75年経ってようやく概略を理解できた「下山事件」

 3月30日(土)にNHKで「下山事件」の概要をドラマ仕立てとドキュメント、計2時間以上を費やして放送した。こんな昔話を視聴した人は皆無と思うけれど、自分にはとても参考になる内容でした。そうだったのか・・ようやく腑に落ちたという気持ちです。超複雑な事件のプロセスをわかりやすくまとめてくれたスタッフに感謝。(注)放送の内容が真実か否かは不明。


 一般人で下山事件のあらましを説明出来る人は皆無でせう。日本の犯罪史では最も説明しにくい事件といってよい。さりながら・・事件から75年もたって・・つまり、日本人のほとんどが忘れてしまっている今になって、なお説明したがる、せずにはおれないNHKのキモチもわかります。何十年もかけて蓄積した情報をゴミ化、オクラ入りするのはあまりに惜しい、空しい。今回の番組の企画についても、賛成組、反対組があって、もめたのではないかと想像します。民放では200%あり得ない企画です。スポンサー付きませんからね。


 で、肝心な話、下山事件の犯人(首謀者)は何者だったのか。今回の番組の内容を信じるとすれば、首謀者は米国の諜報機関です。むろん、番組ではそんなセリフはない。仄めかしている・・という感じでしたが、自信ありげなナレーションに自分は納得しました。


 この「下山事件」が発生したのは昭和24年(1949年)。筆者は小学校5年生でした。国鉄でいちばんエライ人、総裁が東京足立区の小菅刑務所近くの国鉄線路でバラバラの轢死体で発見された・・というのだから大事件であること,子供でもわかりました。また、発生直後から、総裁は自殺したのか、他殺なのか、が問題になりましたが、何日経ってもハッキリしない。5年経っても10年経っても結論がでない。つまり,自分が大人になっても希有の難事件として話題になったのだから記憶が消えなかった。


 さりながら、いまや国民の9割以上が知らない事件のドキュメント番組をなぜ今になって放送したのか。ドキュメント編の最終部分にこんなシーンがあった。NHKのスタッフがアメリカ政府の公文書館に通って事件当時のGHQ(General Headquarters 連合国軍最高司令官総司令部)の活動記録を調べるなかで重要参考人と思える人物を探し出し、居所を突き止めてインタビューした。そこでどんな言葉のやりとりがあったのか、放送では伝えなかった。続いて、その人がインタビューした数ヶ月後に高齢で亡くなったとも語った。彼は事件の何たるかを知るであろう最後の生存者だった。


 う~ん・・さういうコトだったのか・・。番組を見終わって半時間くらい経って、ハタと気づいた。NHKは今になってなんでこの番組を放送したのか。そのワケは日本人、外国人を問わず、今や事件の関係者は全部死に絶えたハズと断じて放送したに違いないと。事件の関係者が生きていたらこの放送の内容に異議を唱えるかもしれないが、その心配はもう不要です。(事件当時25歳だった刑事さんも100歳になっている)世間の誰もが「迷宮入り」事件だと思っていたが、迷宮入りどころか事件の存在自体が忘れられた今になってNHKは「首謀者は米国の諜報機関」と地味にささやいた。当時は小学生で事件に関係の無かった自分は75年経ってようやく事件の犯人像(個人ではなく組織)を知ったのでした。


 下山事件に関する自分の疑問はこれで落着しました。しかし、この文を読んで下さった読者の多くは納得できないのではないか。米国の諜報機関関係者がなぜ国鉄の総裁を殺害したのか。答えは、単純に言えば,当時(昭和24年)は日本国家の主権よりGHQの支配権のほうが強かったからです。事件の背後には共産主義思想の広がりを警戒するGHQの活動があり、米国の占領下にあった日本には国家の肝たる主権がなかった。日本が主権を回復して「普通の国」になるのは昭和26年の「サンフランシスコ条約」締結以後になります。


 もしや松本清張がこの事件を小説作品にしているのではと調べてみたら、ありました。「日本の黒い霧」という作品に登場します。さらに、犯人はアメリカの諜報機関だと書いているらしい。NHK番組が示す犯罪首謀者と同じです。
 ともあれ、小学生の頃からずっと「謎だらけの事件」として脳ミソの片隅にしまっていた「?」が完全ではないにしても解けました。亜米利加よ、お前もワルよのう・・。視力低下で読書はしんどくなってしまったけれど、松本清張の作品は古本を探して読んでみたい。

 

下山事件概略
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

下山事件の現場地図と写真