暑中お見舞い申し上げます

 コロナ+猛暑の日々、ロージンは外出を控えて下さい、と役所がおふれを出しています。大阪府の場合、人口870万人に対して感染者総数は140万人。およそ6人に一人が感染していることになります。なのに、自分の周りには「感染した」という人ゼロ状態で、三年たった今でも「危険」の実感がない。外出するなといわれてもフツーに外出しています。むしろ、外出を自粛して、そのために足腰衰えるほうが心配です。

 ならば、フツーに暮らせば良いのでは、と。感染しやすい人はマスクや外出云々ではなく免疫力の強弱の問題では?というのが自分流の考えです。


梅本三郎作 青春81きっぷシリーズ <いい歳 旅立ち>

 

堀江貴文「ぼくたちはもう働かなくていい」を読む

 AIやロボットの最新情報をわかりやすく解説する本として手軽に読めるのが良い。かつ、題名のように刺激的な表現で売り上げをアップする点、なかなかの商売人でもあります。難点をいえば、先進技術を紹介するぶん本の賞味期限が短いことで、古本になれば二束三文、ゴミ扱いされそうです。


AIやロボットの性能、品質が向上すると人間の仕事が奪われ、失業の憂き目にあう、というのが庶民の不安でありますが、著者は「その通り」と人間に同情しない。長年の経験やカンに頼ってきた仕事はどんどん自動化され、大手の物流倉庫なんか広いフロアに人影はない。三年くらいまえにヤマト運輸の最新物流倉庫を見学したことがあるけど、商品の選別、搬送のスピードの早さに驚いた。仕分けなんか一個100分の1秒くらいかもしれない。


経験=命、みたいな感じでつくられてきた日本酒も杜氏主役の生産は減りつつあり、あの「獺祭」も社長が代替わりして杜氏制度を廃し、コンピュータシステムによる生産になった。世にこれを非難する声が起きないのは品質が落ちないという実績をつくってしまったから。いまや、酒造りを担うのは杜氏ではなく、高度なプログラムをつくるエンジニアであります。


‥という具合に、世の中どんどん進歩しているのに、世間には「額に汗して働くのがあるべき労働者の姿」と古典的労働感に囚われてる人が多い。著者はそう言う「食べるためだけの労働に人生を費やしてオシマイ」な人を明快にバカ呼ばわりする。一度きりの人生、もっと楽しく過ごそうではないか、と訴えるのであります。よって、著者は「ベーシックインカム」制度の創設に賛成だという。何を言ってもムダなレベルの人間は三度のメシだけ与えて放置せよと。


時代の進歩に合わせたライフスタイルを創造、実践せよとハッパをかけるのですが、正直言って「なんとなく薄っぺら」感もする。発言に重みがないのはこの人の生来のキャラクターみたいで、思いついたことを取りあえず言ってみる。それを批判されても気にしない。


  たとえば、178ページ。「日本のGDPは1980年から右肩上がりを続けている。2018年のGDPは550兆円を越えている。30年あまりで倍以上の増額だ」と。しかし、正しく言えばこうなる「日本のGDPは1980年から右肩上がりになった。しかし、1990年以後は横ばいを続けている」であります。日本人の賃金が30年間横ばいである原因がこれです。
 ついでに179ページ。「世界中に富は有り余っている。食料なんて生産されたうちのほとんどを廃棄している。社会の財は増えまくり、どうして分けていこうかとあらゆる研究機関で考えているのが現状だ」


 この本が2019年の出版でヨカッタ。言うことがなんとなく薄っぺら、と思われても仕方ないのでは。ホリエモンの本はマユにツバして読みませう。しかし、世間には堀江氏の思想に共感する人も多い。それを見越して「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)というオンラインサロンを立ち上げ、最新のテクノロジーを利用した学習と組織作りを目指している。(入会は有料) 興味ある人はのぞいてみて下さい。(2019年 小学館発行)
https://salon.horiemon.com/about

 

 

逆転・・日本が中国の下請けになる時代

 7月27日のNHK「クローズアップ現代」のテーマは「日本は割安? 世界が狙う労働力」で時代の移り変わりの早さを感じずにはおれないものでした。日本の平均賃金が30年来ほとんど上昇しないあいだに中国をはじめアジアの人件費は5倍~10倍も延び、日本と同等またはそれ以上になった。日本が中国やアジア諸国を下請け生産地とする常識は通用しなくなり、その逆転現象が起きている。


中国の企業が日本の企業を下請け扱いにして生産、世界中に販売する時代になったのであります。小規模なものは10人程度のIT関連ビジネス、大規模で象徴的なのは中国の家電メーカー「ハイアール」の発展ぶりです。同社は何十年か前にコケた三洋電機の資本、人材をベースに「日本品質」を目指して開発力を高め、今や世界に通用する家電メーカーに成長した。今でもエンジニアは日本人をたくさん採用している。給料や人事では日本の家電メーカーより優遇されるから、働く日本人に「下請け」感覚はない。


誰でもが容易に感じることの例は100均ショップの商品。ほとんどが中国やベトナムでの生産品だったのに、最近は日本製が増えている。といって単純に喜んではいけない。日本人の低賃金ぶりを表している。こんなメイドイン ジャパンをつくっている会社の賃金を上げるのが難儀なこと、誰でも想像できる。


外国から見たら「安月給でマジメに働く日本人」は魅力的な労働資源に映る。ならば、日本を下請けにして安くて良い品を生産しようとなる。至ってノーマルな発想である。私たちがイメージしてきたグローバル化は「日本で企画した商品を世界各地で生産する」であったけど、この常識が逆転してしまった。


このような潮流の変化をサラリーマン諸氏はどれほど認識しているだろうか。未だに「今日は昨日の続き、明日は今日の続き」であってほしいと、安泰だけを望む輩が多いように思える。
 しかし、悲観することはない。番組でも解説していたが、良質な日本人労働者が魅力的であることは将来、高収入が実現する可能性が高い。一昔前の中国人労働者は「安かろう、悪かろう」が常識だったのと天地の差がある。ピンチはチャンスなり、であります。

 

 

 

暑中 至福のひととき・・・

 サグラダファミリア+ウイーンフィル+ブルックナー4番・・こんな僥倖またとありませうか。音楽ファン、ブルックナーファンにとってはたまらんシーンであります。7月24日のEテレ「クラシック音楽館」で放送されました。


なぜ、この組み合わせなのか。説明によると、サグラダファミリアの建設着工が1881年(今から141年前)。そして、ブルックナー交響曲第4番の初演がこの年というご縁で企画された。実際の演奏は2021年9月18日、おお、dameo  の誕生日ではありませんか。


誰が言い出し兵衛か知らないけれど、企画、実現までにはえらい苦労があったと想像します。ハッキリしてるのは、こんなことやってもゼニ儲けにはならない。関係者の自己満足だけです。次に、「ちゃんとした演奏ができるのか」という懸念。事前調査はしっかりしても本番でカッコイイ演奏ができるのか。さらに、視聴者へどうアピールするか。簡単にいえば、退屈させないための工夫です。ブルックナーファンなんて百人に一人もいませんからね。


着工後140年以上経つのに未だにネチネチ建設作業が続けられ、外部にタワークレーンがそびえ立つ現場。中世の教会建築に比べたらこれでも短いほうになるけど、世は21世紀ですからねえ。スペイン語には「いらち」って言葉無いのかしらん。


予想通り、演奏は第4楽章を除いて思い切りスローテンポでなされた。スローでしかできないのはホールの残響時間が長すぎるせいだと想像する。合奏がフォルテで終わると4秒くらい、ふわ~~~んと響いている。でも、ブルックナー作品の魅力はこれです。最強奏+全休止符。


今から40年くらい前、大阪に日本ではじめて音楽専用のホールができてから20年以上会員になってブルックナーの演奏会に通いましたが、このホールでの演奏で何を学んだかといえば「休止符の鑑賞」です。無音状態がカッコイイ。
 それが音響的には「残響時間02秒」。01秒だったらアカンのか。アカンのであります。1,5秒でもダメ。2秒±0,2秒くらいが最適です。


サグラダファミリアの残響時間が長すぎるというハンディを克服できなかったのか、録画放送の音響は満足できるものではなかった。マイクロフォンのセッティングにすごく苦労したと思うけど、各パートの音はクリアなのに合奏部分では貧相な音しか再生できなかった。ウイーンフィルならではのパワフルかつ上品なハーモニーは聞けずじまいでした。ま、でも夏の暑い夜のひととき、サグラダファミリアのアートシーンを鑑賞できただけでもシアワセでありました。(2022-07-24 NHK Eテレ・クラシック音楽館)


演奏後の指揮者、クリティアン・ティーレマンの後ろ姿。大汗が上着に染み通ってびしょ濡れでした。当然、エアコンなんてないから仕方ない。

 

 

 

 

田中泰延「読みたいことを 書けばいい。」を読む

 文章指南の本はたくさんあるけど、これは個性的かつ説得力のある本です。著者は電通に24年勤めたコピーライターで退職しては「青年失業家」と称してフリーで仕事をしている。どれだけ稼いでるのか不明なれど、ちゃんとメシが食えてるのなら大方のサラリーマンには憧れの人ではないでせうか。


CMづくりは一語、一文字をゆるがせにできない仕事ゆえに駄文は書きたくない、書いてはならないという思いが紙面にあらわれており、言いたいことを最小限の文字数で伝えることに留意したという。しかし、そう言う割りには親切丁寧な書きぶりのところもあり、何度も何度も推敲を重ねたのではないかと想像しました。日常的にブログを投稿している人には「初心に帰る」気づきがたくさんある本です。

 


たとえば<ネットで読まれている文章の9割は「随筆」>という見出しでは、ならば、随筆とは何か、を定義してみる。こんなこと本気で考えたことありませんでした。著者の弁では「事象と心象の交わるところに生まれる文章」だそうであります。ふう~ん、それで・・?
 「事象とはすなわち、見聞きしたしたことや知ったこと。世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトは事象である。それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれる。それが「心象」である。この事象と心象がそろって「随筆」が書かれる。書きたくなる。なるほどねえ・・言われれば、その通りだと。

 


たとえば<だれかがもう書いているなら、読み手になろう>での田中節はこうなる。例としてわかりやすいのが映画。公開前からいろんな情報が発せられ、内容や裏話までメディアに載る。公開されたら一般ファンもそれぞれの評価を述べるので情報満開状態、ハヤイ話、そんなところで凡庸な批評、感想を書いたところで誰も読まない。自己満足でオシマイ。だったら書くだけ時間のムダでありませう。言われてみればその通りでありますが、自己満足も否定されたらdameo なんか明日にも「はてな」を退会しなければなりませぬ。

 


たとえば<つまらない人間とは「自分の内面を語る人」>という見出しは何か深遠な精神世界を語るのかと錯覚してしまうけど、要するに身近にいる、なるべく付き合いたくない人物の紹介であります。先に、随筆は事象と心象がないまぜになって成立すると書きましたが、世間の森羅万象(事象)には興味がなく、ひたすら自分の暮らしの細部のあれこれ(心象)をグチグチ述べるしかできない精神的貧民を貶しているのであります。仕事上、言語感覚を研ぎ澄ましてきた著者がこういう俗物を毛嫌いするのは仕方ないか。


文頭で著者は自分のことを「青年失業家」と称してると書いたけど、69年生まれだから50歳を越えた。さりとて「中年失業家」ではサマにならないし・・。それでもこのライフスタイルでメシが食えたら自分には尊敬の対象になります。サラリーマンと自営業、半分ずつ経験した我が人生を振り返れば、なんか似てる気もするけれど、こちらは三度のメシ食うのが精一杯なのが情けない。


それにしても「自分が読んで面白くない文章を他人が読んで面白いはずがない」この当たり前にして気づきにくい田中センセの一撃、コタエます。人生最晩年の日々をこんなしょーもない駄文づくりに費やして委員会?。あかん、に決まってますがな、と999回目の反省をしました。(2019年 ダイヤモンド社発行)

 

 

倉橋由美子「大人のための残酷童話」を読む

 発想がユニークなので話題になった本ですが、読まずじまいで忘れていたところ、ある日、古本屋の100円ワゴンでみつけました。発売以来三十数年ぶりに購入したわけです。


期待して読んだら・・なんか「ハズレ」の印象です。誰でも知ってる童話のパロディだと想像していたけれど面白さではイマイチ、むしろ、困惑した読者が多かったのではと想像します。新潮社のPR誌「波」に連載された小品をまとめた本なので作者が本気で書かなかった?かもしれず、文学的価値は小さい。


しかし、奥付を見ると、1984年から93年までの10年間に47刷というロングセラーを遂げており、当時は人気作品だったことは間違いなく、だったら、自分の評価が間違っているのかとフクザツな気分になりました。


採用されてる童話は、一寸法師、浦島、養老の滝、かぐや姫、など有名作品と名人伝、安達ヶ原、など。外国作品では白雪姫などの他に「虫になったザムザの話」もあり、これは、カフカの「変身」をリメイクした話です。


題名通り「大人のための残酷童話」に仕上がったのは「かぐや姫」くらいでせうか。月へ帰るときにダダをこねたかぐや姫はむかっ腹をたてた武士に切りつけられると一瞬に醜い肉の塊になった。嘆き悲しんだ帝はその亡骸をせめて天に一番近い山に運び、荼毘に付したが、いつまでも燃え尽きることなく煙をあげていましたとさ。オワリ。・・ぜんぜん面白くないですよ。


「安達ヶ原」は同名の謡曲(今春流では「黒塚)のもじりで原作のラストシーンは老婆の食べた人間の死体の悪霊を旅の僧が念仏のチカラで退散させるのですが、倉橋版では必死で逃げる坊さんを悪霊が追いかけ、ついに捕まえて殺してしまう・・という残酷物語になります。正義の念力、法力、役立たず・・であります。


カフカの「変身」。原作を読んだ人でもラストシーンの細部を覚えてるひとは少ないのではと思います。父親の暴力によって自室で亡くなるのですが、倉橋版では家族がザムザを家に残してピクニックに出かける。置いてけぼりのザムザは腹をたてて郊外の広場で家族に追いつく。これに怒った父親は缶詰をザムザに投げつけた。パコンと命中したザムザは数十本の脚を痙攣させながら息絶えた。この事件で家族は町の人から相手にされなくなり、いっそザムザみたいな虫になりたいと言いながら死ぬまでミジメに暮らしたそうです。オワリ。


どれを読んでも「なんだかなあ・・」であります。こんな作品が10年間も売れ続けたなんて不思議でしようがない。さりとて、倉橋センセの他の作品を読もうという気も起こらないので、出会いの一冊が駄作であった不運を嘆くしかありません。唯一、是とするのはかなづかいが「旧かなづかひ」で書かれていることです。自分と同じ好みだし、童話の文体によく馴染んでいると思います。(1984年 新潮社発行)

 

 

 

澤 章「ハダカの東京都庁」を読む

 公務員のなかではマジメの上にクソを載せたようなイメージがある都庁の人事課長が書いた都庁暴露本。このために著者は天下りのポストと収入をパーにしてしまった。しかし、それは想定の上で出版したのだから、ま、しゃ~ない。我慢して頂きませう。


さりながら30年も勤めた職場をこんなにボロクソに描いて出版するなんて・・考えてみれば、相手が都庁だから書けたといえるかもしれない。もし、民間企業だったらかえって書きにくいのではないか。元ソニーの社員、元ソフトバンクの社員、元三菱商事の社員、だったら社長や上司ををこんなにボロクソに書けただろうか。ソフトバンクの社員が孫正義の悪口を書くのと、都庁の職員が小池知事の悪口を書くのでは、なんかニュアンスが違うような気がします。


全編悪口だらけかといえば、ひとつだけホメてる話がある。それは都庁には学閥がないこと。特定の大学を贔屓にして採用するとか、人事で重用するといった差別はない。これは立派だと著者は褒めています。但し、建築とか技術系の職ではそこそこあるらしい。単純に代々の知事も学閥なんかに興味がなかったのかもしれない。


30年間に仕えた知事は6名。誰がいちばん優れた知事だったか。著者は鈴木俊一氏(1979~1995)を挙げている。多くの古参職員が鈴木知事時代を「良かった」と懐かしむ。何が良かったのか。ハッタリがなく、ひたすら地味、堅実に仕事をこなした。そんなの当たり前のことでせうが・・だが、以後の知事はこの「普通に仕事をこなす」能力が欠けた「バカ殿」ばかりだった。


青島幸男石原慎太郎猪瀬直樹舛添要一小池百合子・・鈴木先輩に比べたらB級ばかり。特にひどいのが小池百合子だという。ま、著者は小池サンに直接バッシングされたのだからホメるはずがありません。もっとも、知事に言わせれば「選挙で選ばれましてん、選んだ都民もアホちゃうか」と五分五分論で煙に巻きたいでせう。


 石原知事時代に一つだけ嬉しかった思い出がある。北朝鮮拉致問題に関して知事が被害者家族を貶めるような失言をしてしまった。議会で謝罪するハメになったとき、著者は知事室に一人呼び出された。「キミ、すまんが謝罪文の原稿を書いてくれ」と。しかも、議会開催30分前だ。ドヒャ~~と驚き、しかし、もう逃げられない。その場で必死で原稿を書いた。知事は議会で文章通りのセリフで謝罪し、一件落着した。べつに名文とは思わないが後刻、知事にに文章の上手さを褒められた。石原知事が議会で謝罪したのは一回きりだった。


小池百合子橋下徹・・似ている陰湿人事
 橋下徹大阪府知事になったとき、上下間の風通しを良くするためと称してヒラの職員でも意見があれば直接知事宛にメールできるシステムをつくった。一方、小池知事は同じような意図で庁内に「ご意見箱」なるものをつくって職員が気軽に意見を述べるようにした。いずれも一見、民主的な情報交換に思えるが、密告をそそのかす方法でもある。
 こんな方法で職員の情報を集め、こいつは敵か、味方かを見分けて敵を排除する(冷遇する)。小池知事はこの敵味方の峻別がきついらしい。定例の記者会見でも開始直前に職員に参加記者の名前と社名、記者が座ってる場所を記したメモをつくらせて手元に置き、気に入らない記者は手を挙げても指名しない。職員も記者も「こいつは敵か味方か」と峻別する。


日本で最初の女性首相になりたいという野心、願望は悪くない。むしろ応援したいくらいです。でも、残念ながら「器」が伴わない。他に誰かいないかなあ。(2021年 文藝春秋発行)

幸福は幻になった<幸福実現党>のリアル

 参議院選挙が終わって三日後、新聞に「比例代表の最終得票数」という記事が掲載されました。細かい数字がびっしり詰まったデータで、こんな記事読む人は選挙関係者だけではと思われます。で、なにげに紙面をながめているとき「幸福実現党」の数字が目に止まりました。


幸福実現党 当選者数0人 比例区投票数148,020票
これ、ホンマか?・・全国でたったの14万8千票。得票率0,28%。
 2010年ごろは信者数1100万を誇った「幸福の科学」の凋落ぶりに驚きます。さらに、2009年の「幸福実現党」結党以来、ただ一人の議員も国会に送れなかった。13年間、連戦連敗という実績をどう考えてるのでせうか。有名無実、不幸の山を築いてきた「幸福実現党」の未来はマックラであります。


下のデータは2010年以後の幸福実現党の選挙区得票数を示します。

参議院選挙区選挙    非改選           得票数(得票率)    
2010年第22回通常選挙    0/24        242    291,810 (0.50%)     
2013年第23回通常選挙    0/50        242    606,692 (1.14%)

2016年第24回通常選挙    0/47        242    963,585 (1.70%)      

2019年第25回通常選挙    0/12        245    187,491 (0.37%)      

2022年第26回通常選挙    0/12        248    134,718 (0.25%)     
                            (注)比例区の得票は148020  (0、28%)

2016年の選挙で100万票近く獲得したあとはガタ減りで、この趨勢だと次回は10万票を割るかもしれない。宗教政党は票数イコール信者数と考えてもいいので現在の幸福の科学は信者数が10万人台と想像します。公明党も同じで、永らく信者数800万人を喧伝してきたけど実数は600万人くらいでせう。人口減と高齢化で次回の国政選挙では500万人台になりそうです。


選挙の前、たまたまネットの動画で幸福の科学教祖の息子さんを見かけた。30歳くらいに見えたが、自分は教祖の跡を継がないと明言していました。さらに現在の親子は険悪な関係にあるとのこと。詳細はわからないけど、事実なら幸福の科学は一代きりで終了もあり得ます。国民の幸福の実現には何の役にも立たずじまいで消滅しそう。そもそも幸福の科学の教祖家族が不幸のどん底に落ちるなんて・・。宗教団体の政治活動が国民の幸福に寄与すること、ありえません。

参考情報
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E5%85%9A#:~

 

全国都道府県別の比例区得票数一覧・・表の中央あたり、本部のある東京都においてさえ、得票は1万4588票しかなかった。今回デビューの「参政党」にも負けた。

産経新聞 7月13日 朝刊)

大石あき子「維新ぎらい」を読む

 橋下徹が大嫌い、というdameo の心情をくすぐる、こんな本が出ています。著者、大石あき子氏は大阪市出身の衆議院議員で所属は「れいわ新撰組」。超マイナー政党の議員が只今躍進中の「維新の会」と黒幕の橋下徹をボロクソに批判している。そのパワーはなんだか象にたかるハエの如しでありますが、初版6月14日発行、第3刷、6月30日発行と、意外に好評です。1~2万冊売れたら敢闘賞モノでせう。願わくば、大阪府民、市民に読んでほしい。


大石センセの維新嫌いの原点は大阪府庁勤務の職員として橋下知事の下で働いたことです。あろうことか、知事就任セレモニーの場でヒラの身で橋下の発言に噛みついた。300人の若手職員が集合した会場は凍り付いた。ハナから公務員は見下げるに値する人間とタカをくくっていた橋下知事は想定外の反撃に頭に血が上ったらしい。もちろん、反省などするはずもなく、意図的に敵をつくって徹底的に叩きのめす、という橋下流人事に邁進する。


2010年、大石センセの上司が橋下プレッシャーに負けて?自殺する。府庁職員の自殺者は2001~2009年は年に1~2名だったが、2010年は7名に増えた。詳細は分からないが人事的圧力と過労が原因とされる。
 かように橋下知事時代になって大阪府庁は世にも陰険な職場になってしまったが、知事当人はメディアへの露出を増やし、型破りの知事(後に市長も)として人気を博したことはご存じの通り。


翻ってdameo が橋下嫌いになったのは、かの「大阪都構想」の企画時点からです。自分とてガチガチの保守人間ではないから計画が発表されたときは府政の革新に期待したものですが、内容が具体化するほどに怪しさが増し、当人が各区役所などで説明会を催すに至って期待は消え、不信感だけ募ることに。
 詳しくは書けないが、改革の目玉になった「府と市の二重行政の廃止」だけみても怪しい数字やグラフで説明されても論理的な説得力は皆無で「こんなの詐欺ちゃうか?」と思うようになりました。しかし、橋下センセは話術の達人でもあり、アホな市民は容易に騙されてしまう。


今回(2022・7月)の参議院選挙でも維新の会は議席を増やして前途洋々の感がありますが、京都府での落選のようすをみると、理屈ではない「維新ぎらい」の思想があるように思います。感覚的な拒否感といってもよいかもしれない。
 自分の維新嫌いはこんな本まで書いた大石センセの維新ぎらいに比べたらヤワイものでありますが、国会議員に選ばれた維新の会議員については「無知な国民が選んだB級政治家集団」というイメージです。但し、大阪市民以外の方には維新のマイナス情報が伝わっていないので無知は仕方ないでせう。


今後は維新の会に逆風が吹くことを望みますが、それが叶わないなら、自らの改革として、まず、橋下徹と絶縁することと、所属の国会議員、地方議会議員に「道徳教育」をして、あの丸山穂高のようなゲス人間が再発生しないようタガを締めてほしい。(2022年 講談社発行)


丸山穂高
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%A9%82%E9%AB%98

 

 

向田邦子「思い出トランプ」「男どき女どき」を読む 

 著者、向田邦子は作家より、テレビドラマの脚本家として有名だった。しかし、500本以上こさえたというテレビドラマ、一本も見ていないので、そちらは見当がつかない。ドラマで人気を博したのは「寺内貫太郎一家」や「阿修羅の如く」らしい。


この2冊の作品集では、平凡にして平穏な小市民の生活の営みに一滴の毒を垂らす・・というのが標準的スタイル。その毒がけっこうきつい。しかし、大波乱が起きるのではなく、一家破滅の悲劇につながるのでもなく、毒が回ったまま、ホームドラマが続く。その先までは書かない。暗示したところで物語が終わる、というのが向田流みたいですね。


「人間の、人間に対する果てしない興味」が小説や脚本を量産するモトでありまして、向田さんと昵懇に付き合った人はみんなネタにされてしまいそう。
 もう一つ、登場人物に美男美女はかいもく出てこないのも特色。ダサイ男とブサイクな女が市井の片隅で惚れた振られたを演じる話が大半でありました。確かに、美男美女より冴えない男女のほうが描きやすいし、リアリティがありますからねえ。向田さんって、ハーレクイン風の物語なんて書けないでせう。「だらだら坂」「ビリケン」「鮒」などがスグレモノだと思いました。しかし、三十数編を一気に読むと、さすがに飽きてしまいました。


 著者は1929年生まれだから、存命なら93才。橋田壽賀子さんとあまり変わらない世代です。功成り名遂げて、作家として一番人気の高かったときに一滴の毒、運命の暗転が訪れた。(1981年、台湾旅行中、飛行機事故で死去)ということは、今50歳の人でも向田邦子の名前を知らないのか。嗚呼、時は無情に過ぎゆく・・。(大活字本で読みました)