二件の事件で二人を殺害し、服役中の受刑者が書いた死刑肯定論。自信をもって「凶悪犯はビシバシ死刑にせよ」と説いています。思わず「お前が言うな」とツッコミたくなります。
本書を読んでアタマが混乱しそうになるのは、二人も殺した凶悪犯が書いた本にしては、極めて冷静にして論理的、かつ高い教養?に裏付けられた文で自説を述べていることです。ボキャブラリーの豊富さでは、dameo は勝てない。カントやヘーゲルやモンテスキューを引き合いに出されては、お前、ほんまに人殺ししたんか? と尋問したくなります。
ムショ暮らしについていろいろな事が書いてあるけど、もっともウエイトが大きい記述は、凶悪犯(著者)が観察した凶悪犯の生態、ホンネであります。一般人では絶対経験できない、ムショでの人間観察記です。そして、著者は明快に加害者性悪説を唱えています。但し、全ての殺人犯に対してではなく、上に「凶悪」の二文字がつく殺人犯に対して、彼らは根っからのワルと断じています。
彼らの大方は人を殺すという重罪を犯しながら、反省や悔悟の念をほとんど持っていない。むしろ、被害者を恨んでいるケースがままある。民家へ盗みに入って家人に見つかり、騒いだので殺した。おとなしくしていれば殺す必要はなかった。捕まったのは被害者の対処が悪いせいである。ま、こんなふうに運の悪さを嘆き、被害者を恨む。
もっとも、法廷では、こんなホンネを言うはずがない。罪を認め、心にもない謝罪の言葉も述べる。そんなことは十分わきまえているし、弁護士から指図されることも普通にある。 そんな、凶悪にして反省ナシの面々が暮らす刑務所は・・「明るい暮らし」の雰囲気十分なのであります。著者は重罪ながら初犯だったので、この風景を見て「本当に、みんな人殺しか?」と驚く。それほど罪の意識は薄い。こんな連中が刑期を終えて再び世間に戻ったら・・まじめに更生してフツーの人として社会にとけ込むことはほとんどない。
一方で、著者は、被害者や遺族の苦しみ、無念は生涯消えることなく、加害者の何倍もの苦痛を背負わされる。加害者の「明るいムショ暮らし」を知れば、到底、許す気にはならないだろうと言います。まさに「お前が言うな」としかいえないけれど、著者が見た刑務所、殺人犯のありさまは、かくのごとしであります。
本書を読んだ人が、幸か不幸か裁判員に選ばれたら、確実に被告への心証は悪くなります。特に無抵抗の子供を殺したり、女性を強姦のあげく殺した犯人などには、情状酌量の余地などなくなるでしょう。
dameoも明快に死刑存続論者であって、この考えは生涯ぶれない。死刑廃止論者は世間知らずの偽善者だと思っている。死刑廃止論者は昨年暮れの大阪北新地雑居ビル医院での25人放火殺人事件でも「死刑反対論」を述べなければならない。ぜひ聞きたいものだ。(注)この事件は容疑者死亡により書類送検で落着した。(新潮新書2010年7月発行)