作・田辺聖子、解説・酒井順子、とあらば読まずにおれない・・本であります。書名からわかるように大阪弁でかかれています。短編七編のうち、dameo お勧めの二編を紹介。1975年の発行ですが古くささを感じさせない。
へらへら
ある日、目ざめると隣で寝ているはずの夫がいない。食事が手つかずだったことから夜中に逃げ出したのではなく、会社から帰宅しなかったとわかった。会社に問い合わせたが出張ではなく本人から連絡も無い。蒸発したのだ。じゃ~~ん!。心配するよりモーレツにハラが立ってきた。
親戚にも連絡した上、まず、近隣の心当たりを探そうと思い、子供を向かいのKさんに預かってもらおうとピンポーン。すると奥さんではなく主人が出てきた。「?」と思い、事情を訊くと「うちの女房、家出しましてん」とオロオロ状態。蒸発したのだ。ドヒャ~~。
自分の夫とお向かいの奥さんが駆け落ちしたのだ。そんなアホな。で、逃げられた者どうしが協力して心当たりの場所を捜索・・。これでネタが割れると思いますが、二人は意外に気が合うと気づく。一緒に行動するのが楽しい。消えた夫や女房への心配、だんだん薄れてきたではありませんか。そして、もし、探してる二人が無事に戻ってきたら、どうする?とご主人に言うと「そ、そないにならんうちに、二人で逃げまひょ」やて。よういわんわ、もう。
この話って、そのまま落語になりそう。(すでに出来てるかも)文珍あたりで語ってほしいなあと想像しました。
かげろうの女 ~右大将道綱の母~
古典エッセイの名作とされる「蜻蛉日記」を田辺聖子が仕立て直したらこうなります、という掌編で「あかん男」は著者の夫、藤原兼家になります。
平安時代は一夫多妻はふつうであったけど、著者はそれが許せない。なのに、兼家のほうは全く天真爛漫?無頓着?でハンセーする気、ぜんぜんナシです。
そんな、あかん男なのに宮廷では上手く立ち回って順調に出世する。仕事は忙しくなる。でも浮気は収まらずの日々。昨年5月に紹介した同著者の「私本・源氏物語」とおなじ趣向ですが、ドタバタシーンは控えめなので面白さでは劣ります。でも、こんな小さい読み物でも「あかん男」など、当時の人事や貴人の生活の一端はうかがい知ることができる。藤原一族の隆盛ぶりもわかります。
リアル「蜻蛉日記」を読む十分の一の労力で古典の一端に触れられる。田辺センセに感謝。(1975年 KADOKAWA発行)