司馬遼太郎「この国のかたち」(四)を読む

  軽重いろいろなテーマがあるが、一番チカラを入れて書いたと思われるのが「統帥権」というテーマ。これの乱用が軍国主義を生み、日本の開戦~敗戦に至ったのでありますが、著者は、軍部がいつ頃から、なぜ、暴走してしまったかをエッセイとして書いている。くそ暑いときに、くそ堅苦しい話であります。


統帥権(とうすいけん)とは軍隊を指揮、管轄する最高権力のこと。日本では大日本帝国憲法下における、という前提がつく。表向きの統治者は天皇でありますが、実際は軍のトップが指揮する。この解釈と運用を巡っていろいろな考え方があり、日露戦争以降においては軍の意見が強力になって軍事政権化し、最後は太平洋戦争開戦に至ってしまう。dameo の考えでは、日本は日露戦争にカッコ良く勝ちすぎた。これが軍人、軍部をのさばらせる端緒になり、三権と同等、またはそれ以上の権力をもってしまったと思ってます。


本書111頁引用「以後、昭和史は滅亡にむかって転がり落ちてゆく。このころ(昭和5年頃)から、統帥権は無限・無謬・神聖という神韻を帯びはじめる。他の三権(立法・行政・司法)から独立するばかりか、超越すると考えられはじめた。さらには三権からの容喙(ようかい)もゆるさなかった。もう一つ言えば、国際紛争や戦争を起こすことについても他の国際機関に対し帷幄上奏権(いあくじょうそうけん)があるために秘密にそれを起こすことが出来た。となれば、日本国の胎内にべつの国家・・統帥権日本・・ができたともいえる。

 

 しかも統帥機能の長(たとえば参謀総長)は首相ならびに国務大臣と同様、天皇に対して輔弼(ほひつ)の責任を持つ。天皇憲法上無答責である。
 である以上、統帥機関は何をやろうと自由になった。満州事変、日中事変、ノモンハン事変など、すべて統帥権の発動であり、首相以下はあとで知って驚くだけの滑稽な存在になった」(以下略)


いま、こんな軍部独裁政治を批判するのはたやすいが、当時の国民は強力に反対したのだろうか。マスコミは積極的に批判し、警鐘を鳴らしたのか。
 そうではなかった。マスコミも世論も軍事政権を支持した。いわゆる「翼賛体制」という御輿担ぎです。そして、戦争が始まるとマスコミは軍部批判どころか、軍の下請けみたいに戦争を煽った。国民の大多数も煽られっぱなしになった。その結果、破滅へ・・。文民統制というタガを外すといかに危険か。一億総懺悔したのであります。よって、独裁軍事政権と国民(マスコミ)、アホさでは五分五分と考えます。マスコミの罪は戦犯並と言いたい。


と、司馬遼太郎の文を引用して「統帥権」を説明したのですが、戦後生まれの人はこんな話題にはこれぽっちの興味もない。当時の日常語だった「大政翼賛」なんて、もう死語だと言ってもよいでせう。書き終わってから、他の話題にすればよかったと後悔しました。(1994年7月 文藝春秋発行)