今日もニコニコ乱読味読

~レガ爺 dameo の泡沫ライフ~

dameo <リニア中央新幹線不要論> ~その4~

リニアがダメならこれでいく!?

 本書で一番興味を引いた記事は「リニア新幹線開発でコケたら<第二東海道新幹線>をつくればよろし」であります。そんなアホな・・・。しかし、よく読んでみると十分説得力があり、ほんまや、それのほうがよろしいがな、と思わず納得してしまいそうになります。


どういうことか。察するに、JR東海は開発初期から、もしリニアでうまくいかなかったら、旧来の技術である「新幹線」に置き換えようと密かに目論んでいる。つまり、開発コンセプトとしてリニアと在来新幹線という「二足のわらじ」を用意していた。著者はその証拠として以下の用語で説明しています。

1・軌道の問題  2・最小曲線半径  3・建築限界  4車両限界
 これらの問題において、現在進められている工事は新幹線の構造や性能にも適合するような設計になっている。たとえば、車両の断面サイズはリニアのほうが新幹線よりかなり小さいのに、トンネルの断面サイズは大きな新幹線サイズに合わせている。また、軌道の最大勾配はリニアなら60パーミルでも走行できるのに、実際の工事は新幹線が走行できるゆるやかな40パーミルで作られている、などです。


リニアの車両サイズが新幹線車両よりかなり小ぶりに設計しているのは、なんといっても「宙に浮く」必要があるからで、飛行機の設計と同じように、小さく、軽く作らねばならない。ならば小さい車両に合わせてトンネルの断面も小さくて良いのに、新幹線車両に合わせたサイズでつくっています。
 なぜ、このようなムダ?な設計にしたのか。リニアがダメなら新幹線式で、という思惑のせいではないか、と著者はかなり自信ありげに書いている。この話、マスコミなど身近な媒体では報じられていないように思います(不詳)。


こんな「二足のワラジ」ふう思想で開発を進めているのが事実なら、世間でボロクソに批判されても仕方ない。費用や工期においてムダが生じるからです。
これは裏返せばリニア技術の自信のなさによるものと言えます。
 もし・・もし、ですよ。リニア新幹線開発が頓挫、中止になったら、明治の文明開化以来、日本で最大規模の失敗プロジェクトになるかも、と思います。
すでに何兆円もの巨額費用を注ぎ込んだあげくの頓挫。その時点で考えたら,開発がJR東海主体であることは国民の怒りやストレスの値を小さくする点で良かったかもしれない。(実際は国による投融資もおこなわれている)


リニア中央新幹線に関する本をはじめて読んで,素人ながらたくさんの知識を得ることができました。そして、個人としてはやはり開発・開業反対の考えは変わりません。国民の無関心が気になりますが、開発状況を積極的に公開しない業者、団体の姿勢も問題です。静岡県の知事が開発工事に関して業者にイチャモンをつける醜聞?も不信感を募らせています。自分の偏見かもしれないが、この大プロジェクトには、期待、楽しみ、といった明るい感情がぜんぜん湧かない。だからといって、ひっそりと店じまいというわけにもいかない。
 願わくば、事業に真摯に取り組んでる人たちが、変身したグレゴール・ザムザのように「巨大な厄介者」扱いをされませんように。(2020年草思社発行)

 

dameo <リニア中央新幹線不要論> ~その3~

◆肝心の開発コンセプトが時代遅れになってしまった
 数年後に品川~名古屋間が開業しても東京~名古屋~新大阪間の所要時間は現在よりほんの少し(20分程度)短縮されるだけです。その代わり面倒な乗り換えが必要になり、乗り心地も新幹線より悪くなる。「より早く、より快適に」と謳ったリニアの先進性がほぼ消えてしまいます。
 それはひどい偏見だ、誤解だというなら、リニア新幹線にはカクカクシカジカ、これだけの社会的、経済的意義や効果がある。10兆円を投じる価値があると説明してほしい。


◆コロナ禍もリニアのコンセプトを変えてしまった
 リニア新幹線の開発コンセプトには、人と人の交流においては「FACE TO FACE」が大切だ、という概念があります。その通りで、これに異論はありません。しかし、なんということか、かのコロナ禍がこれを変えてしまった。前世紀の計画時点では「オンライン」という思想や技術が未熟で、たとえば「G7」のような重要な会議をオンラインで、とは誰も考えなかった。


この先の時代、ビジネスのために5分、10分を惜しんで東京から名古屋へ、大阪へはせ参じる場面がどれほどあるでせうか。本当にFACE TO FACE が大事なのは、ビジネスシーンより父母のもとへの里帰りではないかとさえ思えます。しかし、リニア新幹線はどう考えてもビジネスシーン優先の思想で計画されています。(予想では利用の70%がビジネス需要になっている)


本書の著者はリニア新幹線の必要性について以下のように危惧しています。

1・人口減少で需要が低下する
 人口変動予想では2008年の1億2800万人をピークに減少が続き、2040年には1億1000万人程度に減る。減少だけでなく高齢化が顕著になり、生産年齢人口は現在より1000万人以上減る。そんなの地方の話で都市圏は大丈夫と思いがちだが、実は東京でも人口減少の兆しが有り、過去のように「増加が当たり前」ではなくなった。また、2040年には3人に一人が65歳以上の高齢者になる。

2・働き方改革で輸送需要が低下する
 3年に及ぶコロナ禍はリニア新幹線建設推進に大ショックを与えました。テレワークなど、働き方改革が一気に進み、FACE TO FACE は悪者扱いにされてしまった。逆にテレワークの進歩で会議や打ち合わせが円滑にできると、東京~大阪をあたふた往来する必然性は薄れ、ビジネス需要を減らしてしまった。

3・人手不足でリニアのインフラ維持が困難になる
 なんとかリニアの工事を完成できても,それを維持する技術と人材が必要です。トンネル区間が400kmにも及ぶリニア新幹線では安全維持のために屋外区間より多くの人手,費用がかかる。これを怠ると、あの「笹子トンネル」事故のような悲惨な事態が起きます。こんな暗黒の職場に優秀な人材が求められる・・いくら技術を進歩させても最後は人間の責任。人集めの苦労が予想されます。


このような予測から、著者はリニア新幹線の建設、開業に反対しています。技術的困難が克服出来ないうえに、営業面でも当初予想した需要が見込めず、危険で儲からない交通機関になるというのです。 知識不足の自分が考えても、この危惧に堂々と反論するのはかなり難しいと思います。開業時に自分が生きてる可能性はゼロに近いけど、ま、乗りたいと思いません。


現況に鑑み、JR東海が再度「需要予測」をしたら、どんな結果が出るだろうか。只今は国民の99%は dameo 並の無知状態なので恣意的な結果を出すのは容易だけど、あとで泣きを見ないためにも正直な情報提供が必要です。
 本書で著者が懸念している超伝導磁石駆動用のヘリウムガスは100%輸入に頼っているため、輸入が滞ればリニア新幹線は営業できない。これに対してJRはしっかり手当してあるから心配無用と明言してるようですが、このさき、ウクライナ侵攻のような思いがけない事案が生じても大丈夫なのか、保証があるとは思えない。本書を読む限り、著者が意図的に読者の不安を煽ってるとは思えないので、心配性に貧乏性を加えた dameo はさらにマイナス思考になってしまいます。(つづく)

 

 

dameo の<リニア中央新幹線不要論> ~その2~

 前回は利用者の立場でリニア新幹線不要論を書きました。続いて技術面での
リニアに関する不信感や不安を書きます・・といっても自分にはぜんぜん知識が無い。まずは、川辺謙一「超伝導リニアの不都合な真実」という本を読みました。表現は穏当ながら、リニア新幹線開発は失敗する。プロジェクトは中止するべきと説いた本です。ならば、その反対、リニア新幹線の技術の素晴らしさや、国民、国家にとっていかに有益であるかを説いた本もあると思うのですが、書店では探せませんでした。(欠陥や問題点を書かない「夢のリニア技術」解説本は役にたちません)


で、上記の「・・不都合な真実」本を読んだものの、これを要約してブログで分かりやすく説明するのは無理だと判断しました。現新幹線がモーターで車輪を回してレールの上を走る・・は小学生でもわかるのに比べ、超伝導コイルやヘリウムガスや極超低温冷却・・技術で車両が浮いて時速500キロ云々、の技術解説は石器時代脳の爺さんにはムリであります。


ここでは本書を読んだうえでの個人的感想を書きます。あと数年で品川~名古屋間が開業することをイメージしての想像です。

リニア新幹線利用に当たっての不安感は現新幹線の利用より遙かに大きい。
リニア新幹線の乗り心地が現新幹線より優れることはあり得ない。
・運転士がいないので、緊急時は客室乗務員が対処する。
・駅間距離が30~50kmで8割がトンネル。事故時に無事脱出できるのか。
・全電源喪失やトンネル内火災に対処できるのか。
・必要がないので、待合室や売店は作らないシンプルな駅になる。


◆素人でも想像できる「不安なメカニズム」の例
 下の写真は台車を上から見たところです。リニア新幹線は「超伝導浮上走行」と「車輪走行」二つのメカを駆使して走行する。このため、もの凄く複雑なメカニズムになり、必然、故障の発生リスクが大きくなります。


 素人でも分かる心配の一つは「車輪走行」での不具合です。駅が近づいて時速が150kmに低下すると車体が沈んで車輪走行になる。この場面、飛行機が滑走路に着地するのと同じですが、車輪(ゴムタイヤ)はうんと小さく、台車一つに8個、16両編成(17台車)では計136個の車輪が動作します。
 飛行機の着陸と同じで、車輪は接地瞬間に時速ゼロから150kmで回転するので大きな負荷がかかる。これが136個、一つでも不具合があれば「事故」になる。さらに、この場面の繰り返しが飛行機よりずっと多く、一日に何十回となる。タイヤとメカにどれほど大きな負荷がかかるか想像できます。現在の短い実験車両編成では負担の大きい営業編成でのテストができない。


◆電力は新幹線の4倍必要
 メカの話ではありませんが、リニア新幹線の走行では超伝導磁石の動作で大きな電力が必要です。試算では現新幹線「のぞみ」の走行の約4倍、品川~名古屋の営業運転では27万kw、品川~大阪では74万kwという、原発一基ぶん位の電力が必要です。それでも飛行機に比べたらCO2排出量は大巾に小さい(三分の一程度)ので、東京~大阪間の旅行者の多くが飛行機利用からリニア利用に移れば意味があります。しかし、人はCO2量で乗り物を選ぶわけではないから、前回書いたように、リニア敬遠の人が多いはず。もし,リニアが「がら空き」運行すれば、ものすごい電力の無駄遣いになります。(つづく)

乗り物とCO2排出量の比較グラフ
https://power-hikaku.info/column/linear.php


超伝導リニアの不都合な真実」39頁から引用
高速は超伝導走行、低速では車輪走行するため,台車のメカニズムは凄く複雑、かつ、デリケートなものになる。

 

dameo の<リニア中央新幹線不要論> ~その1~

 現在の東海道新幹線はいずれ輸送力が限界を迎える。また、大地震など、大災害時には代替の交通システムが必要、さらに、現新幹線の大規模リニューアルでは長期間の休業が必要・・などの理由で「リニア中央新幹線」が企画され、すでに工事が進んでいます。予定では品川~名古屋は2007年?に開業。


今さら、ナンでありますが、リニア新幹線建設に賛成ですか、と問われたら自分は「反対」と答えます。しかし、リニアという新技術についての知識が皆目なかったので反対の理由を具体的に述べるのが難しかった。自分の反対論は以下のような次元の低い「利用者の立場で考えたら」だけでした。


もし、自分が横浜市民だったら・・
 dameoが考える利用者目線の反対論の一例。仮に、自分は新横浜駅前に住む市民だとします。リニア新幹線の開業で品川~名古屋は最短約40分になりました。現新幹線の「のぞみ」は新横浜~名古屋間が約80分なので、半分に短縮されます。しかし、新横浜駅からリニアの品川駅に行くには乗り換え時間も含めると35~40分かかります。40分+40分 合計80分。リニアも新幹線も所要時間は同じというわけです。リニアを利用するネウチありますか。(割高のリニアの運賃に加え、新横浜~品川の運賃も追加で必要です)


リニア開業に伴い、在来新幹線の「のぞみ」などは廃止され、「ひかり」や「こだま」という鈍足列車のみになります。新横浜から名古屋まで「ひかり」なら2時間、「こだま」なら3時間くらいかかります。こんなザマで横浜市民は文句言わないのか。言うと思いますよ。みなさん、今は無関心なだけです。
 東京~博多直通の「のぞみ」を残せば横浜~名古屋の利用者が相当あると思います。しかし、JR東海はこれではリニア利用客が減って困るので「のぞみ」は名古屋~博多の運用にする。もう、横浜イジメですね。


リニアの名古屋~大阪間開通は早くて20年以上先になります。それまでは、名古屋で新幹線に乗り換えなければなりません。東京駅から新大阪へ行くときは品川駅と名古屋駅と二回も乗り換えが必要です。
 東京駅から新大阪駅までの所要時間を計算します。東京駅~品川駅10分(在来線利用)品川駅乗り換え15分~品川駅~リニア名古屋駅40分~乗り換え15分~名古屋駅新大阪駅50分(新幹線利用) 合計130分。


 現在の新幹線は東京~新大阪間は150分程度です。これがリニアの「部分開業」よって20分短縮される。面倒な乗り換えを二回もさせられて短縮はわずか20分。乗り換え時間に少しゆとりをもたせたら150分かかるでせう。
 ならば、リニア効果はゼロです。到達スピードは速くならず、不便な乗り換えを強制させられ、おまけに運賃は高くなる。こんな劣化サービスが20年くらい続きます。JALやANAは「今日もニコニコ荒稼ぎ」の日々になるかも・・。(注)仙台や新潟から新幹線、リニア利用で新大阪へ行く場合は、乗り換えが、東京駅、品川駅、名古屋駅、と3回必要です。


なんのためにリニア新幹線をつくるのか。この単純な疑問にJR東海や政府のエライ人たちは理路整然と応えることができるのでせうか。10兆円以上の金を注ぎ込む巨大プロジェクトなのに国民は「なんか、ようわからん」状態で事業をすすめている気がします。国民も原発にはヒステリックに反応するのにリニア新幹線には知らん顔です。
 全国にン十万人もいる鉄道ファンはみんな賛成なのかしら。「あんなの、車輪とレールがないから鉄道とちゃう」といわれるかもね。以上はリニア技術に無知な者の疑問から生じた「リニア新幹線不要論」でした。(つづく)

 

 

齋藤 孝「50歳からの孤独入門」を読む

 齋藤センセのハウツーもの著書としては少し異色というか、内容がやや暗いめというか・・人生相談みたいな内容の本。心の機微にふれる話が多いのですが、まとめの上手さはいつも通り、主張はすれど押しつけないソフトな語り口もふだんの齋藤流です。 dameo は定年退職を経験していないけれど、基本は会社で定年を迎える人向けに書かれた本です。


ポジションをわきまえる
 50歳が孤独人生のはじまり、なんて自覚してる人は皆目いないと思いますが、センセは「これから下り坂でっせ。対策しとかな難儀しまっせ」と説きます。う~ん、下り坂なあ・・。50歳は仕事や報酬の面では伸びしろがなくなり、よくて現状維持、悪ければダウンという境遇になります。しかし、当人は仕事での実績や達成感において自負や自信大なる状態なので、ルールと分かっていてもすんなり受け入れにくい。でも、逆らえない。


昭和時代は大企業なら「子会社へ出向」のかたちで折り合いをつけるケースが多かったけど、現在はもっとダイレクトに「降格・減給」措置がとられる。この場面でAさんは辞職届を出す。Bさんは会社のいいなりになる。これって、孤独なんか感じてる場合じゃないでせう。出るも残るも必死の覚悟がいります。Aさんの例は、たとえば、家電の大メーカー社員がアイリス オーヤマに再就職する場合でせう。成功すればかなりハピーな人生が送れそうです。


齋藤センセが危惧するのはBさんの生き方です。「身の程をわきまえよ」「プライドを捨てよ」「自責、羨望、嫉妬から脱する」と、ま、常識的に説くのですが、これで孤独を受容し、心の安定を得られるのか。なかなか難しい。
 昔読んだ本に書いてあったことに「世間における自分のポジションを自覚すること」も教養の一面であると。自分は世間の奈辺に位置した人生を送っているのか、自覚しておくべきだと言う。

 

生涯つきあえる趣味を持とう
 読み終わって、なんか物足らないなあと感じ、自分なりに考えたことは、本書などで孤独や人生を学習するとともに、ヒマつぶしではない、生涯つきあえるような趣味をもって情熱を注ぐことが大事ではないかと。うまくいけば齋藤センセのいう「人生を支えるアイデンティティ」になり得ます。


今までに何人か「生涯無趣味」という人に出会いましたが、孤独への耐性は十分ある人でせう。しかし、孤独で無趣味な人にも「魔が差す」ことがある。
 電車の中やエスカレータで「盗撮」してタイホされたオジサンたち。生涯最初の「趣味」で人生をパーにしたのではないか。この手の犯罪者には性格的に共通点があるような気がします。(2018年 朝日新聞出版発行)

 

 

加地伸行「マスコミ偽善者列伝」を読む

 雑誌などに掲載したコラムをまとめた辛口の評論集。著者は中国哲学史研究者で保守の言論人だから、標的にされたのは左翼やリベラルの人物が大半で、こんなに露骨に悪口書いて委員会?と心配するくらいであります。しかし、名誉毀損などで訴えられたケースはなかった。なぜ訴えないのか。それは書いてあることが事実だから、と加地センセは涼しい顔してる。馬鹿呼ばわりされた人は自ら馬鹿を認めるしかないと。


主な被害者(?)は下の表紙写真のような方々。多くは朝日や毎日と仲の良い面々でありますが、文化勲章を受賞した山崎正和氏が入ってるのに驚きます。どんな文言がバッシングの対象にされたのか。 雑誌「潮」平成25年11月号に掲載した文、中国や韓国に対する日本国民のとるべき態度としてこう書いている。「日本人にとってとるべき態度は一つしかない。たとえ個人的には身に覚えがなくとも、全国民を挙げて、かつての被害国に対して謝罪を続けることである」と。全国民挙げて、永久に、中国、韓国に謝罪を続けよというのである。つまり、山崎氏は日本国民の思想、言論の自由を認めない。全国民が謝罪せよ、というのだから謝罪しない人は非国民である。これって、ファシズムの最たるものではないか。加地センセならずとも、山崎はアホかと言いたくなるでせう。文化勲章を受章した、インテリの見本みたいな人でもこの程度の浅はかな考えをもっている。


東京慈恵医大教授の小沢隆一氏は、新聞の討論記事で、近ごろはやりの立憲主義の解釈として、憲法は国家が国民を縛るものではなく、国民が国家を縛るものだ、という論を述べ、これがエスカレートして「公務員以外の国民は憲法を順守する義務はない」と言い切った。そこで加地センセがガツンと一発、だったら、憲法第三十条「国民は法律の定めにより、納税の義務を負う」はどうなるのだ。憲法を守る義務がないなら税金を払わなくても良いというのか。大学教授ともあろう者がこんなレベルの物言いしかできない。これが、左翼、リベラル言論人の知的レベルであります。ま、リベラルの原義はともかく、dameo の認識はリベラル=世間知らず、であります。


本書の中で一番厳しく馬鹿呼ばわりされてるのは、同志社大学大学院教授、浜矩子サンでありませう。安倍政権のやることは何でも反対と訴え続けた末に、アベノミクスをもじって「どアホノミクス」なる言葉までつくって反安倍論に情熱を燃やしたのでありますが、加地センセに言わせれば、すべて安っぽい感情論であって全く論理的でない。大学院教授にしてはあまりにレベルが低い言説にあきれてしまう・・そうであります。もとは経済評論家であり、それなりのポジションは得ていたと思うのですが、そこに留まらず、スキルアップしてなんとか教授の椅子を手に入れたものの、もともと学者のとしての資質がないから素人みたいな感情論しか言えない。本人もアホだけど、彼女を召し入れた大学も人を見る目がなさ過ぎる。もし、浜センセが本書を読んだら、ものすごく傷つくでせう。なんせ、学者としての価値を全否定されてるのですからね。
(2018年 飛鳥新社発行)

 

 

仕事は<勉強>趣味も<勉強>・・立花隆の勉強人生

 4月30日の「Nスペ・立花隆の最後の旅」を見た。この日は立花隆の一周忌。永年、ドキュメント作品づくりで立花と付き合ったディレクターの目でみた「知の巨人」人物像の紹介であります。(当ブログ3月28日の記事で立花隆「僕はこんな本を読んできた」を紹介しています)


冒頭で意外な、立花センセがカリカリ怒ってる場面が出てくる。あの歴史的大スクープ「田中角栄の金脈研究」について「僕は腹が立ってしょうがなかった。あの記事作りのために凄い時間と労力を費やしてしまい、他のテーマの研究に着手できなかった。いい加減にしてくれよ、という思いだった」と言う。


世間からは大賞賛されたが立花センセにしたら余りに俗事、俗物の研究であり、本当は週刊誌(文春)に2,3回連載する程度のスケールにしたかったみたい。実際、これ以後、政治家の醜聞の<研究>など俗臭紛々の仕事はしなかった。一般人の目には「悪を滅ぼし、正義を貫く」告発と映っても、立花センセには「時間の無駄遣いを強いられた」仕事でしかなかったのか。う~~ん。


いや、もっと驚いたことがある。当ブログで紹介した私設図書館といえる「猫ビル」が空っぽになってることでした。ホンマか、これ!・・見事にガラ~~ン風景になっています。(下の写真)「終活ですがな」なんて言わなかったけど、こういう人は珍しい。このありさま、佐藤優センセが見たらどう思う?気になるけど、ま、そんなの人の好き好きで、と軽くいなすでせうね。


常識的にいえば、ご本人の死後は書物などの資料は出身大学や地元の街の図書館に寄贈したり、司馬遼太郎のように遺族が記念館をつくって公開するケースが普通ですが、それをしなかった。自分が死ねば、過去一切は無であり、次世代の人が立花隆の業績を研究するなんて全く余計なお世話ということでありませう。(注)書物は全部処分したが、自筆のレポートなどは捨てなかった。これが大きな段ボール箱で何十もある。


なんせ<仕事は勉強、趣味も勉強>というセンセであります。かなり以前に<臨死体験>がテーマの本を著していたけど、ある日、自分が膀胱癌にかかって医師に「立派なガン患者です」と宣告されると再び「死ぬと言うことはどういうことなのか」を勉強したくなった。まず、ガンはどうしてできるのかの研究に取り組み、最新の知見を得るために欧州の研究所まで出かけて勉強する。
 フツーの人は「治療」が最優先であるところ、センセは「ガン細胞の生成」を知りたいのであります。そして現在の先端をゆく知識を学んで「そうか」と納得する。コレで自分が死ぬ、というのは二番目の問題であります。オイオイ。


立花センセのような「知の巨人」が本棚を空っぽにすると単純に変人の発想とは言いにくい。むしろ、逆に立花センセ独自の哲学の実践かもと理解、または想像します。死に臨んでは葬式や戒名など一切不要と言い残し、遺族はその通りにした。遺骨はあるところの古木の下に、おそらく無名で埋葬された。一切は無でヨシ。
(2022・04・30 22:00 NHKスペシャル


猫ビル全館の本棚が空っぽにされた。


同じアングルで撮影した在りし日の本棚

 

Gウイーク 爺は寺へ古書刈りに・・・

 3日はとてもさわやかな晴天だったので、おなじみ四天王寺の古本市へ。陽気につられて老若たくさんの客で賑わっていました。7割が男性客というのはところ問わずのパターンみたい。今日、一番人気のあったのは200円均一売り場でレジに行列が出来るくらいでした。いつも一番人気の100円均一売り場は客の数はずいぶん多いのに売り上げはさっぱりという感じ。みなさん、100円といえどしっかり吟味してはります。安いだけでは売れないということです。


それにしても、陳列している本の数が大量なので全部の店を回るとくたびれてしまい、今回は図書館で借りた本もリュックで背負っていたので購入は4冊で終えました。人物叢書清少納言倉橋由美子「大人のための残酷童話」宮本輝「異国の窓から」池田満寿夫「美の値段」4冊の投資額600円ナリ。

 

四天王寺の南約1kmに聳えるハルカスタワー(300m)

 

 

和本どれでも一冊300円の売り場。明治~大正時代の教科書が多い。

 

吉村昭 短編集「碇星」を読む

 近頃、視力が衰え気味なので弱視者用の大活字本で読みました。これなら330ページを3時間以内で読めてとても快適。本の内容も大事だけど、ロージンには読みやすいかどうかも選択の判断になります。前回紹介した中島敦の短編集は全180ページ中「注解」が40ページを占め、はじめて読む人はオタオタすると思いますが、ま、それでもおすすめしたい名作です。


本書の「あとがき」で著者は「長編小説を書き上げると心身消耗して放心状態になってしまう。なので、次に手がけるのは短編と決めている。長、短のサイクルをつくって創作力を保持する」と。なるほど、これも永年の作家稼業に必要な智恵かもしれません。なので、本作品は老いたサラリーマンの悲哀を描いた作品が8本、サラリーマンを卒業した人には「そやそや」と共感できる話ばかりです。


こんな出来事、世間ではいかほど実例があるのだろうかと思いながら読んだのが「寒牡丹」。定年を迎えた主人公がひとり娘の結婚がまじかになり、安堵と寂しさの混じった気持ちで日々を送っていた。いよいよ結婚式が近づいたある日、妻がこう言った。「あなたはこのたび定年を迎えたけど、わたしも定年を迎えたのよ」「定年になりましたから家庭の勤めをやめます。ひとりで暮らします」「ついては退職金の半分を頂きます」


ガガガ~~ン・・今まで不仲で喧嘩ばかりしていた夫婦ではない。きわめてフツー、平穏な日々だっただけに男は脳内ワヤワヤになるのであります。しかし、ここで取り乱しては男の沽券に関わる。必死に冷静を保つふりをする。


「でも、なんだ、んん~~~、ままま、落ち着けよ」と言わなくても妻は夫より百倍落ち着いていた。平穏なアフター定年生活をイメージしていたのに、娘と妻が同時に去ってゆく。しかも、退職金の半分をよこせと。
 こういう人生の暗転、いかほど実例があるのか。夫婦1000組に1組くらいあるのかなあ。話がこじれて裁判沙汰になった例もあるかもしれない。


しかし、考えて見ると,この作品が生まれたのは1990年ごろです。ということはバブル景気の余韻が残っていた時代で、大企業で定年まで勤めると十分の退職金がもらえ、年金も今よりずっと潤沢でした。つまり、老後の生活設計の点では十分余裕がありました。妻が退職金の半分をよこせ、という背景には老後生活資金にゆとりがあったからです。戦後史というスパンで考えても、サラリーマン生活が最も恵まれていた時代だと言えます。(但し、大企業に限る)


令和の現在はどうか。妻が「退職金半分よこせ」と同じセリフをいえるのは、夫が十分出世してる場合に限られそう。住宅ローンが残っていたりすると、もう発想自体がアウトでありませう。金銭面だけ考えると、30年前よりは離婚しにくい社会状況であります。さらに、今は多くの会社で定年の10年?くらいまえに給料がガクンと下がるそうですから金銭事情はいっそう厳しい。


他の作品にも言えることですが、著者のサラリーマン人生観はえらく類型化していて、現在からみれば時代遅れの感は免れないけど、まあ仕方ない。あと30年くらいすれば、男女平等がすすみ(?)夫婦共稼ぎがフツーになって、昭和時代の会社勤めは「ベル・エポック」でありました。でも、中身は「古き良き会社奉公時代」でしたけどね。(底本は中公文庫2015年発行)

 

 

中島敦「李陵・山月記」を読む

 何十年ぶりかで再読。若い人にはほぼ無視されてる作家ですが、短編ながら中身の濃さでは凡百の作家、足下にも及ばずであります。重厚長大でなく、重厚短小で印象深い作品です。「山月記」はながらく教科書にも使われたそうだから「そう、人が虎になってしまって嘆く話ね」と思い出す方もおられるでせう。おさめられてるのは「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」の四作です。


名人伝」はたった10ページの小品です。邯鄲の都に住む男が天下一の弓の名人になろうと志を立てた。で、当代随一といわれる名人に入門した。最初の訓練を瞬きをしないこと。見えない一瞬が狙いを外してしまうからだ。何分も何時間も何日もカッと目を開いたまま過ごす。次は超絶視力の向上だ。極小のモノを見つめて極大に見えるようにする。肌着から虱(しらみ)を一匹取って、それを髪の毛で結わえ、窓辺に吊してじっと凝視する。毎日毎日ひたすら見つめる。何ヶ月も見続けると、虱が馬のように巨大に見えるようになった。的が大きく見えれば的中しやすい。


なんだか「白髪三千丈」式の誇大表現であります。こうして猛訓練を続け、とうとう師匠と並ぶ腕前になった。しかし、自分が目指すのは「天下一の名人」である。なので師匠がいては困るのだ。師匠を殺さねばならぬ・・。ある日、草原を一人で進んでるとき,向こうから師匠がこちらへ向かってるのを見つけて男は咄嗟に弓を番えた。しかし、師匠も気づいて弓を構えた。二人同時にビシュッ・・。なんせ名人のワザである。二本の矢が衝突して地面に落ちた。何回射ても同じことになった。師弟の殺し合いは引き分けで終わった。


師匠は、しかし、いずれ自分が殺されると不安になり、遙か遠方の山上に超名人にいることを教え、男を遠ざけた。男は何日も旅してついに超名人のいる山の頂についた。しかし、そこで見たのは百才を越えてるかと思うヨボヨボの爺さんだった。ガッカリした男は俺の実力を見よ、とたまたま上空を飛んでる渡り鳥めがけて連射した。しばらくすると五羽の鳥がぼたぼたと落ちてきた。


それを見た老人は「ま、一通りはできるんじゃの」と褒めたりしない。男は傷ついた。だったら、あんたの腕前を見せろ。老人は岩場のぐらぐら揺れる石のうえによろけながら立った。そして、見えない矢を見えない弓に番えてビシッと放つと、遙か高空から鳥が落ちてきた。最高の名人たるもの、弓矢など要らぬ、を見せつけられた。以後、九年間、男はこの老人に師事、精進した。
 ここまで10頁中の8頁を約1頁に要約しました。残り2ページも味わい深い文が綴られ、最後に残酷などんでん返しがあります。


「弟子」は孔子とその弟子「子路」の師弟愛を綴った物語、「李陵」は漢時代の武将、李陵が主人公ですが、「史記」の作者司馬遷が登場し、自分にはこの司馬遷の運命のほうが印象深い。誰しもが最善の人生を生きようとするのに運命がそれを許さない。四編ともシミジミ感十分の名作です。
 

中島敦がせめて夏目漱石とおなじくらいの歳まで生きていたら文豪の仲間入りできたかも知れない、と思うと本当に残念です。(33才没)しかし、本書(新潮文庫)の奥付を見ると、昭和44年発行、平成元年43刷、平成10年55刷と、一部のファンに細く長く愛読されてることがわかります。トータルでは100万部を越えてるでせう。文庫本ならコーヒー一杯分のお金で買える。生涯の愛読書10選に入れたい名作をぜひ・・。(昭和44年 新潮社発行)