小川洋子「カラーひよことコーヒー豆」を読む

 雑誌<Domani>に連載したエッセイ集(2006~2008年) 


◆本物のご褒美
 小川洋子いちばんの人気作品「博士の愛した数式」は2006年に映画化された。自作の映画化ははじめての経験だったので公開初日に三宮の映画館まで観客の一人として出かけた。梅田から阪神電車に乗ってふと顔を上げると、前に座った女性が文庫本を読んでいる。それが「博士の愛した数式」だった。


ひゃ~~、小川センセはどぎまぎして、どうしていいか分からない。自分の書いた小説をいま目の前にいる人が読んでいる。しかも、女性は目の前に小川洋子が座ってるのに気がつかない(当たり前ですがな) で、いま、どの当たりを読んでるのかも気になる。されど「あの、あの、それ私が書いたんです」なんて言えない。オロオロしている間に、女性は御影駅で下車した。
 自分が原作を書いた映画作品を公開初日に見にいく途中で、その原作を読んでいる人に出会った・・。こんな偶然、生涯二度とあり得ない。センセは去って行く女性に向かって思わず頭を下げた。


作家として最高に嬉しくなるシーンに出会った。おそらく一生忘れないでせう。
 35ページ「小説を書いていて、これほどのご褒美があるだろうか。自分の小説が、間違いなくそれを必要としている読者の手元に届いている。(略)まさにその現場を目にすることが出来たのだ。こんな「本物」のご褒美は生涯にたった一個あれば十分だ。何度繰り返し思い起こしても、そのたびに新たな喜びに浸れるのだから」。


◆千年の時が与えてくれる安堵
 世に「清少納言ファンクラブ」なるものがあれば自分は入会していたかも知れない。著者、小川洋子さんも大好きだそうで清少納言をベタ褒めしている。同時代に活躍した、紫式部和泉式部と人気投票で競ったら一位になると想像する。(知名度では紫式部がトップかも)単純に言って「枕草子」を読んだ人は「源氏物語」を読んだ人の1000倍くらいいますしね。エッセイを読む、書くのが好きな人の大方は「枕草子」を読んでいると勝手に想像しています。


彼女の何が優れているのか。小川センセは自然観察から人間観察までセンスの良さがバツグンだからという。美意識、ユーモア、皮肉、いろんな角度で世間を見ることができ、シンプルな言葉で表現する。世間話のあれこれは現代でもすんなり読めるリアル感があり、千年昔の作品であることを忘れさせるという。
 ・・と、親しみを込めて語るものの、彼女は平安時代の貴族の娘であり、宮中においては一条天皇中宮(后)定子(ていし)に仕えた女官だった。私たちには想像すら難しい別世界に生きた女性だった。親近感など生まれようもないはずなのに「ファンクラブあったら入りたい」なんてよく言えたもんだ。
 さて、清少納言のイメージを現代の女性に当てはめたらどなたさまになるでせうか。なんか・・壇 蜜 さんの顔が浮かぶのですが、あかん?。(2009年 小学館発行)