが、将来は分からない。


ほとんどの原発が止まっている現在は失業状態の人がおおいけど、福島だけは旺盛な需要があるはず。蓄積被曝線量の問題で、同じ人が長期間働くわけにはいかないから、大人数を駆使するローテーションで危険な仕事をこなしてる。誰も言わないけれど、恐ろしい「人体実験中」の職場であること、間違いない。


文章はよくこなれて読みやすいのでズブの素人かと疑ってぐぐってみたら「ホームレス収容所で暮らしてみた」という本も書いていて、セミプロ?のライターでした。堅気の真反対、放浪形の仕事、人生が性に合ってる人に原発労働者はリスクはあるけど「適職」かもと思いました。(2011年9月 宝島社発行)

 

 

高村友也「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」

 ~生と死と哲学を巡って~ というサブタイトルが付いている。雑木林や河川敷に粗末な小屋をつくり、引きこもって暮らす青年の独白を綴ったよみものであります。小屋暮らしの理由は無職無収入で追い詰められて・・と想像しがちだけど、ちがひます。♪~貧しさに負けた いいへ世間に負けた・・♪からではありませぬ。裕福な家庭で育ち、学歴は東京大学哲学科卒であります。


なな、なんでやねん?貧乏以外にワケありかい?。著者が述べるに、小学生のころ、いつもと同じように寝ようと横になったとき、突然「僕はいつか死ぬんだ」と脳天に閃いた。僕が死んだら、百年、千年、万年、暗黒の世界をさまよわなければならない。怖い、絶対嫌だ。この、2~3秒の恐怖体験が平穏な暮らしとは別の世界があることを知らしめた。


ま、著者でなくてもこのような「一瞬の恐怖感」を体験することはあるかもしれない。でも、普通は二三日もたてば薄らぐ、忘れるものだ。しかし、著者はアタマが良いばかりに忘れるどころか、いつ起きるか分からない「死」に全力で対峙する子供らしからぬ悩みにさいなまれることになった。・・と書きながら、凡脳の持ち主、dameo は、困惑の体で読みすすめたのであります。


「死」について純粋に、とことん考え貫くには家庭という環境はあまりにぬるい、だるい。だったら、とことん一人きりになれる場所をつくろうと模索した結果が手作り小屋暮らしだった。断じてレジャーではありませんからね。
 東大哲学科卒のにいさんがトンカチ小屋づくりなんて場面を想像するとついニヤニヤ笑ってしまいますが、笑ってる場合か、生きるか、死ぬか、それが問題だ、の真剣勝負、あだやおろそかに出来ませぬ。


かくしてボロながら小屋ができ、存分にテツガクするさまを述べています。難解な言葉は出てこないけど、さりとて「死」についての観念をあれこれ述べたててもナゼかフツーの生活感に止まってしまう感じで新鮮味がない。(斬新な発想を期待したのがまちがいだった)そもそも、なんでこんな本を出版する気になったのか、という基本的なクエスチョンが解けない。


読み終わって、ふとこんな古い言葉を思い出した。「高等遊民」。これですよ、彼は。高等遊民高等遊民(こうとうゆうみん)とは、日本で明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。 https://ja.wikipedia.org/wiki/高等遊民


優秀な頭脳をもちながら世間のフレームからはみだして非生産的な生活を是とする。むろん、それも当人の自由でありますが、せめて読者にはもう少し中身の濃いメッセージを届けてほしかった。まだ若いから2冊目に期待しませう。(平成27年 同文館出版発行)
 

 

 

出口治明「還暦からの底力」を読む

 京大法学部を卒業、日本生命に34年勤め、幹部に昇進して退職・・という経歴から想像するエリートサラリーマン像を見事に転覆させるのがこの人の魅力です。副題に~歴史・人・旅に学ぶ生き方~と記すように会社のトップに上り詰めて達成感を味わうようなタイプとまったく違う。


2018年に日経が掲載したイジワル記事を引用して経済界の牽引役を自認する経団連のオッサン、ジジイを痛烈にこき下ろした。(51ページ)
 記事タイトルは「経団連、この恐るべき同質集団」で経団連の会長と副会長、計37名の経歴を調べ、彼らの「同質集団」ぶりを曝した。

・全員男性で女性はゼロ人
・全員日本人で外国人はゼロ人
・一番若い副会長で62歳、50歳代はゼロ人
・起業家もプロ経営者もいない
・全員、転職経験が無い

こんな連中が日本経済を支配している。とりわけ情けないのは4~5番で彼らはしょせんサラリーマンの延長でトップになっただけで、会社のトップであっても経済界のリーダーとしては全くの噴飯モノ、無能人間だと。生涯、一つの会社にしがみついてどうするのだ。GAFAのリーダーと比べてみよ、と。出口センセ、経団連の面々には蛇蝎のごとく嫌われているにちがいない。
 ・・のであれば、昔、城山三郎が小説ふうに描いた日本のトップ経営者の活躍ぶりも、出口センセに言わせれば、しょせん二流人物記でしかないのか。ま、時代が違いますけどね。


人は何のために働くのか。好きなことをするために働くのだ。これが出口流人生哲学であります。なのに、世間には食うための労働だけで生涯を終える人がいる。働いて働いて・・年老いて、気がつけばあの世が迫っていた。こんな人生でいいんですか? ハイ、いいんです、という人が少数ながらまだ存在する。生きる=苦行ナリ。それも立派な哲学かもしれないが、その前に、単に遊び方を知らないだけだったりして・・・。


常に「楽天主義」を唱え、実行してきた出口センセでありましたが、昨年、脳出血に見舞われ、半身不随、言語機能消失という重篤な状態になりました。これでさすがに参って引退と思っていたところ、パンパカパ~ン、車いす生活ながら現役復帰だそうです。学長を務めていたAPU(立命館アジア太平洋大学)の仕事にも復帰というから元気すぎる?後期高齢者です。こんな大きなハンディを負ってもなお前向きに生きる。生きてりゃ楽しいことがあるはず・・。
 凡百の人生ハウツーものを読むより、これ一冊で発想の転換、前向き思考のヒントをもらえそうです。先月紹介した江上剛「50歳からの教養力」の10倍役立ちます。市場でも好評で20万部くらい売れたそうです。(2020年 講談社発行)

 

 

「一万円選書」岩田書店の人気ぶりが新聞記事に・・

 大小を問わず書店経営のしんどさは全国共通 になっているなかで北海道砂川市の岩田書店のユニークな「一万円選書」は販売方法として定着した・・という「地味なニュース」が新聞でハデな記事になっているのでご紹介。
 9月5日の産経新聞朝刊の一面と最終面(大阪版・社会面)で「カルテから導く運命の一冊」「本は人生の味方 心通わせ」なる見出しで岩田さんの奮闘ぶりを伝えています。(クロッシングというタイトルの特別記事です)


この一万円選書のアイデアは岩田さん自身の発想ではなく、昔、高校の先輩と酒場で呑みながら経営のしんどさを愚痴ってる場面で先輩から一万円札を渡され「これで俺が面白いと思う本を選んでくれ」と言われた。ガガ~~ン、これが発端であります。客が読みたい本を店主が選ぶ・・と書くのはカンタンだけどものすごいプレッシャーです。しかし、岩田さんには年間150冊の本を読みこなしてきた情報の蓄積がある。そして常に「この本をぜひ多くの読者によんでもらいたい」を自覚してきた選択眼もある。売れ筋の本をメインに扱う一般書店とは全く異なる発想で本を仕入れてきた実績が俄然チカラになった。


・・とはいうものの、一万円選書が最初から当たったわけではない。平成19年からはじめて7年間に注文をくれたのはたったの50人。いよいよ廃業を覚悟した26年にテレビ朝日の深夜番組が取り上げてくれたことが逆転のきっかけになった。「一万円選書」大躍進スタートです。よくぞ耐えましたねえ。


大成功にはもうひとつ岩田流「カルテ」と称する読者アンケートがあってここに書かれる個人情報が本選びの大事なネタになる。しかし、お互い、知り合いでも友人でも無い。単なる客と書店主である。この距離感がとても大事でベタな義理人情が介在しないゆえに自由な本選びができる。やがて万単位の個人情報の蓄積によって短い文章でも読者の人柄が伝わる術を得た。実際、ハズレが少ないことが多くの顧客獲得に役立っている。


これまで岩田さんが「一万円選書」で取引した顧客は1万3千人以上、単純に計算したら「選書」の売り上げだけで約1億3千万円。顧客の何割かはリピーターになるので安定感も抜群です。但し、岩田さんの選書能力にも限度があるから申込み者のうち、毎月100人を選んで選書、発送しているそうだ。これでも結構きつい仕事ではと想像します。


岩田さんの大成功をみて他の書店オーナーも奮い立ったかも知れないが、残念ながらマネできるオーナーは皆無でせう。仮に同じ能力、同じサービス精神を有した人がいたとしても所詮は二番煎じ、尊敬どころか、逆に見下げられるかもしれない。いま、岩田さんは「日本一幸せな本屋」だとしみじみ感じている。ただ今62歳、まだまだ多くの人に良い本を届けることができる。書店業界では岩田さんがオンリーワンの成功者で終わると思います。成功例はたちまちコピーされてしまうというビジネス世界の常識が通じないのが愉快で頼もしい。

 

一面中段の記事

 

最終面(社会面)の記事

 

嵐山光三郎「悪党芭蕉」を読む

 同著者の「西行と清盛」を読んだことがあり、とても面白かったので本書も期待して読んだところ、アタリでした。芭蕉の作品論や伝記は山ほどあるけど、あくびなしで読める本はない。著者はそこを意識してか、「退屈しない芭蕉論」を目指した。まず、題名からして「悪党芭蕉」であります。もちろん尊敬の念も含めて悪党呼ばわりしているのですが、ふつうの文学者、作家はこんなエグイ題名つけられないでせう。


・・といって本書は小説ではない。基本、ドキュメントであります。波瀾万丈の冒険話などあるはずもなく、地味に語りながら読者にあくびをさせない。ここんところが嵐山センセのえらいところです。話のネタは・・・
・当時の世相と俳諧事情
・作品論(芸術論)
芭蕉のプライバシー  で、これらをミックスして芭蕉の人物像を描く。


芭蕉の最高傑作とされる「古池や蛙飛び込む池の音」。この句の鑑賞と解釈はゴマンとあるが、嵐山センセはこう述べている。この句は情景の写生ではなくフィクションである。多くの人は「蛙が飛び込む、ポチャンと音がする」場面を経験していない。しかし、名作ゆえに小中学生の頃からこの句は学んで知っている。上の「古池や」で静寂の場面を想定し、そこで蛙が飛び込むとポチャンとかすかな音がする・・この場面を誰しもが観念としてもってしまっており疑わない。実は芭蕉自身も「蛙飛び込む水の音」をリアルに経験していないのに、この場面をイメージしてしまった。つまり、フィクションである。


実際の蛙は蛇や人間の気配に驚く場面以外は石や木の枝からポチャンと飛び込むことはなく、するりと水中に潜り込む。静まりかえった場面でポチャン、はあり得ない。・・と嵐山センセは述べるのであります。実は、かの芥川龍之介芭蕉の芸術はマユツバものと考え「続芭蕉雑記」で「芭蕉は三百年前の大山師」だったと批判している。芭蕉の名作にもこんな解釈、評論があるのか、と知り、己の凡愚を悟らされるのでありました。


嵐山センセ乾坤一擲のニュー芭蕉論、楽しく読了できました。しかし、芸術論とは無関係のことで大きな疑問を覚えたことがあります。それは当時の情報伝達能力のことです。ご存じのように、江戸時代は遠方の人に情報を伝えるには飛脚便しかなかった。人間がえっちらおっちら早足で手紙を届けるシステム、当然、現代の郵便に比べて何倍もの時間を要した・・と思っていたのに本書の記述では文字通りの「飛脚」ぶりになっている。これホンマか?。


実は今年の春からJPの内部事情によって郵便物の配達が遅くなり、隣町、隣府県でも投函日含めて平日で三日を要することになった。さらに、土日祭日は配達しない。たとえば、9月22日(木)に投函すると、宛先が隣の町でも到着は26日(月)になる。実に5日を要するのであります。21世紀に至って現代郵便制度は300年前の飛脚便に劣るシステムになってしまいました。


本書のラストシーンは大坂・船場芭蕉が客死し、遺言に従って弟子たちが大急ぎで遺体を大津の義仲寺へ運んで葬儀を行う様子を描いています。
 元禄7年(1694)10月12日・・午後4時頃、芭蕉死去。舟で淀川を上り、伏見港から陸路で大津市の義仲寺へ。13日に到着、葬礼。芭蕉を慕う人300人が集まった。(こんな大勢が芭蕉の死をどうして知ったのか)
10月14日・・同寺の木曾義仲の墓の隣に埋葬した。
10月18日・・同寺で追善句会が催された。京都、大津、膳所、大坂、伊賀から門人計43人が参加した。主役は高弟の基角、と本書に書いてあります。


この段取りの良さ、スピーディーな行事進行ぶり、現代と変わらないのでは、と思いませんか。電話、電報、メール、ネット、新聞、テレビ、ラジオ、などの通信、広報手段が一切無かった時代です。・・というか「無かった」こと自体を現代の私たちは想像できない。


疑問の最たるものは18日の追善句会です。12日、芭蕉死去。13日に「芭蕉死す」の一報を50~100通、手書きして飛脚に託す。一番遠い地は三重県伊賀上野。大坂や京都と違って伊賀は田舎だから日数がかかる。もし、到着が16日だとすれば、大急ぎで旅支度をし、17日の早朝に発って大津の膳所へ向かう。最短路は行程のほとんどが山道、距離は60kmくらいある。だが、18日の追善句会に出るためには17日中に到着しなければならない。ものすごいハードワークではありませんか。伊賀者だからといって皆さん忍者ではあるまいし。


芭蕉の辞世「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。夢ではなく、訃報を知った芭蕉の門人たちはリアルに汗だくで駆け廻ったのであります。(大活字版 底本は新潮社発行)

 

 

芭蕉が眠る大津市膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)