朝井まかて「恋歌」を読む

 この本を読む気になったのは、昔々、吉村昭の「天狗争乱」を読んだから。本書の主人公「登世」は水戸藩天狗党に属する武士の妻であり、ゆえに水戸藩の内輪もめに巻き込まれて対立勢力から酷い仕打ちを受ける。その有様が後半に延々と詳しく描かれていて、朝井流の滑らかな筆運びや事物の描写の上手さが直木賞受賞のポイントになったのではと想像します。


主人公は命からがら現場から逃げ延びることができた。そして、時代は幕末から明治へ・・登世は「中島歌子」に名を改め、歌人として名をなす。弟子の一人が樋口一葉、これで時代感がわかりますね。1月28日に紹介した同著者の「グッドバイ」とほぼ同じ時代に活躍した女性の一人で、朝井センセが得意とする「がんばりやさん」物語です。


天狗党のまとめ役、指導者になった(ならされた?)のが武田耕雲齋で本書でも吉村本でも優れた人物ふうに扱われるのですが、尊皇攘夷の決意を伝えるために京都にいる徳川慶喜に会いに行く。それが数百人の大団体にして徒歩の旅になります。その意気やヨシとしても計画としては無茶すぎて悲劇を招いた。
 そこんところ、もうちょっとまあるく話をまとめることができなかったのか、読者の多くが案じるのですが、水戸藩の人は武士も農民も猪突猛進型の人が多いらしい。


水戸(筑波山)から北陸経由京都行きの行軍は失敗します。経由地の敦賀で武士の多くは切腹し、農民などは「鯡(ニシン)蔵」という倉庫に詰め込まれて飢えや病気で次ぎ次ぎ亡くなる。行軍に参加した人の多くにとっては「死の旅」になった。その「鯡蔵」が今でも残っていて見学できます。「気比の松原」という白砂青松の美しい海辺にあって「天狗党」を知らない人が見たら、ふ~ん、何の話?でパスしてしまいます。スケールからいえば大事件だったのに私たちの歴史感覚ではローカル事件になってるのが痛ましい。


読み終わって気になったことがひとつ。当時、水戸藩では天狗党と対立する諸生党の二派のあいだで殺戮や拷問が繰り返された。その当時の「しこり」はもう消えたのか、であります。会津藩長州藩に対する怨念は未だに尾をひいてることはご存じの通りですが、水戸藩内=茨城県民のあいだでは?・・今日もニコニコおつきあいの関係なら良いのですが。


本書の巻末に書いてありますが、水戸藩における「過激思想」と「全力内輪もめ」は人材喪失という大きな傷を残してしまった。時代転換の大事な場面で国家のリーダーの多くは長州藩薩摩藩から輩出し、水戸藩は影が薄くなってしまった。明治~昭和時代においても、優れた政治家や学者が見あたらないのが残念であります。(2015年 講談社発行)

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朝井まかてセンセ「清少納言」を書いて下さいまし
 朝井まかての作品は10冊くらい読みました。物語の時代設定が大方江戸時代~明治時代で肩のこらない作品が多い。まだまだネタは尽きないかもしれませんが、読者の一人として書いてほしいなあと思ってるのが清少納言の人生ドラマです。田辺聖子の「私本 源氏物語」ほどふざけなくてもよいから、半分くらい作り話を交えて、実はこんな素敵な女性だったと綴ってほしい。殆どの人は教科書的イメージしか持ち合わせていないので、ヒットすると思いますよ。

 

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