高橋源一郎<「読む」って、どんなこと?>を読む

 文字を読む、文を読む、作品を読む・・文字を通じて書き手の人生を読む。
チラシを読む単純作業から人の心を読む難解なことまで、あらゆるコトを読みまくる日々。そこをクセ者、高橋センセは子供に諭すような文体で読ませます。

 43頁「もう一つ、簡単な文章を読む」という項目で、6月14日に紹介した故・鶴見俊輔氏が紹介されています。本当に簡単な文章ですが、なんとも、切ない。


 鶴見センセは晩年、八十歳代に「もうろく帳」という短文集を書いた。
2005年11月4日
「友は少なく。これを今後の指針にしたい。これからは、人の世話になることはあっても、人の世話をすることはできないのだから」
2009年6月18日
「私の人生のおおかたは思い出になった」
2009年6月20日
「しかし、太郎(一人息子)と生きた人生はまったく新しい人生だった」
2010年3月25日
「私は生まれなかったほうが良かったかもしれない。しかし、私から生まれた太郎に会えたことはよかったと感じている。この矛盾。」
<センセは以前にこう書いていた。子供をつくったのは自分の都合だ。だから、子供が自分を殺しにくるようなことがあれば、それを受け入れたい>と。
2011年5月20日
「自分が遠い」
2011年10月21日
「私の生死の境にたつとき、私の意見をたずねてもよいが、私は私の生死を妻の決断にまかせたい」・・絶筆(89歳)


この文を書いた直後に脳梗塞を発症し、話す、書く、機能が失われた。しかし、読む(読書する)機能は残った。かくして、一言もしゃべれない、一文字も書けない境遇でなお三年間、読書を続けた。2015年肺炎で死去。享年93歳。


誰しもが「自分ならどう対応するか」考えてしまう人生のラストシーン。哲学の才なく、宗教心も希薄な自分は単純に「安楽死の合法化」を望むものであります。ただいま、参議院選挙のさなかでありますが、もうそろそろ「安楽死」をテーマに賛否を問う政党が生まれてもええじゃないかと。共産党並の支持率(3%台)を獲得すれば真剣な議論が生まれます。(2020年 NHK出版発行)

 

 

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閑人帳◆猛暑日でもマスクを外さない人へ・・

 25日(土)は関東各地で35度超の猛暑になったけど、ニュース画像を見ると、それでも町行く人のほとんどはマスクをつけていました。我慢強いというより、もう慣れて苦にならなくなったのか。外さない理由の第一はコロナ対策のためではなく、「同調圧力」でせう。かくいう自分も電車内や買い物するときは外さない。

 これじゃ外すきっかけがない。そこで、こんな突飛なアイデアはどうか。TV会社のエライ人が「当社が明日以後に制作する番組は、出演者はマスクなしで制作します」と 。(過去の録画以外はマスクした人物は画面に登場しないことになる)

で、この会社の番組を見た人は「みんなハズしてるやん」「ほな、うちらもやめよか」で「外す」側に同調する人が増える。一方、TV会社には批判、非難の声ががわんさと投げかけられる・・ハズ。

このTV会社の「脱マスク宣言」をあなたは賞賛しますか。それとも非難しますか。