青山ゆみこ「人生最後のご馳走」を読む

今週のお題「読書の秋」
***********

 病院食を食べた経験ある人が「美味しい」と評価することは稀だと思います。栄養第一の献立を限られた予算でつくるのだから「ご馳走」であるはずがない。そんな常識を覆して大阪の淀川キリスト教病院ホスピスでは末期ガンなどの患者に好きな料理を提供するサービスをしている。


私はあなたを大切に思っている・・ホスピスで仕事をするスタッフの患者に対する基本姿勢です。もう治療も延命もできなくなった末期の患者に接する最後の「他人」。そして、心のケアとともに「生きていて良かった」という満足感、感謝の念が湧くのが「人生最後のご馳走」だ。患者本人の満足感だけでなく、付きそう家族の幸福感も大きい。義務で食べる食事ではなく、本人が「これが食べたい」とリクエストしたメニューだから話がはずむ。


24時間、死のことしか考えなかったのに、ある日「食べたかったご馳走」が供される。予想はしていたけどサプライズシーンであります。ほとんどの患者は血色が蘇り、饒舌になるそうだ。思い出話が止まらない。看護士や著者が「この人、もうすぐ死ぬことを忘れたんちゃう?」と思うほど快活になる。牧師の説教より100倍の効果がある。(失礼!)


実際の運営はどうなってるのか。ホスピスの建物は独立していて病床は15床。医師、看護士のほかに専属の栄養管理士がいて、この人が患者から注文を聞く。メニューだけでなく、患者のイメージ通りにつくるため、味付けやサイズ、調味料まで細かく聞き取る。その話のやりとりに十分時間をさいてリアルに再現する。会話によって患者の体調を知ることができる。


属調理師は一人きり。原則、このメニューは作れません、と言わないので、肉じゃがふう総菜からフレンチ、イタリアン、寿司、うどん、ぜんざい、まで何でも作らねばならない。器も樹脂製はダメ、相応の高価なものを使う。効率の悪いこと最高でありますが、仕方ない。病室はむろん個室、だったら、ここへ入院したらものすごく入院費用が高くなると心配するが、ご馳走提供による赤字は今のところ病院が負担しているという。つまり、患者負担額は一般病院とかわらない。


なお、リクエストご馳走は毎週土曜日で他の日は病院食だけど、それが6種類のメニューから選べるそうだから、やはり、一般病院に比べたらずいぶんリッチではある。そして、当ホスピスでは亡くなった人は正面玄関から運び出す。裏口から搬出される大病院より人間らしい扱いといえる。


著者は「あとがき」で患者の人生最後の表現行為になる「自分史セラピー」を奨めている。文字を書ける体力がある人は我が人生を振り返って思い出のあれこれをノートに記す。書けない人は身内やボランティアが聞き取ってもいい。
 要するに「遺書」だけど、元気なうちは書きにくいものだ。けれど、人生のラストシーンが快適な空間、美味しい食事、親切なスタッフに囲まれた日々であるなら、まず感謝の言葉から書き始められるのではないか。たとえノートに1頁の文章でも家族への貴重なメッセージになる。(2015年 幻冬舎発行)


<追記>
趣味で dameo 流の遺書?をつくっています
 数年前からA5ファイルを利用して自分用、他人用の遺書(形見)づくりをしています。昔の写真を整理してアルバムを再編集するのも一案です。
 人生経験を正直に洗いざらい記す「自分史」ではありません。イヤなこと、辛いことは書かない、というのが dameo 流です。つまり、リアルでは無い。サンプルは当ブログのカテゴリー「<紙の本?>をつくりませんか」をご覧下さい。

 

f:id:kaidou1200:20211028072515j:plain

 

f:id:kaidou1200:20211028072553j:plain

 

f:id:kaidou1200:20211028072622j:plain

 

f:id:kaidou1200:20211028072648j:plain

 

f:id:kaidou1200:20211028072708j:plain