私が聴いた<奇蹟のカンパネラ> ドッキリ版

フジコ・ヘミングさんが亡くなった。苦難多々の人生を知ると今は「やすらかにお眠り下さい」というのが音楽ファンの心情ではないだろうか。自分も昔から「カンパネラ」のファンであるけれど、別のピアニストで文字通りの「奇蹟のカンパネラ」を聴いた経験があるので紹介したい。


1977年3月24日、厚生年金中ホール(大阪市西区)でフランス・クリダのリサイタルがあり「いま一番人気の高いリスト弾き」という宣伝につられて出かけた。


リストオンリーのプログラムの中ほど、たしか「エステ荘の噴水」を弾いているとき、低音部から高音部に指を走らせる場面で身体を右に傾けたと思ったら、そのまま椅子から落ちて舞台に倒れ込んでしまった。コト切れたみたいに動かない。


これを見た聴衆は凍りついた。シーンと静まりかえって誰も声を出さない。あり得ないことが起きた、と認識するだけで10秒くらいかかったと思う。そして自分が想像したのはミステリーファンでもないのにサイレンサー(消音銃)による射殺だった。しかし、血が流れているのが見えない。だったらなんで?・・聴衆全員、脳内錯乱状態だったと思う。

 

30秒くらいも経って、ようやく客席から男性が三人、舞台に上がって彼女を観察した。クラシックの演奏会では数百人の聴衆がいたら、なかに医師がいるのは普通のことだから自発的に診察したのだと思う。また、楽屋から女性のスタッフも出てきたが、失神の場面を見ていないから聴衆よりもっと驚き、放心状態だった。


クリダは当時40歳代だったが、体軀は大柄で、そのときは白いドレスの裾を2mくらい引きずるコスチュームだった。ポール・デルヴォーの作品に登場するぽっちゃり形美魔女のイメージ。医師?のおじさんたちは三人がかりで彼女を抱えて楽屋に運んだ。


ようやく我に返った聴衆は「しゃあない、今日はこれでおしまいや」と帰り仕度する。そのとき突然アナウンスがあり「只今、治療中です。しばらくお待ち下さい」と。しかし、治療中やて? 弾けるはずがない、と客の半分くらいは帰ってしまった。自分を含め、半分は去りかねてまだオロオロ状態だった。
 待つこと約20分、クリダはしっかりした足取りでステージへ表れた。で、お詫びの言葉だけで終わるのかと思ったら、ためらうことなくピアノに向かい、「ラ・カンパネラ」を猛然と弾き始めたのであります。


えっ!、さっきのアレはなにやってん? またもや脳内錯乱しそうになりましたが、無事に弾き終えると聴衆全員大コーフン、残った300人で600人分の拍手しましたよ。客の大方は「ラ・カンパネラ」を楽しみにしていたはずなので「はよ帰った人、えらい損したなあ」といたく同情しました。


数日後、新聞のベタ記事に「仏ピアニスト 体調不良で演奏会中断」という記事がでた。ほんと、暗殺でなくて良かったなあ・・。フジコ・ヘミングの「奇蹟のカンパネラ」はライブやCDで何百万人もの人が聴いているけど、クリダが大阪公演で大アクシデントのあとに弾いたカンパネラを聴いたのは約300人。これこそ「奇蹟のカンパネラ」でありませう。


この文は遺書としてつくった一冊手作り本「B級音楽ファンの愉しみ」(2021年制作)に収めた「忘れ得ぬ二人のピアニスト」のコピーです。アナログ爺のささやかなレジスタンス。もう一人の忘れ得ぬピアニストはアンネローゼ・シュミット。

 なお、クリダは2012年79歳で、シュミットは2022年、85歳で亡くなっている。クリダのカンパネラを聴いた300人の聴衆も大方冥土へ旅立った。

 

遺書としてつくった一冊手作り本「B級音楽ファンの愉しみ」

 

 

クリダの演奏会のチケット。 料金は現在の三分の一くらいでした。