詐欺メールてんこ盛りの日々

 今年はじめ頃から詐欺メールが増えました。アドレスを永年変えないのも増加の理由だと分かっていても面倒だからと放置したままです。一日におよそ30~40通、口座のない銀行から「お客様の口座を閉鎖します」と言われてもなあ。退会したアマゾンから金を請求されてもなあ・・。


今日は新顔が登場しました。日本郵便輸送(株)という会社からメールで「これから宅配物を配達する予定ですが、荷物に問題があるので下記へ連絡下さい」と。認知症の人ならうっかり反応してしまうかもしれない。
 郵便物やゆうパックなら郵便局が配達するはず。こんな会社の名前、聞いたことがない。それに「配達票」に届け先の人のメールアドレスを記入するなんて・・あり得ない。


念のために、日本郵政の問い合わせ窓口に電話して「日本郵政の子会社、関連会社に日本郵便輸送という会社がありますか」と尋ねた。関連会社はわんさとあるに違いないが、返答は「そんな会社はありません」と。
 ついでに日本郵便輸送という社名でぐぐってみました。じゃ~~ん、ありますよ、この会社。ま、詐欺師なりに努力はしている、ということ、わかりました。

日本郵便輸送(株)のURL
  https://baseconnect.in/companies/e0df0b2c-35bf-46c6-b775-a5e5640b5369

資本金182億円、売り上げ1000億円、従業員数2038人・・・etc
ヤマト運輸と肩を並べる大企業だそう。この情報を信じる人なんてゼロでせう。
つくった本人もマッタク信じてないのだから。
 しかし、これを見て思いついたことがある。ネット市場では詐欺師のために詐欺ホームページをつくる「マニュアル」がすでにできて流通しているのではないか。詐欺師ご愛用「裏マニュアル」で、挨拶文や勧誘の文例とか、業種別の会社情報や取引先など関連情報を手際よくまとめたニセ情報である。詐欺を思いついた人をサポートする「虎の巻」。むろん、これ自体もインチキ情報=詐欺商品であります。もしや、こちらのほうが儲かるかもしれない。


上記のホームページで売り上げ1000億円をうたう日本郵便輸送の社長さん、実は失業者で裏町の家賃3万円の木賃アパートに閉じこもり、パソコン相手に必死にHPをつくる姿を想像する・・。銀行やクレジットカード会社を名乗る詐欺メールはもうアイデアが出尽くしたので「日本郵政」なら騙せるかもという魂胆でせうが、世の中そんなに甘くありませんぞ。


ネット世間でこれだけ堂々と詐欺情報が氾濫すると被害者が出ても「騙された方が悪い」が常識になってしまう。やがては「犯罪者を利する無能国民」として被害者が罰則を科される時代になるかも知れません。あな、おそろしや。

 

太宰治「富嶽百景」を読む

 山登りなんかまるで興味無さそうな太宰治の富士山論であります。書き出しはこんなふうに始まる。「富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晃の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西及び南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晃に限らず、たいていの絵の富士は鋭角である。頂が細く、高く、華奢である。


北斎に至っては、その頂角ほとんど三十度くらい、エッフェル塔のような富士をさえ描いている。けれども実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。(中略)低い。裾の広がってる割に低い。あれくらいの裾を持っている山ならば、少なくとも、もう一,五倍高くなければいけない。


かように、太宰治は日本の名峰富士山をけなすのであります。それなのに、「思うところあって」太宰は旅にでた。行き先は御坂峠、富士の展望台みたいな場所だ。実はここの茶屋に文学の師、井伏鱒二が逗留していて、それが目当てだったらしい。


 ある日、二人は三ツ峠に登った。井伏は軽快な登山服姿であったが、太宰はそんな服あるはずがなく、茶屋のドテラ姿であった。「茶屋のドテラは短く、私の毛ずねは一尺以上も露出して、しかも、それに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく・・」あの、ええかっこしいの太宰がこんな恰好で山登りしたのか、もう笑うてしまいます。ふだん、人のなりふりを決して軽蔑などしない井伏センセイも太宰のこのブッサイクないでたちにはアゼンとしたらしい。


頂上のパノラマ台についたときの文章がケッサク。「急に濃い霧が流れてきて、頂上の断崖の縁に立ってみても一向に眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は濃い霧の底、岩に腰を下ろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさそうであった」師であるゆえ、屁をこく場面でも敬語を使うのであります。

(注)太宰はこのあと井伏鱒二センセの仲介で石原美知子とお見合いし、即気に入って結婚した。

 

三つ峠からの富士山展望

 

倍賞千恵子主演「PLAN75」鑑賞          

 6月26日の感想文のおしまいに「安楽死の合法化」を望むと書いたら、そのまんまの映画ができていました。首題の「PLAN75」は75歳になったら生死を自分で決められる法律が国会で可決され、ヒロインの倍賞千恵子が生活困窮の果てに「死」を選ぶ、という、なんとも悲惨な物語です。


81歳の賠償千恵子がノーメークで登場します。あの「男はつらいよ」シリーズの「さくら」役だった千恵子のイメージが残っているオールドファンが見たら思わずのけぞってしまうでせう。映画はフィクションなのに倍賞の容貌はもろ81歳の「リアル」。


もし、日本で安楽死法案が施行されると仮称「PLAN75」を扱う新しいビジネスが生まれる。保険会社のような組織で生命保険加入を宣伝するように安楽死の希望者を募り、身辺整理を含めた関連事業コミで契約する。(約款がどうたらという話は映画では出てこない)


脚本の段階でいろいろ議論されたかもしれないが、安楽死を是とする結末にすれば世間の反感が高まり、倫理的に赦されない筋書き(作品)と指弾される懸念は十分あります。で、・・・倍賞千恵子ばあさんは土壇場で生還する、という場面で終わります。将来、安楽死ビジネスが盛業になると思わせるような終わり方はできなかった。この「ぬるさ」「あいまいさ」が映画作品の価値を貶めたと自分は思うけど、評価は分かれるでせう。


安楽死ビジネスが業績絶好調・・なんて時代になってほしくないけど、75歳過ぎて、金なし、身よりなし、生きがいもなし、という老人は増え続ける。この人たちの生活を支えるのは若い世代しかない。そして、自分の子供や親を平気で殺す「若い世代」に老人の安楽死を是とする考えが広まる可能性はあると思う。老人自身の選択だけでも重い判断なのに、息子や孫に「奨められて」あの世へ追い出される時代がやってきそう。昔々「老人は 死んでください 国のため」なんて戯れ歌があったけど、本気で願ってる人もいる。


この映画では「PLAN75」で安楽死した人は火葬場で五人まとめて焼却される。遺体の供給が増え、見送る人も悲しむ人もいなければ、個人の尊厳より火葬場の生産性が優先される。なんか、妙にリアリティがありますね。 選んだテーマは良かったけど、作品としてはイマイチというのが実感です。(6月30日 なんばパークスシネマ)

映画「PLAN75」予告編
https://happinet-phantom.com/plan75/

司馬遼太郎「この国のかたち」(四)を読む

  軽重いろいろなテーマがあるが、一番チカラを入れて書いたと思われるのが「統帥権」というテーマ。これの乱用が軍国主義を生み、日本の開戦~敗戦に至ったのでありますが、著者は、軍部がいつ頃から、なぜ、暴走してしまったかをエッセイとして書いている。くそ暑いときに、くそ堅苦しい話であります。


統帥権(とうすいけん)とは軍隊を指揮、管轄する最高権力のこと。日本では大日本帝国憲法下における、という前提がつく。表向きの統治者は天皇でありますが、実際は軍のトップが指揮する。この解釈と運用を巡っていろいろな考え方があり、日露戦争以降においては軍の意見が強力になって軍事政権化し、最後は太平洋戦争開戦に至ってしまう。dameo の考えでは、日本は日露戦争にカッコ良く勝ちすぎた。これが軍人、軍部をのさばらせる端緒になり、三権と同等、またはそれ以上の権力をもってしまったと思ってます。


本書111頁引用「以後、昭和史は滅亡にむかって転がり落ちてゆく。このころ(昭和5年頃)から、統帥権は無限・無謬・神聖という神韻を帯びはじめる。他の三権(立法・行政・司法)から独立するばかりか、超越すると考えられはじめた。さらには三権からの容喙(ようかい)もゆるさなかった。もう一つ言えば、国際紛争や戦争を起こすことについても他の国際機関に対し帷幄上奏権(いあくじょうそうけん)があるために秘密にそれを起こすことが出来た。となれば、日本国の胎内にべつの国家・・統帥権日本・・ができたともいえる。

 

 しかも統帥機能の長(たとえば参謀総長)は首相ならびに国務大臣と同様、天皇に対して輔弼(ほひつ)の責任を持つ。天皇憲法上無答責である。
 である以上、統帥機関は何をやろうと自由になった。満州事変、日中事変、ノモンハン事変など、すべて統帥権の発動であり、首相以下はあとで知って驚くだけの滑稽な存在になった」(以下略)


いま、こんな軍部独裁政治を批判するのはたやすいが、当時の国民は強力に反対したのだろうか。マスコミは積極的に批判し、警鐘を鳴らしたのか。
 そうではなかった。マスコミも世論も軍事政権を支持した。いわゆる「翼賛体制」という御輿担ぎです。そして、戦争が始まるとマスコミは軍部批判どころか、軍の下請けみたいに戦争を煽った。国民の大多数も煽られっぱなしになった。その結果、破滅へ・・。文民統制というタガを外すといかに危険か。一億総懺悔したのであります。よって、独裁軍事政権と国民(マスコミ)、アホさでは五分五分と考えます。マスコミの罪は戦犯並と言いたい。


と、司馬遼太郎の文を引用して「統帥権」を説明したのですが、戦後生まれの人はこんな話題にはこれぽっちの興味もない。当時の日常語だった「大政翼賛」なんて、もう死語だと言ってもよいでせう。書き終わってから、他の話題にすればよかったと後悔しました。(1994年7月 文藝春秋発行)

 

 

高橋源一郎<「読む」って、どんなこと?>を読む

 文字を読む、文を読む、作品を読む・・文字を通じて書き手の人生を読む。
チラシを読む単純作業から人の心を読む難解なことまで、あらゆるコトを読みまくる日々。そこをクセ者、高橋センセは子供に諭すような文体で読ませます。

 43頁「もう一つ、簡単な文章を読む」という項目で、6月14日に紹介した故・鶴見俊輔氏が紹介されています。本当に簡単な文章ですが、なんとも、切ない。


 鶴見センセは晩年、八十歳代に「もうろく帳」という短文集を書いた。
2005年11月4日
「友は少なく。これを今後の指針にしたい。これからは、人の世話になることはあっても、人の世話をすることはできないのだから」
2009年6月18日
「私の人生のおおかたは思い出になった」
2009年6月20日
「しかし、太郎(一人息子)と生きた人生はまったく新しい人生だった」
2010年3月25日
「私は生まれなかったほうが良かったかもしれない。しかし、私から生まれた太郎に会えたことはよかったと感じている。この矛盾。」
<センセは以前にこう書いていた。子供をつくったのは自分の都合だ。だから、子供が自分を殺しにくるようなことがあれば、それを受け入れたい>と。
2011年5月20日
「自分が遠い」
2011年10月21日
「私の生死の境にたつとき、私の意見をたずねてもよいが、私は私の生死を妻の決断にまかせたい」・・絶筆(89歳)


この文を書いた直後に脳梗塞を発症し、話す、書く、機能が失われた。しかし、読む(読書する)機能は残った。かくして、一言もしゃべれない、一文字も書けない境遇でなお三年間、読書を続けた。2015年肺炎で死去。享年93歳。


誰しもが「自分ならどう対応するか」考えてしまう人生のラストシーン。哲学の才なく、宗教心も希薄な自分は単純に「安楽死の合法化」を望むものであります。ただいま、参議院選挙のさなかでありますが、もうそろそろ「安楽死」をテーマに賛否を問う政党が生まれてもええじゃないかと。共産党並の支持率(3%台)を獲得すれば真剣な議論が生まれます。(2020年 NHK出版発行)

 

 

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閑人帳◆猛暑日でもマスクを外さない人へ・・

 25日(土)は関東各地で35度超の猛暑になったけど、ニュース画像を見ると、それでも町行く人のほとんどはマスクをつけていました。我慢強いというより、もう慣れて苦にならなくなったのか。外さない理由の第一はコロナ対策のためではなく、「同調圧力」でせう。かくいう自分も電車内や買い物するときは外さない。

 これじゃ外すきっかけがない。そこで、こんな突飛なアイデアはどうか。TV会社のエライ人が「当社が明日以後に制作する番組は、出演者はマスクなしで制作します」と 。(過去の録画以外はマスクした人物は画面に登場しないことになる)

で、この会社の番組を見た人は「みんなハズしてるやん」「ほな、うちらもやめよか」で「外す」側に同調する人が増える。一方、TV会社には批判、非難の声ががわんさと投げかけられる・・ハズ。

このTV会社の「脱マスク宣言」をあなたは賞賛しますか。それとも非難しますか。

 

小林惠子「聖徳太子の正体」を読む

聖徳太子は外国人だった・・の衝撃珍説
 20年くらいまえに「太子快道」なるウオーキングコースをつくろうと思い、太子に関する本を30冊くらい読みました。そのなかで一番興味深かったのが本書です。え?・・太子は外国人やて?、そんなアホな。であります。
 ページを繰ると著者自身「まだまだ研究途中で、結論ではない」と予防線を張っていますが、dameo はすっかり魅了されてしまい、むっちゃオモロイやんかと小林センセのファンになってしまいました。


しかし、読んでみると無学な自分には思いっきり難解な内容で脳ミソはワヤワヤ状態。5~6世紀頃のユーラシア大陸における諸民族の盛衰についての知識がないとさっぱり理解できない。そもそも固有名詞が読めない(一部はルビがあるけど)からうろたえるだけです。見たことのない漢字も多々でちんぷんかんぷん。・・などと愚痴っても仕方ないから思いっきりアバウトな「まとめ」を書きます。


太子は遊牧民の親分だった
 中央ユーラシアの遊牧民国家、突厥(とっけつ)の軍団は西暦600年(推古8年)朝鮮半島から北九州を経て瀬戸内海を進み播磨で上陸した。リーダー、
達頭(たつとう)はのちの聖徳太子。戦争なら上陸地の住民を皆殺し、略奪するが、一行は逆に地元になじみ、定住した。そこが現在の兵庫県太子町である。
 当地で大和政権の様子を探り、機を見て大和へ入った。(太子は20歳ごろと思われる)ここで一挙に推古天皇の身内になる。・・ということは、歴史に描かれる太子の誕生から少年時代の事蹟はすべて後世の作り話ということになる。それにしても日本語が話せないでどうして皇族の「身内」になれたのか。


小林センセの説ではそんな些末なことは無視して良いのでありませう。肝心なことは太子は推古天皇のサポーターであって自ら権力者にはならなかった。その一方で隋との交渉や憲法の制定など国益に関わる仕事を為した。そして、人生の後半は為政者ではなく、学者、思想家として仏教の研究に勤しんだ。ま、このへんは誰でも知っている太子の人物像です。逆に、太子が日本人ならこんな人生を送るほうが不自然で推古女帝に代わって天皇になり治世に勤しむことが普通であります。


dameo が聖徳太子にかんして最初に抱いた素朴な疑問は「皇族なのに、なぜ仕事に馬を使うのか」でありました。飛鳥から斑鳩や難波への往来はすべて乗馬で、お供は数人しかつかない。他の皇族のように輿に担がれて、がない。なのに、幼少時に乗馬訓練をしたという話もない。この疑問、太子はバリバリの騎馬民族だから、という一言で解決です。


外国による日本侵攻といえば、ふつうは鎌倉時代の「元寇」を想像しますが、実際は古代から頻繁にいろんな国が日本侵攻を企てた。幸い、日本が敗戦国にならなかっただけで、小規模な侵略~土着はあったと思われます。また、交易や遭難、漂着でしょっちゅう外国人は来ていた。その中で飛び抜けて頭の良い人物がいて皇族に潜入した。小林センセにはいっそう研究に励んでいただき、世間の常識に挑んでほしいと願っています。(1990年 文藝春秋発行)


達頭可汗
達頭可汗(Tarduš qaγan、漢音:たつとうかがん、拼音:Dátóu kĕhàn、生没年不詳)は、突厥の西面可汗。室點蜜(イステミ)の子。達頭可汗[1]というのは封号で、姓は阿史那氏、名は玷厥(てんけつ)という。
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突厥
(日本語読み:「とっけつ」あるいは「とっくつ)、あるいはテュルク(古テュルク語: 𐱅6世紀に中央ユーラシアに存在したテュルク系遊牧国家。もともとはジュンガル盆地北部からトルファン北方の山麓にかけて住んでいた部族。柔然の隷属の下でアルタイ山脈の南麓へ移住させられ鍛鉄奴隷として鉄工に従事したが、552年に柔然から独立すると部族連合である突厥可汗国(日本語読み:とっけつかかんこく。突厥帝国とも)を建て、中央ユーラシアの覇者となる。582年には、内紛によって東西に分裂した。

 

 

通勤圏にある<廃村風景>

 カツピチさんのブログ(https://katupiti.hatenablog.com)で紹介される廃村風景を見て東京にもこんな超過疎地区があるのかと驚きました。私も廃村風景に興味があって、昔はハイキングがてら無人の山村を歩いたものです。鉄道の無人駅を訪ねるのと同じ趣向かも知れません。静寂のなかに漂う寂寥感が魅力だと思っています。


最近になって大阪~奈良間の通勤圏にミニ廃村風景があることを知り、ハイキングを兼ねて訪ねてみました。場所はJR大和路線河内堅上駅三郷駅間の里山です。天王寺駅から約25分、大阪駅からでも50分くらいで行けます。(駅から現地まで徒歩20分)大和川が峡谷風景をつくるところですが、当地は大昔から地すべり災害の発生地でたびたび大規模な被害が生じ、近年、国の施策で地形を変えるような抜本的対策工事が行われました。これによって住民は強制的に退去させられ、無人地区=廃村になりました。


住宅はすべて重機で撤去、更地化されたのでカツピチさんが訪ねたような生活感漂う廃村風景はありませんが、集落跡にぽつんと残された墓地とか、廃村ならではの光景が残っています。過疎や貧しさではなく、自然災害によって生まれた廃村風景が大都市の近くで見られる珍しい例だと思います。

 

Ⅰカ所にまとめられた墓石 

 

近年まで農作業をした跡がある。(畑作は禁止)

 

立派な民家があったと思われる玄関跡が残っている。

 

撤去を免れた神社社務所の内部

 

通称「亀の瀬地すべり地区」と呼ばれている広大な対策地区

 

亀田潤一郎「稼ぐ人はなぜ長財布を使うのか」を読む

 22頁「もちろんピッタリというわけにはいきませんが、これまで多くの社長の財布を見てきて、概ねその人の年収というのは、今使ってる財布の購入価格の200倍に匹敵する、という事実に気づいたのです」


20万円の財布を使ってる人なら、その人の年収は4000万円
5万円の財布を使ってる人なら、その人の年収は1000万円
3万円の財布を使ってる人なら、その人の年収は600万円 (引用ここまで)


くそ~~~、むかつくやおまへんか。駄目男の財布はスーパーのバーゲン台にてんこ盛りしてあった二つ折型を2500円で買ったので、200倍したら50万円。人生マックラであります。それは仕方ないとして、著者が言いたいのは、お金を大切にし、扱う人は、お札も大事に扱う。財布というのは、お札にとってはホテルのようなもので、なるべく居心地の良い財布で丁重に扱うべきという。これは分かりますね。ちなみに、著者、亀田氏(税理士)が使ってるのは20万円のルイ・ヴィトンだそうです。


こんな景気のいい話を書く著者も、若い頃に父の経営する会社が倒産し、借金の返済に追われて家族がバラバラになり、昼は塾の講師、夜はコンビニのアルバイトで一日中働き通し、少しでも生活費を切り詰めるためにコンビニ店主の許可を得て、毎日賞味期限切れの弁当を持ち帰って食べた。これがたたって病気になった・・云々と、どん底生活を味わっています。


誤解の無いように書き加えれば、金持ちは収入に応じた高価な財布を持つべきだという話ではない。逆に、少し無理してでも、高級な財布を持つことでお金に対する意識を変えよ、というのが本書のコンセプトです。
 長財布にはお札だけ入れ、カードや、名刺やレシートなどは入れない。財布は大事なお金(お札)のホテルであり、なんでもかんでも突っ込む物入れでは無いということを自覚する。銀行でおろしたお金を入れるときは「いらっしゃいませ」出て行くときは気持ち良く「ごきげんよう」と送り出す。こんな気持ちでお金を大事に扱うと浪費もしなくなると。


自分は貧乏だからと万年オンボロ財布を使ってると、ボロ財布に見合った貧乏暮らしから脱することができない。それより、今は貧しいけれど、清水の舞台から飛び降りる気で不相応な高級財布を買い、お金に対する意識の変革をめざす。上昇志向をカタチで表現する小道具として財布はスグレモノだというわけです。上等の財布にお札を入れて大事に使うクセがつくと、他のモノから趣味、ライフスタイルもその感覚が通じ、ひいては人間関係にも影響します。なるほど、ルイ・ヴィトンの財布に一万円札詰めてパチンコ屋に行く人はいないでせう。


著者はガツガツ稼いでケチケチ使え、と言ってるのではありません。ふだんは倹約家でよいが、使うべき時にはパッと使う。すると意外な好転や好循環が生まれてお金が回り出す。ケチと贅沢を上手に使い分けようという考えです。
 なお、この「財布の話」は男性限定、女性にはあてはまらないと著者はことわっています。女性は財布を人生、経済哲学の小道具にするとか考えず、装飾品の一つとして持つからです。(2012年12月 サンマーク出版発行)

 

 

重松清・鶴見俊輔「ぼくは こう生きている 君はどうか」を読む

 親子ほど年の差が大きい作家と哲学者の連続対談を収録したもの。書名から察すると若者向けの生き方啓蒙書のように思えるけど、オジンが読んでも勉強になりました。驚くのは鶴見センセの記憶力の凄さで、自分の子供じぶんや若い時代の出来事から人名、履歴がスラスラ出てきます。50年、60年昔の出来事を昨日のことのように語れるなんて・・。重松センセが生まれる前の話に対応するためにどれだけ予習をさせられたか同情しました。自分ならもう汗が噴き出し、うろたえまくったと想像します。


国をつくったのはB級人物によるゲマインシャフト
 第一章は現代教育への批判です。「日本の本当の教育は明治時代に終わった」という項目をたてて「昔はヨカッタ」と明治時代を回顧する。寺子屋教育が近代教育へ脱皮する過程で生み出された人材が本当にスグレモノだったと言う。
 坂本龍馬吉田松陰高杉晋作西郷隆盛大久保利通木戸孝允、など、
日本の国体を変えるような大仕事をしたが、彼らはむろんエリートにあらず、田舎生まれ、田舎育ちの庶民だった。しかし、主義主張で争うようなことはあっても、基本的に「話せば分かる」同胞意識を有し、漠然とながら共同体感覚で活動した。情緒が通うゲマインシャフト(共同体)が政治を仕切ったといえる。


近代の欧米でこんな人事、人脈を以て国政を仕切った例はない。はじめに血筋や家柄ありきで人材を選ぶのが当たりまえだった。むろん、日本にも各地に大名という統治者がいたけれど、徳川幕府が崩壊する場面ではほぼ何の役にも立たなかった。基本、B級人物があ~だこ~だと喧嘩や同調を繰り返して、とにかく「国体」のベースをつくったのだから、まあ、オドロキの国づくりです。
 私たちは幕末~維新のドラマではとかく個人の働きぶりの評価にとらわれがちですが、絶対的ヒーローがいなかったにも関わらず、近代国家の成立を成し遂げたことを再認識する必要があります。


しかし、近代の体制づくりが進むにつれ、オッサンたちのゲマインシャフトでは統治できなくなり、優秀な人材は優秀な教育システム、即ち全国につくった帝国大学などの出身者に委ねるようになる。そして、優秀な人物とは優秀な学業成績を有する者という常識が生まれた。それが明治時代の後期だと鶴見センセは言う。学歴重視が「ほんとうの教育」を無にした。


反アカデミズムの旗手みたいな存在だけど
 世間の流れに阿らず、常にアンチを唱え、少数派に組するというのが鶴見センセの生き方でありますが、さりとて左翼思想に同調したりはしない。そこんところのバランス感覚を支えるのが永年に培われた教養でありませう。
  権威やネームバリューに逆らう姿勢はヨシでありますが、ホンネはどうなのか。対談を収録した本書ではたびたび「ハーバード大学ではね」のセリフが出てきます。いちいちブランドを出さなくても分かってますよ、センセイ。


ご本人が否定しても鶴見家はまごうかたなき良い血筋に恵まれている。母親の父がかの後藤新平だなんて庶民から見れば雲上の人にしか見えない。そんなファミリーで庶民の味方をうたっても、なんだかなあ・・がリアル庶民のホンネであります。(2010年 潮出版社発行)

 

 

dameo 「ハルカスまでアルカス」大阪ミナミの新散歩ガイド

 3年前に考えついたアイデア。コロナ禍のせいでお蔵入りにしてましたが、このたび産経新聞(大阪)が記事にしてくれました。表題は日本一高いビル、ハルカスまで歩かせる、の意です。地下鉄5駅区間、一筆書き5200mの商店街コースで、今までメディアが敬遠してきた西成区のディープシーンも案内しています。偏見や差別意識を改める意味でも探訪してほしい商店街です。

 

産経新聞(大阪)web版記事
https://www.sankei.com/article/20220609-PVU6QNXRMZJIBODCJVJAWVLCNE/