田中泰延「読みたいことを 書けばいい。」を読む

 文章指南の本はたくさんあるけど、これは個性的かつ説得力のある本です。著者は電通に24年勤めたコピーライターで退職しては「青年失業家」と称してフリーで仕事をしている。どれだけ稼いでるのか不明なれど、ちゃんとメシが食えてるのなら大方のサラリーマンには憧れの人ではないでせうか。


CMづくりは一語、一文字をゆるがせにできない仕事ゆえに駄文は書きたくない、書いてはならないという思いが紙面にあらわれており、言いたいことを最小限の文字数で伝えることに留意したという。しかし、そう言う割りには親切丁寧な書きぶりのところもあり、何度も何度も推敲を重ねたのではないかと想像しました。日常的にブログを投稿している人には「初心に帰る」気づきがたくさんある本です。

 


たとえば<ネットで読まれている文章の9割は「随筆」>という見出しでは、ならば、随筆とは何か、を定義してみる。こんなこと本気で考えたことありませんでした。著者の弁では「事象と心象の交わるところに生まれる文章」だそうであります。ふう~ん、それで・・?
 「事象とはすなわち、見聞きしたしたことや知ったこと。世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトは事象である。それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれる。それが「心象」である。この事象と心象がそろって「随筆」が書かれる。書きたくなる。なるほどねえ・・言われれば、その通りだと。

 


たとえば<だれかがもう書いているなら、読み手になろう>での田中節はこうなる。例としてわかりやすいのが映画。公開前からいろんな情報が発せられ、内容や裏話までメディアに載る。公開されたら一般ファンもそれぞれの評価を述べるので情報満開状態、ハヤイ話、そんなところで凡庸な批評、感想を書いたところで誰も読まない。自己満足でオシマイ。だったら書くだけ時間のムダでありませう。言われてみればその通りでありますが、自己満足も否定されたらdameo なんか明日にも「はてな」を退会しなければなりませぬ。

 


たとえば<つまらない人間とは「自分の内面を語る人」>という見出しは何か深遠な精神世界を語るのかと錯覚してしまうけど、要するに身近にいる、なるべく付き合いたくない人物の紹介であります。先に、随筆は事象と心象がないまぜになって成立すると書きましたが、世間の森羅万象(事象)には興味がなく、ひたすら自分の暮らしの細部のあれこれ(心象)をグチグチ述べるしかできない精神的貧民を貶しているのであります。仕事上、言語感覚を研ぎ澄ましてきた著者がこういう俗物を毛嫌いするのは仕方ないか。


文頭で著者は自分のことを「青年失業家」と称してると書いたけど、69年生まれだから50歳を越えた。さりとて「中年失業家」ではサマにならないし・・。それでもこのライフスタイルでメシが食えたら自分には尊敬の対象になります。サラリーマンと自営業、半分ずつ経験した我が人生を振り返れば、なんか似てる気もするけれど、こちらは三度のメシ食うのが精一杯なのが情けない。


それにしても「自分が読んで面白くない文章を他人が読んで面白いはずがない」この当たり前にして気づきにくい田中センセの一撃、コタエます。人生最晩年の日々をこんなしょーもない駄文づくりに費やして委員会?。あかん、に決まってますがな、と999回目の反省をしました。(2019年 ダイヤモンド社発行)