岡嶋裕史「メタバースとはなにか?」

 まちライブラリー(民間の図書館)の書棚の前でこの本をチラ見していると知り合いのスタッフが「ひゃあ~~、こんな本、読みはるんですか」と驚愕の一声。で、なんか引っ込みがつかなくなって借りてしまいました。


帰宅して、あらためてページを開くと、彼女の驚愕、さもありなん、であります。何を書いてあるのか、さっぱりわからん、と言う点では、かの「歎異抄」以来の難物であります(笑)。こんな本をゼニ出して買う人の気が知れない。
 はじめに、「メタバースとは仮想現実のことである」と書いてあって「疑似現実や仮想現実には様々な機器でアクセスすることになるが、疑似現実へのアクセスに向いているのがARやMR、仮想現実へのアクセスに向いてるのがVR」やて。なんのこっちゃねん。2年前?だったか、フェイスブックは社名を「メタ」に変えた。著者によればフェイスブックはもう古びてきた。SNSの次のビジネスに移るには「メタ(超)」の概念が必要だ、というのが社名変更の理由らしい。知らんけど。


私たちはリアル(3次元)世界で暮らしている。生まれ、育ち、学び、働き、結婚して・・楽しいこともあるが、どちらかと言えば「苦しきことのみ多かりき」の人生になりがちだ。自分や家族が事故や大災害で死ぬこともある。生前に「極楽」気分を堪能できる場面なんか、ほんの一瞬だ。
 しかし、「仮想現実」世界に入ればそんなリアルな苦労はない。「仮想」の中身は自分で創るのだから思いのままである。しかし、ひとりぼっちでは寂しい。なので、別の人と知り合って仲間をつくる。むろん、イヤな奴は敬遠する。
 個々の人が同じテクノロジーで仮想現実をつくれば、男女も国籍も違う人とコミュニティを形成できる。LGBTで悩むこともない。完璧ではなくても3次元世界よりは優劣や偏見のないハピーな暮らしができる・・ハズ、であります。


著者の岡嶋センセはこの道の先駆者であります。これは出来そう、あれもしたいと夢はどんどん広がって現実のテクノロジーの進捗の遅さにいらだってる感じです。分かりやすい例として、センセは浦島太郎の竜宮城暮らしを挙げている。おとぎ話と異なるのは太郎は現実世界に戻るが、センセは「竜宮城で死にたい」だと。センセ、しっかりして下さいよ。難儀な人ですねえ。


テクノロジーがどんどん進歩すると、例えば、仮想世界での浮気が現実の殺人事件を起こすかもしれない。妻にない魅力を全部備えた仮想現実世界の愛人に惚れ込んだ挙げく、リアル世界の妻を殺してしまうかもしれない。想像できます?・・あるいは、逆に、たまたま、夫不在のときに夫のVRセットをのぞき見した妻が自分にない魅力を全部備えた愛人とのラブラブシーンを見てしまったら・・逆上して夫を殺してしまう。これ、あり得ますよ。こわ~~~。


著者が求める理想のメタバースの真髄は「苦労なしの人生を仮想現実で享受する」ことだと見受けました。リアル世界で苦労の克服にがんばるよりも仮想現実世界で安楽に暮らしたいと。「メタ」カンパニーはハイテクを駆使して世界中に売れる「極楽絵図」をこしらえ、売りまくり、ガッポリ儲けるのが狙いでせう。なんか19世紀の「アヘン」の蔓延を想像してしまう、壮大かつインケンなビジネスプロジェクトであります。(2022年 光文社発行)