●JRの売り上げアップ策「老春81きっぷ」を提案

 旅行が趣味という人は多いけど、自分でプランをつくり、乗物や宿の手配もする人は半分くらいでしょうか。安くて便利、だけの陳腐なパックツアーに満足しない人もたくさんおられるはずです。コロナ禍で交通、宿泊など観光ビジネスの売上げがガタ減りになったいま、なにか名案はないだろうか。


・・で、思いついたのが表題の「老春81きっぷ」です。なんや、青春と18をひっくり返しただけかい。はい、その通りのさぶ~いダジャレでありますが、新きっぷはシニアを旅にさそい、金を使わせるために思いついたアイデアです。
諸君!「書を捨てよ、旅に出よう」


<老春81きっぷ>の概要
  70歳以上の人を対象に身分証明書提示で購入できるきっぷを新発売する。
1・「81きっぷ」の値段は「18きっぷ」の約2倍、2万5000円。

  使用できるのは「18きっぷ」と同じ5日間。
2・「81きっぷ」は普通列車のほかに、新幹線、在来線の特急も使える。
  特急券の値段は5割引き。
3・使用期間を増やし、年末年始、GW、お盆以外は利用可能とする。
4・きっぷの有効期限は購入後1年。未使用きっぷの払い戻しはしない。
5・利用時はマイナンバーカードを携帯すること。(事故時の対応のため)
6・新きっぷの名称は公募する。

ま、1時間ほど考えた末のプランです。70歳定年が普通になることを見越した提案。このきっぷを使って父さんはおおっぴらに家出できてハネを伸ばし、母さんは自由時間たっぷりできてハネを伸ばし・・観光関連業者は潤い、マイナンバーカードの普及促進にも寄与する「81きっぷ」です。


これが実現したら、いまの「ジパング倶楽部」は魅力を失って廃止されるはずです。昭和時代の産物ですから、もうそろそろ更新してもよいでせう。コロナのせいでインバウンドの急速な回復が見込めない現在、まずは財布にゆとりのあるシニアをターゲットにして売り上げアップを図る。旅行者の人数が増えることで存廃が問われてるローカル線の利用者が増えるかも知れません。


鉄道ファンはお気づきでしょうが、在来線の減便が続いて「安い費用で長距離を移動できる18きっぷ」の魅力は薄れてしまいました。体力の無いロージンには楽しさよりしんどさが負担になります。JRの石頭幹部の方々、ぜひ「老春きっぷ」を実現して下さいませ。


(注)この「81きっぷ」が実現すると、通常価格より3割~5割安くなります。現在でもJR各社は閑散期に特定エリアに限って通常より3割くらい安い「乗り放題」チケットを発売しています。むろん、これは年令制限ナシです。

 

 

 

<2015年> 長崎ぶらぶら 2泊3日の旅 ~その4・完~

「出島」はまだ復元工事中
 明治維新まで日本の公式玄関口だった長崎の港の一画に、外国人専用のビジネスゾーンをこしらえたのが「出島」と呼ばれる一画。名前のように、海に突き出した島のような土地、と思ったら大間違い。昔は文字通り「島」でしたが、都市の発展とともに周辺はすっかり埋め立てられて、現在はビル街の一画になっています。

 それでも、歴史遺産の保存、復元を目指して延々と工事中で、計画では2016年度に昔の建物がほぼ復元されるとのこと。すでに完成した建物は有料で公開され、文化財の展示も楽しめます。


出島の風景と室内展示
出島



出島 


出島 


出島 


出島 


長崎歴史文化博物館
 美術館もそうだけど、地方都市のミュージアムという先入観で訪ねるとガツンと一発くらいます。ここも、規模や中身のグレードでは第一級の施設。いったい、なんぼかかりましてん?と尋ねたくなる立派な博物館です。頂いた資料によると、敷地14,400㎡、延べ床面積13,300㎡。設計は黒川紀章設計事務所、事業費80億円とあります。敷地は、昔の長崎奉行所の跡地を使い、立派な奉行所の建物も丁寧に復元してあります。


博物館正面
文化 

長崎奉行の玄関を復元
文化 


歴史展示の一部
文化博物館 


ジオラマで示す、出島での交流風景。床はタタミだが、オランダ人は靴を履いている。
文化 


復元された奉行所内部 廊下は一間半の巾がある。
文化 


館内のレストランでちゃんぽんを食べようと思ったが、メニューになかったので「トルコライス」を注文。こんなものが何で長崎名物なのか、ワカラン。
文化 


原爆資料館平和公園
 文化博物館で時間を食ってしまい、こちらは駆け足見学になってしまいました。平日のせいか、見学客の半分くらいは外国人。展示室は広島の原爆資料館ほど暗くなく、深刻なイメージはあまりない。資料の質量の違いもあって、見学者に与えるインパクトでは広島のほうが上です。


資料館の展示
原爆資料館 


原爆



原爆

 

原爆投下2ヶ月後の爆心地風景。すでに貨物列車が走っている。
原爆 


上の写真の現在の風景。遠方の山のサイズを見ながら、ほぼ同じアングルで撮影。
原爆 


爆心地を示すタワー。
原爆 


爆心地から300mほどのところに平和公園がある。
原爆


「さるく」と路面電車で観光を堪能できる 
 何年か前「長崎さるく博」というイベントがあって、ウオーキング主体の観光が盛んになるきっかけになりました。路面電車ウオーキングだけで、市内名所の大半を訪ねることができ、名所の中身も濃い。九州7県では一番個性豊かで魅力的な観光都市と言えるのではないでせうか。


思案橋界隈は、大阪の新世界と同じくらいのコテコテ風景。
思案橋



法善寺横丁より狭い路地がある。
思案橋 


足弱老人には住みにくい街?
 時間があれば、映画「ペコロスの母」に出て来る、山手の坂道だらけの住宅街を歩いてみたかったのですが、叶いませんでした。しかし、下から眺めても、坂だらけ、階段だらけの街の暮らしのしんどさが想像できます。この町で「バリアフリー」なんて言葉を使うのはイヤミでしかないのでは、と思ったものです。


ちょっと戸惑ったのは、路面電車に乗るときの道路横断です。車の通行量が多いのに、電車の停留所の前後に信号のないところがたくさんあります。車の通り過ぎるのを待っていたら渡れないので、皆さん、手もあげずに、阿吽の呼吸で?ささっと渡りますが、ヨソモンの駄目男はうまくタイミングがつかめずにモタモタしました。停留所に電車が着いているときは焦ります。しかし、停留所ごとに全部横断信号をつけると車の渋滞は必至なので対処はなかなか難しい。


バーのマスター、三浦雄一郎さんの話によると、昔は、お金持ちは丘の上に住み、庶民は下町に住んだ。丘の上の邸宅がステータスだった。しかし、次第に逆転が起き、現在は庶民が土地代の安い山手に住み、金持ちは平地に住むと。山手に住んで、マイカー通勤で駅前とか交通便利なところで駐車場を借りると、月3万円も要る。大阪の市街地よりずっと高い。なので、平地の住宅、マンション需要が増え、当然、価格が上がる。山手は売れないで下がる、ということらしい。陽当たり、眺望は抜群なれど・・山手暮らしも結構、厳しいようです。


長崎駅前のビル街のすぐ後ろも坂道住宅街
坂だらけ 


文化博物館の裏手もこんな感じの町並み
坂だらけ 


長崎駅前から路面電車に乗るときは、こんな長い階段を上下しなければならない。
坂だらけ 

長崎駅を午後4時前に出発。9時過ぎに帰宅。三日間とも晴天に恵まれ、楽しい「長崎さるく」が出来ました。北と南、ミュージアム巡りの旅、これで終了です。(完) (さるく=当地の方言で、ぶらぶら歩くこと)

<2015年> 長崎ぶらぶら 2泊3日の旅 ~その3~


島原城下町観光

 前回はネガティヴな災害情報ばかり書きましたが、あくまで個人的関心によるものです。好天に恵まれて、午後はしっかりウオーキング島原城の周辺を巡りました。ローカルな藩のお城にしては、規模もつくりも立派なもので、財政的には恵まれていたのかもしれません。観光面では、すぐ近くに雲仙があるため、泊まり客は少ないみたい。ほとんどの客はマイカーか観光バス利用だから、お城だけ見物してリターンしてしまいます。島原鉄道利用の観光客は、平日なら一日に100~200人くらいではないかと思います。観光路線と言うより、住民の通勤、通学用の鉄道でせう。


島原城は、お堀の底に遊歩道があり、豊富な湧水が流れています。
観光 


観光


お堀端にある小さな酒蔵「森岳酒造」
観光


その古びた倉庫におひな様が飾ってありました。
観光



武家屋敷の町並み。濠の外側にある下級武士の住宅街で、各戸、敷地90坪、建坪25坪が標準だったそう。屋根はわら葺きです。道路のまん中に湧水を引いた水路があり、炊事にも使われたそうです。
観光 


観光



観光 


島原鉄道の終点はフェリーの港が近い「島原外港駅」が終点。火砕流の災害が響いて、ここより先は廃線になり、線路は草に埋もれています。
観光



島原駅だけはびっくりするような立派な駅舎。しかし、駅前にはコンビニもない、閑散とした町並みしかありません。
観光



全体にオンボロ路線ですが、車両はディーゼルカーで割合新しい。社内はクロスシートで、トイレもついています。
観光



一時間かけて諫早駅へ戻ります。長閑な農村や海べりをのんびり走ります。半分くらいの駅は乗降客ゼロ。この海辺の駅はプラットホームと駅名看板しかない閑散駅。でも、風景は最高です。
島原観光


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山名の酒を呑んだら、マスターが「三浦雄一郎」さんだった

 今夜はどこへ行くか・・ネットで「長崎 バー」で検索すると、ぞろぞろ出て来たので、すぐに見つかるわと、市電で思案橋まで乗って探したのですが、ショットバーは意外に見当たらない。(エリアを間違えていました)20分ほどウロウロしてようやく「Lapin」という店を探しました。もうホテルへの帰り道がわからないけど、ま、ええか。


バーテンダーの所作、振る舞いを見て安心し、ホットワインダイキリのロングドリンクバージョンなんか飲んで、ふと棚を見ると「Ben Nevis」のラベルが目につきました。昔、大阪・梅田に「三角点」という店があって、そこの看板ウイスキーがこれでした。ベンネヴィスとはイングランドで一番高い山の名前、三角点という店名にふさわしいブランドでした。しかし、知名度が低くて、これを置いてる店は10軒に1軒もない。


そんなブランドを長崎の店で見つけるとは・・。早速、これも飲んで世間話をしていると、マスターが遠慮がちに名刺を差し出して、名前を見ると「三浦雄一郎」さんではありませんか。だから、ベンネヴィスを置いてるのか?と訊きましたが、半分くらいは「置いてる理由」でした。むろん、偶然の同姓同名です。

楽しく過ごして帰ろうとすると「お客さま、もう電車がありませんけど」え、まだ11時過ぎやのに、と言ったけど、ないものはない。昼間は5分おきに走ってる電車なのに終電が11時とは・・。
 「タクシーに乗るほどでもないから、近道歩いてホテルのそばまで送ります」といって若いほうのバーテンダーが付き添ってホテルの見えるところまで送ってくれました。感謝!


バーラパン



 バーラパン  

三浦雄一郎さんの名刺
バー

 

 

<2015年> 長崎ぶらぶら 2泊3日の旅 ~その2~

3月11日(水)島原へ 
 昨日より寒さがゆるんで快適なウオーキング日和です。今日は島原へ行きます。JRで諫早駅まで行って島原鉄道に乗り換えますが、一駅ぶん歩いて、途中の公園で伊藤静雄の詩碑と石造りの眼鏡橋を見て本諫早駅から乗車します。


運賃表見てプギャー!!。島原まで39キロで1280円!ホンマか・・・?と、何度も見直しました。阪神電車なら、梅田~元町32キロで320円、3倍以上です。でも、1時間に一本、一両で運転してガラ空きという有り様ではこの運賃でも、トントンか赤字でせう。むろん、ワンマン運転で、途中駅は無人、半分くらいは駅舎もないというビンボー鉄道です。


保存された火砕流被災現場を見る
 島原駅で降りてバスに乗り換え、数キロ南の「道の駅 ふかえ」で下車。ここには、1991年6月に発生した雲仙普賢岳平成新山)大火砕流と土石流で埋没した民家が10棟くらい保存されています。役所の指示で避難していた住民にはほとんど人命被害がありませんでしたが、定点と呼ばれた、山に近い観測地にいた報道関係者や学者、消防団員など44名が火砕流に呑まれて亡くなりました。


島原に大きな災害をもたらした二つの山。
左が平成新山(1483m) 右が眉山(約700m=次回に掲載)
島原火砕流保存 


平成新山の山頂 少し水蒸気?を上げている。
島原保存 


火砕流で埋まった民家
島原保存 


海岸に近い集落だったので、火砕流の温度は下がり、流れもゆっくりで、家屋はバラバラにならなかった。
島原保存 


大型テントの下で保存されてる民家。
島原保存 

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1991年6月に起きた大火砕流の画像(ネットから引用)
もう記憶は薄れつつありますが、公開画像を集めて、当時の恐ろしい光景を再現します。


噴火が続いて溶岩が貯まっていく
火砕流 


百度の高温を保ち、時速100キロで山麓に向かう火砕流。(空撮)火砕流 


必死で逃げる人、消防車。
火砕流 


山麓の大野木場小学校わきを流れる火砕流。もう数十メートル手前にずれていたら、大惨事になっていた。
火砕流 


火砕流の高熱で焼けただれた教室。板張りの床が無くなっている。
火砕流
 

島原の街の中心部は直撃を免れたが灰まみれに。
火砕流  


堆積した土砂は、大雨で土石流となって再び襲う。
火砕流


(いずれも1991年6月に撮影された画像です) ~つづく~

<2015年> 長崎ぶらぶら 2泊3日の旅 ~その1~

 今年は山陽新幹線が開業して40周年。これを記念して、JR西は特定の期間、区間に限り、開業当時の運賃で記念乗車券を発売しました。ほぼ6割引きの値段で、ジパング割引きの3割引きより大幅に安い。
 で、貧乏性がムクムク起きて、長崎までの往復きっぷを買いました。新大阪~博多~長崎、通常価格18610円が7710円。往復では37220円が15420円。差額21800円でホテル二泊分とメシ代が浮きます。(40年間に運賃は2,4倍になっていました)


◆3月10日(火)***********************
 新大阪から「のぞみ」と「かもめ」を乗り継いで午後2時前に長崎駅着。今回もミュージアム巡りがメインなので、まず、長崎県美術館へ。観光地図を見ながら徒歩20分くらいで着きました。海縁の公園に建つおしゃれな美術館で、設計は隈研吾建築都市設計事務所と日本設計の共同設計。隈研吾氏は、銀座の歌舞伎座を設計した売れっ子建築家です。(国立競技場の設計も担当)


企画展はパスして、小企画展「トミタリア」を拝見。プロダクトデザイナー富田一彦の作品展です。主にイタリアで活動していますが、手がけるデザインのジャンルが無茶広くて感心します。食器から家具、工芸品、テキスタイルまで物凄い点数です。撮影禁止なので、写真で紹介できないのが残念。カフェで、コーヒーカップに富田氏デザインのものを使っているのが、せめてものサービスです。


次に、やはり海岸通りにある「旧香港上海銀行長崎支店記念館」へ。国の重要文化財で、一階の銀行オフイスは標準的な設計ですが、二階の小部屋で展示されてる「モールス信号機」や海底ケーブルの精緻な作りに当時のハイテクの粋を見ることができます。


寒風のなか、海岸通りから坂道を上がると急に観光客が増えて、まもなく大浦天主堂に着きます。こことグラバー邸は長崎観光の定番。回遊コースは坂道、階段だらけで年寄りにはいささかきつい。なので、要所にエスカレータと動く歩道が設けてあります。大いに助かりますが、やりすぎや、と文句言う人もいるでせう。日頃、運動不足なので、今日は乗物に乗らず、徒歩だけで行動、日暮れに繁華街にあるビジネスホテルに着きました。


博多~長崎間を2時間で結ぶ「かもめ」 新幹線開業予定は2022年だそう。
長崎10日

 

大阪・天保山の「サンタマリア」と同じような港内遊覧船があります。
長崎10日 


長崎県美術館。近年のローカル美術館の充実ぶりに驚きます。
長崎10日 


唯一、撮影がユルされてる富田作品。
長崎10日 


館内のカフェで、トミタデザインの食器が使われていた。コーヒーカップには取っ手がない。
長崎10日



美術館の屋上庭園からの眺め
長崎10日

 

旧香港上海銀行長崎支店 威風堂々の外観
長崎10日 


一階のフロア
長崎10日 



モールス信号を送信するためのモーター
長崎10日 


大浦天主堂へ向かう坂道 土産物店が並ぶ
長崎10日 


大浦天主堂 拝観は有料で内部は撮影禁止
長崎10日 


天主堂からグラバー邸への裏道。絵になるシーンです。
長崎10日 


グラバー庭園のエスカレータ。工事にはずいぶん苦労したと思われます。
長崎10日

 

グラバー庭園内のショット
長崎10日 


長崎10日 


長崎10日 


ボロボロになっている旧英国領事館の建物。ようやく修復工事がはじまった。
長崎10日


鯨料理で一献
 さて、晩メシはどこで・・と、地図を手に飲み屋街へ。一人旅の楽しみはコレですね。ホテルの裏が中華街ですが、ここはパスして観光通りの方へ行き、「五人百姓」という、ほどほどにくたびれた感じの居酒屋に入ります。メニューを見ると鯨があるので早速、注文。写真の盛り合わせと、別に「皮くじら(コロ)」を煮物にしてもらい、地酒、諫早の「杵の川」、焼酎「五島麦」(五島列島)で賞味しました。鯨のメニューだけで2500円くらい、というのはいささか高いけど、しゃーないか。ベーコンなんて、子供時分は飽きるほど食べさせられたのに、今じゃ貴重品です。もしや、人生最後の鯨ベーコンになるやも知れませぬ。

長崎10日


鯨の盛り合わせ。赤身、さえずり、ベーコンなど。
長崎10日


諫早の酒「杵の川」(きのかわ)
長崎10日 
              つづく・・・

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2013年 北と南  ミュージアム巡りの旅 (12)

桜島観光と仙巌園・尚古集成館 見物

  6月9日、最終日はお上りさん観光です。昨夜の雨は上がって、暑くも寒くもない行楽日和り。午前中は桜島観光で、フェリーで渡り、アイランドビューという小型バスで、約1時間の展望台巡りをします。山頂にかかった雲がとれず、間近で山の全貌を眺めることはできませんでしたが、なかなか快適なドライブでした。

 桜島は噴火という大災害の発生源であり、しかし、観光の目玉でもある、なんだか付き合いの難しい山で、地元としては、ひたすらおとなしくしてほしいとお祈りするしかありません。町のあちこちで見かける「克灰袋」は、平穏に慣れすぎたらアカンで、という警告の意味もあるのでせう。
 

利用した「アービックホテル」にはトレインビューという、鉄ちゃん愛用の部屋があり、ここしか空いてなかったので使いました。フロントで駅発着の時刻表をくれます。今回の旅で一番高価な6000円。しかし、ランドリーが無料なので、実質5700円という価格になります。
鹿児島9日 

フェリーで桜島へ。わずか15分ほどで着きます。
9日 

小型のバスで見晴らしのよいコースを巡ります。
9日 

フェリー乗り場近くの公園には足湯がある。源泉に近いところは熱くて入れない。向こうの建物は国民宿舎
9日 

2004年、長渕剛が溶岩台地の特設広場で7万5千人を集めてコンサートを開催。これを記念して「叫び」と題する石像がつくられた。
9日


湯ノ平展望所で15分休憩します。
9日 

山頂に雲がまとわりついて、見慣れた桜島とは思えないシルエットに
9日 

昭和61年の大爆発を報じる新聞(山麓の資料館にて)
9日 


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仙巌園・尚古集成館 見物
 これも鹿児島観光の目玉、歴代藩主、島津家の別邸で、海に面して広い庭園があり、京都の庭のように侘びだのさびだの言わない開放的なつくりです。なんせ、桜島を庭の築山に、錦江湾を池泉に見立ててという豪快な設計だから、コマイこと言うなよ、って感じですね。燈籠のサイズもバカでかくて、笠石の大きさは畳8畳ぶん、日本一らしいです。


これで庭の前が白砂青松の浜辺だったらどんなにすばらしい景観でありませうか。残念ながら、国道とJRの線路が邪魔をしています。島津の殿様がこれを見たら、頭かきむしって嘆くでありませう。
 
 尚古集成館は大いに期待したのですが、展示物が少なくて少々期待はずれでした。イギリスの産業革命時代の機械があり、ちょんまげの時代にこんな機械を使っていたなんて信じられない思いです。
 明治維新において、江戸から見たらド田舎である薩摩藩が常にエラソーな態度でおれたのは、この先進性ゆえです。ヤミ貿易で稼いだたっぷりの資金と最新型の武器をそろえて徳川幕府何するものぞ、と上から目線で世情をみていた。


これで予定のスケジュールを全部こなして、鹿児島発16時43分発の「さくら」に乗車、21時30分、無事、自宅へ戻りました。


仙巌園庭園
9日 

人気スポットなので団体客が続々来園します。
9日 

こんな大砲で英国艦隊と撃ち合った。結果は「ボロ負け」「五分五分」「善戦」いろいろな説がありますが、アチラの大砲の性能の良さを認めて仲直り、英国から武器を買うことになります。

9日 

大きさ日本一の石灯籠。畳8畳の大石をどうして持ち上げ、乗せることができたのか。
9日 

「猫神」という小さい祠があります。「犬神」って聞いたことあるけど、猫ははじめてです。
 9日

9日 

尚古集成館 西洋式の「工場」をつくって一挙に近代化をめざした。
9日 

***************(完)**************

2013年の「ミュージアム巡りの旅」は無事終了。2年後、長崎のミュージアム巡りの旅を加えました。後日、掲載する予定です。

北と南  ミュージアム巡りの旅 (11)

 

熊本県立美術館
 熊本城内の二の丸、静かな森のなかにあり、昨日訪れた福岡市美術館と同じく、前川國雄の設計。高さを樹木より高くせず、森に埋もれたようなたたずまいです。ここでも常設展のみ拝見。

ランチはテラスでコーヒーとサンドイッチを
熊本美術館 


 細川コレクションの部屋に入って最初に目に入ったのが、横山大観の「焚き火」。おおーーっ、目が点になりました。まさか、ここで出会えるとは。疲れがいっぺんに吹き飛びました。

 

 今まで作品の感想などかいもく書きませんでしたが、ここではウンチクを少々。題名は「焚き火」とあるけど、これは「寒山拾得図」の横山バージョンです。寒山拾得とは人名で、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)という男の名前。実在したのかしないのかはっきりしない、おそらくは伝説の人物で、世俗を避けて山の中に住み、食うや食わず、衣類はボロボロという、ホームレスふうの人物でありながら、実は高僧だった、思想家だった、いや、仏の化身だといろいろ解釈されています。


この、外見は乞食同然である・・しかし、実は偉大な人物かもしれないという、なんか、ようわからん人物像が絵描きたちの想像力を大いに刺激しました。ワシならこんな人物に描いてみせると、いろんな寒山拾得像が生まれました。「焚き火」は横山大観が「ワシならこう描く」と想像した寒山拾得の姿です。駄目男のお気に入りは、右側、拾得のなんともいえない笑みの表情です。陰影をつけない日本画で、よくぞこんなに微妙な表情が描けたもんだと感心し、惚れてしまったのです。(何十年も昔のことです)また、これが最もエレガントな寒山拾得像ではないか、と思っています。


興味深いのは、かの伊藤若冲も曽我蕭白も自己流の寒山拾得像を描いていることです。当然ながら、個性強烈、ここまでやるか、と感心する、自由な発想です。彼らが寒山拾得をどれほど理解していたのか分かりませんが、若冲の、二人を童子の姿にした絵は、もう四次元的に飛躍したというしかない。なんか、一瞬のひらめきでパパッと筆を走らせた、そんな感じさえします。(同じ作者の別の寒山拾得図もあります)


曾我蕭白の絵は、昔、京都国立博物館で見て強烈な印象を受けました。横山大観のエレガントな描き方に比べたら、同じ人物とは思えないボロボロぶりです。こんなふうに描いてなお尊敬や畏怖の気持ちを込めているのか、それとも逆に皮肉や貶める意図で描いてるのか、よく分からない。かくいう自分も寒山拾得の何たるかは不勉強で、たんなる印象に過ぎないのですが。しかし、このテーマは本当に面白い。これだけを集めた「寒山拾得大集合展」という企画展を催してほしいくらいです。

(注)横山大観も、同じ「焚き火」というタイトルで別の寒山拾得図を描いてることがわかりました。豊田市美術館所蔵の「焚き火」です。発想が自由にできるぶん、これでキマリ、という自信作も描きにくいのかも知れません。


横山大観の「焚き火」 左が寒山、右が拾得。寒山拾得をどのように表現するのかは全く自由ですが、唯一のキマリとして寒山は「巻物」拾得は「箒」をもつことが条件になってるみたいです。
熊本美術館 


曾我蕭白が描いた寒山
熊本美術館 


同じく拾得
熊本美術館


伊藤若冲が描いた寒山拾得
熊本美術館


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鹿児島市立美術館
 熊本から1時間くらいで鹿児島中央駅着。小樽から延々2700キロの列島縦断旅、8本の特急列車を乗り継いで、ここで終了です。改札の係員に「このキップ、記念に残したいのですが」というと、検印して返してくれました。これが一番のお土産になりました。


市電に乗って城山公園の近くまで行き、市立美術館を訪ねます。もう築40年くらい経つのですが、石貼りの堂々たる構えの建物です。
 どこの美術館でも、常設展が混雑するってことはあり得ないので、一人で借り切りみたいな贅沢な鑑賞ができます。海老原喜之助、和田英作シスレー、ルオー、ピカソマリー・ローランサンカンディンスキーなど、地方の美術館にしてはよく集めたなあと思いながら鑑賞しました。


鹿児島市立美術館

鹿児島8日 

エントランスホール
鹿児島8日 

パブロ・ピカソ「女の顔」1943年

鹿児島 

マリー・ローランサンマンドリンのレッスン」1923年
鹿児島 


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安くて美味しい「かごっま屋台村」
 ホテルで洗濯と風呂を済ませて、どっか安い酒場ないかしらんとフロントに行くと「かごっま屋台村」のパンフがあり、徒歩10分くらいで行けそうなので、ここに決まりです。雨が降り出したので近場がいい。全10日の行程中、傘をさしたのは、この酒場往復の30分ほどで済み、とてもラッキーでした。

 

 雨降りだからがら空きのはずと想像して行ってみれば、なんと大繁盛でどの店も満員御礼状態。ようやく丸イス一つが空いてる店を見つけ、スミマセンネ、皆さん、な感じで割り込ませてもらいました。こんなに窮屈な酒場って近頃経験したことがない。でも、新しいのに「場末感」ふんぷんというのが好ましい。ふと「こんな狭い、ぐちゃぐちゃの配置、消防法でアウトちゃうか」の疑問が湧きましたが、ビール飲むとすぐ忘れた。

 ぎゅうぎゅう詰めなので、お皿一枚置くにも隣客にスミマセンネ。だから、自然に会話がはじまります。青森の酒場でもそうだったけど、メニュー見てもなんの料理か分からないのがあります。隣のおっちゃんに尋ねて、注文して、すごく美味しかったのが「首折れ鯖の刺身」でした。屋久島の沖合で一本釣りしたゴマサバを血抜き(活け締め)したものです。トロふうの食感で、ナマの鯖ってこんな味だったのかとカルチャーショックを受けました。日頃、食べ慣れている「しめ鯖」や「塩鯖」からは想像できない味と食感です。


この「かごっま屋台村」は珍しくNPO法人の運営で、開業に際してはいろいろアイデアを盛り込んで「共存共栄」を意図したという。たとえば焼酎のお湯割りは全店一律200円にして過当競争をふせぐとか。鹿児島へ旅する方おられたら、晩メシはぜひ「かごっま屋台村」へ。ラーメンやおでんの店もあります。(6月8日)



この場末感が気に入りました。ショボショボ降る雨も雰囲気を高めます。
鹿児島8日 

人生最初で最後かもしれない「首折れ鯖の刺身」を賞味
鹿児島 

豚足
鹿児島 

にぎり寿司 左・きびなご 右・とびっこ(トビウオの卵をイクラふうに味付け)

焼酎は姶良の白銀酒造のナントカをロックで。
鹿児島


●北と南  ミュージアム巡りの旅 (10)

(注)熊本地震前のレポートです。

熊本城訪問 

 熊本城が大阪城や姫路城よりたくさんの観光客を集めているなんて知りませんでした。2008年には年間220万人を集めて日本一になった。(大阪城の1,5倍以上)なんでそんなに?と思いますが、理由は「本丸御殿」の復元が人気を博したからです。この御殿の集客力には国宝姫路城もお手上げ、大阪城も白旗あげるしかない。
 


熊本城の城郭(敷地)はとても広くて98万㎡あり、大阪城公園とさほど変わらない。設計は加藤清正、この人はかなり凝り性だったみたいで、特に石垣の設計にはあれこれアイデアを盛り込んだ。在任中はここを攻められることがなく、西南の役ではじめて戦場になったが、石垣はほぼ無傷で残ったという。ただし、天守閣は火災で焼失し、現在のは大阪城と同じ鉄筋コンクリート製です。
 昔の姿を残す「宇土櫓」と天守閣を見学すると、ビル10階ぶんくらいの階段上下を強いられ、年寄りにはいささかコタエますです。



ゼーゼーハーハーの息を整えて本丸御殿を拝見します。御殿は殿様の接見や接待、会議に使う部屋で、接待用の厨房もあるから、江戸時代のスーパーLDKですか。木造平屋建て、約3000㎡の建築に5年の歳月と54億円の工事費をつぎ込んだ。坪単価にしたらなんぼやねん・・貧乏人はこれでネウチを計るのであります。


これを「客寄せパンダ的ハコモノ」と批判することもできますが、古典技術の継承という面からは有意義です。実際、工事中は熟練職人から若者への技術習得がなされた。これがないと、20~30年後の修理が出来なくなる。


見る位置によっては天守閣が三つあるように見えるのが面白い

城 

宇土櫓」は昔の姿を残していて、かつては国宝だったが、見学用の階段をつけるとか、いろいろ手を加えすぎて重要文化財に格下げされた・・とは、ガイドさんの説明。
熊本城 

宇土櫓の内部(つなぎ廊下)
城 

本丸御殿下の通路 お城に地下道があるのは珍しい。
城 

天守閣からの眺め 芝生の向こうの森の中に美術館がある
城 

本丸御殿のふすま絵
城 

ふすま絵や天井画は時代考証のうえ、京都の美術工房に製作を依頼した。
城 

このアイデア「武将もてなし隊」 大阪でもマネしたらいかが? 記念撮影にひっぱりだこです。夏はタマランけど。
城 

抹茶で一服
城 

2013年・<北と南>ミュージアム巡りの旅(9)

中休みのある旅
 北のミュージアム巡りの旅を終えて帰宅、南の旅へ出かけるまで5日間休んで6月7日に南のミュージアム巡り、2泊3日の旅に出かけました。小樽発~鹿児島行き、2700キロの長距離乗車券は有効期間が15日もあるので、こんな「ゆとりプラン」が作れます。

 

太宰府天満宮・九州国立博物館・福岡市美術館

 6月7日。 キタの旅では毎日気ぜわしいスケジュールだったのを反省して、少しでも時間に余裕をもたそうと、今日は新大阪駅午前7時15分発の新幹線に乗ります。こんな早起きなんて、年に一回もありません。
 10時前に博多着。地下鉄と西鉄を乗り継いで、まずは太宰府天満宮へ。太宰府駅前の参詣道は団体客と修学旅行生で大賑わいです。でも、よく見ると、大人の観光客の半分くらいは外国人(中国、台湾、韓国)で道頓堀より外国人の比率が高い感じ。おそらくここが外国人向けの超定番コースになってるからでせう。


型どおりに参拝して九州国立博物館へ。天満宮の境内から専用の道があって、天満宮参拝とワンセットで訪問出来ます。国内で四つ目のこの博物館は建物が斬新なのは当然ですが、雰囲気が奈良や京都のそれとは全くちがいます。とてもポピュラー、大衆的で、マニアックな鑑賞者のための・・という感じがない。これは良いことだと思います。平日なのに続々と観覧客が繰り込みます。


ただいまの企画展は「大ヴェトナム展」でしたが、これはパスして常設展のみ見学。これならゆっくり見られると思って二階のフロアに入ったとたん「わ、こりゃアカンは」と直感、ワンフロアが無茶広いのです。丁寧に見たら時間切れ必至なので、古代はパスしてシルクロードや遣唐使あたりの時代を主に見ました。レプリカが結構多いのですが、それでも展示物の充実ぶりはさすがです。・・と書いて、以下省略です。


そそくさと昼飯食べて、また西鉄に乗って福岡市美術館へ。しかし、アクセスをちゃんと調べておかなかったので、経路がよく分からず「薬院」という駅からタクシーに乗ります。金と時間、どちらが大事かとなれば、断然、時間のほうが大事なので、これの繰り返しです。もったいないけど仕方ない。


福岡市美術館は大濠公園という広大な池のほとりにあり、一昔前の建築界の大御所、前川國雄の設計(1977年)。赤茶色のタイルの外観で内外とものびのびした空間が心地よい。ここでも常設展のみ見ましたが、一室に草間弥生のミニ回顧展ふうの展示があり、なかなか面白かった。また、ポール・デルヴォーの「夜の通り(散歩する女たちと学者)」があって、なんとも懐かしい。こんな予期せぬ嬉しい出会いがあると、さらに他の美術館へも行きたくなります。知らない美術館のほうが遙かに多いのだから・・。


係員に最寄りの地下鉄駅を教えてもらい、池のほとりを10分ほど歩いて「大濠公園駅」から博多駅に戻ります。今日こそ余裕綽々のスケジュールで、と予定したのになんだか焦り気味。知らない街を移動するときはカードが使えないし、切符買うときも、乗換駅の確認などで小さなタイムロスができて、なんとなくもたつく。ヨソの町では田舎者です。


「さくら」で博多へ行きます。
福岡 


太宰府天満宮参道の賑わいぶり。
福岡 


天満宮拝殿
福岡 


境内に樹齢1000年の大楠がある。年齢3年の園児が散歩しています。
福岡 


菖蒲が見頃です。
福岡 


天満宮から博物館への通路。車いす、ベビーカーには斜行エレベーターもある。
福岡 


長い「動く歩道」で退屈しないよう、こんな光の演出サービスも。
福岡 


博物館の外観。山の中にガラスの山をつくった、という感じ。
福岡 


エントランス。国立博物館の堅苦しさがない。
福岡 


広いフロアを生かして、休憩スペースも広くとってある。
福岡 



展示品の一部
福岡 



福岡 


福岡市美術館2階玄関 草間弥生の「かぼちゃ」を展示
福岡 


三岸好太郎「海と射光」1934年作
福岡 

アンディ ウオーホル  [Elvis]

 

福岡 

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(注)2013年の旅なので熊本地震以前のレポートになっています。

 

熊本城・熊本県立美術館


博多から「つばめ」に乗って熊本へ。新幹線のなかのローカル線といった感じの短距離区間、かつ各駅停車の電車です。終点、熊本までがら空き。なんだかわかりにくい構造の熊本駅を出て市電で熊本城に近い停留所で降り、サンルートホテルへ。ホテルは銀座通りという繁華街の雑居ビルの上階にあり、一階の入り口が見つけにくい。


熊本にはなんの義理もないけれど、折角だからと晩メシは馬刺しと馬肉の焼き肉。人気店では馬刺しは2000円以上するので安い店でがまん、両方で120g、十分美味しかった。(6月7日)


各駅停車の「つばめ」 東海道新幹線の「こだま」の感じ
熊本7日 




市電の線路敷きを芝生にすると、こんなにかっこいい
7日 



熊本城そばの「城彩苑」という飲食街で晩メシ
7日熊本 



馬刺しと馬肉の焼き肉
7日 

7日

北と南  ミュージアム巡りの旅 (8)

盛岡散歩・・岩手県立美術館ほか

 2013年6月2日(日)ミュージアム巡り、キタ編は今日でおしまいです。幸い晴天、朝は冷え込み、8時頃に青森駅へ行ったら、電車のドア開閉が冬モードになっていて戸惑いました。(ドアボタンで開けて乗ります)

毎朝、ワンパターンの朝食です。量は他人の三分の一くらい?
盛岡 


新青森発「はやて」に乗ります
盛岡 


盛岡に近づくと、どっしりした岩手山が現れる。
盛岡


新青森駅から盛岡まで約1時間。きょうも気ぜわしいスケジュールなのでタクシーで県立美術館へ駆けつけます。ルンルン気分なのは、ただいまのダシモノ(企画展)が「若冲が来てくれました」だから。そう、あのプライスコレクションが震災復興の支援になればと特別に企画した展覧会です。仙台、盛岡、福島、の順で開催され、収益金は震災復興支援金として寄付されます。料金もうんと安めの800円。仙台では10万人を集める盛況だったとか。


東北のこの地で若冲ほか、江戸時代の絵画の逸品に出会えるなんて僥倖というしかありません。さらに嬉しいのは、2,3年前、一日がかりで滋賀県の山奥まで鑑賞に出かけた「象と鯨図屏風」が賛助出品として展示されていること。協力したMIHO ミュージアムさんに大感謝です。


作品鑑賞のことはパスして、この美術館はとても快適です。青森県立美術館とは大違いです。ゆったりした空間、わかりやすいレイアウト、あちこちに設けられている休憩スペース、基本のキをおさえた設計にすぎないといえますが、これが全部ペケだったのですね、青森さんは。



岩手県立美術館のロビー
盛岡 


伊藤若冲「虎図」
本物の虎を見たことないはずの若冲が、どうしてこんな構図を思いついたのか。

 

 ロビーの一画に参考展示してある「デジタル複製画」 特別のカメラ、メモリーで美術品を本物そっくりに再現します。画素数は1億~2億だそう。その細密な再現ぶりには感心するばかり。いくら目を凝らしてもドットは見えません。(キヤノン提供)
 盛岡


バスで市役所のあたりに移動し、「深沢紅子(こうこ) 野の花美術館」へ。清流、中津川ほとりの住宅街にある個人美術館です。三岸サンと同じく、夫婦ともアーティスト、かつ、ヨメさんのほうが有名人というのも共通しています。(すべて故人)女性が画家になることが難儀だった時代に、めげずに精進し、後の「一水会」創立に尽力したというから、ただのオバサンではなかったはず。しかし、絵は植物画を中心に、優雅、上品な作品ばかりで、この点は三岸節子とは天地の違いがあります。


深沢紅子 野の花美術館 (手前の白い壁)
盛岡 



わすれなぐさ
盛岡 

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若冲展で時間を使いすぎて、ほかに予定したところは徒歩やバスでは間に合わず、タクシーで名所巡りする始末。その車中で運転手いわく、大震災からの復興をすすめるに「絆」とか「共助」といったフレーズがはやって、東北が一体になって仲良く取り組んでるようなイメージがあるけど、それは表向き。「絆」なんて東京人の発想とちがいますか。地元では震災前も後も、よそものには分からない反目や嫌悪感が残ったままです。お互い、イヤなものはイヤなんです。


まだ三十代とおぼしき人なのに「会津」や「伊達」の話が出てきて、東北ナショナリズムの根深さを聞かされたのでありました。あたふたと駅に乗り付けて3時前の「はやて」に乗ります。


岩手銀行中ノ橋支店
設計は辰野金吾・・東京駅を設計した人であり、大阪中央公会堂の実施設計者でもあり・・で、デザイン、雰囲気に共通点があります。明治時代の末に完成したこの建物の工事費は13万円! 
盛岡 
 

重文指定 啄木と賢治青春記念館にて  
盛岡 


石川啄木 新婚時代のマイホーム
盛岡 


宮沢賢治も学んだ 岩手大学農学部 付属農業教育資料館(重文)
盛岡