夏目漱石の俳句集から<秀作>を見つけました

 12月13日掲載の森本哲郎「月は東に」の感想文では漱石が敬愛する蕪村と漱石の俳句作品の優劣差が大きいとの感想を書 きました。だから、漱石俳句集なる出版物はないのだと思い込んでしまったのですが eight8eight_888 さんから「岩波書店より単行本で「漱石俳句集」が出版されてます」と教えて頂きました。eight8eight_888 さん ありがとうございます。これで dameo の漱石俳句二流説はあっけなくホーカイしてしまったのであります。


だからといって「漱石俳句集」をひもといて2500余の作品に目を通すなんていくら閑人でもしんどいので、漱石俳句集「即席秀作選定の素」なる虎の巻はないものかと探したところ、ありました。漱石俳句はこれがお勧めと百句をセレクトした、自分にピッタリのカンニング本です。


坪内稔典(としのり・通称ネンテン)著「俳人漱石岩波新書であります。
 著者は産経新聞に月に二、三回、コラムを書いている俳人、評論家。本書の何が優れているかを言えば、ありきたりの解説ではなく、漱石、子規、そして著者、坪内氏による鼎談という面白いアイデアを取り入れたことです。
 こんなに楽しくて大胆な企画を実現出来たのはひとえに坪内センセに漱石、子規に関するバツグンの情報量があるからです。お陰で坪内センセは漱石や子規とは昔からの友人同士みたいな感じで会話が書ける。実際、センセは「私は自分の履歴や作品より、漱石、子規の人生や作品のことを詳しく知っている」と述べています。さらなる幸運は、坪内センセは愛媛県伊方町の出身で、漱石、子規とともに愛媛に縁の深い境遇がこのアイデアを生んだと言えます。


さっそく鼎談を紹介しませう。いきなり大問題作登場です。

漱石作品 鐘つけば銀杏ちるなり建長寺 (明治28年作)

漱石:あれっ、これは子規君の有名な<柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺>とそっくりじゃないか。
坪内:ええ、そうですね。漱石さんの句は9月6日の「海南新聞」に、そして子規さんのは11月8日にやはり「海南新聞」に出ました。
漱石:私の句が先に出来ているのか。こりゃ、驚き桃の木柿の種だ。
子規:二人で何を言ってるんだね。明瞭じゃないか。どちらが秀句かは。
坪内建長寺に対して法隆寺、銀杏に対して柿、鐘つくに対しては柿を食う。   この対決はたしかに西の勝ちですね。鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは寺の風景としては平凡です。ハッとするものがありません。
漱石:残念だがその通りだ。その点、子規君の句はさすがだ。「柿食えば鐘が   鳴る」は意表をつく。あっと思うよ。その場所が田園風景にある古代の寺院というのもいいね。 ~以下略~      
      
こんな具合に鼎談がすすみます。本書によれば、この名作の誕生、漱石のB級作品を土台にして子規がこしらえたというのが真相らしい。子規は漱石の句を9月の句会で見ており、その後、奈良方面を旅行した。そして前記の「海南新聞」11月8日号で発表した。(その旅行の費用を子規は漱石から借金した)
正岡子規の大傑作は漱石のアイデアを借り、旅費も借りて・・ようするに漱石に「おんぶに抱っこ」されて生まれた・・そうであります。(注)この話、昔、別の本で読んだことがあるような気がする。


坪内センセは漱石の2500句から百句を選んで紹介しています。これを見るとオールB級のイメージは薄まり、蕪村にはかなわないけど佳作があることに気づきました。その百句のなかから dameo  がお気に入りの作品を選んでみました。


三十六峰我も我もと時雨けり


永き日やあくびうつして分かれ行く


菫程な小さき人に生まれたし


道端や凍り付きたる高箒


草山に馬放ちけり秋の空


有る程の菊投げ入れよ棺の中


秋立つや一巻の書の読み残し


さらにナンバーワンを選べと言われたら<菫程な・・>を選びます。


著者は、他の詩歌とちがって俳句は「世間での読まれ方」が大事だという。ほとんどの人が俳号をつくって発表するのは作者の個人情報を消して、即ち、作品が作者を離れて世間を一人歩きすることが望ましいからだという。句会においては作品は無署名で出すが、これは「誰が作ったのか」を無視するためで、あくまで作品本意で優劣を決める。履歴や個性などは評価の対象にしない。
 そういえば、本名を名乗って一流になった俳人はいないような・・気がします。では、短歌も匿名で発表するのが普通なのか。う~~ん、ワカリマセン。
 因みに、漱石の俳号は「愚蛇仏」であります。(2003年 岩波書店発行)