同氏には「泥の河」と「螢川」という傑作があり、二作とも読んでいたのでこれも読んでみました。感銘の大きさでは前記の二作に劣るけど、庶民の生活哀感漂う佳作だと思います。今回は本書の感想文ではなく、道頓堀川のほとりで主人公の武内が経営する喫茶店「リバー」が作品でどの程度リアルに描かれているかというイジワルな検証です。宮本センセ、カ、カ、カンニンして下さいまし。(小説だからウソを書いてもいいのですが)
界隈の町並みはよく知っているので、某日、図書館からの帰りに現地を訪ねました。小説の喫茶店は道頓堀川にかかる「戎橋」の北東、心斎橋筋と宗右衛門町通りが交差するところに設定してあります。(写真参照)
現場検証したくなったのは次の文章があったからです。(青色文字)
「あの橋の真ん中からこの店までの道を、マスターはいっつも五十一歩から五十三歩までのあいだで歩いてくるんや」と邦彦がいたずらっぽく笑って言った。「そら、何のこっちゃ」説明されて苦笑している武内に、邦彦はさらにおかしそうにつけ足した。
「こないだ、政やん(武内の息子)が橋を渡ってきたからおんなじように数を数えてみたら、やっぱり五十二でここまできよった。政やんはマスターよりだいぶ背が低いのに。・・・やっぱり、親子って変なとこが似てるんやなあと思うたら、おかしかったわ」
武内が息子同様にかわいがってる使用人の邦彦が開店前に店のガラス越しにマスターが歩いてくる様を描いてる場面です。これって、ホンマか?。
戎橋の真ん中から仮想の店まで歩いてみました。武内は長身、息子の政夫(政やん)は背が低くてずんぐり形の体型です。で、自分が歩いたら60歩を要した。宮本センセの記述(距離)正しいのなら、自分は政やんよりさらに短足ってことになります。センセの描写は相当に正確なことが分かりました。
もしや本当に歩数を数えたかもしれないと思いました。こんなしょーもない「読後のアウトプット」ですが、この作品の印象は俄然強まります。
他にも「店から上手の太左右衛門橋のたもとに交番がある」という文章も現地を正しく描写しており、宮本センセも界隈の地理はしっかりアタマに入れて書いたことがわかりました。本の発行は1981年なので、戎橋は昔のデザインであり、グリコの看板のデザインも3世代くらい古かったと思われます。
戎橋のまん中から見た仮想の喫茶店「リバー」は赤信号の右下、黒いシャッターのところにある。撮影場所から店までの歩数が小説では51~53歩だった。
店に近づいて撮影した(黒いシャッター部分が喫茶「リバー」)
逆に、店の前から戎橋を見たところ。 おなじみ、グリコの看板が見える。
御堂筋から夜の道頓堀(戎橋)を見る。店は橋の左手にある。