青柳恵介「風の男・白洲次郎」を読む 

 政財界で、表には立たないが、ウラで損得勘定をしつつ駆け引きや指南する人物を「黒幕」と呼びます。これには字の如くダーティなイメージがつきまといますが、だったら、白洲次郎は「白幕」役だったのかもしれない。私欲抜き、国益優先で難題に立ち向かい、解決に力を発揮しても、決して手柄話なんかしない。そんな稀有の人物だったことが本書でわかります。


妻の白洲正子の書いた本を読んだ人は、たいてい、この人の亭主ってどんな男だったのか興味を持ちますが、その答えにもなる本です。夫妻とも個性強烈、人脈、教養一流にして自他共に認めるわがまま。こんな夫婦がなんで離婚せずにおれたのか。ぶしつけに尋ねた友人に次郎は答えた。「別れないための秘訣は、いっしょにいないことです」。ナットク、であります。


彼ほど有能な人物はどの世界に身を置いてもトップリーダーになれる、なるべきだと周囲の人は考えたが、それは望まなかった。トップでなく、セカンドのポジションで活躍した。トップになったのは東北電力の会長になったことくらいで、ほとんどは脇役、今風にいえばコーディネーター的な立場を好んだ。役は脇役でも、トップの決断のお膳立てをするのが役目だから、限りなくトップに近いセカンドである。また、彼は、自分で配下の組織をもち、人を使いこなす管理職的な役目は大の苦手だった。部下なしで一人で立ち回るほうが性にあっていた。


本書のハイライトは、敗戦後の新憲法づくりでの裏方役である。占領軍と日本政府の間に立って、アチラを怒らせず、コチラの不利にならないように、憲法の草案づくり時点からモロに関わって調整に奔走する。圧倒的に弱い立場の日本ではあるが、そこをなんとか、ギリギリの妥協点を探る。歴史上ではぜんぜん評価されないが、これが一番のハードワークだった。


彼の死後、白洲次郎に匹敵するような人物が出たかといえば・・残念ながらいませんね。最晩年はエリートしか入れない軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長におさまっていたが、毎日、長靴はいて草取りに精出すのが日課だった。山ほど得た名誉になんの未練も持たず、1985年(昭和60年)83才で亡くなった。遺言はたった8文字「葬式無用 戒名不要」だった。(新潮文庫 平成12年11月発行)

 

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