津本陽「巌流島」 ~武蔵と小次郎~を読む

 もし、司馬遼太郎が武蔵の生涯を描けばどんな作品になっただろうか、と想像するのも楽しい。空海義経を取り上げてるのだから武蔵が登場しても不自然ではないが、あまりに先例が多すぎて司馬風武蔵観の入り込む余地がなかったのかな、とも想像する。あるいは純粋な剣法のハウツーがややこしくて下手すれば外野席からのツッコミにかき回される懸念もある。文献の渉猟だけでは書けない場面もありそうだ。


 本書は歴史小説として堅苦しくなく、さりとて講談ほど俗っぽくなく、とても読みやすい。コンパクトに収まってるのは巌流島の決闘以後の話を描いていないからで、よく売れる武蔵本は大方このスタイルになってるはず。さらに本書では、肝心の巌流島の決闘場面は全222頁の巻頭と巻末のわずか20頁 で描かれるだけである。小次郎のプロフィールなんか、ま、ええがなの説明だけどなぜか納得してしまうのであります。


 武蔵はなんであんなに強いのか。売られた喧嘩を含めて、果たし合いでは全戦全勝だった。一言で言ってしまえば、フィジカルな鍛錬と精神的修養の両面で極限の高みに達していたから、ということになる。ガキの時分は兵法家である父親から厳しく教え込まれたことが役立っているけど、成人してからは自己鍛錬で無敵のワザを身につけた。ホントかどうか分からないが、阿蘇の山中で仙人のような爺さんに五感を極限にまで研ぎ澄まし、ついに「気合い」で茶碗を割るハイテクを教わる。これぞ超能力でありませう。小次郎との決闘で勝てたのも打ちかかる直前に「気合い」を発し、これが小次郎の精神を動揺させた、とある。


 むろん、実技面でも最高度のワザを使う。二人は最初は5間(9m)の間をとるが、ジリジリと間を詰め、最後は小次郎の長刀の切っ先と武蔵の木刀の先端の距離差が5分(1,5cm)になる。この距離で小次郎が刀を振り下ろすが5分の差で届かない。これで小次郎は動揺し、再度振り下ろすその瞬間に武蔵が木刀を打ち込む。小次郎は眉間を割られて絶命・・。まるで、アニメのような場面でありますが、ホンマか?と詮索しても仕方ない。半分はウソだとしても興味深い場面です。


 で、思い出したのは、長島茂雄が全盛期の頃、ヒットを量産する秘訣があるのかと問われて「ボールが止まって見える」と答えたのがとても興味深い。小次郎の猛スピードの刀さばきが武蔵にはスローモーションに見えていた、というわけだ。(本書のどこかにこの文言がある)


 この本を楽しく読めたもう一つの理由は、武蔵の出身地である現在の岡山県美作の農村と修業で居候した播州たつの市圓光寺、それに巌流島を訪ねたことがあるからです。もう20年くらい昔のことですが、いずれの風景も懐かしく思い出されました。(H18年 角川書店発行)


駅名イコール観光案内看板

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こんなのどかな里で武蔵は育った

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