吉村喜彦「バー堂島」を読む

 小説のなかであっても自分の知っている風景や事物が登場すると気になるものです。この本で登場するのは天保山です。
 本書は前に紹介した<子供 本の森 中之島>図書館の後ろを流れる堂島川沿いの小さなバーに集う客とマスターの交流物語。著者は当地に本社があるサントリーの宣伝部に勤めていたサラリーマンだからお酒の知識とその描写はむちゃ詳しい。洋酒の好きな人が読んだらムズムズしてきそう。


物語は春夏秋冬四編の構成。<秋~舟歌酒>編で会話のなかに大阪市港区の「天保山」が出てくる。標高4,5m、嘗ては日本一低い山だった。
 115ページ。マスターと客の会話。「海ばっかしやないですよ。うちの近くには山もあるし」「山?」天保山です。ちょっと前までは日本一低い山やったんです。今は二番目ですけど」「そら、めっちゃいちびってるな」
 以下、少し長くなるけど、天保山二位陥落の始終を説明します。


2022年現在、一番低い山は仙台市宮城野区の「日和山」で標高は3m。2011年までは6,8mあって、このため天保山にトップを譲っていたが、東日本大震災津波に呑まれ、海べりの小山はまっ平らになってしまった。
 日本最低の日和山は地元市民に親しまれ、毎年7月1日には日本一高い富士山に対抗して?「山開き」の集会を催すなどイチビリ(ユーモア・おふざけ)精神は大阪人なみだった。なのに、dameo のせいで 1996年に天保山に一位を奪われ、さらに大震災で山自体が消滅した。山が海に呑み込まれるなんて・・神様に「いちびり」されたのか。


消滅した日和山を地形図に復活させたのはカタブツ役所の見本みたいな国土地理院であります。震災から3年後の2014年、電子版の地形図に「日和山 3m」の文字を表示した。日和山以外ではありえない「地元住民への忖度」でありませう。この、たった5文字の表示が住民を元気づけた。しかも標高は3m。天保山より俄然低い日本一の低山となった。


多くの人命や家屋を失い、悲嘆にくれた日々を送ってきた人たちがようやく落ち着きを取り戻したときに日和山が地図上に復活したという小さなニュース。これが住民のコミュニティ復活のきっかけにもなった。住民の誰かが小石を積み上げ、山名を書いた看板を建てた。ディスプレイ上での文字表示より百倍リアルな「日和山」復活シーンであります。(写真参照)


さて、実は天保山も地形図から消された履歴があった。1993年に改訂版をつくるとき、港区の区長や大阪市役所総務部の誰かが<天保山 4,5m>なんて、山とちゃうやろ。消してもええがな・・の判断で消された(但し、測量での必要から標高数字の表示は残った)
 新版地図でこれを知ったのが大阪府枚方市の地図マニアAさん。同好の仲間、埼玉市のBさんに「天保山が消された」と伝えた。Bさんも地図マニア、かつ、本格派の山男。自分の調査で天保山が日本一低い山だと認識していたから、そんな名山?が消されたことに不満を抱いた。


1995年、Bさんは山男しか読まない雑誌「山の本」に<消えた日本最低標高の山 天保山>という記事を寄稿した。この雑誌を地図好きだけど、ぜんぜん山男ではない dameo が梅田の紀伊國屋書店で買って読んだ。なんでこんなマニアックな雑誌を買ったのか不思議としか言えない。
 記事には天保山消滅を惜しむ文が長々書いてあり、文末は「大阪市民はどう思っているのか」と市民の無関心を嘆くような書き方だった。これを読んで「ほな、自分がやりまっさ」気分になったことがイチビリのはじまりであります。


さっそく、出版社気付でBさん充てに「天保山復活、自分がやります」と手紙を書いた。だが、出版社社長さんからの手紙を見て仰天した。「Bさんは正月に南アルプス北岳に単独登山して遭難した。なんとか生還したが手指の凍傷で手紙が書けない」とあった。あちゃ~~、であります。バス停より歩3分の天保山あれば、標高3000m、零下20度の冬山もある・・こと、再認識したのであります。


軽率に「やりまっさ」と言ったものの、具体的にどうすればいいのか。「請願書」を作成するのが大難儀でした。結局は一ヶ月くらいかけてB5紙で30ページくらいの資料をつくり、お役所のメンツを傷つけないよう、作文に気配りして「山名の再掲載」をお願いした。一人じゃ心許ないので近所の十数人に賛同の署名と捺印を頂戴した上、区役所に提出した。その後、奇跡に近い幸運が重なって、天保山の名前は1996年7月発行の改訂版に掲載、復活しました。


一旦、地図から名前を消された天保山は1996年の復活から2014年まで18年間、日本一低い山の名誉?を担ったことになります。この年「日和山」が日本最低の山として復活すると、地元の新聞「河北新報」の記者から電話で取材があった。天保山のトップ陥落をどう思いますか?と問われたので、民主党で大人気?だったレンホー先生の言葉を借りて「二位じゃダメですか」と答えた。
 町の復興が進んだ2019年、地元、蒲生町のみなさんが「山開き」行事を復活、350人もの人が集まって再生した「日本一低い山」に数歩で登山し、昔の親睦を取り戻す楽しい行事になりました。日和山よ、永遠なれ、であります。(2019年 角川春樹事務所発行)


(注)地形図に掲載の山で最低標高は日和山ですが、三角点標識の設置された山では天保山(4,53m)が最低です。因みに、天保山から徒歩20kmの大阪府堺市大浜公園には一等三角点を有する日本最低の山「蘇鉄山(7m)」があり(注・天保山は二等三角点の山)この両山を結ぶ「日本サイテーの縦走コース」を謳って某会が登山者を募ったところ、1000名もの参加者があり、平坦な市街地を山男山女が列をなした。あんたら、え~かげんにしいや、もう・・。

        <浜の真砂は尽きるとも 世にイチビリのネタは尽きまじ>

 

 

仙台市の日本一低い山「日和山」 標高3m

 

日本一長い商店街歩き < ハルカスまでアルカス> ご案内

今週のお題「地元自慢

 6月に新聞記事を紹介したけれど、散歩に快適な季節になったので再度のご案内。大阪ミナミから日本一高いハルカスビルをめざして5200m、日本一長い商店街を歩かせるので<ハルカスまでアルカス>。地下鉄駅なら5区間ぶんの距離。後半の新世界~西成区エリアは地元大阪市民でも歩いた人はほとんどいないシークレットゾーンです。商店街を探検気分で歩けるのが「アルカス」の楽しいところ、一日がかりで踏破してみて下さい。ご希望の方に自作地図を送信します。(約4MB) 

メール kai545@violin.ocn.ne.jp


おすすめプランは、午前11時ごろ大阪メトロ御堂筋線本町駅をスタート、道頓堀、千日前あたりで昼食、午後は西成区の<釜ケ崎芸術大学>でカフェタイム、午後4時ごろハルカス着。ハルカスは夕方から夜の景観がすばらしい。時間とお金にゆとりがある人は通天閣とハルカスをハシゴするのもヨシです。


<一筆描きコース>で案内します。
 道迷い減らすために、同じ道を二度歩かない「一筆書き」コースにしています。スタミナが心配な人は2回にわけて歩いて下さい。
 歩く商店街は、北から順に ■せんば心斎橋筋商店街→■心斎橋北商店街→■心斎橋筋商店街→■道頓堀商店街→■法善寺横丁→■千日前商店街→■千日前道具屋筋→■なんさん通り商店街→■日本橋筋商店街→■新世界商店街→■ジャンジャン町商店街→■動物園前一番街・動物園前二番街→■新開筋商店街→■あべのマルシェ・あべのポンテ商店街。(残念ながら、マルシェ・ポンテはシャッター商店街になっています)徒歩5200m。地図にトイレの位置も表示。


(注)<釜ケ崎芸術大学>=cocoroom は行事等により利用できないことがあります。場所は動物園前商店街入口より約300m右側。表に古着や古物を陳列する店です(写真参照)  電話 06-6636-1612
          メール info@cocoroom.org    HP www.cocoroom.org

 

心斎橋筋商店街 (大阪市中央区

 

新開筋商店街 (大阪市西成区

 

東京藝大よりは少し入りやすい<釜芸術大学

 

安藤忠雄<こども 本の森 中之島>を見学 

2020年にオープンした図書館で、建築家・安藤忠雄氏が設計し、大阪市に寄贈した子どものための文化施設。小さい図書館なので、利用は予約が中心で一日数百人の規模で受け入れています。大人だけの訪問は滞在時間が90分に限られているのが気ぜわしい。平日の昼間は就学児童、生徒の利用はゼロだから、子供の図書館といっても実際は大人の利用のほうが多いような気がします。


本棚を見てつくづく思うのは、絵本をはじめ、子供用図書の充実ぶりです。蔵書のほとんどは出版社からの寄贈と思われ、当然、中身や外観が貧相な本は省かれるから、それはそれはリッチなつくりの本がずらりと並ぶ。戦争の焼け跡のボロ図書館を記憶する dameo 世代が見たら天国のように快適な図書館です。


親の付き添いの必要がなくなったら図書館に通わせる習慣をつくったらどうか。教科書とちがう視点、教科書にない発想で企画された本と出会うことで子供なりに、教養を身につけることができる。授業にディスプレイをつかうことが普及してきた今だからこそ優れた本との出会いが大切になると思うのですが。(10月25日)

 

ホームページはこちら・・・

こども本の森 中之島 (kodomohonnomori.osaka)

 

図書館外観 平屋に見えるが3F建て

 

窓の下を堂島川が流れる

 

館内中央部分

 

手の届かない上段の本は、下段にも同じ本を備えているので不便はない。

 

利用者の年令の上限は高校1~2年生くらいか。

 

中島京子「長いお別れ」を読む

 後期高齢者夫婦と三人の娘が主役の介護ドラマ。ソレ、只今、自分が当事者デアリマス、という方たくさんおられると思います。ほろ苦い、悲しい思い出があるかたもいっぱいいるはず。介護のリアルな描写から、もしや著者、中島京子センセも介護の当事者か経験者ではないかと想像しました。医療措置のあれこれを描くには専門知識がいるので他人事状況では詳しく書けないはずです。


小説だから悲惨物語に仕立てるのも自由ですが、そういう筋書きにはしなかった。家族間の小さなもめごとはあるけど家庭破壊に至らず、穏やかな結末に仕立てた。むしろ、現実の介護ドキュメントのほうがずっと辛くて暗いと想像でき、リアリティーの乏しさに不満を抱く読者もいると思います。


小さなもめ事を繰り返して物語は淡々と進む。このままじゃ凡庸な小説で終わってしまいそうと案じていたところ、ラストの数ページでドキュメントふうが小説に変じてカッコよく終わります。


 孫のタカシは父の仕事の関係で米国暮らし。勉強をサボって不登校になり、とうとう校長室に呼び出された。校長はタカシの家庭事情を知りたくて穏やかに語りかける。問い詰めたりしない。そのソフトな対応にタカシは安心して家のことを話はじめる。


母から聞いたおじいちゃんが息をひきとるシーンを聴いた校長は爺さんが10年も認知症を患っていたことを知って「10年か。長いお別れ(ロンググッドバイ)だね」と言った。なに?と聞き返したタカシに「認知症を<長いお別れ>と言うんだよ。少しずつ記憶をなくして、ゆっくり、ゆっくり遠ざかって行くから」


「ありがとう。そんなプライベートな話を聞かせてもらえるなんて光栄だよ。ほんとに光栄だ。校長になって良かったと思う」校長はタカシに向かって両手を差し出した。タカシはその大きな手を握った。
 タイトルの「長いお別れ」とは認知症の別名でありました。こんな呼び方も悪くはないけど、リアルな介護の現場ではキレイゴト、なぐさめの言葉でしかないような気がする。(2018年 文芸春秋発行)

 

 

 

むかご飯と豚汁・・竹林広場の昼メシ会

 秋晴れの一日、奈良県香芝市にある住民が運営する広場での恒例の昼メシ会。材料を持ち寄って、むろん、ビール、ワイン、日本酒も揃えて歓談のひとときを過ごしました。なかにはむかご飯をはじめて食べた人もいて大感激。薪で炊くからいっそう美味しい。レストランでは味わえない自然満喫のランチでした。春は野草の天ぷらなども賞味します。

 

土地も施設も住民の自主管理。


ごはんは薪で炊きます




呑んで食べてしゃべって・・最後に上等の珈琲、というフルコース。

 

小川洋子「カラーひよことコーヒー豆」を読む

 雑誌<Domani>に連載したエッセイ集(2006~2008年) 


◆本物のご褒美
 小川洋子いちばんの人気作品「博士の愛した数式」は2006年に映画化された。自作の映画化ははじめての経験だったので公開初日に三宮の映画館まで観客の一人として出かけた。梅田から阪神電車に乗ってふと顔を上げると、前に座った女性が文庫本を読んでいる。それが「博士の愛した数式」だった。


ひゃ~~、小川センセはどぎまぎして、どうしていいか分からない。自分の書いた小説をいま目の前にいる人が読んでいる。しかも、女性は目の前に小川洋子が座ってるのに気がつかない(当たり前ですがな) で、いま、どの当たりを読んでるのかも気になる。されど「あの、あの、それ私が書いたんです」なんて言えない。オロオロしている間に、女性は御影駅で下車した。
 自分が原作を書いた映画作品を公開初日に見にいく途中で、その原作を読んでいる人に出会った・・。こんな偶然、生涯二度とあり得ない。センセは去って行く女性に向かって思わず頭を下げた。


作家として最高に嬉しくなるシーンに出会った。おそらく一生忘れないでせう。
 35ページ「小説を書いていて、これほどのご褒美があるだろうか。自分の小説が、間違いなくそれを必要としている読者の手元に届いている。(略)まさにその現場を目にすることが出来たのだ。こんな「本物」のご褒美は生涯にたった一個あれば十分だ。何度繰り返し思い起こしても、そのたびに新たな喜びに浸れるのだから」。


◆千年の時が与えてくれる安堵
 世に「清少納言ファンクラブ」なるものがあれば自分は入会していたかも知れない。著者、小川洋子さんも大好きだそうで清少納言をベタ褒めしている。同時代に活躍した、紫式部和泉式部と人気投票で競ったら一位になると想像する。(知名度では紫式部がトップかも)単純に言って「枕草子」を読んだ人は「源氏物語」を読んだ人の1000倍くらいいますしね。エッセイを読む、書くのが好きな人の大方は「枕草子」を読んでいると勝手に想像しています。


彼女の何が優れているのか。小川センセは自然観察から人間観察までセンスの良さがバツグンだからという。美意識、ユーモア、皮肉、いろんな角度で世間を見ることができ、シンプルな言葉で表現する。世間話のあれこれは現代でもすんなり読めるリアル感があり、千年昔の作品であることを忘れさせるという。
 ・・と、親しみを込めて語るものの、彼女は平安時代の貴族の娘であり、宮中においては一条天皇中宮(后)定子(ていし)に仕えた女官だった。私たちには想像すら難しい別世界に生きた女性だった。親近感など生まれようもないはずなのに「ファンクラブあったら入りたい」なんてよく言えたもんだ。
 さて、清少納言のイメージを現代の女性に当てはめたらどなたさまになるでせうか。なんか・・壇 蜜 さんの顔が浮かぶのですが、あかん?。(2009年 小学館発行)

 

 

 

鈴木信行「同窓会に行けない症候群」を読む

 巻頭に黒地白抜き文字でこう書いてある


今、日本には
2種類の人間がいる
同窓会に行ける人と
行けない人だ


 ご大層なコピーに「それがどないしてん、たかが同窓会の話やろ」とイチャモンつけたくなります。以下、236ページに亘って同窓会に行く、行かないが論じられる。生き方ハウツー本もいよいよネタ切れになったようであります。因みに、著者は日経新聞出身。


前記のコピーは経済事情の変化によって同窓会に行ける人、行けない人の差が出始め、特に現在50歳代の男性に顕著だという。昭和時代では同窓会の案内が来たら大方の人は定例行事だと思って参加する人が多数だった。しかし、平成の30年間で経済、労働環境は大きく変わり、参加者が5割以下とか、大巾に減少してしまった。


同窓会に出席したくない事情とは何なのか。
1・会社で出世しなかった。
2・起業して失敗した。
3・「好き」を仕事にできなかった
4・「仕事以外の何か」が見つからなかった。


概ねこれらの事情が「出席したくない」理由だという。とりわけ、就職氷河期と云われたバブル景気崩壊後にかち合ってしまった人は好きな仕事、会社を選り好みする余裕などなかったから「明るい気分で出席」できる人は少ない。学校時代の懐かしい話に打ち解ける気持ちのゆとりなんかなく、多くが「欠席」の返信を出す。幹事さんも苦労するがこんな欠席多数が続くと世話するひともいなくなって同窓会自体が消滅しかねない。


では、逆に、なぜ同窓会に出席するのか、といえば、学校時代は成績の優劣やモテる、モテない、という差別はあったにせよ、とりあえず仲間意識が優先されたから小さいドジや格差は無視できた。この平等感があるから同窓会参加は楽しかった。社会人になってからの格差は当然できるけれど、それを気にしないでおれる、ゆるい連帯感は失われなかった。
 そんな昭和時代の同窓会を思い出すと前記の「出席したくない四つの事情」は差別意識や劣等感を気にしすぎではないかと思うのですが、それは甘いと云われそうな気がする。昭和時代の同窓会の感覚で判断してはいけない。


同窓会に出席しにくい事情が増えた現在、著者は出席、欠席、どちらを推賞するのか。平成時代に就職した人には欠席を奨める。義理よりホンネを優先せよ、である。明るい話より暗い話が多いであろう同窓会に出席して良い思い出になるはずがない。ならば参加費用で気の合う友人と呑み会をするほうがずっと楽しい。同窓会という「文化」は徐々に影が薄くなってゆくような気がする。(外国には同窓会という卒業生参集行事はあるのだろうか)

 

不幸な平成時代を忘れて令和の時代にはどんな職業がしっかり稼げ、社会的地位も得やすいか。著者は例として下記のような仕事を挙げています。

①ホワイトハッカー    ②人工肉クリエーター ③ドローン制御技師
②データサイエンティスト ⑤サイボーグ技術者  ⑥スポーツプレイヤー
⑦インセクトブリーダー  ⑧オンライントレーダー

平成時代に生まれた皆さん、しっかり勉強して、稼いで、明るい同窓会をつくりませう。(2019年 日経BP発行)

 

 

加瀬英明「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」を読む

今週のお題「最近おもしろかった本」

加瀬英明ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」

 下に紹介する「四天王寺 古本市」で買った9冊のなかの一冊。著者は外交評論家。中曽根内閣などでは首相の特別顧問として対米交渉の現場で働いた。一方、びっくりしたのは、著者はオノ・ヨーコの従姉妹であり、ということは、故ジョン・レノンと親戚関係にあることだった。知りませんでした。レノンの日本贔屓はひとえにヨーコの影響によるものだけど、宗教観においてもレノンの考えは日本の神道に近いと著者は云う。
ジョン・レノンのつくった歌で一番ヒットした「イマジン」はこう歌う。


 ♪天国なんてありゃしないと、想像してご覧
 地獄もありゃしない


 ♪そして宗教もない
 そうしたら、みんな平和に生きられるってさ・・・


16ページ「私は「イマジン」は神道の世界を歌っているにちがいないと思った。そして、そうジョンにこう言った「神道には空のどこか高いところに天国があって、大地の深い底のほうに地獄があるという、突飛な発想がない。私たちにとっては、山や、森や、川や、海という現世のすべてが天国であって、人もその一部だから、自然は崇めるものであって、自然を汚したり、壊してはならないのだ」と説明した。
 神道では人が死んだ後に魂が地上に留まると考えられ、天国も、地獄も、死後の賞罰もない。神世は目に見えないどこか彼方に漠然と存在している。ヨーコはジョンを口説いて靖国神社、さらに伊勢神宮を参拝した。(引用ここまで)


「イマジン」は世界中の若者のあいだでヒットしたが、アメリカや欧州のキリスト教保守派からは神を否定し、冒涜する歌だと反発が起きた。日本ではそんな批判はなかったが、かように熱心なキリスト教徒には寛容さがない。


ジョン・レノンについての話はこれでおしまい。以後は日本の神道キリスト教イスラム教とは全く異なることの解説になります。すでに多く語られた解説で特に目新しい視点はないけれど「神道とはなにか」の説明は難しい。そもそも論理的に語れないテーマだから仕方ない。本をたくさん読んで学ぶことも大事だろうけど、日々の暮らしのなかで、また、人生を俯瞰するような場面で「感じる」体験が大事なのかもしれない。


正直言って、私たちは日頃の暮らしのなかで「神」や「神道」を意識することはゼロに近いし、関心もない。しかし、著者は言う。あの阪神大震災東日本大震災における日本人の振る舞いは他国の人が理解に苦しむくらい混乱が抑制され、和を保った。外国では普通に起きる略奪や暴力事件は皆無だった。それは教育や訓練の成果ではなかった。一人ひとりの心のもちようがそうさせたとしか言いようがない。自意識はゼロだけど、私たちは心の隅に神の教えを持ち合わせているのではないか。文字すらなかった古代から私たちは目に見えぬ神の道を歩んでいる。(2011年 祥伝社発行)


加瀬英明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%80%AC%E8%8B%B1%E6%98%8E

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出会いの愉しみ・・四天王寺 秋の古本市へ(2022年10月11日)

 今回は購入予算を1000円と決めて出かけました。過去には購入したけど読まなかった本がかなりあるので、せめて7割くらいは読了したい。読後はすべて「まちライブラリー」へ寄付します。購入した本は下記(写真)の通り。

・中田 潤「新庄くんはアホじゃない!」
加瀬英明ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」
阿川弘之「国を思うて何が悪い」
・ひろ さちや「どの宗教が役に立つか」
・中野考次「なにを遺せますか」
斎藤美奈子「趣味は読書」
・アラン「幸福論」
森本哲郎「月は東に」~蕪村の夢 漱石の幻~
李登輝小林よしのり李登輝学校の教え」


発行年は1990~2010年のあいだで一番古いのは1987年。価格は「幸福論」のみ200円、他の8冊は100円。9冊計で1000円です。(定価では約11000円)

 

古本市会場 向こうのビルは「あべの ハルカス」

 

沈黙の争奪戦。100円均一の台は大繁盛です

 

 美達大和「死刑絶対肯定論」を読む

 二件の事件で二人を殺害し、服役中の受刑者が書いた死刑肯定論。自信をもって「凶悪犯はビシバシ死刑にせよ」と説いています。思わず「お前が言うな」とツッコミたくなります。


本書を読んでアタマが混乱しそうになるのは、二人も殺した凶悪犯が書いた本にしては、極めて冷静にして論理的、かつ高い教養?に裏付けられた文で自説を述べていることです。ボキャブラリーの豊富さでは、dameo  は勝てない。カントやヘーゲルモンテスキューを引き合いに出されては、お前、ほんまに人殺ししたんか? と尋問したくなります。


ムショ暮らしについていろいろな事が書いてあるけど、もっともウエイトが大きい記述は、凶悪犯(著者)が観察した凶悪犯の生態、ホンネであります。一般人では絶対経験できない、ムショでの人間観察記です。そして、著者は明快に加害者性悪説を唱えています。但し、全ての殺人犯に対してではなく、上に「凶悪」の二文字がつく殺人犯に対して、彼らは根っからのワルと断じています。


彼らの大方は人を殺すという重罪を犯しながら、反省や悔悟の念をほとんど持っていない。むしろ、被害者を恨んでいるケースがままある。民家へ盗みに入って家人に見つかり、騒いだので殺した。おとなしくしていれば殺す必要はなかった。捕まったのは被害者の対処が悪いせいである。ま、こんなふうに運の悪さを嘆き、被害者を恨む。


もっとも、法廷では、こんなホンネを言うはずがない。罪を認め、心にもない謝罪の言葉も述べる。そんなことは十分わきまえているし、弁護士から指図されることも普通にある。 そんな、凶悪にして反省ナシの面々が暮らす刑務所は・・「明るい暮らし」の雰囲気十分なのであります。著者は重罪ながら初犯だったので、この風景を見て「本当に、みんな人殺しか?」と驚く。それほど罪の意識は薄い。こんな連中が刑期を終えて再び世間に戻ったら・・まじめに更生してフツーの人として社会にとけ込むことはほとんどない。


一方で、著者は、被害者や遺族の苦しみ、無念は生涯消えることなく、加害者の何倍もの苦痛を背負わされる。加害者の「明るいムショ暮らし」を知れば、到底、許す気にはならないだろうと言います。まさに「お前が言うな」としかいえないけれど、著者が見た刑務所、殺人犯のありさまは、かくのごとしであります。


本書を読んだ人が、幸か不幸か裁判員に選ばれたら、確実に被告への心証は悪くなります。特に無抵抗の子供を殺したり、女性を強姦のあげく殺した犯人などには、情状酌量の余地などなくなるでしょう。


dameoも明快に死刑存続論者であって、この考えは生涯ぶれない。死刑廃止論者は世間知らずの偽善者だと思っている。死刑廃止論者は昨年暮れの大阪北新地雑居ビル医院での25人放火殺人事件でも「死刑反対論」を述べなければならない。ぜひ聞きたいものだ。(注)この事件は容疑者死亡により書類送検で落着した。(新潮新書2010年7月発行)

 

 

林 真理子「本を読む女」を読む

 著者の母親の生涯を小説仕立てで書く・・作家ってなんと因果な職業でありませう。ドキュメントではなく小説ですよ。ようするにたくさん売るために話を盛ったり、削ったり、誇張したりと加工する必要があります。それなのに事実を歪めることはできない。なんともしんどい仕事ではありませんか。


でも、そんなの余計な心配で林センセは実母、万亀の生涯をスイスイよどみなく描き、時代背景の描写も不自然なところはない。さすがですねえ。
 但し、小説とは言え、母以外の実在の親族や故郷の教師などもたくさん登場するのだから批判や好き嫌いをあからさまに書くともめ事が起きかねない。そこんところはかなり気配りを要したと思います。それにしても・・よくこんな「小説」を書いたもんだと感心しました。


読み終わって一番印象に残ったのは、母、万亀と娘、真理子の生きた時代環境の違いです。大正時代に生まれ、昭和の戦争を含む最悪時代を過ごした万亀と昭和の戦後に生まれ、平和で豊かな時代を生きた真理子の天地ほどの差がある時代、社会環境の差の大きさです。僭越ながら、戦前(1939)生まれの dameo は少ないながら両方の記憶、つまり、飢餓体験があるので万亀の苦痛、苦労はそれがゼロの著者、林真理子センセよりリアルに思い描けます。有り体にいえば、林真理子の苦労なんて学生時代から作家デビューまでの数年間の貧乏暮らしだけ。以後はルンルン経由、文壇ナンバーワンの大富豪人生を歩んでいる。


終戦後の混乱社会を描くなかで「リーダース・ダイジェスト」というアメリカの雑紙が出てきます。いや、もう・・なんと懐かしい名前でありませう。自分もこれを1年ぶんくらい読んだからです。戦後、数年も経たないうちに米国の雑紙が和訳されて書店に並ぶなんてすごいカルチャーショックでした。中身はどうでも良いような米国人の暮らし向きを伝えるだけのしょぼい内容なのに、みんな貪るように読んでアメリカ文化を吸収した。


しかし、後年怪しんだのは、この雑紙はGHQの計らいで米国文化を日本人に擦り込むためのツールにしたのではないか、ということです。かといって、政治の話など皆目ない(と記憶している)ので一番ソフトな洗脳工作かもしれない。
 この雑紙、今でもあるんかい?と思ってぐぐってみたら、ありました。英文のアジア版です。定期購読は一冊443円ととても安い。
https://www.fujisan.co.jp/product/1281682957/next/
「TIME」などと同様、ずいぶん歴史ある紙の雑紙です。懐かしい。


さて、小説の最後はどのように描かれるのか。万亀は家にある煙草などを都心の駅に担いで行く「売り食い生活」の身。得た金で駄菓子などを仕入れて自宅で売る。ある日、雑誌を仕入れて売ったらよく売れた。その流れで最新の小説を仕入れた。それが発行されたばかりの太宰治の「斜陽」だった。帰りの汽車を待つあいだ、売り物の新刊本をそっと開く。ついつい読みふけってしまうなかで主人公の生き方に共感し、希望を見いだす・・・。あの、これ、小説ですからね。収まりよく書いてあります。(1993年 新潮社発行)