きたみりゅうじ「フリーランス はじめてみましたが・・」

 人は生涯に何度「退職願い」を書くのだろう。そんなデータはないと思うけど、勝手に想像すれば2~3回ではないだろうか。現在の若者は5回以上が普通になるかもしれない。dameo の場合は4回退職して自営業になったけど、4回目は社長が夜逃げしたので「退職願い」は不要でした。


その「自営業」を今は「フリーランス」というらしい。なんか気恥ずかしくて額に汗がにじみそうになります。本書の著者、きたみりゅうじ氏はまもなく三十歳を迎える中小企業のSE。血液型はB型で決まり事の多いサラリーマンに嫌気がさしてるけど、独立してしっかり稼ぐ自信もない。しかし、会社ヤメたい・・このようにウジウジ逡巡している人、多いのではありませんか。


結局、退職した。で、何が一番良かったかというと「遅刻」がなくなったことです。(著者は遅刻の常習者で社内で悪評だった)なんか、ささやかな幸せですが実感でせう。さて、肝心のメシのタネはどうするのか。著者の場合、退職前から技術評論社というIT関連の出版社とコネがあって渡りはつけていた。しかし、必ず仕事がもらえるという約束はない。なりゆきであります。


こういう状況での不安はすごいのではと思います。無収入だから貯金はドスドス減ってゆく。しかも,来年には赤ちゃんが生まれる予定だから、ギリギリプレッシャーがかかる。こんな恐怖を味わいたくないから退職をためらうのです。
 幸いなことが一つあった。著者はSEだから技術解説書は書けるのですが、もう一つ、余技として漫画ふうのイラストが描けるという特技がありました。これが「芸は身を助ける」ことになったのです。


くそマジメだけより、不マジメもできる。これも持って生まれた才能でせう。そんなご縁でポツポツ仕事が入るようになった。もちろん、苦手なゴマスリ営業努力もした。フリーランスのどこがフリーやねん、と言いたいことも多々あったと思います。


努力の甲斐あって少しずつ実績を積み、中には発行即重版決定のヒット作もあったそうです。ここでも「漫画も描ける」キャラが役にたちました。余技ではなく、本職に値すること出版社に認められました。本書はその苦労とやりがいのあれこれを綴ったもので、単にマジメだけのライターでは出版できない「おまけの一冊」といえるでせう。メデタシ、メデタシであります。


さて、これで著者のフリーランス人生は安泰といえるのか。言えない、と思います。もともと地味な解説書づくりであり、一般書のようなヒット作は生まれにくい。かつ、内容からいって本の賞味期限がえらく短い。自転車操業的に次から次へ新しい本を出さないと収入につながらない。そして、フリーランスゆえに何の保証ももないのであります。さらに危惧するのは、文芸書の出版とちがって著者の年令が増すほどに執筆能力が衰えていくことでせう。この業界で、70歳でヒット作続々のライターなんてあり得ない(不詳)。これは恐怖だと思います。


老後の生活を考えるなら、三十才代から年間百万~数百万円の貯金を積み上げ、上手に運用する「銭ゲバ(ふる~~~)」になる必要がある。あこがれのフリーランス人生を成就出来る人は十人に一人くらいではないでせうか。(平成17年 技術評論社発行)

 

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