片岡義男「自分と自分以外」~戦後60年と今~

 作家の名前は知ってるけど作品は読んだこと無い・・ケースはいっぱいあって、片岡センセもその一人。今回は年令が自分と同じ(1939年生まれ)であるため、興味をもって読みました。平均3~4ページのエッセイとコラムをまとめたもので、作家というよりジャーナリストの文章みたい。■は本書の小見出し


■作家とはなにか
 小説に登場させる男と女。外見や仕草を男らしく、女らしく描写するのは本職だからべつに苦労しない。しかし、何年か前までは男であった人が外見や仕草において完璧にちかい女になった場合、会話はどうする? 女になったからって100%女言葉にしていいのか? 人によっては女言葉の成熟度がイマイチなこともある。逆に、女が男になった場合、どうする。安易にオネエ言葉にしていいとは限らない。庶民の会話はともかく、上流階級の男女(元男女)のセリフはどうする?・・いや、なかなか難しい。


物語において、嘗ては普通の男女であったが何十年か後に再会するとき、男男または女女になっていたら・・どう描写するのか。ベストアンサーは、ま、そんな物語は考えない、というのが無難でせう。
 しかし、リアル社会でLGBTの概念が一般化されるなかで小説での表現が忌避されるのも不自然であります。いちばん良いのは、作家自身、性転換を経験することでせうが、だからといって・・。いや、逆に、性転換者が作家になればいいのだ。で、解決? う~~ん。しょ~もない悩み、なんて言ったら作家センセに叱られますね。


■映画の不安
 この話は共感できます。昔の映画館はスクリーンの前に上下、又は左右に開く幕があった。ブザーで上映を知らせると同時に幕が開いて暗くなり、映写がはじまった。(映写機のメカ音が聞こえた)そして、普通はタイトル表示のあとに俳優やスタッフの名前が写された。こうして気持ちの準備をしたものだ。


現在のシネコンとやらではでかいスクリーンが四六時中、むき出しのままが普通になっている。若い人は映画初体験のときからこの風景だから何の違和感もないけれど、昔人間には気に入らない装置であります。おまけに,たいていの館では休憩時間に地元の飲食店やクリニックのCMが上映され、最後に「スクリーンの盗撮は罰せられます。懲役○年、罰金○千万円」と、無粋なPRがなされる。(予告編が10本くらい映るときもある)
 と、昔はヨカッタと文句たれる老人は順次死んで映画館から姿を消すので、すべて世はこともなし、であります。


■現実に引きずられる国
 片岡センセは憲法に関しては明快に改正反対論者であります。日本国憲法は理想主義的に過ぎるという批判があるが、最大の民主主義国であるアメリカでさえ実現出来なかった理想的憲法を日本が掲げて何が悪いのか。逆に、世界の現実に合わせて憲法を改正したら、次ぎ次ぎに起きる現実に引きずられて改正を繰り返すことになり、つまり、軍事国家になり、挙げ句に国家滅亡に至ると。なんども繰り返すけど、この言いざまは福島瑞穂のいう「こんな理想的な憲法を有する日本に攻め込む国はあり得ません!」と全く同じレベルです。80歳過ぎてこんな低級な憲法擁護論しか書けない片岡センセに失望。もうちょっと政治のイロハを勉強してくださいよ。(2004年 日本放送出版協会発行)