時実新子・玉岡かおる「モノ書く女への道」を読む

 dameo の友人、A子さんが時実新子のお弟子さんだった、という、ささいなご縁で読んだ本。玉岡かおるの作品は「お家さん」を読んだだけです。この育ちや個性のちがいがハッキリしている二人がン十時間?対談して文学論や人生論をぶつけ合った。あるページでのやりとりはほとんど喧嘩腰でヒートアップしているが、ま、作家だから仕方ない。但し、年令は時実サンのほうが27歳も年長で、本書出版の3年後、78歳で亡くなった。


時実さんの功績は何と言っても川柳を「格上げ」したことでせう。いままで俳句より格下の文芸と目されてきた川柳をグレードアップし、かつファンを広げた。現在では愛好者の数では俳句と並ぶのではと思います。


但し、世間で人気の川柳、たとえば「サラリーマン川柳」などと時実さんのつくる川柳とは発想や表現に大きな違いがあり、時実スタイルの作品はわかりにくいというか、文学的というか‥誰でも馴染めるというものではありません。
下記は時実さんの作品例です。


妻をころしてゆらりゆらり訪ね来よ


寒菊の忍耐という汚ならし


姉妹で母をそしりし海が見え


五月闇生みたい人の子を生まず


手鉤無用の柔肌なれば窓閉めよ


包丁で指切るほどに逢いたいか


どないです? dameo なんか、とりあえず、こわ~~~と引いてしまいます。サラリーマン川柳とは別世界の、女の情念、怨念がひたひたと迫る十七字世界です。ふだん親しんでる川柳がいかに生ぬるい世界であるか、その違い、歴然。物事を一分の一で説明されないと理解できない人は玄関払いという感じです。


時実新子の名言・・「(川柳の)十七音字は縮まるためにあるんじゃない、膨らむために一度縮んでいるだけ。ちょっと感性で触れていただければ、パッと一編の小説になりうる力を持っている」これぞ新子流。川柳は爆発だ~~!

(2004年 有楽出版社発行)

 

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陳舜臣「唐代伝奇」を読む

 千年以上の昔、中国は唐時代に著された物語を十七編集めたもの。その中で日本にも伝わり、現在でも良く知られているのは「沈中記」「郭翰と織女(牽牛と織女)」「杜子春」の三つです。これらのうち二つを紹介します。


「沈中記」=「邯鄲」
 「沈中記」は日本では謡曲に編集されて四番目能「邯鄲(かんたん)」になっています。旅の若者が安宿で借りた枕で寝ると、たちまち夢の世界へ引き込まれ、まるで竜宮城へ来たのかと思うような贅沢で華やかな、栄華の暮らしが何十年も続いた。しかし、夢から覚めると、何十年どころか、寝る前に火をつけた黍ご飯がまだ炊きあがってないという、わずかな時間しか経っていなかった。若者は悟りを得て、悄然と宿を後にする・・。こんな他愛ない話です。


原作はどうなのか。とても話が長い。夢の世界へ入ってから栄華の世界を体験するのは同じですが、出世の段階をいちいち説明している。はじめは課長クラス、次に部長に出世し、知事になり、大臣や軍隊の指揮官にもなり・・と全部説明していて煩わしい。しかも、順調な出世だけでなく、左遷や降格、あわや自殺、という場面もあってなかなか忙しい人生であります。こんなの、謡曲でやってられん、というので、能の「邯鄲」は超ダイジェスト版となっています。


謡いの一部を写すと・・・
 「ありがたの気色やな。ありがたの気色やな。元より高き雲の上。月も光ハ明らけき。雲龍閣や阿房殿。光も充ち満ちてげにも妙なる有様乃。庭にハ金銀の砂を敷き。四方の門辺乃玉の戸を。出で入る人までも。光を飾る装ひハ。實や名に聞きし寂光の都喜見城の。楽しみもかくやと思ふばかりの気色かな」 これが天国的暮らしの表現でありますが、文を読んでも「なんのこっちゃねん」なのに、舞台で面を通して語られると100%ちんぷんかんぷんであります。


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杜子春
 あいまいな記憶ながら、駄目男はこの物語を小学校の教科書で読んだような気がします。(昭和20年代です)今にして思えば、子供が読み物で初めて接する残酷物語だったかもしれない。今でもこれが教科書に採用されているのなら、文学的価値より道徳教育の読本としての価値が高いからでせう。


 芥川龍之介の名作としてだれでも知っている短編ですが、オリジナルは同名の中国の読み物です。本書ではこれも原典と芥川作品の両方を比較しながら紹介していて違いがわかりやすい。
 この杜子春も芥川版はかなり物語を端折って書いています。アチラ版はどうもコテコテ感が強くて日本人の感性に合わない気がします。


芥川版では、杜子春はひとり者のように描かれるが、原作では妻帯者であり、妻も地獄の責め苦に遭う。また、芥川の杜子春閻魔大王に殺されたあと、最初の場面である洛陽の街に戻るが、原作では殺されたあと女の子に生まれ変わり、女ゆえにまた地獄の苦しみを味わうことになる。著者もいうように、文学的には芥川作品のほうが簡潔で洗練された作品と言えます。


この芥川版の「杜子春」をさらに脚色しなおして「ジブリ」あたりでアニメ作品にしてはいかがでせうか。親子の愛情や地獄の恐ろしさといった普遍的なテーマが軸になっているので「千と千尋」に比べて分かりやすく、海外でもうけるのではと思います。(2008年12月 中央公論新社発行)

 

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石ころが石仏に変身・・Oさんの石ころアート作品

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 友人Oさんは握り拳くらいの石を拾って犬や猫の顔の絵を書くのが趣味だったが、あるとき、石そのものが魅力的なカタチをしていることに気がつき、「お気に入り」の石ころも集めるようになった。川は自宅近所のなんということもない川で、気が向いたら自転車で上流のほうまで出かけることもある。


ある日、大小二個の石を並べるとミニチュアの「石仏」ふうに見えることに気づいた。一つならただの石ころ。二つ並べると石仏ふう。そして、木工所のゴミ捨て箱から木くずを拾って(オーナー了解済み)これを光背として接着剤でくっつけると俄然、石仏らしくなった。かの円空作品の石ころ版?みたい。それが下の写真です。


ひと目見て「石仏」と認識してしまうと、もう石仏にしか見えない、というのが面白い。しかし、Oさんはミニチュアの石仏を作りたくて石ころを拾い集めたのではない。過去に拾った石を組み合わせただけである。もしや、何百、何千個もストックがあるのかもしれない。


インテリアでもエクステリアでもない。そこらへんで拾ったモノを素材につくるから「ヒロッテリア」と称して、アート作品をつくってはいかが?。ホームセンターやクラフトショップではいろんなデザイン材料を売っているので労せずにカッコイイ作品ができるかもしれません。(注)写真の大きい方の石仏のサイズは約8センチです。Oさんから頂きました。


光背ふう背景は百均ショップで買った本立ての打ち抜き柄。撮影 dameo。

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日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?

 最近読んだ本の中では深刻度一番。虐待された子どもが親への恨み辛みを綴った手紙百人分を掲載している。書名の後半「そんな親なら捨てちゃえば?」の語は本書を企画した人の言葉(主張)である。加害者である親と義理人情で和解するより「捨てちゃえ」と言うのだから、もう「歯には歯を」の発想だ。


百通の恨みの手紙は母親あてが半分、父親あてと両親あてが残りの半分ずつという感じで、すべて「改心や関係改善」が全く期待できないほど悪質な「毒親」の行状を訴えている。被害者のなかには作文能力がなくて辛さを伝えられない人もいると思えるので、世間の実態はもっとひどいに違いない。


すさまじい恨みの手紙の一部をピックアップすると・・
Aさん「私は母さんに親孝行しました。なぜなら、殺さなかったから」
Bさん「お母さんの訃報が届く日を楽しみに待っています」
 こんな親子が実在すること、信じたくないけど「話せばわかる」というレベルを超越してしまって取り付く島が無い。このような不幸な家族が全国に何十万世帯もあるらしい。


虐待が増えたことについて役所のつくった統計や実態調査の報告は見つかるけれど、なぜ虐待事件が増えたのか、という肝心の情報が見つからない。数値化しにくいから調査もしにくいのか。なので、以下はdameo の想像で書きます。


虐待事件が増えたのは国民の道徳観念の劣化による。これ以外に説得力のある「理由」はない。いつから劣化したのか。1945年の敗戦後からです。自分を含めた戦後教育を受けた世代が駄目親(毒親)のルーツになった。人数のボリュウムでいえば「団塊世代」が毒親(どくおや)の第一世代です。(生年が1940~50年位)彼らは「戦前思想の全否定」という環境で育った。そして、今問題になってるのは彼らの第二世代と第三世代。社会通念のイロハのイも持ち合わせないバカ親(毒親)を演じている。


人を殺してはいけない。モノを盗んではいけない・・道徳の基本のキさえ伝えられなかった。道徳という単語にさえ「戦前」をイメージして嫌悪した。家庭での躾ができないなら国が道徳の基本を教える「道徳教育」という言葉が蛇蝎のごとく嫌われた。その結果、他人だけでなく、我が子を虐待し、殺して悪びれない鬼のような人間がはびこるようになった。刑法犯全体は減少傾向にあるのに虐待事件は増えている・・ということは、政治や経済とは別の問題に起因するとしか考えられない。すなわち、良心や道徳の欠如である。


第一世代の見本は全共闘や「浅間山荘事件」の犯人たち、第二世代の見本は池田小学校の児童大量殺人事件の犯人。その息子、娘世代(第三世代)が子どもを熱湯に漬けて殺すという、犬猫にも劣る人間に育っている。若い加害者の親も祖父母もロクデナシというレベルの人間である。


 彼らの多くが中野信子著「サイコパス」に該当する人間なのか、そうでないのか、自分には分からない。ただ「ワルは遺伝する」はあり得る。池田小事件の犯人の親の態度を知るとそう思ってしまう。親がロクデナシなら子もロクデナシが普通なのだ。親子で正反対の人格という例はきわめて少ないと思える。


本書を企画した今一生(こん いっしょう)氏は「自分を殺しに来るような親とは絶縁しなさい」と奨めている。のみならず、今後は親を相手に裁判を起こし、損害賠償等を求める裁判の必要性を説いている。子供に訴えられて親が刑務所入り・・こんな世間に誰がした。国民総懺悔に値する大問題だと思います。(2017年dZERO社発行)


児童虐待事案の統計例

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BS報道番組で学ぶ<ウクライナ問題>

 連日、トップニュースはウクライナ問題でありますが、私たちは大かたニュース映像情報のみで事態を理解したつもりになっている。専門家と称する人が解説をしても出番はせいぜい1~2分しかない。なので、この戦争の背景となる当事者国家の歴史や地政学なんかほとんど理解していない。残念ながら、そんなこと知りたいと思わない人がほとんどですが、BSの報道番組でかなり詳細、かつ多面的な解説をしているので興味ある人はどうぞ・・。


BSの番組は「日テレ 深層ニュース」BSーTBS「報道1930」BSフジ「プライムニュース」があり、自分の判断ではプライムニュースが一番中身が濃い。あとの二つは「詳しいニュース解説」のレベル。この違いは出演するゲストのクオリティと司会者の度量、放送時間の長さによる。


◆プライムニュースの放送内容例


2022年3月14日(月)
浅田彰×先﨑彰容対論 ウクライナ情勢と世界 プーチンの国家観とは』
 ロシア軍による軍事侵攻で緊迫の情勢が続くウクライナ。この戦争はなぜ起きたのか?戦後、そして冷戦後に構築された国際秩序は破壊され再編に向かうのか?この新たな局面に日本が国家として取るべき姿勢と立ち位置は?
 1980年代にベストセラーとなった著書『構造と力』で、「ニュー・アカデミズム」ブームのきっかけを作った批評家・浅田彰氏と気鋭の日本思想史家・先﨑彰容氏が対論。ウクライナ情勢から日本と国際社会の“現在地”を読み解き、今後の世界の潮流を見通す。

ゲスト
浅田彰京都芸術大学教授 批評家 
先﨑彰容日本大学危機管理学部教授 思想史家


2022年3月16日(水)
『ロシア停戦のカギとは プーチンの誤算と不満 専門家が読み解く結末』
 プーチン大統領は12日、仏独両国の首脳と電話で会談を行ったが、侵攻を止める意志を見せなかったという。一方、ウクライナのゼレンスキー大統領も徹底抗戦の構えを崩していない。
 そんな中、ロシアは北方領土に配備している地対空ミサイルの発射演習を行うなど、欧米と連携する日本をけん制する動きも見せている。極東でロシアによる緊張が高まる可能性もあるのか。ロシアのウクライナと日本に対する戦略について専門家に聞く。

ゲスト
兼原信克
同志社大学特別客員教授国家安全保障局次長
山添博史
防衛研究所主任研究官
小泉悠
東京大学先端科学技術研究センター専任講師


2022年3月17日(木)
『紛争解決人に聞く停戦 対立の原点と着地点は 緊迫のキエフ情勢詳報』
 放送当日は、ロシアのウクライナに侵攻からちょうど3週間。2国間で停戦協議は続いているものの、ロシア軍の攻撃は止まる事はなく、ウクライナでは民間人を含む犠牲者が日々増え続けている。
 世界が注視する一方、停戦への決め手が見出せずにいる今回の攻防戦の原点と行方について、経済学者で社会思想史が専門の的場昭弘 神奈川大学副学長は「終戦後、東欧が辿った経緯を見ておくべき」と指摘。また、NGOや国連の職員として数々の紛争解決にあたった東京外国語大の伊勢﨑賢治教授は「戦いが続くほど解決は難しくなる」と憂慮する。
 一刻も早く、両国が「停戦」を妥結するために必要な視点と策とは何か?
 伊勢﨑氏と的場氏に加え、外務副大臣当時の2019年にウクライナの国防大臣らと会談した経験をもつ宇都隆史 自民党政調会長代理を迎え、ロシアのウクライナ侵攻の背景を読み解き、その中に潜む「停戦協議」妥結への鍵と今後の道筋を探る。 

ゲスト
宇都隆史
自由民主党政務調査会長代理 元外務副大臣 参議院議員
的場昭弘
神奈川大学副学長経済学部教授
伊勢﨑賢治
東京外国語大学国際社会学部大学院総合国際学研究院教授

森岡浩「名字でわかる日本人の履歴書」を読む

 NHK「日本人のお名前」の常連ゲスト、森岡センセの著書。この本は、従来のように家系(系譜)をさかのぼる時間軸の研究ではなく、地理的分布を主にした調査の成果なので、地理好きには楽しく読めます。田中さんや佐藤さんといった名前がなぜメジャーなのか? そーゆーことだったのかと腑に落ちる。なかなか説得力のある研究成果です。


日本一多い名字は佐藤さん、二番目は鈴木さん、三番目は高橋さん・・・
 全国調査の結果はこの通り。しかし、関西人は「ちゃうやろ、それは」って思いませんか。全国の統計では上記の通りですが、関西では田中さんと山本さん、それに井上さんが断然優位。では、東京、神奈川ではどうか。鈴木さん、佐藤さん、高橋さんの順です。日本の東と西では名字の分布が大きく異なるってことを知りました。土着性が薄れ、人の移動がずいぶん盛んな現代でも、地域性が色濃く残ってることに驚きます。


では、佐藤さんがなぜこんなに多いのか。説明すると長くなるのでヤメますが(おいおい!)カギになるのは「藤」の字です。藤の字がつく最も古い名字はなんでせう。そう、藤原・・藤原鎌足さんですね。ふる~~~。
  それがどないしてん、と問われてもまた説明が長くなるので・・。要するに、東日本、とりわけ東北地方には「藤」の字を使う名字が俄然多い。佐藤さんのほか、伊藤さん、加藤さん、斎藤さん、後藤さんとか多々。


あの東北大震災のあと、新聞の片隅にまとめて掲載されてる震災で亡くなられた方の名前を見て、佐藤さんの多いことに驚いたことを思い出しました。
 では、東西の境目はどこか。北側では新潟県上越市、あの往来が命がけだったという、親不知子不知 のあるところです。南側は三重県。細かく言うと雲出川流域が境界だという。なあるほど。これって日本の東西文化の境界と似ています。


全国2位で関東の7都県ではトップの鈴木さん。実は鈴木家の総本家は和歌山市の南、熊野街道沿いの藤代神社にあります。それがなんで東日本を制覇したのか。このワケも面白いですねえ・・といって、これも長くなるから説明しない(おいおい!)。

 では、日本中まんべんにある名字はなにか。代表は池田さん、中村さんです。なるほどなあ。おおざっぱに言えば、東日本には名字の種類が少なく、西日本は多い。これは、中世~近代の人口や人口密度の多少が影響しています。人が多いと名字を増やさないと混乱するからです。納得!。


著者が長年研究しても未だに解けない謎がある。東と西では名字の字画数がえらく違うと言うのです。西に多い、田中さん、山本さん、井上さん・・ほんと、書きやすい。もしや、西の人間は面倒くさがりやが多いのか。この駄目男説はウソです。それはともかく、田んぼの田、山、井戸の井、と地形や自然の事物を取り入れた名前が多い。池田、中村も同じです。


名字が広く使われ出したのはいつごろか。平安時代後期から鎌倉時代に普及したそうです。武士の台頭が名字を広めた。名前を名乗れない武士なんてカッコワルイし。馬上、刀を振り上げて「我が輩は田吾作じゃ~」ではすぐやられそう。学校では「武士以外は名字を名乗れなかった」と教えられたような気がするけど、名字はあるけど公に名乗れなかっただけで、庶民みんなが田吾作だったのではない。坂本龍馬だって、実家は商家だったし。小林一茶も、本業は農家だったはず。


最後に、本書の78頁に掲載されてる、とてもシンプルにしてイージーな名字の付け方例を紹介しませう。本家が杉本さんというのですが、その分家は単純に本家との位置関係だけで、東さん、西さん、南さん、北さんという名になりましたとさ。石川県能美市での実例です。(2011年講談社発行)


これ、ホンマか? 本家、杉本さんと分家の位置

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短編名作を読む  武者小路実篤「お目出たき人」 志賀直哉「城の崎にて」「小僧の神様」

 古本屋の「よりどり一冊100円」のワゴンで探した本。計2冊、200円の投資にしてはずいぶんトクした感のある名作です。旧人類にとっては、今どきの芥川賞作品なんかより十倍はネウチがあります。以下、名作三編をご紹介。


武者小路実篤「お目出たき人」
 冒頭「自分は女に飢えていた」なんて文がでてきて、ムシャコウジさんにして、なんとはしたないことをとドッキリするのであります。ええしのぼんぼんが近所の女学生に片思いをし、実際は一度も口をきいたこともないのに、勝手に妻になるはず、なるべきだと思いこみ、しかし、彼女は別の男と結婚してしまい、主人公はよよと泣き崩れる・・・。そんな駄目な男を自虐的に「お目出たき人」と呼ぶのであります。


もしや、田山花袋「蒲団」のラストシーンもこんなんだったのでは(忘れた)。はたまた、強烈なる片思いといえば、ゲーテの「若きウエルテルの悩み」もひたすらラブレターを書いて書いて、結局、あかんかった~の話でした。ゲーテの恋心に比べたら、この「お目出たき人」は、今風にいえば「ストーカー」でありまして、いささか格調に欠ける。しかも作文が上手くない。なのに、今日、名作とされるのは、ヘタでも下品でも、一日25時間、彼女への妄想に明け暮れるパッションの強烈さ、執念深さが読者の心に無理やり食い込むからでせう。悲劇なのに、なんか笑うてしまいそうになります。


志賀直哉「城の崎にて」
 主人公は、電車にはねられて重症を負い、治療後の養生に城崎温泉に逗留する。ならば、温泉街の情緒が少しは描かれていいはずなのに、全く知らん顔。描かれるのは、旅館の屋根で死んでいた蜂、首に串を刺されてもがき苦しむネズミ、何気に石を投げたら当たってしまって即死するイモリ、の三匹の小動物の死の光景であります。よって、城崎温泉観光協会と致しましては、ぜんぜん面白くない話であります(笑)。一回くらいは、芸者をあげてちんとんしゃんの場面があってもええではないか。ぷんぷん。


なのに、こんな作品が「暗夜行路」についで名作とされるのはなぜか。著者は、小さな生き物の死を通して、危うく死にかけた自分の命の大事さを思い、生きていることの儚さに悄然とする。しかし、一見、つまらなさそうな内容に思えるのに、結構、印象が強いのは、上記の「お目出たき人」 に比べて、断然、文章が上手いせいでありませう。


志賀直哉著「小僧の神様
 秤屋の小僧、仙吉は貧しいゆえに番頭が話す「美味しい鮨」を腹一杯食べるのが夢だった。そのことを知った客の一人Aが可哀想に思い、ちょっとしたはかりごとを仕組んで仙吉の夢を叶えてあげる。で、めでたしめでたし・・に終わったのかといえば、そうではなかった。


最後の行を書き終えて、著者は「実はラストシーンを変更しました」と言い訳する。はじめの構想通りに書いては、主人公、仙吉が可哀想すぎる。だから、オチは書かなかったと。自分の創った物語の主人公に、自分が感情移入しすぎると、こういうことになるのか。わずか13頁に収められた、人生の悲哀。こんなに優れた作品に出会うと、読書の愉しみを知らない人には、同情の念を禁じ得ない。


巻末に阿川弘之が記してる解説文が面白い。 
 志賀と同時代人であった芥川龍之介は、師である夏目漱石に尋ねた。「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらあんな文章が書けるのでせうか」漱石はこう答えた「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからあんな風に書けるのだろう。俺もああいうのは書けない」
 名声では志賀を上回った二人にしてギブアップ、一目置かざるを得なかった志賀直哉の文章。でも、読者すべてが「上手い」と感じるかどうか、ちょっと疑問に思うのであります。

 

石原慎太郎 絶筆「死への道程」を読む

 本文を記したのは令和三年十月十九日。その約三ヶ月後に亡くなった。 著述の半年前、千葉の重粒子センターで膵臓癌細胞を焼き尽くしたはずだったが再発していた。そこで担当医師に自分の余命はどれくらいか尋ねたところ「まあ、三ヶ月くらいでしょうかね」とあっさり宣告された。


石原氏の文学人生の主題であった「死」が一気に身近に迫ったと自覚させられた。医師にすれば、年中、何十回も同じ質問を患者から発せられるから「余命何ヶ月」の宣告は日常であるが、患者にすれば二度と聞くことが無い「死の宣告」である。覚悟はしていてもショックは大きい。まして、石原氏の場合、半年前の治療でがん細胞を焼き尽くしたハズという認識だったから余計に衝撃が大きかった。医師の宣告に「私の神経は引き裂かれた」と正直に述べている。


されど、今さら狼狽してどうする。フツーの人は、すでに心づもりはしていた、家族のことや、仕事のことや、遺産相続のことなんかに改めて思いを馳せる。しかし、文学者、石原慎太郎がそんな俗事に惑わされるなんてカッコ悪い。
 そこで、ヘミングウエイやジャンケレヴィッチの著作を持ち出して「死の哲学」を一言ずつ語る。そして、原稿用紙6枚ほどの文章の最後にアンドレ・マルローの言葉を引用して「死、そんなものなどありはしない。ただ、この俺だけが死んで行くのだ」と書いて終わる。


ブンガク人とフツー人の違い、歴然であります。もし、フツー人がこんな絶筆を書いたら「ぐぬぬ、なんというエエカッコしい、キザ野郎!」とボロクソにこき下ろされるでせう。絶筆も、読むは易し、書くは難し、であります。(月刊文藝春秋2022・4月号)


月刊「文藝春秋」4月号

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岡野雄一「ペコロスの母に会いに行く」を読む  

 著者の認知症の母親をネタにした「介護マンガ」。長崎で自費出版した500冊がスタートで、後に西日本新聞社の目にとまり、地域でベストセラーになった。さらに映画化も決定、有名人になりました。


介護マンガと書いたけど、母親は施設入居者なので、家族がつきっきりで介護という状況ではなく、これが大いに救いになっている。本人も家族も自宅引きこもり状態の介護なら、こんなに笑いのとれるシチュエーションは生まれない。でも、少しでもぼけた親の介護に携わった人なら、そやそやと共感するところ多々、親子関係の切なさにジンとくると思います。


会話がすべて長崎弁というのがいい。童女のような母、みつえさんが標準語をしゃべったら興ざめも甚だしい。地元でたくさん売れたのも、長崎弁だから感情移入しやすく、共感度アップにつながったと思う。

 描かれるのがほとんど室内の場面になるのは仕方ないけど、わずかに出て来る長崎の街の情景も郷愁感十分、長崎は造船の街だから港に大きなクレーンが林立していて、これを紙細工の折り鶴に見立てる市民の洒落たセンスがグッド、とほめようとしたら、クレーン(crane)って鶴のことだった。ガハハのハ。(著者もこれをはじめて知って、目からウロコだったと書いている)


軽重の差はあれど、岡野さんと同じような介護状況にある家庭、全国でン百万所帯ありそうで、とうてい他人事とはいえない。両親はとっくの昔に見送りましたという人も、自分が介護される側になる確率が高いから無関心でおれるはずがない。さりとて元気な現在、予習する気にもならないのがホンネでありませう。でも、機会あれば施設へ出向き、介護される側の暮らしぶりがいかなるものか、見学しておいたほうが良いと思います。「ボケてしもたら、どこでも同じやん」は御法度です。


同じような介護問題を抱えてる人はゴマンといるのに、岡野さんはこのような素敵なマンガ作品で世間の共感を呼ぶことができ、印税や講演で収入も増え・・と、恵まれた老後になりました。一方に、苦労の山を築き、なんの報いもなく、せいぜい自己満足で終わってしまう介護人生も普通にあります。素質と運の問題と言ってしまえばそれまでですが、発想→表現力に恵まれた人ってトクやなあと、つくづく思います。(2012年7月 西日本新聞社発行)(注)ペコロスは小ぶりの玉ネギのこと。著者の自虐的命名

 

造船所のクレーンを「折り鶴」に見立てた。

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二丁目人生

今週のお題「引っ越し」

 引っ越し経験は3回です。すべて大阪市内で、まず、生まれたのが天王寺区大道2丁目。最初の引っ越し先が阿倍野区播磨町2丁目。2回目が港区築港2丁目、3回目が住吉区苅田2丁目。偶然で「生涯2丁目暮らし」になりました。 

 まもなく引っ越す予定の「あの世」では、極楽2丁目なのか、地獄2丁目なのか・・エンマ市長に「せっかくなので、極楽2丁目で暮らしたい」とお願いしようと思ってます。