村上春樹「不思議な図書館」

 村上春樹が童話も書いてるなんて知りませんでした。創作の間口が広いってトクであります。購読者のほとんどは書名ではなく、著者名が村上春樹だから買うにちがいないからです。ハガキサイズの小型本で100頁、イラストがあるので本文は90頁以下の短文です。なのに、ハードカバーの箱入り本。村上センセでなければこんなゼータクな作りは許されないでせう。


小学校6年生くらい?と覚しき少年が近所の図書館へ本を返しに行く。返却して、次に「本を探したいのですが」というと、係のおねえさんは「階段を下りて107号室へ」という。地下室には薄汚い老人がいた。少年は「オスマントルコ帝国の税金の集め方」を知りたいのですと言った。
 通い慣れた図書館の地下は迷宮になっていた・・じゃじゃ~~ん!。と話が展開していくのであります。この発想、なんか「不思議の国のアリス」に似てるじゃん、と思うのですが、アリスほどの大冒険はナシで、少年は無事に帰宅できた、というお話です。先日、柳美里の貧乏生活記を紹介したけど、作家人生のピンとキリを知る思いでありました。(2005年 講談社発行)

 

 

 

柳美里「貧乏の神様」

 副題<芥川賞作家 困窮生活記>とあるように、世間でそこそこ名を知られた作家の暮らしが実はとても厳しいことをセキララに描いた、もう半分ヤケクソ気分で綴った本。去年の年収ン百万円という数字は出てこないけど、本日の所持金2000円ナリ、てな場面はしょっちゅう出てくる。さりとて作家以外の稼業は思いつかず、ただただ文章を書くしかない。


dameo が無責任に想像するところ、過去20年くらいの芥川賞受賞者の作家稼業の平均年収は300くらいではないか。一部の売れっ子、綿矢りさ金原ひとみ川上未映子、などでも1000万未満?と想像する。芥川賞受賞作以外はかいもく売れない作家が大半で、かつ、講演会とか、対談など、メディアに登場する機会がなければ年収200万未満とかもあり得ます。


本書によれば、雑誌などの対談の相場は3万円だという。小説やエッセイなどは著者の場合、1枚400字の場合、4000円くらいらしい。100枚なら40万円。売れたら印税収入があるけど、初版3000部キリ、てのも普通にある。今どきの作家は原稿用紙なんか使わないけれど、原稿料の計算は400字詰め原稿一枚なんぼ、という計算が常識だそう。


ここまで書いて委員会? と驚いたのは、原稿料の未払いが続く出版社に対して「これだけ未払い原稿があります」と詳細な表をつくって公開していること。
(下の画像参照)著者は「創」という雑誌に連載記事をもち、永年、寄稿してきたが原稿料が支払われず、督促してものらりくらりと要領を得ず、とうとうこんな形で公開した。雑誌名は「創(つくる)」で担当者は篠田編集長だという。作家が出版社をこんなかたちで訴えたのははじめてではないか。
 かくもええかげんな雑誌、とっくに廃刊だろうと思って調べたら存続していました。篠田氏が社長兼編集長兼営業部長兼・・要するに一人で仕切ってる会社だからデタラメ出版でも生き残れるらしい。


結局、未払い期間は7年に及んでようやく著者に不利な形で支払われた。著者の計算では総額1300万円に上ったが、実際の受取額は大巾に減ったようだ。
それにしても書籍出版でこんなタチの悪い会社があるとは。(2015年 双葉社発行)

 

これだけの原稿料が未払いですと著者が訴えた「被害リスト」

 

 

夏目漱石「猫の墓」の原稿を拝見

 先月末に養老孟司「まる ありがとう」という愛猫の追悼本を紹介しました。先日、なんばのまちライブラリー(民間の図書館)へ行くと玄関のショーケースに夏目漱石の「猫の墓」の原稿(複製・原本は大阪公立大学の収集品)が展示してあった。漱石の手書き文を見るのははじめてです。漱石山房特製の原稿用紙にわりあいきれいな文字で綴ってある。紙とペンの原稿の時代、自家用の原稿用紙を拵えるのは作家のステータスだったと思います。


漱石の「猫の墓」で描かれる猫は大ヒット作「我が輩は猫である」の主人公でありますが、小説と同様、名前はなかった。だからタイトルも「まるの墓」とかではなく、単に「猫の墓」。猫と漱石や家族との付き合いもわりあい淡泊な感じです。しかし、それにしては漱石の猫観察は細かくて、養老孟司氏が「まる」のラストシーンを描いた文章と相通じるものがあります。漱石は文章には書かなかったけれど、夏目漱石を一流作家にした裏方なのだから、哀惜、感謝の念、大きかったと想像します。以下、作品を一部省略して紹介します。

 

引用元(<永日小品>集の第8作目)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html

 

猫の墓

 早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃そろえた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込みを眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。


小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度のめしを、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試ためしもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕がない。のんびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。ものうさの度をある所まで通り越して、動かなければ淋さびしいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼かれはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子を、ぼんやりひと所に落ちつけているのみである。彼が家うちの小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然と認めていなかったらしい。


 それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追おっかけられる。そうして、怖いものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障子を突き破って、囲炉裏の傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼の存在に気がつくのはこの時だけである。彼もこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。これが度重なるにつれて、猫の長い尻尾の毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後には赤肌に脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼万事に疲れ果てた、体躯を圧し曲げて、しきりに痛い局部を舐め出した。


 おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻は至極冷淡である。自分もそのままにして放っておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽喉の所に大きな波をうたして、くしゃみとも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳の上でも、布団の上でも容赦なく汚す。来客の用意に拵らえた八反の座布団は、おおかた彼のために汚されてしまった。

              (略)

 明くる日は囲炉裏いろりの縁に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注いだり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪まきを出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈の上に倒れていた。
 妻はわざわざその死にざまを見に行った。それから今までの冷淡に引更えて急に騒ぎ出した。出入りの車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏に「この下に稲妻起る宵あらん」と認ためた。車夫はこのまま、埋めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷やかした。
 小供も急に猫を可愛いがり出した。墓標の左右に硝子の罎を二つ活けて、萩の花をたくさん挿した。茶碗に水を汲んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓子をおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤した。
 猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。


下の画像は上記の文の太字部分の手書き原稿

 

垣谷美雨「七十歳死亡法案、可決」

 こんな小説があること知らなかった。図書館で知り合った人に「これ、どない?」と奨められて拝借した。んまあ、なんとえげつないタイトルでありませう。時の与党が強行突破で可決した「老人は七十歳になったらみんな死んでいただきます」という、とても分かりやすい法律が通った。
 人口の三割以上が老人になり、福祉や医療の費用がどかどか増えて国家の経済破綻が避けられない。日本沈没であります。国民は老いも若きもいっせいに「自分は70歳まであと何年生きられるか」というシンプルな計算をして身構えた。


自分としては、この作品はパロディにしてほしかった。しかし、妙にマジメな、それにしてはスキマだらけの出来映えなので読む方がしらけてしまいます。アイデアは良かったけど作り込みがヘタでB級読み物になってしまった。アニメで表現しても内容の粗雑さは批判されること請け合いです。


タイトルに反して内容はありふれたホームドラマで終始します。老いた姑の介護に疲れた嫁の苦労物語とそれに付随するトラブルばかり。70歳になったら老人はどんな手続き(手段)で命を捨てるのか、といった大事な話がぜんぜん出てこない。老人の恐怖感や若者の心配にも知らん顔です。作者の力量の無さがわかりました。しかし、駄作に終わってよかったと思います。もし、タイトル通りの話を真剣に書いたら著者は、薄情、非常識、とボロクソに非難されるでせう。


かように本書の悪口を書いても、長生き老人が国を滅ぼすというのは架空のドラマではなく、リアルに迫ってきています。もう半世紀くらい昔に「老人は 死んでください 国のため」なんて川柳が流布して顰蹙をかったけど、国民大多数のホンネだと思います。この先、長寿社会=不幸な社会 という認識がじわりと浸透してゆく。さりとて、日本が今から北欧の国のような福祉社会を目指すにはもう手遅れです。(平成27年 幻冬舎発行)

 

島田裕巳「捨てられる宗教」<大活字版>

 この一年のあいだに読んだ本の中では一番刺激的な内容の本でした。この先の「生き方」を真摯に考えてる人には参考になると思います。
 著者は死生観について新しい概念を考えだした。現在、普通に暮らしてるひとびとの死生観を<A>とし、これから先の長寿社会での死生観を<B>とした。死生観Aにおいては、人はいかに生きるか、が生涯のテーマだった。それが、この先の長寿社会においては「いかに死ぬか」が大命題になる。死ぬための生き方を考えなければならないくらい、人は死ななくなったのだ。


人生は短く、はかないゆえに惜しまれ、愛された。あまたの人生論も宗教も消えゆく命を惜しんで語られた。50歳、60歳、70歳で亡くなった人を哀惜の念で見送るのは自然な感情である。しかし、それが、90歳、100歳になると・・
 しかも、長期間の認知症の末での死となると身内でさえ「ホッとする」に変わる。高邁な人生論も宗教も何の価値も持ち得ない。病院から火葬場へ直行する「直葬」をもって人生終了。これが普遍化するともう宗教はいらない。
 実際、過去3年間のコロナ禍でこの薄情?な葬儀は大巾に増えた。コロナ禍が収まっても旧来の葬儀形式に戻るかどうか、わからない。


現在、30歳~40歳の働き盛りの人が老境に至るとき、人生は100歳時代を超え、110歳時代になるかも、と著者は言う。75歳でリタイアしても、あと35年という、生涯の労働期間に匹敵する<余暇>が生じる。どうして生きますか。一方で人間の労働は次ぎ次ぎロボットに置き換えられ、早晩、ロボットでさえいやがる些末な仕事を人間がこなす時代になる。80歳超のロージンにどんな仕事があるのだろうか。


宗教の無力化は世界中で進んでいて、イスラム教を除いては信者数は減る一方である。欧米の国民は日曜日はキリスト教会で礼拝、という私たちの常識は消えている。信者の7~8割はもう教会へ行かない。特にカトリックの衰退ぶりが顕著だという。日本での仏教信者も順調に減っていて、檀家数の減少は即、お寺の収入の減少につながり、さりとてそれを防ぐ有効な手立てもない。


本書のテーマは
■長寿社会がもたらす死生観の変化
■長寿社会ゆえの宗教の衰退 の二つだけど、個人的には死生観の変化とそれがもたらす社会的影響について真摯に考えたい。
 10年くらい前から、身内や友人が老人施設に入所し、ほどなく亡くなる場面を経験して「施設への入所は社会的な死である」と実感してきた。施設へ入った途端に認知症が一気に進んだ悲しい場面も見た。
 長寿社会では社会的な死と生命の死という二度の死を経てあの世へ行く例が増える。自分は、老人施設はたとえ善意の人ばかりで運営されてるところでも現代の「姥捨山」だと思っている。(2021年SBクリエイティヴ発行)

 

 

 

片岡義男「自分と自分以外」~戦後60年と今~

 作家の名前は知ってるけど作品は読んだこと無い・・ケースはいっぱいあって、片岡センセもその一人。今回は年令が自分と同じ(1939年生まれ)であるため、興味をもって読みました。平均3~4ページのエッセイとコラムをまとめたもので、作家というよりジャーナリストの文章みたい。■は本書の小見出し


■作家とはなにか
 小説に登場させる男と女。外見や仕草を男らしく、女らしく描写するのは本職だからべつに苦労しない。しかし、何年か前までは男であった人が外見や仕草において完璧にちかい女になった場合、会話はどうする? 女になったからって100%女言葉にしていいのか? 人によっては女言葉の成熟度がイマイチなこともある。逆に、女が男になった場合、どうする。安易にオネエ言葉にしていいとは限らない。庶民の会話はともかく、上流階級の男女(元男女)のセリフはどうする?・・いや、なかなか難しい。


物語において、嘗ては普通の男女であったが何十年か後に再会するとき、男男または女女になっていたら・・どう描写するのか。ベストアンサーは、ま、そんな物語は考えない、というのが無難でせう。
 しかし、リアル社会でLGBTの概念が一般化されるなかで小説での表現が忌避されるのも不自然であります。いちばん良いのは、作家自身、性転換を経験することでせうが、だからといって・・。いや、逆に、性転換者が作家になればいいのだ。で、解決? う~~ん。しょ~もない悩み、なんて言ったら作家センセに叱られますね。


■映画の不安
 この話は共感できます。昔の映画館はスクリーンの前に上下、又は左右に開く幕があった。ブザーで上映を知らせると同時に幕が開いて暗くなり、映写がはじまった。(映写機のメカ音が聞こえた)そして、普通はタイトル表示のあとに俳優やスタッフの名前が写された。こうして気持ちの準備をしたものだ。


現在のシネコンとやらではでかいスクリーンが四六時中、むき出しのままが普通になっている。若い人は映画初体験のときからこの風景だから何の違和感もないけれど、昔人間には気に入らない装置であります。おまけに,たいていの館では休憩時間に地元の飲食店やクリニックのCMが上映され、最後に「スクリーンの盗撮は罰せられます。懲役○年、罰金○千万円」と、無粋なPRがなされる。(予告編が10本くらい映るときもある)
 と、昔はヨカッタと文句たれる老人は順次死んで映画館から姿を消すので、すべて世はこともなし、であります。


■現実に引きずられる国
 片岡センセは憲法に関しては明快に改正反対論者であります。日本国憲法は理想主義的に過ぎるという批判があるが、最大の民主主義国であるアメリカでさえ実現出来なかった理想的憲法を日本が掲げて何が悪いのか。逆に、世界の現実に合わせて憲法を改正したら、次ぎ次ぎに起きる現実に引きずられて改正を繰り返すことになり、つまり、軍事国家になり、挙げ句に国家滅亡に至ると。なんども繰り返すけど、この言いざまは福島瑞穂のいう「こんな理想的な憲法を有する日本に攻め込む国はあり得ません!」と全く同じレベルです。80歳過ぎてこんな低級な憲法擁護論しか書けない片岡センセに失望。もうちょっと政治のイロハを勉強してくださいよ。(2004年 日本放送出版協会発行)

 

 

養老孟司「まる ありがとう」

 解剖学者、養老センセ宅に18年飼われた猫、まるへの追憶エッセイ。一般人が書けば目いっぱいセンチメンタルになりそうなテーマですが、そこは学者、哀しみをセーブしてクールな「観察」記にまとめています。100枚以上ある写真は秘書の女性が撮影したものだけど、まるへの慈しみの気持ちはセンセと同じでとても上手、さらに、センセの文章と秘書さんの写真をハイセンスに表現した編集者?さんの功績も大で6万冊を売り上げた。もし、まるの写真がヘタクソで、編集が粗雑だったら売り上げは半減したと思いますよ。本は見栄えも大事であります。


まるはスコティッシュフォールドの雄。名のごとくスコットランド原産で耳が折れているのが特徴。四肢は短く体型はずんぐりしていておっとりした性格。この体型と性格が養老センセと似ている?ために相性がよく家族のように可愛がられた。ゆえにまるの死は老境のセンセに辛かった。


まるの死にかこつけてセンセはつぶやくように人生哲学を説く。なぜか釈迦も登場して<生老病死>の由縁を書く。人間に生まれた限り、この悩みは必然であり、だから哲学や宗教が生まれた。では、猫はどうなのか。テツガクなんかありませんね。しかし、死に際しては「経験したことのない身体の不調」を感じるかも知れない、が、それで一巻の終わりであります。嗚呼、猫が羨ましい。生まれ変わったらまる二世になりたい・・は dameo の願望であります。


ここから話は脱線します。まるは骨壺に納まってセンセの手元に大事に保管されている。しかし、巷には食うや食わずの野良猫も相当数いる。また、カラスや鳩や雀といった野鳥がたくさん都市に住んでいるけど、寿命を終えたあとの「身の始末」をどうしているのか。これを想像したことありますか。答えを言える人はいないでせう。


自分の経験でいえば、野良猫の白骨遺骸は生涯で2,3回しか見たことがない。自然死したと思えるカラスやハトの遺骸は一度も見た覚えがない。なんで?・・。海で魚やクジラが死んだときは他の魚などの食材になって消えることは誰でも知っているけど、陸上の動物たちが死んで一週間で他の動物や虫に食べ尽くされるとは思えない。だったら当然、人に見つけられる、または悪臭を放って迷惑を被る場面が日常的にあるはず。しかし、そんな経験皆無でせう。
 誰も関心をもたないためか、これを説明した本は見つかりません。(しっかり探せば見つかるかも)増えすぎて問題になっているイノシシや猿も大半は老衰死するので、山中のあちこちで目にするはずですが、老衰死のイノシシを見た人がたくさんいるとは思えない。この単純な疑問、子供じぶんから解けないままです。(2021年 西日本出版社発行)

 

 

 

佐藤 優「危ない読書」 ~教養の幅を広げる<悪書>のすすめ~

 久しぶりに佐藤センセの本を読みました。手にした人の気をひく書名でありますが、著者、出版社の企画ネタ切れ感がしないでもない。
 紹介された本はヒトラーの「わが闘争」文部省教学局の「国体の本義」クラウゼヴィッツ戦争論」 倉橋由美子パルタイ」 D・トランプ「トランプ自伝」など20冊。堅苦しい本の紹介、参考書だと思えば気楽に読めます。


いちばん興味をもって読んだのは井口俊英「告白」です。なにそれ?って感じですが、臨時雇いの銀行員が、たった一人で大銀行をぶっ壊してしまった空前絶後の金融醜聞事件「大和銀行破綻」のドキュメントだから。これに興味をもって・・というのは自分が大和銀行の通帳をもっていたからというしょーもない理由でしかないけど、事件当時は新聞記事を丹念に読んだものでした。
 いま、りそな銀行に口座を設けている人の何割がこの事件を知ってるでせうか。大和銀行の破綻が1995年だから、50歳未満の人の半分くらいは事件を知らないのではと思います。


米国で暮らしていた井口は大和銀行ニューヨーク支店で嘱託行員で採用される。1983年、債券の運用で5万ドルの赤字を出し、これが上司に知られると再雇用してもらえないかもという心配から赤字を隠蔽した。これが発端で隠蔽をくり返し、損害は雪だるま式に増えた。なのに毎年の内部監査でバレなかった。
 信じがたいけど、このインチキは12年間バレなかった。そして、最初の5万ドルの損失は11億ドル(約1000億円)に膨れあがっていた。


いよいよ切羽詰まって井口は頭取に手紙を書く。書名の「告白」はそのことである。大企業で末端の社員がトップに手紙を出すだけでもトンデモ事案だけど、直属上司に告白するよりは余ほどベターな判断でせう。
 告白された頭取や幹部は天地がひっくり返るくらい驚いた。で、どうしたのか。大和の対応は「とことん隠蔽する」だった。大和銀行に限らず、金融業界で一番ダメなのはこの隠蔽体質だと思う。しかし、アメリカではそれが通じなかった。当たり前や!!


事実を知ったFRB大和銀行に米国からの退場を命じた。捜査当局は大和銀行に対して米国の犯罪史上最高の罰金刑340億円を課した。当人はむろん、ムショ入りの身となった。(出所後、帰国し、68歳で亡くなった)
 この大事件で大和銀行は破綻したのか。しませんでした。政府、財界、業界、侃々諤々の論争があったにせよ、存続を選んだ。その内実は未だに不明でありますが、大和救済のために1兆円?の国費が使われたという話もある。(不詳)この場に及んでも日本的「隠蔽体質」は温存された。いま、当時の関係者は次ぎ次ぎ亡くなっているので隠蔽は成功したといえる。


何の因果か、本書の著者、佐藤センセは井口の「告白」を獄中で読んだと書いてある。自著「国家の罠」執筆の参考資料として取り寄せ、ムショで読んだ。
だから・・というのでもないけど、佐藤センセは井口にたいしては憎悪や糾弾の感情が薄い感じがする。(2021年 SBクリエイティブ発行)

~参考~
大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件

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2月12日の産経朝刊に著者、佐藤優センセが記事を寄稿し、冒頭に最近は自ら「病気のデパート」になったと嘆くほど健康を害していて只今も入院中と述べています。腎臓病、心臓病、前立腺全摘、など患った末、今は<菌血症>。放置すれば敗血症に至るというから深刻です。がんばりすぎて寿命を縮めた立花隆センセと似ているのが心配。今回の寄稿記事も病床で書いたそうだけど、いっそ、執筆を断って治療に専念してはと案じるのですが<書きたい病>という病を治すクスリはないらしい。

 

 

小沢康甫「暮らしのなかの左右学」

 自然界にも人間社会にも<左右問題>がたくさんあって、しかし、たいていは深刻に考えずに受容している。殆どの左右問題は暮らしに溶け込んでいる。


それでも、なんでやねん、と気になる左右問題がある。陸上のトラック競技はなんで左回りに走るのか、不審に思っていた。その答えが本書にかいてある。

① 人の心臓はやや左寄りにある。走るときは心臓を保護しようという本能から内側にするため左まわりになる。

② 男性の場合、睾丸の左右のうち、左の方が低い位置にあり、心臓も左よりにあるゆえに身体の重心は左にかかる。走るには重心寄りに、つまり左に回った方が楽。

③ 足裏の面積を比べると、左は右足より広い。これは左足で大地をしっかり踏まえ、身体の安定させるに役立つから左廻りがベター。

④ 利き手の左右に関係なく、右足は姿勢やスピードをコントロールし、左足は大地をしっかり踏まえるに適している。ゆえに、左廻りがベターである。

⑤ 観客の目線でいえば、視線は左から右に動く方がスムース。英語などヨコ書きの文章は左から右へが標準、即ち、見やすい。


 これだけくどくど説明されると納得してしまいます。睾丸の左右がアンバランスだなんて初めて知りました。ただし、左廻りが決まったのは1908年の五輪ロンドン大会からというから意外に歴史は浅い。


しかし、たまに競馬の中継放送をみると、お馬さんはいつも右回りで走ってます。何でやねん?・・その答えも書いてあります。馬の足の機能についてくどくど説明しています。人間とは違う理由です。但し、百%右回りではなく、ローカル競馬では左廻りもあります。


野球はなんで左廻りやねん。これの答えも納得出来ました。もし右廻りなら内野手のカッコいいファインプレーのシーンガタ減りでせう。いや、それなら野手のレイアウトも変わるはずだから、一概に言えないか。


もっと日常的なところではエスカレーターの立ち位置左右問題。全国的には「左立ち」がスタンダードで、右立ちは、大阪、奈良、神戸、和歌山に限られる。
京都はどうか。自分の経験では概ね左立ち、即ち、東京と同じ。大阪からたまに京都へ行くとつい右立ちして胡散臭そうな眼で見られる。
 これで落着かと思ったら、どっこい、アンチがいた。仙台市営地下鉄エスカレータは右立ちだと本書に書いてある。なんで?・・しかも、地下鉄当局で「右立ち」を利用者にお願いしたことは一度もないと。地下鉄開通時は左右混在だったけど、時間を経て自然に右立ちが増えて安定したのではないか。それだったら人間の本能(感覚)の選択で一番自然な成り行きと言えます。(2009年 東京堂出版発行)

 

 

小林よしのり(編)「日本を貶めた10人の売国政治家」

 えげつない題名の本書が発行されたのが2009年、もう14年も昔のことでした。ということは、現在、40歳の人なら当時は26歳、10名の政治家のことはほとんど知らないでせう。今でも活動してるのは竹中平蔵だけです。逆にトップスリーは現在も存命で、<売国>どこ吹く風でありませうか。


評論家、ジャーナリストが選んだ<売国政治家>は下記の通り。
(注)選考者は小林氏が選んで依頼した。

 

売国というコンセプトを考えると、ほぼ妥当な結果だと思います。河野は韓国へ、村山は社会主義国へ、小泉はアメリカへ魂を売った売国政治家です。
 こんなひどい悪口を書かれたのに、名誉毀損や事実無根で訴訟を起こした人はいなかった(不詳)もし、訴訟なんか起こしたら「小物」呼ばわりされて更に評価を下げますからね。


この人たちをいちいちdameo が評価しても読み物にはならないので、視点を変えてdameo が選んだ<純粋無能政治家>ベストスリーを挙げてみます。

第一位・・福田康夫
第二位・・村山富市
第三位・・鳩山由紀夫
次 点・・小沢一郎


いかがでせう、このラインナップ。売国とか、悪辣政治家でなく、純粋に無能な政治家、すなわち、首相や党首でありながら、国家国民のために仕事をしたという記憶がぜんぜん無い政治家です。福田さんはその点、パーフェクトだったと。本の題名になぞらえると「存在の耐えられない軽さ」であります。
 村山さんは人柄は悪くないけど、在任中に阪神大震災が起きた。国のリーダーなのに100%、仕事を投げ出してしまった。(政権、政府の幹部が代わって臨時の組織を起ち上げた)ボンクラのせいで自衛隊の出動が遅れ、多くの人命が失われた。無能と誹られがちな、幕末ドタバタ期の徳川慶喜だってもうチョットは仕事しましたけどねえ。
 鳩山由紀夫。存在するだけではた迷惑という人でした。小沢一郎。この人の生きがいは一に利権、二に人事権、三に岩手県。数十年の政治家人生で国家国民のために働いたなんて、一日も無かった。


政策や成果で考えると贔屓や好き嫌いが絡むので「純粋無能」で評価しました。但し、昭和40年までの総理等については知識が乏しいので、それ以後を対象にしました。(2009年 幻冬舎発行)