小林照子「これはしない、あれはする」を読む

 
どんな生き方をしてきたか。
顔にはすべてが
記録されていくのです。


・・と、dameo が書けば、何をしょーもないこと言うとんねん、で馬鹿にされるだけでありますが、美容界の大御所が書けばなにやら格言めいたネウチのある言葉に思えるのであります。


小林照子ってはじめて知る名前です。ただいま86歳、化粧品メーカー「コーセー」中興の祖?とされる業界の有名美容家だそうです。コーセーの重役を退職後に自ら研究所を立ち上げ、有名女優などのメークを担当して知名度を高めた。そんなサクセスストーリーの当事者がハウツー本を著せば、ついつい自慢話満載になるところ、そこは抑制されて抵抗感の少ない読み物になっています。


抵抗感が少ないのは甘口と辛口の話(言葉)ほどほどにミックスされているからで、基本、リアリストであるけど、夢や希望を語るのも忘れないからでせう。


いろいろな格言?を読んで、この人の言うこと、先日亡くなった瀬戸内寂聴さんの言葉に似ている気がしました。苛烈な人生を送ってきたことは共通しています。大ピンチでも泣き言は言わない。過去に執着しない。世間を敵視しない・・。書けばカンタンですが、凡人にはが難しいことばかり。


たくさんの格言?のなかに、明日ここで紹介する歎異抄で語られる内容と似ているものを見つけました。


私たちは毎日、動物や植物の
命を頂いて、そのお陰で
「命」をつないでいるのです。

 

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何の使命も与えられていない
人間など存在しません。

 

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自分の知識と経験と智恵を
きちんと伝えていく。
それが「先に生まれた者」の
務めなのです。


これって寂聴さんが法話で語ってもおかしくない言葉です。天台宗真宗では教義が異なるけど「歎異抄」の教えと通じるものがあります。厳しい美容ビジネス業界でトップランナーとして走り続けた人の達観だと理解しておきます。
(2018年 サンマーク出版発行)

 

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2013年・<北と南>ミュージアム巡りの旅(9)

中休みのある旅
 北のミュージアム巡りの旅を終えて帰宅、南の旅へ出かけるまで5日間休んで6月7日に南のミュージアム巡り、2泊3日の旅に出かけました。小樽発~鹿児島行き、2700キロの長距離乗車券は有効期間が15日もあるので、こんな「ゆとりプラン」が作れます。

 

太宰府天満宮・九州国立博物館・福岡市美術館

 6月7日。 キタの旅では毎日気ぜわしいスケジュールだったのを反省して、少しでも時間に余裕をもたそうと、今日は新大阪駅午前7時15分発の新幹線に乗ります。こんな早起きなんて、年に一回もありません。
 10時前に博多着。地下鉄と西鉄を乗り継いで、まずは太宰府天満宮へ。太宰府駅前の参詣道は団体客と修学旅行生で大賑わいです。でも、よく見ると、大人の観光客の半分くらいは外国人(中国、台湾、韓国)で道頓堀より外国人の比率が高い感じ。おそらくここが外国人向けの超定番コースになってるからでせう。


型どおりに参拝して九州国立博物館へ。天満宮の境内から専用の道があって、天満宮参拝とワンセットで訪問出来ます。国内で四つ目のこの博物館は建物が斬新なのは当然ですが、雰囲気が奈良や京都のそれとは全くちがいます。とてもポピュラー、大衆的で、マニアックな鑑賞者のための・・という感じがない。これは良いことだと思います。平日なのに続々と観覧客が繰り込みます。


ただいまの企画展は「大ヴェトナム展」でしたが、これはパスして常設展のみ見学。これならゆっくり見られると思って二階のフロアに入ったとたん「わ、こりゃアカンは」と直感、ワンフロアが無茶広いのです。丁寧に見たら時間切れ必至なので、古代はパスしてシルクロードや遣唐使あたりの時代を主に見ました。レプリカが結構多いのですが、それでも展示物の充実ぶりはさすがです。・・と書いて、以下省略です。


そそくさと昼飯食べて、また西鉄に乗って福岡市美術館へ。しかし、アクセスをちゃんと調べておかなかったので、経路がよく分からず「薬院」という駅からタクシーに乗ります。金と時間、どちらが大事かとなれば、断然、時間のほうが大事なので、これの繰り返しです。もったいないけど仕方ない。


福岡市美術館は大濠公園という広大な池のほとりにあり、一昔前の建築界の大御所、前川國雄の設計(1977年)。赤茶色のタイルの外観で内外とものびのびした空間が心地よい。ここでも常設展のみ見ましたが、一室に草間弥生のミニ回顧展ふうの展示があり、なかなか面白かった。また、ポール・デルヴォーの「夜の通り(散歩する女たちと学者)」があって、なんとも懐かしい。こんな予期せぬ嬉しい出会いがあると、さらに他の美術館へも行きたくなります。知らない美術館のほうが遙かに多いのだから・・。


係員に最寄りの地下鉄駅を教えてもらい、池のほとりを10分ほど歩いて「大濠公園駅」から博多駅に戻ります。今日こそ余裕綽々のスケジュールで、と予定したのになんだか焦り気味。知らない街を移動するときはカードが使えないし、切符買うときも、乗換駅の確認などで小さなタイムロスができて、なんとなくもたつく。ヨソの町では田舎者です。


「さくら」で博多へ行きます。
福岡 


太宰府天満宮参道の賑わいぶり。
福岡 


天満宮拝殿
福岡 


境内に樹齢1000年の大楠がある。年齢3年の園児が散歩しています。
福岡 


菖蒲が見頃です。
福岡 


天満宮から博物館への通路。車いす、ベビーカーには斜行エレベーターもある。
福岡 


長い「動く歩道」で退屈しないよう、こんな光の演出サービスも。
福岡 


博物館の外観。山の中にガラスの山をつくった、という感じ。
福岡 


エントランス。国立博物館の堅苦しさがない。
福岡 


広いフロアを生かして、休憩スペースも広くとってある。
福岡 



展示品の一部
福岡 



福岡 


福岡市美術館2階玄関 草間弥生の「かぼちゃ」を展示
福岡 


三岸好太郎「海と射光」1934年作
福岡 

アンディ ウオーホル  [Elvis]

 

福岡 

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(注)2013年の旅なので熊本地震以前のレポートになっています。

 

熊本城・熊本県立美術館


博多から「つばめ」に乗って熊本へ。新幹線のなかのローカル線といった感じの短距離区間、かつ各駅停車の電車です。終点、熊本までがら空き。なんだかわかりにくい構造の熊本駅を出て市電で熊本城に近い停留所で降り、サンルートホテルへ。ホテルは銀座通りという繁華街の雑居ビルの上階にあり、一階の入り口が見つけにくい。


熊本にはなんの義理もないけれど、折角だからと晩メシは馬刺しと馬肉の焼き肉。人気店では馬刺しは2000円以上するので安い店でがまん、両方で120g、十分美味しかった。(6月7日)


各駅停車の「つばめ」 東海道新幹線の「こだま」の感じ
熊本7日 




市電の線路敷きを芝生にすると、こんなにかっこいい
7日 



熊本城そばの「城彩苑」という飲食街で晩メシ
7日熊本 



馬刺しと馬肉の焼き肉
7日 

7日

坂口安吾「桜の森の満開の下」を読む

 平成生まれの人は坂口安吾なんて知らないでせう。昭和20年代の人気作家です。何十年か前に著者のヒット作「堕落論」を読んだことがある。敗戦後の国民総茫然自失の時期にしょーもない忠君愛国思想を捨てよと明快に述べた評論でベストセラーになった。この論を戦時中に公表したら国賊としてタイホ投獄必然でありませう。


 今回読んだのは短編小説集で表題の「桜の森の・・」は芥川龍之介の寓話、例えば「羅生門」を十倍くらい残酷物語にしたような物語。著者の意図が那辺にあるのか凡人には測りかねる。男女ペアの和製ドラキュラ(吸血鬼)がいて夜な夜な都で人を殺しては・・。


 「二流の人」は戦国武将、黒田如水(官兵衛)の生き方を描いている。どちらかといえば肯定的に描かれる人物ですが、著者は基本的に嫌悪感を抱いてるみたいで、如水の軍師としての才能を認めつつ、所詮、二流の人物だったと締めくくる。その語り口がまるで講談を聞いてるようで言いたいことがいっぱいありすぎて言葉が追いつかないといった感じ。


 如水のような戦争大好き人間は平和で安定した世間では存在感がなくなってしまうので、戦乱が一段落するとニセ情報や讒言によって争いのネタを作らねばならない。もめ事が起きれば待ってましたと調停役やそそのかし役で登場するわけだ。戦国時代のワンマンビジネス、ベンチャー企業みたいな存在でありますが、リスク=死、というところがヤバイ。


 信長、秀吉、家康、という天下取り三人に仕えたのだから戦略家として有能であったこと確かでありませうが、だからといって三人が彼を全面的に信用していたわけでもなさそうだ。特に、家康は如水の本心を見抜いて彼の「ええとこ取り」をした。うんと悪くいえば如水は便利屋。いや、それは言い過ぎだろうと如水ファンは怒りそうですが、これは坂口安吾センセの見立てですからね。(1989年 講談社発行)

 

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下重暁子「家族という病」を読む

 よくもこんなにイヤミな題名をつけたもんだ。まあ、幻冬舎らしいセンスも感じますけどね。でも、この題名に惹かれて買った人も多いと思う。ヒットしたのかどうか知らないけど、中身より題名のインパクトで売れたこと確かでせう。著者、下重さんはNHKのアナウンサー出身らしいけど覚えていない。


一家団欒という言葉に象徴されるような「幸福な家庭」なんて本当にあるのか。幸せぶってるだけではないか。という根源的な問いから著者自身の生い立ち、人生を振り返って、自分は幸福な家族の一員ではなかったと断じる。父は軍の高官だったので経済的に困ることはなく、母にも溺愛された、という境遇からみれば「食うのに精一杯」な庶民にはとても贅沢な、幸せな家族に思えてしまう。幸福の次元が違うのであります。


真に自立した人生を送りたければ、家族のしがらみを捨てよ、と説くのでありますが、インテリで、実際、自立できている著者だから言えるのであって、シモジモの民は共感できないでせう。ただ、著者も言うように、現代の家族における不幸、親殺しや子の虐待死事件の増加は家族における「病」の増加であり、家族であるゆえに解決が難しい。


・・というわけで、なかなか著者の家族論にはついていけないのでありますが、世間づきあいという点まで見方を広げれば納得できることもあります。でも、著者のような洞察力の高い人とつきあうと、自分は常に観察されてると負い目を感じてしまいそう。本音を言うと、自分とちょぼちょぼの、スキマだらけの人間と付き合うほうがよほど楽しい。(2015年 幻冬舎発行)

 

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図書室のある分譲マンション

 なるほど、こういうアイデアもあるのか、と身びいきで褒めたくなったのが表題の物件。本好きには魅力的なマンションだけど、これが売れ行きアップにつながるだろうか。他に、ゲストルーム、パーティールームもある。(全219戸)


場所は大阪市東住吉区近鉄駅前。阿倍野橋駅(天王寺駅)まで8分、大阪駅まで約30分という便利な立地だけど高級マンションではなく、価格からみれば、平米当たり60万円の平均的?な物件。売り主は大和ハウス


下のイラストを見ると、30人くらいが使えそうで、壁際にはパソコンが使える?コーナーもある。開設にはTSUTAYAが関わり、約1000冊の本を寄贈するという説明がある。広さは79平米。TSUTAYAはすでに各地でこんなサービス?の実績を積んでるらしい。


これが住民同志の親睦、交流の場になれば企画は大成功と言えます。大人だけでなく子供も使えるし、おそらく住民から本の提供があって棚は充実するのでは、と期待します。それはいいけど、これってTSUTAYAにはいかほどのメリットがあるのか。こんな見返りのない?文化事業に注力するほど経営にゆとりがあるのだろうか。貧乏性 dameo の杞憂であればいいのですが。

 

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赤塚不二夫「酒とバカの日々」を読む

  だれがこんなしょーもない本読むねん、とバカにしながら最後まで読んでしまった。題名はむろん「酒とバラの日々」のもじり。赤塚不二夫、ハチャメチャ人生の回顧録みたいな本です。若者よ、酒を飲め、女を口説け、金なんか貯めるな、と破滅型人生を勧めるのでありますが、残念ながら、共感する人はいないでせう。漫画家自体も、今は品行方正タイプが多くて赤塚センセは別格、アウトサイダー扱いです。(本書は死後に出版された)


あの「トキワ荘」のメンバーになってから売れ出し、独自のセンスが受けて、最盛期は月収1億円くらいあったという。そのかわり、死にものぐるいの忙しさだった。なのに、毎晩のように酒場に出かけ大散財して悔いはなかった。赤塚センセの字引には「貯金」という言葉がなかったかもしれない。

 

1935年、中国で生まれ、引き揚げてきて奈良県大和郡山市で子供時分を過ごした。その後、新潟に移り、ここで漫画家を目指したが、田舎ではチャンスがなく、東京に出る。この間、絵に描いたような貧乏暮らしだった。土方や映画館の看板書きで日銭を稼いだ。


タモリを発掘、育てた
 10歳くらい年下のタモリを発掘したのが赤塚不二夫。埋もれた才能を見込んで自宅に住まわせるほどの厚遇だった。タモリには生涯の恩人となる。赤塚の葬儀ではタモリが弔辞を読んだ。かなり長い弔辞だが、紙には何も書かれていなかった・・。本当なら、歌舞伎「勧進長」の弁慶をそっくり演じたことになる。最後の言葉「私もあなたの数多くの作品の一つです」が印象深い。2008年8月2日 死去。享年72歳。

 赤塚センセ死してはや13年・・時の過ぎゆく速さにボーゼンとなります。若者の多くは赤塚不二夫の名前すら知らないのではないか。(2011年 白夜書房発行)


赤塚不二夫の葬儀で白紙の弔辞を読むタモリ。再生は500万回に迫る。
https://www.youtube.com/watch?v=0ZYooSZVW-M

 

編集もハチャメチャの「酒とバカの日々」

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荻原 浩「海の見える理髪店」を読む

 こんな優れた小品を読むと自分は長編より短編小説ファンなんだと改めて自覚します。第155回直木賞受賞作。短編が6編編集されており、一番すぐれていると思ったのは表題の「海の見える理髪店」です。田舎町のしょぼい理髪店を初めて訪れた客と老いた理髪師の会話劇だけど、大方は理髪師のモノローグで進む。その語りが上手いから、読者は自分が客になって理髪椅子に座ってるような気分になる。鏡には海が映っていて時間とともに海の色の変わりゆくさまが魅力的だ。


老理髪師は訊かれもしないのに自分の生い立ちや苦難の人生を語る。銀座に店を構えたこともある有名店だったのに、なんやかんやでトラブルまみれになり、破綻した。逃げるようにこの辺鄙な町へきて開業した。丁寧に髪を整え、髭剃りに移る。剃刀を喉に当てたとき「実は私、人を殺めたことがあるんです」と。ゾゾゾ~~であります。


短編の難しいところはネタ探しかも知れない。これ、という小ネタが見つかったら、あとは文章力でかっこつけられる。そのネタがもう漁りつくされつつあるのではないでせうか。歌謡曲の歌詞が在庫払底になってるように、物語のネタも新開発が難しい。本書でも「成人式」という作品では愛娘を事故で亡くした中年の夫婦が、生きていたら二十歳という娘の成人式に、二十歳に扮装して式に出かけるという筋書きだけど、無理に話をつくりすぎて、読む方がしらけてしまう。もしや、著者もしらけていたのでは?。作家稼業もたいへんであります。(2016年 集英社発行)

 

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朝井まかて「すかたん」を読む

 中央図書館へ行くと、たまたま朝井まかて氏の講演会があったので聴講しました。終了後に著書の頒布があり、サイン会もするというので、つい列に並んで買ったのがこの本。著者は大阪出身の作家、「恋歌」で直木賞を受賞しています。60歳くらいのスリムなおばさんです。書名の「すかたん」はドジ、間抜け、何をやっても失敗する駄目男のことを指す大阪弁


内容は時代小説。知里という江戸育ちの女性が縁あって大阪で暮らし、天満の青物市場の大店で女中奉公するうちに主の若旦那に見そめられ・・という、何と言うことのない筋書きであります。基本的には恋愛モノなのですが、青物店が舞台だから、食べ物の話がいっぱい出てくる。種類だけでなく、レシピ(江戸時代の)や味わい方まで、それはもうぎょうさん登場するのであります。さらに、ヒロインはあの「田辺大根」の再発見者という設定になっていて、これは小説ならではのオマケでありませう。


登場する土地が、天満、船場、難波、天王寺、田辺あたりで、これらの描写をええ加減にすると、駄目男のようなイケズにすぐ「それ、ちゃうやろ」といちゃもんつけられるから、距離感や徒歩時間まで無難に書いています。というか、著者は地図好きでもあるらしい。でも、自分の知ってる町が舞台の物語というだけで親近感が湧くものです。もし、これが江戸の町で、かつ、旧地名で説明されたら皆目興味が持てないでせう。


読み終わって、ひとつ「!?」が湧きましたね。この作品、もしや、テレビの「連ドラ」採用を狙ってるのではないかと。中身からしてNHKの朝の連ドラです。大阪放送局の制作にはとてもなじみやすい内容であること、しかし、ヒロインは江戸育ちなので東京の視聴率も稼げます。 


そう考えると、著者の下心は相当なもんだ、きっとドラマ化狙いだと勝手に合点してしまうのでありました。嗚呼、それなのに・・ 駄目男は今までNHKの連ドラなんぞ一度も見たことがない。なのに、よくもこんな身勝手なことが言えたもんだ。マッタク。

( 2014年5月 講談社発行) 

(注)「まかて」という変わった名前は著者の祖母(沖縄生まれ)の名前を拝借したそう。

 

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事故物件怪談 松原タニシ「恐い間取り」を読む

 B級芸人は何かユニークな持ちネタがないとメシが食えないという厳しい状況にある。著者もその一人で何の因果か「事故物件住みます芸人」で売り出した。おかげで?北野誠とかタレントとのコネができ、TV出演などでそこそこ稼いだらしい。普通の人は恐くてゼッタイできない恐怖体験をしてのゼニ儲け。その体験の数々を間取り図つきで解説した本であります。


事故物件とは、賃貸住宅・マンションのなかで自殺や殺人事件などがあった物件。そんな部屋、借り手がないに決まってる。その上、家主は貸す相手に「この部屋ではこんな事故がありました」と説明する義務がある。ますます嫌われる物件だけど家賃は大幅に安くする。相場月10万円の部屋を3万とか4万に値下げする。・・すると、稀にOKする人がいる。大家さんヤレヤレである。


そして、事故後に一度入居実績をつくると、その次の入居者には「事故物件」の告知義務はなくなる。入れ替わりの激しい物件ではウワサも長続きせず、事故のことは忘れられてメデタシ・・?となるのであります。
 

本には京阪神地域で50件のレポートが間取り図つきで掲載してあり、うち1件は dameo 宅から徒歩10分ほどの近場なので驚いた。(あとで説明します)
 著者が一番強烈な経験をしたのは第一回目の「住みます体験」をした大阪・難波界隈のマンション。20年くらい前、ここが凄惨な殺人事件の現場になった。犯行は4階の部屋だったが、著者が借りたのは6階の部屋で美しくリフォームされ、かつ、安い。


呪いのマンションに住めば何が起きるのか。著者は興味半分、怖さ半分。起きたことを客観的に記録しようと部屋の隅に固定ビデオカメラを設置して24時間記録した。あとで再生すると身体にまとわりつくように白い布のようなものが写ってた(下の写真)。また、窓を開けていないのに突然カーテンがひるがえった・・。


このマンションは事件後は蜘蛛の子を散らすように入居者が逃げだし、がら空きになった。そのため、事故部屋だけ値下げしても新規客はなく、全室が大幅値下げになった。オーナーもあちこち改装してイメージチェンジを計った。


「事故物件住みます芸人」業をしていると賃貸物件のオーナーからの依頼がある。前記したように事故物件に入居すると、その次の入居者には事故物件であることを通知しなくて良いので、いわばオーナー向けの「人助け」になる。
 五軒目の事故物件は3DKの広い家で家賃3万円。現場を訪ねるとえらく汚れていて土足でないと歩けないくらいだ。この家で60代の息子が80代の父親を介護していた。父親が亡くなったあと、すぐに息子が自殺した。仏壇にヒモを架けての首つり自殺。尻餅をついたような姿勢で首が伸びきっていたという。


なにしろ汚い家なので、玄関横の4,5帖間だけ片付け寝室にした。ユーレイは出なかったが、ここに泊まると翌朝まったく体力が回復しない。何時間寝ても同じ。友人を泊めたこともあるが、彼も同じ体調になった。ビデオには壁面を黒い影が通り過ぎるさまが映っていたという。


さて、dameo  宅近くで著者が体験した事故物件の話。物件の向かいにあった漫画喫茶でバイトしたときの体験だけど、この話、現場を知る自分からみるとインチキくさい。深夜、店を片付けていると道向かいの元病院の窓に患者の亡霊が並んでじっとこちらを見ている・・と。けれど、この道は幹線道路で深夜でも大型トラックなど車が多い喧噪空間だ。亡霊のお出ましに似合わない環境である。


しかし、元病院が廃院になって廃墟になったことは事実であり、悪徳院長のために何十人もの貧困者やホームレスが犠牲になったのも事実だった。著者はこの悲惨な事件と現場直近での自分のバイト体験をネタにして創作したのでは・・と疑うのであります。現在、この呪われたビルは改装して雑居ビルになり、著者がバイトした漫画喫茶は廃業したので恐い話のネタではなくなった。(2018年 二見書房発行)

 

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