立花隆「ぼくはこんな本を読んできた」を読む

 小説、ノンフィクションを問わず、モノを書くときはモーレツに資料を集める作家とは? 西は司馬遼太郎、東はこの立花隆佐藤優センセでせう。稼いだ金の大半を資料の収集に費やしてしまう。それでも普通は自宅に本棚をぎっしり並べるというのが普通のところ、立花センセは本棚を収容するための専用ビルを建てたのであります。いまやネットの時代だから、こんな紙情報集めに狂奔したライターは立花センセが最後だと思います。


履歴は1940年長崎生まれ、東大仏文科卒。文藝春秋社に入社して「週刊文春」の記者になる。しかし、なぜか東大にリターンして哲学科で学ぶという超一流コース。その在学中から評論活動をはじめた。そして1974年、34歳のとき、あの「田中角栄研究」でジャーナリストとして金字塔を打ち立てたのであります。個人の著作で総理大臣を告発、退陣に追い込んだなんて前代未聞の大仕事でした。 dameo もこれを当時に読んで大コーフンしたこと覚えています。もう半世紀も昔のことです。


東大仏文時代は普通に哲学書、文学書を読み漁った。しかし、文藝春秋社に入ってからはジャーナリストの仕事の面白さに目覚め、読書は俄然ドキュメントものが増えた。小説なんかチョロくさくて読んでられん、という感じです。
 で、テーマが決まったらとことん資料を集める。本が何冊・・ではなく、ダンボール箱が何個ぶんというボリュウムで集める。田中角栄研究のときは角栄が関わった土地の登記謄本を全部集めた。その中身の精査、関係人物の洗い出し・・こんなのとても一人ではできない。最大20人のチームをつくって資料調査をした。何日間も不眠不休の大仕事だった。


秘書公募に500人が殺到
 本書で一番面白い記事はコレであります。モーレツに忙しいときに女性秘書が退職することになり、では公募しようと朝日新聞に求人広告を出した。条件は「固定給20万、年令、学歴不問、主婦可」。まあ、多くて50人くらい応募があるかもと想定したが、実際は500人から書類が届いてびっくりした。大学生から最高70歳までの応募者があり、中には宇宙飛行士募集に応募したという女性もいた。


これを一人に絞る・・大難儀であります。筆記試験に面接・・といえば普通の入社試験ふうだけど、筆記試験では「歴代大蔵大臣の名前を挙げよ」という質問。もっとシンプルに「科学者の名前を知ってるだけ挙げよ」と言う問いもある。20人以上の名前を書いた人もいたが「湯川秀樹」しか書けなかった人もいた。新聞で政治、経済面を読まない人はアウト、常識がないとされた。


電話の取り次ぎも大事な仕事だ。新聞社、出版社、学者、友人、いろんな人からかかってくる。もちらん外国人からもかかるから英会話は必須である。こんなきついテストで選ばれた人がSさんだった。彼女は大阪出身の高卒者だったが、油絵の修行、放送作家、阪急百貨店のコピーライター、など転々して、作家、小松左京氏の秘書も務めた。興味をもてば何でもやります、という多才?ぶりが立花センセのお眼鏡に叶ったらしい。


本書の後半は書名通り「ぼくはこんな本を読んできた」をインタビュー形式で語っています。青年時代に読んだのは主に二十世紀文学で、ジョイスプルーストにはじまり、サルトルカミュ、ボーヴァール、カフカ、フォークナー、ヴァレリーサリンジャーなど。現代演劇も好きだったので、A・ミラーやベケットの作品を読み、舞台鑑賞した。こうして哲学、文学の素養を積んだあとに主にジャーナリストとして活躍することになった。


現代の「知の巨人」と呼ばれたこと、佐藤優氏と同じですが、官僚出身の佐藤氏とちがって研究対象はむちゃ広いのが立花氏のユニークなところ、「田中角栄研究」と「宇宙からの帰還」という全くの別世界を同じ情熱で研究、発表できる人、二度と現れないのではと思います。(1995年 文藝春秋発行)


主な著作「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「臨死体験」「中核VS革マル」「死はこわくない」「思考の技術 エコロジー的発想のすすめ」など。


本や資料を保管するための通称「ねこビル」ネコは妹尾河童氏が描いた。

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