司馬遼太郎「新撰組血風録 芹沢鴨の暗殺」を読む

 なんでこの短編を読もうとしたか。コロナ禍のまえにたまたま京都・島原の「角屋」を見学したからであります。入館料1000円という高額ゆえか訪問者は少なくて、駄目男が訪ねたときも客は自分だけ。角屋の御当主?と思われる方が角屋の歴史由来を説明して下さった。その話の中に芹沢鴨が殺される当日、新撰組はここで大宴会を催したという。台所隣の立派な和室だが、大正時代?にボヤを出し、改装したために、台所は重要文化財指定なのに、この部屋は外されているそうだ。このような和風の古建築は築200年以上でなければ重文指定は受けられないという。


それはともかく、館の説明では、芹沢は新撰組のリーダーなのに性格粗暴で陰険、町民はもとより新撰組隊士からも嫌われていたと。あの近藤勇は当時部下だったが、彼もホトホト手を焼いていたらしい。
 それはほんまか。彼はそんなにワルだったのか。確かめる義理などこれぽっちもないのでありますが、観光客相手の歴史話は、面白くするために誇張や脚色がされやすいので、ちょっと興味をもっただけのことです。それで、司馬サンの小説を読んでみようと。「小説」だから事実ではないですけど。


角屋での大宴会=暗殺の下ごしらえを企画したのは他ならぬ近藤勇。つまり「内ゲバ」であります。実力行使は土方歳三沖田総司、原田佐之助だった。夕方から角屋でどんちゃん騒ぎをしたあと、午後9時ごろ、それぞれの屯所(民家を借り上げた宿舎)へ引き上げ、芹沢がぐでんぐでんに酔っ払って寝たことを確かめて襲いかかる。

 

以下、208ページから引用。
 沖田の刀が一閃してから、この殺戮がはじまった。
右肩を割られた芹沢が「わっ」と起き上がって、刀をつかもうとしたが、ない。あきらめたか、芹沢はふすまを体で押し倒して隣室に転がりこみ、その背後を原田佐之助が上段から切り下げたが、刀が鴨居に当たって、芹沢はあやうく逃れ、そのまま泳ぐようにして廊下へでた。
 廊下に文机があった。ぐわらりと転倒し、両手をついてやっと体を支えた芹沢の背から胸にかけて、土方歳三の一刀が、氷のような冷静さでゆっくりと刺しつらぬいた。


これ、ホンマでっか?・・ま、小説で描けばこうなるのでございます。ただし、細密な情報をもとに描くことの第一人者である司馬サンのことだから、部屋の間取りや文机の有無など、複数の資料を調べて書いたはずです。この時代になると、文献資料はいっぱいあるので、最初に襲ったのが沖田総司、なんてのも記録にありそうな気がします。


こんなえげつないテロで殺しておきながら、近藤勇守護職に「病没」と届け出た。そして盛大に葬式を催して、近藤は涙を流しながら長文の弔辞をを読んだ。この日をもって、近藤勇新撰組のトップになった。本文には「近藤は彼の生涯のなかで最も見事な演技を示した」とある。読者の多くはこれを事実とカン違いして頭の中に人物像を描く。事実と小説との差異など考えないでせう。

 

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京都・島原の「角屋」界隈

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