太宰治「津軽」を読む 

 昭和19年、即ち敗戦の前年、著者は出版社から旅費をもらって故郷の津軽訪問の旅にでる。だったら、作品は風土記、紀行文、又は随筆の類いになるはずのところ、本書は「小説」のジャンルに入っている。なんでかなあと思いながら読み進んでいるうちに納得できるのでありますが、登場人物はみんな実名なので創作とは言い難い気もします。

 

 津軽出身なのに地元のことはほとんど知らないので「ふるさと再発見」を意図しての3週間ほどの旅。はじめは型どおり地理的な紹介などから話が進み、参考図書まる写しという場面もある。しかし、旅に慣れるにしたがい、風景とともに人物紹介場面が増えて、そのほとんどがかつての使用人(津島家の雇い人)で気心が知れているから酒を呑みつつの懐旧談になり、太宰作品らしくない「明るい話」が続く。文学作品を書くというより、とりあえずレポートを書いておくという軽いノリが読んでいて気持ち良い。

 

 ラスト近くになって、著者が一番会いたいと願っていた女中のたけに合う場面で「自分は大金持ちの親でなく、この女中に育てられた」と述べ、兄弟とはソリが合わない、粗野でガラッパチ人間になったのはたけのせいだとする。もし、彼女の影響がなければ、大阪弁で言う「ええしのぼんぼん」で終わっていた。人気作家、太宰治は無教養な女中たけさんがベースをつくった。話半分に聞いておくとしても興味深い逸話であります。

 

 丁寧な推敲もせずに出版してしまったのではという印象もある。しかし、その雑さが魅力にもなっている。巻末の解説で亀井勝一郎(懐かしい名前!)はこの「津軽」は太宰全作品のなかで最高作だと書いているが、小説のようにしっかり作り込まないアバウトな内容と表現が好感をもたらしている。

 

 ラストはこんな文章で締めくくられる。「津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたように思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」

 (昭和26年 新潮社発行)