ヴァージニア・ウルフ「病むことについて」を読む

 西成の山王通り商店街にあるカフェ「COCOROOM」の店先のダンボール箱に捨てられていた本。他にもボロ本が20冊くらいあったけど、色焼けした哲学書など難解本ばかりで、これが一番やさしそう?に見えた。V・ウルフの本を読むのははじめてです。エッセイ、評論14編の中から2編紹介します。

 

源氏物語を読んで
 自分を含めた日本人のほとんどが敬遠する「源氏物語」はアーサー・ウエイリーの英訳版が1925年から順次刊行された。ウルフの文は同年発行のイギリス版「ヴォーグ」に寄稿されたもので、第一巻が発行されたのをすぐに読み、感想文を書いたらしい。東洋の果ての小さな国にこんな優れた文学作品があることを知って大きなカルチャーショックを受けたようだ。


しかし、感嘆してるだけではない。このような長編の大傑作が宮廷の女性によって創作されたのは、当時の日本において100年間くらいは大きな戦争がなかったという背景があった。年がら年中、国内、国外を問わず戦争に明け暮れていたイギリスや欧州ではこんな平和な環境は持ち得なかった・・と言う。


それにしても、作者、紫式部の才能、教養の高さ、センスの良さはいかばかりか・・という賞賛の言葉はおそらくウエイリーの名訳によるもので、ほとんど困惑に近い感情で文を綴っている。最後の一部を引用しておきませう。


 紫式部と優れた西欧作家とのありとあらゆる比較は、彼女の完璧さと彼らの力を明らかにするだけである。だが、美しい世界だ。この静かな婦人は、行儀の良さ、洞察力、楽しさをそなえた完璧な芸術家である。
 この先長く、私たちは彼女の小さな森を頻繁に訪れ、月が上がり、雪が降るのを見つめ、野鴨が叫び、横笛や弦楽器や笙が鳴り響くのを耳にするだろう。かたや、源氏の君は人生の風変わりな味のすべてを味わい、試み、男たちがみんな泣くほど見事に舞うのだ。だが、上品さの範囲をけっして超えることなく、なにか違ったもの、なにかより洗練されたもの、なにか与えられないものを探し求めることを決して止めないのである。(引用終わり)


最後の数行は翻訳に苦心した、というか、もうちょっとかっこいい文章にしてほしかった、と外野席から注文をつける dameo でした。今から100年前(大正14年)に書かれたイギリス人作家の源氏物語感想文です。


◆書評について
 シェークスピアが「ハムレット」を書いたころ、書評はなかった。書評は新聞というメディアの発達で生まれた。また、19世紀のイギリスでは「批評」と「書評」は峻別され、歴史、政治、経済について論ずるのは批評、書物について論ずるのが書評とされた。売れっ子作家であるウルフにすれば、書評、書評家というのは不必要、不快、目障りな存在、今ふうにいえば出版界の「お邪魔虫」であったらしい。


一方、書評で褒められた作品は良く売れるのも事実なので、一部の地位不動の大作家、大詩人を除いては作家、出版業者の良きサポーターにもなる。というわけで、出版世界では書評家がわんさと生まれ、あらゆる本をネタに書評を書きまくった。一冊の小説に賞賛、批判両方の書評が出ると読者は混乱して結局、本を買わないという弊害が生まれた。これって、19世紀のイギリスの話なのですが、21世紀のネット社会とあまり変わらないような感じです。古くさい言い方をすれば「一億総書評家」。歴史は繰り返すってことですか。


本気か、冗談なのか分からないけど、ウルフはこんな提案をしている。書評家たる者は論文を書くとかで一定の水準を有する者に限定する。要するに資格検定して人数を絞り、作家と書評家(コンサルタント)という立場を明確にする。作家は新作品を発表するときに一時間、書評家と面接して作品の内容や創作意図などを説明する。書評家はそれを汲んで参考にする・・。要するに、双方に信頼関係を築くことが大事というわけです。でも、これって言論自由社会にはなじみませんよねえ。(2002年 みすず書房発行)


ヴァージニア・ウルフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95

松岡正剛の千夜千冊(ダロウエイ夫人)
https://1000ya.isis.ne.jp/1710.html

 

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