スマホ脳が反乱?・・LPレコードの愛用者急増

 昨夜のNHKニュースで若者のあいだでLPレコードがもてはやされてると長めの編集で報じていた。あんな取り扱いに不便なモノがなぜ復活したのか。
 若者へのインタビューの答えはこんな感じだ。

 

・ジャケットが大判で見るだけで楽しい。
・針を落として音が出るまでの期待感、緊張感が良い。
・聴きはじめるまであれこれ手間がかかることが愛おしい。

 

自分のような化石人間にはLP~CD~ネット配信への進化を全否定するような意見に仰天するのみです。進歩改善に飽き、古い、不便なモノに執着するなんてジジイの骨董趣味と同じではないか。

 

この懐古趣味はユーザーだけでなく、アーティストにも共感者が増え、新録音曲をLPでしか販売しないこだわり屋さんもいるそうだ。売り上げは二の次でいいということか。ま、一過性のブームに終わると思いますが。

 

しかし、急激な需要増加でLPの生産工場は昼夜三交代、24時間フル操業が続く。また、中古レコードの流通拡大を見越してLP専門の販売会社を立ち上げた懐古趣味?ベンチャー企業もある。

 

ひょっとしたら、これはスマホ脳の反乱ではないか。ワンタッチでなんでもできる日常に1%残留していたアナログ脳が反旗を翻した。ン万年間の石器時代に培った「手作り感覚」がひょいと蘇った。自分の勝手な想像でありますが、それなら、いま、ジワジワと追い詰められている「紙の本」も悲観することはないか。

 

 

野坂昭如「火垂るの墓」を読む

  著者の少年時代の実体験をもとに書かれた短編で、文庫版でも34頁しかない。しかし、本作品は「アメリカひじき」とともに直木賞を受賞した。新潮社で文庫化され、昭和47年以来76刷と地味ながら長く読み続けられたロングセラーです。尤も、人数でいえば、本を読んだ人より、アニメで観た人のほうがずっと多いような気がする。アニメは観たことがないので、出来栄えはわからないけど、著者と同世代の、つまり、戦争の記憶がある人は原作を読むほうがずっと共感しやすいはずだ。


ところで、この本を読んだ動機は作品自体の評価とは別のところにあります。産経新聞の文化欄「道ものがたり」で本書がとりあげられ、作品の舞台になった神戸市灘区界隈を紹介しています。ライター、福島敏雄が注目したのは「作家はどこまでウソが許されるか」という、なんだか穏やかでない話です。もちろん、小説=フィクションだからウソが当たり前であること前提にしつつ、本書以外の自伝的作品におけるウソの記述に首をひねる・・というルポです。


著者の14歳時の空襲体験は作家としての原体験であって「火垂るの墓」以外の作品でも度々語られている。ただ、その生い立ちや人間関係の記述が安定しない。そんな細かいこと、どうでもええがな、と思うのですが、ライター、福島氏は気になったらしい。また、著者自身、晩年になって今まで「自伝」として書いてきたことにウソが多かったことを認めるような発言もある。


最後に、野坂昭如ペンネームで、本名は「張満谷(はりまや」という変わった名前だった。そして神戸市中央区春日野の墓地に代々の墓があって、毎年6月(空襲を受けた月)に墓参りに出かけたと「ひとでなし」という作品に書いている。


福島氏は春日野墓地に出かけて墓を探した。管理事務所でも登録簿を調べてもらったが、張満谷という名の墓はなかった。だからといって、戦争を描いた文学作品のなかで傑作といわれる「火垂るの墓」の評価を貶めることにはならない。それを認めつつ、ライター氏は「作家の倫理」に一抹の不信感を抱いて文を閉じている。


火垂るの墓」の舞台を訪ねる
http://www.hyogonet.com/drama/hotaru/index.html


アニメ制作では小説で描かれた神戸や西宮の現地をロケして、かなりリアルに風景を再現しているらしい。上記のブログでその説明があります。下の写真は、14歳の主人公、清太と4歳の妹、節子が意地悪な親戚の家を出て、池の畔に穴を掘って暮らす場面に出て来る「ニテコ池」。ここでたくさんの螢を見た。節子はこの穴で餓死し、一ヶ月後、清太も三宮駅構内で、誰にも看取られずに餓死する・・という筋書きになっている。


ニテコ池 遠くの山は甲山

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●半畳雑木林秋景

 日当たりの悪いベランダにも秋が訪れて葉が色づきました。樹はセンダン、ザクロ、ムクロジシマトネリコ(これは常緑樹)

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佐高 信「竹中平蔵への退場勧告」を読む

 いま、日本の知識人で一番嫌われている人物は誰か。たいていの人はご存じでせう。竹中平蔵氏であります。それにしても、こんなにストレートに個人の悪口を書いた本を出版しても委員会?と気になります。実際にはクレームがついていないということは内容が全部事実なんでせう。(ウソを書いたら名誉毀損などで訴えられます)


学歴といい、業績?といい、エリート中のエリートではと思える竹中氏がなんでこんなに嫌われるのか。答えは、政府の要人としてもビジネス界のトップとしても、「国民の幸福」なんかにはこれぽっちも興味がない。あなたが貧乏なのは自己責任ですよ、と考える、そんな人物だからです。カネと利権の追求だけが生きがいという点では二階俊博ホリエモンも及ばない。さらに、失政や悪事を追及されても全く反省も謝罪もしないのがこの人のスタイルです。


で、 dameo が考えるに、竹中氏は「サイコパス」ではないかと。そう「生まれつき良心が無い」人物です。社会人としてのモラルや教養云々の問題ではない。生まれつきの精神構造ではと思います。この人の生き方やビジネス感覚に共感できる人がいたら、カネだけが生きがい、何事も損得勘定で考える、そういうタイプの人でせう。


本書で繰り返し追求している問題が竹中氏の「住民税の脱税」問題です。竹中氏は学業やビジネスのために何度も米国へ往来するのですが、そのたびに住民票を一時的に米国に移す。なぜかといえば、1月01日に日本に居住していない人は住民税を支払う必要が無いという税法を利用(悪用)して納税をしない。
 こういうワル智恵は普通の人は思いつかないけど、さすが物知りのセンセは抜け目なく、しかし、めんどうな手続きがいるのに節税に励む。「さもしい」という言葉がぴったりです。


サイコパス理解のキーワードは
  ●生まれつき良心がない。
  ●他人に共感できない、の二つです。
中野信子著「サイコパス」によれば、該当者はおよそ100人に一人くらい。残念ながら、治療不可能な精神病質だそうです。最近増えている「常識ではあり得ない」凶悪悲惨な事件に戸惑わないためにも私たちは「サイコパス」の概念を学んでおいたほうが良いと思います。(2020年 旬報社発行)

 

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中村仁一・近藤誠「どうせ死ぬなら ”がん” がいい」

 がん世界の問題?医者、近藤誠氏と「大往生したけりゃ 医療とかかわるな」というヒット作を出した、中村仁一両氏の対談録。現代の医学の常識をあざけり、イヤミを言いたい放題という本であります。


 本来、クソマジメに論ずるべきテーマを面白おかしく書けるのは、医学の本流から外れた、アウトサイダーだからでせう。ガンを患ってる人、介護で悩んでる人には、目からウロコのヒントに出会えるかもしれない。


近藤センセがしつこく述べている「健康診断は受けるな」の提言に駄目男は賛成するものであります。定年を迎えたサラリーマンが「この機会に健康状態をしっかりチェックしてもらおう」と人間ドッグを利用すると、あちこち具合の悪いところが見つかる。血圧がどーたら、糖尿がどーたら、心臓がどーたら・・と。これを無視出来る人は少ないので、治療をはじめることになります。定年を機に、病人生活がスタートするというわけです。アホクサ、と思いませんか。


年に二回くらい、役所から「健康診断のすすめ」の案内が届くけど、一回も受診に出かけたことがない。もう50年くらい無視している。だから、診断受けた人より病気が多いか、というと、むしろ逆だと思ってます。きちんと診断を受けていたら、年中、クスリを手放せない生活だったかもしれない。お金も要ります。


だからといって、特に病院嫌いというわけでもなくて、あっちが痛い、こっちが辛いと自覚があれば、すんなり病院へ行って診てもらいます。必死にガマン、というほど我慢強くないから、さっさと出かけます。
 痛くもないのに積極的に出かけるのは歯の掃除だけ。ほぼ毎月、なじみの医院へ行く。10年以上前、あんた、入れ歯になったら、旨いもん食べても、味わからんようになるで、と脅かされて、以後、まじめに通うようになりました。


軽い表現で書いてあるので、つい軽く読み飛ばしてしまうが、介護、延命治療、死生観についても、啓発される点が多い。定年を迎える年になっても、まだ自分の死生観を持ち得ない人がいる。死には恐怖感しかなく、病気は治してもらうのが当たり前みたいに思ってる、ガキみたいな年配者がいるとセンセイは嘆く。少年よ、大志を抱け、老年よ、死生観をもて。(2012年 宝島社発行)

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読後4年目、リアルがん患者になった
 本書を読んだのは2015年。2019年に大腸がんが見つかり、発見遅れで開腹手術、大腸を30cmちょん切られて、以後、後遺症に悩まされる日々。他人事ではありませんでした。トホホ。しかし、後悔はナシであります。手術後に外科医の説明を聞いて「余命」をイメージできた。トシを考えれば「先が見えた」と自覚できるほうがずっとありがたい。何より「終活」の励みになる。


「人生の残り時間」を意識しながら暮らすことは、そうでない健康な人より生活態度にメリハリをつけやすい。欲がなくなるぶん、不満や後悔も減らせる。というわけで「どうせ死ぬなら”がん”がいい」と納得したのであります。

 

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週刊誌の「選挙予測」は当たったのか

 今回の選挙でのサプライズは「維新の会」の大躍進でした。これは予想できたのか。選挙日半月前の週刊誌の予想は以下の通りでしたが・・


上段は「週刊文春」下段は「サンデー毎日」の予測数字
自民党 244  立憲民主党 115  維新の会 26
自民党 257  立憲民主党 113  維新の会 25

結果は・・・
自民党 261  立憲民主党  96  維新の会 41


自民党の数字はまずまずアタリでしたが、野党は大きく外れた。
 立憲と共産党との共闘がそこそこ成功するという予測は外れた。維新の会の結果も大ハズレ。なので、週刊誌の予測はアテにならないこと、分かりました。


dameo の住む大阪では維新の会が全勝、自民は選挙区で全敗という「事件」が起きた。自民不利は予想したものの、こんなに極端な結果は想定外でした。
 もう一つの事件は10区で辻本清美氏が選挙区で敗れたこと。これにも驚いた。その最たる原因は自民の古狸、山崎拓が辻本氏をヨイショしたことです。ライバルの親身の応援?が大迷惑になったという珍しい例になりました。

糸井重里「すいません、ほぼ日の経営。」を読む

~お知らせ・タイトルを「今日もニコニコ乱読味読」に変えました~

以前に書いたことがあるが・・・一般人の理想の人生とは
・ 好きなコトをして
・それでメシが食え
・しかも世間で喜ばれる
 という人生であります。


そんな理想に近い人生を送っている、と思える人物の一人が糸井重里氏であります。ハタから見るかぎり、上の三条件をほぼ満たしてるのではないでせうか。敵をなぎ倒し、弱者を踏みつけてのしあがった成功者とは違う職業人生をおくってきた。


 迂闊にも知らなかったけど、糸井氏が社長を務める「株式会社ほぼ日」は東証ジャスダックに上場したというから、もう外形的にも立派な企業といえる。「好きなことして」の延長上にあるだけで年商何十億の売上げを達成している。その売上げの大半が「ほぼ日」という日記帳によるもので、その原点は「こんな日記帳があればいいな」という趣味嗜好なのだから、凡人のワザではありませんね。(凡人は趣味で終わる)


 ちょ、ちょい待ち、その「ほぼ日」ってなんのこっちゃねん。自分と同年輩の方に問われそうなので答えをいうと「ほぼ日刊イトイ新聞」というネット新聞であります。ほぼ日刊というから、ときどき休刊してるのかといえば、20年以上、一度も休みなく発行しているという。ええかげんな題名の割りにはクソまじめな発行態度といえる。
https://www.1101.com/home.html 


 ここまで前置きが長くなってしまいました。本書は対談形式で糸井氏の経営哲学が語られている。むかし、日本で一番有名なコピーライターであったせいか、内容も表現もとてもユニークであります。会社の経営理念を問われて答えたのが「やさしい・つよい・おもしろい」の三点。大企業ではありえない、ヤワいスローガンです。 本人いわく、本当はこんなスローガンとかつくりたくないけど、会社の姿勢を示す言葉がないのも不具合なので、こんなふうに表現していると。


 糸井氏には社員を雇用しているとか支配していると言う感覚はなく、基本は「良い仕事をするための仲間」として付き合ってる。むろん、社員に甘いと言う意味ではない。社長がこんなあんばいだから、一応、組織はあっても上下関係はあいまいだという。クリエイティブな仕事に上意下達は似合わないから自然にそうなるのだろう。社員には居心地のよい会社に思えるけど、当然、日々、同僚や社長に仕事ぶりは評価されており、甘えは許されない。これを考えれば、公務員のように名称や数値で今のポジションがはっきりしているほうが気楽だと思います。


 それはともかく、一匹狼的存在での個人ビジネスであるコピーライターから上場企業の経営者へと大成長を望んだ糸井氏のホンネはどこにあるのだろう。社会への貢献や社員の雇用安定など、まっとうな考えを述べているけど、後付けの理屈と思えなくもない。実際には、ご本人は相当悩んだらしい。


しっかり考えた上での結論ではあるが「一時、相当、気分が落ち込んだ」と正直に書いてある。今までは社員の面倒を見るだけでよかったけど、上場すれば、出資者や株主の期待に応えるという、経験したことのない責任感がのしかかる。クリエイター糸井氏がはじめて味わう「経営者の孤独」だったかもしれない。


 読み終わって感じるところ、この本は糸井氏の今後の経営ビジョンを語るとともに「ホンネはこういうことなんです。分かって下さい」と述べた申し開きの著作ではないか。対談を活字化した本なのに、表現の細部にすごく気をつかっている。なんども校正して齟齬がないように気配りした。何より、書名の「すいません、ほぼ日の経営。」に著者のホンネが表れていると思いました。(対談 川島蓉子 2018年 日経BP社発行)

 

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小泉今日子「小泉今日子 書評集」を読む

 いかに芸能界オンチの dameo でも小泉今日子の名前くらいは知っている。ミーハー族のアイドル。そんなタレントが書評集なる単行本を出すなんて何を偉そうぶってるのか・・。で、「はじめに」を読むと、今日子サンは読売新聞書評欄で執筆する書評委員でした。へえ~~。どうやら久世光彦(故人)が彼女を委員会に売り込んだらしい。


アイドルがえらい出世です。しかし、著者略歴をみると・・1966年生まれ云々、あちゃ~、あと数年で還暦(60歳)ではありませんか。なにがアイドルやねん。でも、これで違和感が消えました。(まだ30歳くらいと思っていた)小泉おばちゃんなら書評委員ヨシ、であります。


巻末のインタビュー記事を読むと書評委員会の雰囲気があらかた分かる。委員は約20人。選ぶ本はスタッフが200~300冊の本を用意し、大きな会議室で全員が回し見して各自が何冊か選ぶ。それを持ち帰って読み、書評を書いて提出する。委員には川上弘美米原万里といった作家や川村二郎や苅部直などの学者、資生堂福原義春、第一生命の櫻井孝頼など、大企業のトップもいたから小泉おばさん、びびって当然です。


さりとて、書評委員も読売のスタッフも、小泉今日子がタレントだからといって低レベルの文は許さなかった。短い文でも何度も書き直しを命じた。作文は素人だからという甘えは通じない。この屈辱や劣等感に耐え、克服できたから10年続けられた。おかげで、語彙が豊富になった、人に何かを説明するときの話し方が上手になった、と本人が述べている。もし、これらの経験がなかったら、ミーハーアイドルの延長で年を重ねていたかもしれない。


書評は400~1000字くらい。ビギナーとは思えないこなれた文章でとても読みやすい。ちょっとしたフレーズ、言い回しにセンスの良さを感じる。読書が人を成長させること、元アイドルから学びました。書評を読んで自分もこの本を読んでみたいと思ったのは、中村 弦「ロスト・トレイン」井上ひさし「十二人の手紙」大島真寿美ピエタ」など。(2015年 中央公論新社発行)

 

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北と南  ミュージアム巡りの旅 (8)

盛岡散歩・・岩手県立美術館ほか

 2013年6月2日(日)ミュージアム巡り、キタ編は今日でおしまいです。幸い晴天、朝は冷え込み、8時頃に青森駅へ行ったら、電車のドア開閉が冬モードになっていて戸惑いました。(ドアボタンで開けて乗ります)

毎朝、ワンパターンの朝食です。量は他人の三分の一くらい?
盛岡 


新青森発「はやて」に乗ります
盛岡 


盛岡に近づくと、どっしりした岩手山が現れる。
盛岡


新青森駅から盛岡まで約1時間。きょうも気ぜわしいスケジュールなのでタクシーで県立美術館へ駆けつけます。ルンルン気分なのは、ただいまのダシモノ(企画展)が「若冲が来てくれました」だから。そう、あのプライスコレクションが震災復興の支援になればと特別に企画した展覧会です。仙台、盛岡、福島、の順で開催され、収益金は震災復興支援金として寄付されます。料金もうんと安めの800円。仙台では10万人を集める盛況だったとか。


東北のこの地で若冲ほか、江戸時代の絵画の逸品に出会えるなんて僥倖というしかありません。さらに嬉しいのは、2,3年前、一日がかりで滋賀県の山奥まで鑑賞に出かけた「象と鯨図屏風」が賛助出品として展示されていること。協力したMIHO ミュージアムさんに大感謝です。


作品鑑賞のことはパスして、この美術館はとても快適です。青森県立美術館とは大違いです。ゆったりした空間、わかりやすいレイアウト、あちこちに設けられている休憩スペース、基本のキをおさえた設計にすぎないといえますが、これが全部ペケだったのですね、青森さんは。



岩手県立美術館のロビー
盛岡 


伊藤若冲「虎図」
本物の虎を見たことないはずの若冲が、どうしてこんな構図を思いついたのか。

 

 ロビーの一画に参考展示してある「デジタル複製画」 特別のカメラ、メモリーで美術品を本物そっくりに再現します。画素数は1億~2億だそう。その細密な再現ぶりには感心するばかり。いくら目を凝らしてもドットは見えません。(キヤノン提供)
 盛岡


バスで市役所のあたりに移動し、「深沢紅子(こうこ) 野の花美術館」へ。清流、中津川ほとりの住宅街にある個人美術館です。三岸サンと同じく、夫婦ともアーティスト、かつ、ヨメさんのほうが有名人というのも共通しています。(すべて故人)女性が画家になることが難儀だった時代に、めげずに精進し、後の「一水会」創立に尽力したというから、ただのオバサンではなかったはず。しかし、絵は植物画を中心に、優雅、上品な作品ばかりで、この点は三岸節子とは天地の違いがあります。


深沢紅子 野の花美術館 (手前の白い壁)
盛岡 



わすれなぐさ
盛岡 

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若冲展で時間を使いすぎて、ほかに予定したところは徒歩やバスでは間に合わず、タクシーで名所巡りする始末。その車中で運転手いわく、大震災からの復興をすすめるに「絆」とか「共助」といったフレーズがはやって、東北が一体になって仲良く取り組んでるようなイメージがあるけど、それは表向き。「絆」なんて東京人の発想とちがいますか。地元では震災前も後も、よそものには分からない反目や嫌悪感が残ったままです。お互い、イヤなものはイヤなんです。


まだ三十代とおぼしき人なのに「会津」や「伊達」の話が出てきて、東北ナショナリズムの根深さを聞かされたのでありました。あたふたと駅に乗り付けて3時前の「はやて」に乗ります。


岩手銀行中ノ橋支店
設計は辰野金吾・・東京駅を設計した人であり、大阪中央公会堂の実施設計者でもあり・・で、デザイン、雰囲気に共通点があります。明治時代の末に完成したこの建物の工事費は13万円! 
盛岡 
 

重文指定 啄木と賢治青春記念館にて  
盛岡 


石川啄木 新婚時代のマイホーム
盛岡 


宮沢賢治も学んだ 岩手大学農学部 付属農業教育資料館(重文)
盛岡 

青山ゆみこ「人生最後のご馳走」を読む

今週のお題「読書の秋」
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 病院食を食べた経験ある人が「美味しい」と評価することは稀だと思います。栄養第一の献立を限られた予算でつくるのだから「ご馳走」であるはずがない。そんな常識を覆して大阪の淀川キリスト教病院ホスピスでは末期ガンなどの患者に好きな料理を提供するサービスをしている。


私はあなたを大切に思っている・・ホスピスで仕事をするスタッフの患者に対する基本姿勢です。もう治療も延命もできなくなった末期の患者に接する最後の「他人」。そして、心のケアとともに「生きていて良かった」という満足感、感謝の念が湧くのが「人生最後のご馳走」だ。患者本人の満足感だけでなく、付きそう家族の幸福感も大きい。義務で食べる食事ではなく、本人が「これが食べたい」とリクエストしたメニューだから話がはずむ。


24時間、死のことしか考えなかったのに、ある日「食べたかったご馳走」が供される。予想はしていたけどサプライズシーンであります。ほとんどの患者は血色が蘇り、饒舌になるそうだ。思い出話が止まらない。看護士や著者が「この人、もうすぐ死ぬことを忘れたんちゃう?」と思うほど快活になる。牧師の説教より100倍の効果がある。(失礼!)


実際の運営はどうなってるのか。ホスピスの建物は独立していて病床は15床。医師、看護士のほかに専属の栄養管理士がいて、この人が患者から注文を聞く。メニューだけでなく、患者のイメージ通りにつくるため、味付けやサイズ、調味料まで細かく聞き取る。その話のやりとりに十分時間をさいてリアルに再現する。会話によって患者の体調を知ることができる。


属調理師は一人きり。原則、このメニューは作れません、と言わないので、肉じゃがふう総菜からフレンチ、イタリアン、寿司、うどん、ぜんざい、まで何でも作らねばならない。器も樹脂製はダメ、相応の高価なものを使う。効率の悪いこと最高でありますが、仕方ない。病室はむろん個室、だったら、ここへ入院したらものすごく入院費用が高くなると心配するが、ご馳走提供による赤字は今のところ病院が負担しているという。つまり、患者負担額は一般病院とかわらない。


なお、リクエストご馳走は毎週土曜日で他の日は病院食だけど、それが6種類のメニューから選べるそうだから、やはり、一般病院に比べたらずいぶんリッチではある。そして、当ホスピスでは亡くなった人は正面玄関から運び出す。裏口から搬出される大病院より人間らしい扱いといえる。


著者は「あとがき」で患者の人生最後の表現行為になる「自分史セラピー」を奨めている。文字を書ける体力がある人は我が人生を振り返って思い出のあれこれをノートに記す。書けない人は身内やボランティアが聞き取ってもいい。
 要するに「遺書」だけど、元気なうちは書きにくいものだ。けれど、人生のラストシーンが快適な空間、美味しい食事、親切なスタッフに囲まれた日々であるなら、まず感謝の言葉から書き始められるのではないか。たとえノートに1頁の文章でも家族への貴重なメッセージになる。(2015年 幻冬舎発行)


<追記>
趣味で dameo 流の遺書?をつくっています
 数年前からA5ファイルを利用して自分用、他人用の遺書(形見)づくりをしています。昔の写真を整理してアルバムを再編集するのも一案です。
 人生経験を正直に洗いざらい記す「自分史」ではありません。イヤなこと、辛いことは書かない、というのが dameo 流です。つまり、リアルでは無い。サンプルは当ブログのカテゴリー「<紙の本?>をつくりませんか」をご覧下さい。

 

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幸田 文「木」を読む

  文章の上手さに魅せられて、読み出したら止まらない。「杉の木は縦縞の着物をきている」なんちゃって、万年着物姿の著者が書けば,読者はたちまち幸田ファンになってしまうのであります。ま、文章の上手さは親の血筋といってしまえばそれまでなのですが。(父が幸田露伴


著者、最後の作品で、60~70歳代に全国の「木」を巡り訪ねたエッセイ。観光地の有名樹木は屋久島の「縄文杉」だけで、他は著者が個人的な興味から、森林関係者の協力のもと、足弱なのに深山に分け入って出会いを楽しんだ。悪路急坂は山男におんぶされての難行で、世話する側も大弱り? 幸田文でない、只のばあさんだったらキッパリ断ったでせうね。ブランドの効果大であります。


研究者や業者ではなく、作家の見る木であるから、そこは文学的観察になるのは仕方ない。それにしても感情移入がすさまじくて、木の生い立ち、処世術、死と再生など、つい擬人化して語ってしまう。さりとてコーフン状態のまま綴るのではなく、そこは抑制もされてるのですが、まあ、これほど木への思い入れの強い作家は他にいないでせう。  


いちばん感銘深いのは「えぞ松の更新」です。北海道富良野の東大演習林にその例を見ることができる。駄目男もはじめて知る木の死と再生の話です。なにしろ気候の厳しい土地、普通に地面に落ちたタネが芽を吹いて、というわけにはいかない。何百年か生きて命尽き、倒れた大木に苔が生えると、ここが新しいえぞ松の生地になる。


落ちてくる種のなかの、ほんの一部の幸運なものがここで発芽する。しかし、そのほとんどが成長できずに消えてしまう。地面でなく倒木の円周の上面に落ちた種、というから宝くじ的確率であります。生き残った若芽は腐敗が進む倒木を栄養源にして育つ。地面に落ちたのは栄養が足りないとか、日照不足で育たない。


なんとか生き残った若木は倒木の栄養で育つが、そのうちに倒木自体は完全に腐敗してカタチを失い、地面と同化する。結果、若木は一列に並んで成長する。これを「えぞ松の更新」という。親の屍が子を再生し、自らは子への栄養分となって形を消す。過酷な環境のなかで、どうしたら子孫をのこせるか。えぞ松にはこんな智恵があったのです。

おそらく何万年とか、気の遠くなるような歳月のなかで学習したのでせう。これを学者は子孫維持の高度なシステムととらえるが、幸田文には涙なくして語れない輪廻転生の物語だった。(平成7年 新潮社発行(文庫)


蝦夷松の更新(北海道 東大演習林)
倒木に苔が生え、その上に種が落ち、芽をだす

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