清水正「つげ義春を読む」を読む

 大人になってから漫画本とは縁が切れてしまった。例外的に愛読したのは東海林さだおのサラリーマンものの週刊誌漫画くらい。ところが、1990年ごろにたまたま図書館の漫画コーナーで「つげ義春全集」と出会い、ぞっこん惚れて何十編もの作品をまとめ読みした。しかし、この全集が発行されたのは1970年代なのですでに本はボロボロにくたびれており、もはや使用に耐えないとされたのか、まもなく棚から消えてしまった。


あれから幾星霜・・つげ義春のファンなんて皆目いないと思います。現在60歳未満の人でつげ作品を読んだことある人、手をあげて、と言ったら、し~~~ん、じゃないですか。嗚呼、時は無情に過ぎゆく、であります。


自分がつげ漫画に惚れたのは、70~90年ごろ、美術で言えば、S・ダリやルネ・マグリットなどシュールレアリズムの作品が好きだったことや、文学で言えば安部公房砂の女」を愛読したときと重なります。要するに、つげ義春のシュールな発想や表現と自分の感性、嗜好が一致したからです。


ということは、普通のマンガのつもりで読むと「これ、なんの話やねん」と放り出してしまう不可解な漫画であります。そもそも漫画って「分かりやすい、面白い」から子供でも読むのに、それを無視している。実際、15歳のガキが読んでもチンプンカンプンでありませう。面白いと評価できたら余程「おませ」な、ヤバイ子供です。


というわけで、つげ義春に比べたら、漫画界の大家といわれた手塚治虫水木しげる赤塚不二夫なんか「凡人」の類いです。傑作と評されても漫画の域を超えなかった。・・と、このように書くと、つげ義春は文学的素養に恵まれたインテリ漫画家のように思ってしまうが、そうでもない、というところがまた難儀でありまして、いや、ホンマ、なんとも評価が難しいのであります。その上、「ねじ式」などのヒットで大金が入ると仕事の意欲をなくしてしまい、怠惰な生活に浸るという難儀なオッサンであります。


わ、本の感想文書くのを忘れてました。本書は「つげワールド」に魅せられた日大の文学部教授がつげ作品に対する蘊蓄や思い入れを、それはもうこまごま、ネチネチと書き連ねた、つげオタク本であります。今までドストエフスキー宮沢賢治研究を主なテーマにしてきたカタブツ?文学者でありますが、なぜかつげ義春ファンになってしまい、本書は318頁に上下二段、ちっちゃい文字でぎゅう詰めにつげ礼賛文を記している。さらに「これでも書き足りない」というのだから、もうエエ加減にしいや、と、いちゃもんつけたくなります。


ともあれ、ヒマつぶし以外に何ほどの役にも立たない凡百漫画に時間を費やしてきた人には異端ともいえるつげ作品をおすすめします。図書館の書架では見つからなければ、カウンターで「書庫保存」があるか尋ねて下さい。(本書も2008年発行なのに、新品状態で書庫保存になっています)
 運良く見つかれば「ねじ式」「ゲンセンカン主人」「大場電気鍍金工業所」「山椒魚」「無能の人」などがおすすめです。


・・・と、すすめておきながら、いや、しかし、作品で描かれた時代(1950~60年頃)の空気を吸っていない人には感覚的に分かり得ないのではという気もします。例えば、つげの上手な作画をもってしても、あの時代の「貧困」は理解できない。例えば、水洗トイレしか知らない人に「雪隠」が日常の暮らしは別世界でせう。

 

ねじ式」の一場面

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講談社から新しく全集発行
 2020年から「つげ義春大全」として全22巻、7000頁のボリュウムで発行中です。価格は76890円。(上記のお勧め作品は1969年以後の出版)

 

 

糸井重里「すいません、ほぼ日の経営。」を読む

もう五回くらい書いたかも知れないが、一般人の理想の人生とは
・ 好きなコトをして
・それでメシが食え
・しかも世間で喜ばれる
という職業人生であります。

そんな理想に近い人生を送っている、と思える人物の一人が糸井重里氏であります。ハタから見るかぎり、上の三条件をほぼ満たしてるのではないでせうか。敵をなぎ倒し、弱者を踏みつけてのしあがった成功者とは違う職業人生をおくってきた。


 迂闊にも知らなかったけど、糸井氏が社長を務める「株式会社ほぼ日」は東証ジャスダックに上場したというから、もう外形的にも立派な企業といえる。(2018年現在)「好きなことして」の延長上にあるだけで年商何十億の売上げを達成している。その売上げの大半が「ほぼ日」という日記帳によるもので、「こんな日記帳があればいいな」という趣味嗜好が原点なのだから、凡人のワザではありませんね。(凡人は趣味で終わります)


 ちょ、ちょい待ち、その「ほぼ日」ってなんのこっちゃねん。自分と同年輩の方に問われそうなので答えをいうと「ほぼ日刊イトイ新聞」というネット新聞であります。ほぼ日刊というから、ときどき休刊してるのかといえば、20年以上、一度も休みなく発行しているという。ええかげんな題名の割りにはクソまじめな発行態度といえる。
https://www.1101.com/home.html 


 ここまで前置きが長くなってしまいました。本書は対談形式で糸井氏の経営哲学が語られている。むかし、日本で一番有名なコピーライターであったせいか、内容も表現もとてもユニークであります。会社の経営理念を問われて答えたのが「やさしい・つよい・おもしろい」の三点。大企業ではありえない、ヤワいスローガンです。 本人いわく、本当はこんなスローガンとかつくりたくないけど、会社の姿勢を示す言葉がないのも不具合なので、こんなふうに表現していると。


 糸井氏には社員を雇用しているとか支配していると言う感覚はなく、基本は「良い仕事をするための仲間」として付き合ってる。むろん、社員に甘いと言う意味ではない。社長がこんなあんばいだから、一応、組織はあっても上下関係はあいまいだという。クリエイティブな仕事に上意下達は似合わないから自然にそうなるのだろう。社員には居心地のよい会社に思えるけど、当然、日々、同僚や社長に仕事ぶりは評価されており、甘えは許されない。これを考えれば、公務員のように名称や階級で今のポジションがはっきりしているほうが気楽だと思います。


 それはともかく、一匹狼的存在での個人ビジネスであるコピーライターから上場企業の経営者へと大成長を望んだ糸井氏のホンネはどこにあるのだろう。社会への貢献や社員の雇用安定など、まっとうな考えを述べているけど、後付けの理屈と思えなくもない。実際には、ご本人は相当悩んだらしい。しっかり考えた上での結論ではあるが「一時、相当、気分が落ち込んだ」と正直に書いてある。今までは社員の面倒を見るだけでよかったけど、上場すれば、出資者や株主の期待に応えるという、経験したことのない責任感がのしかかる。クリエイター糸井氏がはじめて味わう「経営者の孤独」だったかもしれない。


 読み終わって感じるところ、この本は糸井氏の今後の経営ビジョンを語るとともに「ホンネはこういうことなんです。分かって下さい」と述べた申し開きの著作ではないか。対談を活字化した本なのに、表現の細部にすごく気をつかっている。なんども校正して齟齬がないように気配りした。何より、書名の「すいません、ほぼ日の経営。」に著者のホンネが表れていると思いました。(対談 川島蓉子 2018年 日経BP社発行)

 

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司馬遼太郎「新撰組血風録 芹沢鴨の暗殺」を読む

 なんでこの短編を読もうとしたか。コロナ禍のまえにたまたま京都・島原の「角屋」を見学したからであります。入館料1000円という高額ゆえか訪問者は少なくて、駄目男が訪ねたときも客は自分だけ。角屋の御当主?と思われる方が角屋の歴史由来を説明して下さった。その話の中に芹沢鴨が殺される当日、新撰組はここで大宴会を催したという。台所隣の立派な和室だが、大正時代?にボヤを出し、改装したために、台所は重要文化財指定なのに、この部屋は外されているそうだ。このような和風の古建築は築200年以上でなければ重文指定は受けられないという。


それはともかく、館の説明では、芹沢は新撰組のリーダーなのに性格粗暴で陰険、町民はもとより新撰組隊士からも嫌われていたと。あの近藤勇は当時部下だったが、彼もホトホト手を焼いていたらしい。
 それはほんまか。彼はそんなにワルだったのか。確かめる義理などこれぽっちもないのでありますが、観光客相手の歴史話は、面白くするために誇張や脚色がされやすいので、ちょっと興味をもっただけのことです。それで、司馬サンの小説を読んでみようと。「小説」だから事実ではないですけど。


角屋での大宴会=暗殺の下ごしらえを企画したのは他ならぬ近藤勇。つまり「内ゲバ」であります。実力行使は土方歳三沖田総司、原田佐之助だった。夕方から角屋でどんちゃん騒ぎをしたあと、午後9時ごろ、それぞれの屯所(民家を借り上げた宿舎)へ引き上げ、芹沢がぐでんぐでんに酔っ払って寝たことを確かめて襲いかかる。

 

以下、208ページから引用。
 沖田の刀が一閃してから、この殺戮がはじまった。
右肩を割られた芹沢が「わっ」と起き上がって、刀をつかもうとしたが、ない。あきらめたか、芹沢はふすまを体で押し倒して隣室に転がりこみ、その背後を原田佐之助が上段から切り下げたが、刀が鴨居に当たって、芹沢はあやうく逃れ、そのまま泳ぐようにして廊下へでた。
 廊下に文机があった。ぐわらりと転倒し、両手をついてやっと体を支えた芹沢の背から胸にかけて、土方歳三の一刀が、氷のような冷静さでゆっくりと刺しつらぬいた。


これ、ホンマでっか?・・ま、小説で描けばこうなるのでございます。ただし、細密な情報をもとに描くことの第一人者である司馬サンのことだから、部屋の間取りや文机の有無など、複数の資料を調べて書いたはずです。この時代になると、文献資料はいっぱいあるので、最初に襲ったのが沖田総司、なんてのも記録にありそうな気がします。


こんなえげつないテロで殺しておきながら、近藤勇守護職に「病没」と届け出た。そして盛大に葬式を催して、近藤は涙を流しながら長文の弔辞をを読んだ。この日をもって、近藤勇新撰組のトップになった。本文には「近藤は彼の生涯のなかで最も見事な演技を示した」とある。読者の多くはこれを事実とカン違いして頭の中に人物像を描く。事実と小説との差異など考えないでせう。

 

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京都・島原の「角屋」界隈

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池井戸 潤「果つる底なき」を読む

 珍しくミステリーを読みました。いま、作家の稼ぎ頭?池井戸潤氏の24年前の作品で「第44回江戸川乱歩賞」受賞作です。読んでしみじみ感じたのは頭の老化で登場人物の名前や役割を覚えられずに困ったことです。それに400頁を越えるような長編を読むのがしんどくなった。老いて益々アカン爺になりました。


主人公は大手銀行の行員。彼の同僚が不審な死に方をしたため、真相を探ろうと活動する。その顛末を綴るストーリーです。銀行内部の事情がやたら詳しく描かれるので、もしや、と著者の経歴を調べたら元三菱銀行の行員でした。
 本書は1998年の発行なので銀行の業務も今ほどコンピュータ化が進んでいなかった。このころ、dameo はようやくワープロ「書院」を買って練習に励んだものです。この小説の主人公もまだ30歳くらいなのに「パソコンの操作は苦手だ」なんてセリフがでてくる。著述した90年代、ケータイ電話は重さ2kgくらいある「肩掛け式」だったかもしれません。


江戸川乱歩賞をとった作品だから文章はよくこなれ、ビジネスや生活細部の描写も新人とは思えない成熟感があって不満はありませんが、勝手知ったる銀行業務や人事のあれこれは書きすぎの感がある。全般に「くどい」という印象で全394頁のところ、50頁くらいは減らせそう。
 一方で、話の後半、主人公が運転する車が悪者が運転するタンクローリーに追突されて大破するのに何百キロも走って無事帰る・・ご都合趣向に少しシラけたりします。昔の勧善懲悪アメリカ映画みたい。


この世で一番やりたくない職業はなにか、と問われたら「銀行員」と答える。金を貸す、回収する、この仕事のどこに生きがいや達成感があるのだろうと、チョー素朴な疑問を抱くのであります。加えて「人事」のストレス。
 むろん、これは自分の偏見で、ローカルの銀行などで、銀行と中小企業が協力して業績の向上や新ビジネスの開拓に成功する話をきくと「ええ話やなあ」と素直に感心する。そうか、自分はメガバンクが嫌いってことか。


奥付を見ると、この文庫版は2001年発行、2016年、第54刷発行とあって理想的なロングセラーになっている。一刷3000冊としても15万部。他にもヒット作は多々、こんなに柔らかいアタマの持ち主がなんで銀行員になったのか。自分にはミステリーです。(2001年 講談社発行)

 

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加治将一「舞い降りた天皇」を読む

 ~初代天皇「X」はどこから来たのか~

 近年読んだ歴史モノでは出色の面白い本だった。小説(ミステリー)仕立てで書いてあって、古代から飛鳥・奈良時代あたりまでの歴史を鳥瞰するような、ワイドで中身も濃い情報が詰まっている。この一作で古代史のおさらいができ、ついでに著者が唱える初代天皇「X」論も楽しめる。なんというか、一粒で二度美味しい・・みたいな本です。文庫本、上下600余ページのボリュウムがあるけど、すいすい読めます。


副題にあるように、最大のテーマは、初代の天皇は、何処から来たのか、を追求することです。その天皇とはむろん、仮想ではありますが、神武天皇です。そして、著者の推理では壱岐対馬あたりの出身だろうと・・。う~ん、むむむ。基本資料は「魏志倭人伝」と「日本書紀」ですが、周辺の関係資料もわんさと出てくる。しかし、学者の著作のように、重箱の隅をつつくような細かい解説はしないので、独断、偏見交えて話が早い、というのが素人向きでよろしい。


世に言う「神武東征」とは何であるか、なんのためにあんなしんどいツアーをやったのか。著者の論では「シナ勢力からの逃避」であります。本来、北九州で国らしきカタチをつくっていたけど、いずれ、シナが進軍、侵略してくるだろう。戦っても勝ち目など無いから、国(邪馬台国)ごと、シナから見たらなるべく列島の奥のほう、つまり近畿地方へ引っ込んで、そこで新たに国、ヤマトをつくった。


神武東征とは、文字面では東の方へ攻め上がるという意味にとれるけど、ちがひます、逃げてきましてん、というのが著者の研究成果であります。シナの圧力におびえて東へ東へ・・。後世、岡山の鬼ヶ城とか、生駒山系の高安山に防御のための城(砦)を築いたことでも分かるように、朝鮮、シナによる攻撃を本気で心配していました。


ゆえに、邪馬台国創立の地は北九州、移転後は大和になります。今の論争では、九州と近畿、どちらが邪馬台国だったのか、が争われていますが、著者の発想ではどちらも本物、引っ越しただけだと言う。こう言われると、すごく分かりやすい。どちらも邪馬台国であった、というわけです。


これだけなら、600頁も費やす必要はないけど、そこに話を楽しくするための仕掛けがいろいろあって、出雲系(権力闘争の負け組)の扱いとか、裏でヒモを操るフィクサー秦氏の一族とかが絡む。現代の皇室情報では、この秦一族の話題は皆無だけど、天皇家の元祖をつくり、裏で支え、コントロールしたのは秦氏ではないのか。藤原京平城京平安京をつくるには政治思想から仏教情報、ハード面での設計、技術情報など、膨大な情報を入手、駆使しなければなりませんが、その役目のおおかたを秦一族が担ったのではないか。これは半分、駄目男の想像も交えての見解です。


本書が面白いのは、神話時代の事件を、神ならぬ普通の人間なら、こう考え、行動すると、リアリティを持たせて描写しているからです。こじつけもままあるが、なるほど、そういうことだったのかと妙に説得力があって、つい読み進んでしまうのでありました。(詳伝社文庫 2010年10月発行)

 

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1959年・絵本に描かれた「宇宙ロケット」

 絵本「こどものせかい」の出版社から「宇宙旅行の絵を描いて下さい」と注文された画家はどれくらい困惑したか。もし、自分が画家であれば「まいど、おおきに」と二つ返事で引き受けただろうか。今から64年前、昭和33年のことである。


たった8頁のこの絵本、しかし、厚紙にカラー印刷というリッチなつくりで、別のページにはデビューまなしと思われるいわさきちひろの作品もある。
 宇宙旅行とかロケットとか、生活概念にない場面、モノをどんなふうに描けばよいのか、画家は悩みまくったのではと想像します。おそらく「無重力」も知らなかったのではないでせうか。


でも描かねばならない。画家はありったけの科学知識を使って宇宙旅行のようすを表現した。それが下の画像です。素朴で微笑ましいという見方ができますが、いまの子供が同じ感覚で見ることができるか? できないでせう。飛行機=プロペラ機の時代、宇宙旅行も「空を飛ぶ」と言う点は同じだからという発想で描いたと想像します。キッチンでコックさんが料理を作ってる場面を加えることで宇宙旅行の味気なさをカバーしています。


現実の世界はどうだったのか。宇宙ロケットの開発はものすごいスピードで進みました。シンプルにまとめたらこんな感じです。

1945年・・敗戦により、軍事研究禁止
1955年・・糸川英夫博士、ペンシルロケット(23cm)発射に成功
1959年・・当「こどものせかい」発行
1968年・・映画「2001年 宇宙の旅」公開
1969年・・アポロ11号 月面着陸に成功


なんと、この絵本が発行された10年後の1969年に月への往復旅行が実現しました。ソ連アメリカの熾烈な競争があったとはいえ、ものすごい科学技術の進歩です。その前年には映画「2001年 宇宙の旅」が公開された。今から見ればぜんぜんリアルな映像ではなかったのに観客はみんな宇宙旅行ってこんなものかと思ってしまった。


今から64年まえに描かれた長閑な「100%アナログ発想による宇宙旅行」をお楽しみ下さい(1959年 カトリック協議会発行)


宇宙ロケットの内部のイラスト


ロケットの操縦は重機操作でおなじみのレバーで行う。通信士はヘッドフォンをつけて交信する。食事はコックさんがつくる。


複雑な機械=歯車の組み合わせを想像した。

 

1959年発行の絵本

 

立花隆「ぼくはこんな本を読んできた」を読む

 小説、ノンフィクションを問わず、モノを書くときはモーレツに資料を集める作家とは? 西は司馬遼太郎、東はこの立花隆佐藤優センセでせう。稼いだ金の大半を資料の収集に費やしてしまう。それでも普通は自宅に本棚をぎっしり並べるというのが普通のところ、立花センセは本棚を収容するための専用ビルを建てたのであります。いまやネットの時代だから、こんな紙情報集めに狂奔したライターは立花センセが最後だと思います。


履歴は1940年長崎生まれ、東大仏文科卒。文藝春秋社に入社して「週刊文春」の記者になる。しかし、なぜか東大にリターンして哲学科で学ぶという超一流コース。その在学中から評論活動をはじめた。そして1974年、34歳のとき、あの「田中角栄研究」でジャーナリストとして金字塔を打ち立てたのであります。個人の著作で総理大臣を告発、退陣に追い込んだなんて前代未聞の大仕事でした。 dameo もこれを当時に読んで大コーフンしたこと覚えています。もう半世紀も昔のことです。


東大仏文時代は普通に哲学書、文学書を読み漁った。しかし、文藝春秋社に入ってからはジャーナリストの仕事の面白さに目覚め、読書は俄然ドキュメントものが増えた。小説なんかチョロくさくて読んでられん、という感じです。
 で、テーマが決まったらとことん資料を集める。本が何冊・・ではなく、ダンボール箱が何個ぶんというボリュウムで集める。田中角栄研究のときは角栄が関わった土地の登記謄本を全部集めた。その中身の精査、関係人物の洗い出し・・こんなのとても一人ではできない。最大20人のチームをつくって資料調査をした。何日間も不眠不休の大仕事だった。


秘書公募に500人が殺到
 本書で一番面白い記事はコレであります。モーレツに忙しいときに女性秘書が退職することになり、では公募しようと朝日新聞に求人広告を出した。条件は「固定給20万、年令、学歴不問、主婦可」。まあ、多くて50人くらい応募があるかもと想定したが、実際は500人から書類が届いてびっくりした。大学生から最高70歳までの応募者があり、中には宇宙飛行士募集に応募したという女性もいた。


これを一人に絞る・・大難儀であります。筆記試験に面接・・といえば普通の入社試験ふうだけど、筆記試験では「歴代大蔵大臣の名前を挙げよ」という質問。もっとシンプルに「科学者の名前を知ってるだけ挙げよ」と言う問いもある。20人以上の名前を書いた人もいたが「湯川秀樹」しか書けなかった人もいた。新聞で政治、経済面を読まない人はアウト、常識がないとされた。


電話の取り次ぎも大事な仕事だ。新聞社、出版社、学者、友人、いろんな人からかかってくる。もちらん外国人からもかかるから英会話は必須である。こんなきついテストで選ばれた人がSさんだった。彼女は大阪出身の高卒者だったが、油絵の修行、放送作家、阪急百貨店のコピーライター、など転々して、作家、小松左京氏の秘書も務めた。興味をもてば何でもやります、という多才?ぶりが立花センセのお眼鏡に叶ったらしい。


本書の後半は書名通り「ぼくはこんな本を読んできた」をインタビュー形式で語っています。青年時代に読んだのは主に二十世紀文学で、ジョイスプルーストにはじまり、サルトルカミュ、ボーヴァール、カフカ、フォークナー、ヴァレリーサリンジャーなど。現代演劇も好きだったので、A・ミラーやベケットの作品を読み、舞台鑑賞した。こうして哲学、文学の素養を積んだあとに主にジャーナリストとして活躍することになった。


現代の「知の巨人」と呼ばれたこと、佐藤優氏と同じですが、官僚出身の佐藤氏とちがって研究対象はむちゃ広いのが立花氏のユニークなところ、「田中角栄研究」と「宇宙からの帰還」という全くの別世界を同じ情熱で研究、発表できる人、二度と現れないのではと思います。(1995年 文藝春秋発行)


主な著作「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「臨死体験」「中核VS革マル」「死はこわくない」「思考の技術 エコロジー的発想のすすめ」など。


本や資料を保管するための通称「ねこビル」ネコは妹尾河童氏が描いた。

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新聞チラシの人材募集 ど~んと<天才手当 月100万円>

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 昨日の新聞折り込みチラシにこんな広告がありました。A2サイズの上質紙の裏表全部が募集説明で商品広告一切ナシ。自分に関係ないことだけど、チラシを隅々までしっかり読むなんて年に一度もない。「天才募集」と「新聞チラシ」のミスマッチ?ぶりが面白くて、つい読んでしまいました。もちろん、ネットでも同じ広告出してると思います。


この広告に興味があるのは、天才に値する優秀な人物は新聞折り込みチラシを見るであろう、という前提で企画したことです。視認度では新聞自体の紙面よりはるかに劣ることを分かった上でチラシにした。この判断のウラにどのようなディスカッションがあったのか、興味あります。
 今どき、新聞自体の購読者がどんどん減っており、新聞広告もドカ減りです。まして折り込みチラシを丁寧に見るひとなんて百人に数人ではと想像します。なのに、広告の内容が「天才募集」です。ひょっとしたら、社長のツルの一声「折り込みチラシにせい」で決まったのかも知れない。


天才募集に現時点での実例が書いてある。(下の写真参照)同社では天才にもA級(月額100万円)、B級(同50万円)、C級(同20万円)のランクがあり、A級の女性管理職は44歳で年収約4800万円。すごいですね。
 しかし、ものは考えようです。凡人社員の年収500万円の10人分だと考えたらどうでせう。驚くほどの高額とは思えなくなります。実際の企業経営においては100人の凡人を雇うより一人の天才を獲得するほうが有益でせう。(広告文面にもこのことが書いてある)与えられた仕事をそこそこ無難にこなす、という人しかいない企業が大発展するなんてあり得ない。それはまさしく昔の「お役所感覚」の会社でいずれ潰れます。


募集要項を詳しく読むと、天才社員=管理職ではないらしい。ヒラ待遇で給料に天才手当がつくこともあるみたい。まあ、頭は切れるけど人づきあいが苦手、みたいな人もいますからね。欠点はあるけど「この人が会社を支えてる」存在感が大事なのだと思います。


全国100万?のはてなブロガー諸兄姉、出し惜しみした天才を売り込みに行きませう。少々遅刻しても「天才は忘れた頃にやってくる」と言わせようではありませんか。

 

DHCチラシの説明

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田辺聖子「あかん男」を読む

 作・田辺聖子、解説・酒井順子、とあらば読まずにおれない・・本であります。書名からわかるように大阪弁でかかれています。短編七編のうち、dameo お勧めの二編を紹介。1975年の発行ですが古くささを感じさせない。


へらへら
 ある日、目ざめると隣で寝ているはずの夫がいない。食事が手つかずだったことから夜中に逃げ出したのではなく、会社から帰宅しなかったとわかった。会社に問い合わせたが出張ではなく本人から連絡も無い。蒸発したのだ。じゃ~~ん!。心配するよりモーレツにハラが立ってきた。


親戚にも連絡した上、まず、近隣の心当たりを探そうと思い、子供を向かいのKさんに預かってもらおうとピンポーン。すると奥さんではなく主人が出てきた。「?」と思い、事情を訊くと「うちの女房、家出しましてん」とオロオロ状態。蒸発したのだ。ドヒャ~~。


自分の夫とお向かいの奥さんが駆け落ちしたのだ。そんなアホな。で、逃げられた者どうしが協力して心当たりの場所を捜索・・。これでネタが割れると思いますが、二人は意外に気が合うと気づく。一緒に行動するのが楽しい。消えた夫や女房への心配、だんだん薄れてきたではありませんか。そして、もし、探してる二人が無事に戻ってきたら、どうする?とご主人に言うと「そ、そないにならんうちに、二人で逃げまひょ」やて。よういわんわ、もう。


この話って、そのまま落語になりそう。(すでに出来てるかも)文珍あたりで語ってほしいなあと想像しました。


かげろうの女 ~右大将道綱の母~
 古典エッセイの名作とされる「蜻蛉日記」を田辺聖子が仕立て直したらこうなります、という掌編で「あかん男」は著者の夫、藤原兼家になります。
 平安時代は一夫多妻はふつうであったけど、著者はそれが許せない。なのに、兼家のほうは全く天真爛漫?無頓着?でハンセーする気、ぜんぜんナシです。


そんな、あかん男なのに宮廷では上手く立ち回って順調に出世する。仕事は忙しくなる。でも浮気は収まらずの日々。昨年5月に紹介した同著者の「私本・源氏物語」とおなじ趣向ですが、ドタバタシーンは控えめなので面白さでは劣ります。でも、こんな小さい読み物でも「あかん男」など、当時の人事や貴人の生活の一端はうかがい知ることができる。藤原一族の隆盛ぶりもわかります。
リアル「蜻蛉日記」を読む十分の一の労力で古典の一端に触れられる。田辺センセに感謝。(1975年 KADOKAWA発行)

 

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平凡社編集「作家の酒」を読む

 こんな本を企画すること自体が「酔狂」のなせるワザとしか思えないけど、読むよりは作家諸氏の酔態を楽しむ本です。女性有名作家にも大酒飲みがいると思うのに登場しないのは酔態を読者に知られたくないゆえか。
 作品を一作しか読まなくても、このオッサン、大酒飲みやろという知識があったのは・・山口瞳吉田健一開高健中上健次小津安二郎黒澤明井伏鱒二立原正秋小松左京星新一宮脇俊三・・田辺茂一紀伊國屋書店社長)などであります。みなさん、酒の飲み過ぎが祟ったのか、割合い短命なのが共通している。ま、長生きしたいから酒をやめるなんて健康志向の人は一人もいなかった。(太字はアル中に近い、又はアル中の作家)


 グラビヤページをみて感じるのはお酒のクオリティの低さです。有名作家なのにこんな酒しか飲んでなかったのかと思う。菊正宗が多いのは忖度があったのかもしれない。ウイスキーサントリー主体でニッカや外国ブランドは継子あつかい。取材が2000年前後なので、こんな酒しかなかったのかもと察する。逆に言えば、センセイ方が亡くなったあとの20年くらいのあいだに日本酒、洋酒の品質が俄然良くなった。センセイ方、残念でしたねえ。(2009年 平凡社発行) 


飲むことより雰囲気を大事にした三島由紀夫

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それ飲め、それ食え・・小松左京(右)と星新一

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右から店のママ、殿山泰司色川武大田中小実昌

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文壇バーのひとつ「ナルシス」

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山口瞳ご愛用の店「ボルドー

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 閑人帳:プーチンの末路を気にするのはこの二人

 言うまでもなく・・習近平金正恩ですね。ウクライナ戦争の行方より、自分の命がいつまでもつか、戦々恐々でありませう。側近に暗殺されるかも、の恐怖感、すごいと思います。独裁者が平穏な人生を全うした例は少ないこと、よ~く分かってるだけに「明日は我が身」の不安に苛まれている。リビアカダフィイラクフセイン、いずれも惨めな最後だった。


でも、情報の拡散度の大きさからみて、世界中の人が覚えているのはルーマニアチャウシェスク大統領の最期(1989年)ではないだろうか。日本人の感性では、あんなえげつない仕置きはできない。憎悪にも国民性が出ると思う。
 同じ年、中国で天安門事件が起きた。中国人がいかに残酷な人種かを世界中に知らしめた。なのに、中国人の多くがこの事件を知らない。(国の情報統制による)