太田尚樹「尾崎秀実とゾルゲ事件」を読む

 ロシアがウクライナに攻め込んでプーチンの評価はガタ落ち、ロシア国内でも反戦デモが起きている。この本は今から80年前に起きた日本とソ連間のスパイ活動に関するドキュメントですが、もし、中学、高校の教科書に載っていないのなら60歳以下の人はほとんど知らないのではと思います。


ゾルゲ事件に関する本をたくさんあるが、生硬な調査報告みたいな内容のものが多くて手に取りにくかった。本書は、内容も表現もそこそこ柔らかく咀嚼されたもので普通に読める。むろん、陰険な話であることは同じなのですが。


法制度が整った明治以後、スパイ罪(国防保安法違反、軍機保護法違反、治安維持法違反)で起訴、処刑された民間人はこの尾崎秀実(ほつみ)一人かもしれない(不詳)日本をソ連へ売る=売国奴(スパイ)として十分に活躍したのだから、死刑は当然だが、決して金や利権目当てではなく、日本を共産主義国家にしたいという理想を実現するための売国行為だった。


尾崎は1901(明治34年岐阜県生まれ、一高~東大法学部とエリートコースを歩むなかで共産主義思想に染まり、就職は朝日新聞社。後に大阪本社を経て上海支局勤めになり、ここでゾルゲに接触したのが人生暗転のはじまりだった。リヒアルト・ゾルゲはソ連諜報団の親分。父がドイツ人、母がロシア人。いつぞや、ハーフはアイデンティティに悩むと書いたが、ドイツとソ連はモロに戦うことになるのだから無茶悲しい。結局、ゾルゲはソ連のスパイになってドイツと日本をやっつけるために働く。これを助けたのが尾崎だった。日本の機密情報を彼に与えた。


尾崎は共産主義思想に染まってることを隠したまま、朝日新聞を退社、満鉄の嘱託の仕事などに関わりながら情報を集め、あろうことか、近衛内閣のブレーンに採用される。最高機密を知りうるポジションについた。
 日米開戦の前、国のトップは「北進論」と「南進論」いずれをとるかで大いにもめた。満州ソ連へ向かうのか、東南アジア占領をめざすのか。結局、一番欲しい石油資源獲得の可能性から「南進論」に決定。むろん、これは国家の最高機密であるが、尾崎は情報をキャッチしてゾルゲに伝えた。


ソ連は領土の西側でドイツと、東側で日本と対峙していたが、日本の北進論が消えたとなれば、シベリアに配置していた大軍団を引き揚げて対ドイツ戦に使える。こんな有り難い情報があろうか。尾崎の情報提供が対ドイツ戦で苦戦していたソ連を一気によみがえらせた。実際、モスクワ攻防戦の直前から勢力を建て直し、ドイツを敗戦に追い込む逆転劇に成功する。


裁判の詳細はわからないが、尾崎が死刑になったのはこの情報でせう。独ソ戦のドイツの敗北理由は、厳寒の戦地やドイツ軍の補給の問題が大きいが、ソ連軍の戦力増加あればこその勝利だった。もし、尾崎の情報がなければ、ドイツはモスクワを占領したかもしれない。


 独ソ戦に勝利したソ連は再び軍をシベリアに配置できる。なのに、日本軍は主力を南進に使い、北は手薄になった。そこで、ソ連は密かに対日参戦を企てた。終戦の一週間前、ソ連軍がなだれ込んで、ほとんど無抵抗状態で日本の満州北方領土を奪取した。降伏した兵士が抑留されて塗炭の苦しみを味わったのはご存じの通り。尾崎のスパイ活動が日本の敗戦に貢献した。


本書によれば、尾崎の理想は中国主導による共産主義革命で日本も呑み込み、さらにアジア全体を共産主義体制に生まれ変わらせることだったという。もし、実現していたら、日本では内乱で何百万人もの死者が出たかもしれない。1941年、スパイ活動を嗅ぎつけられて逮捕。裁判を経て1944年11月7日、巣鴨拘置所で絞首刑になった。同じ日、ゾルゲも処刑された。


尾崎は近衛内閣のブレーンの一人になったが、他にどんな人物がいたのか。白州次郎笠信太郎、蠟山政道、牛場友彦、松本重治、犬養健西園寺公一、などがいて、彼らがみんな好戦的人物とはとても思えない。結局、軍部の圧力が強くて文民思想では抗い難かったといえる。


事件から80年近くたち、この事件を知っている人は少なくなってきた。朝日新聞の読者でさえ朝日の元社員に売国奴がいたことを知る人は少ない。それは仕方ないとしても、個人的な理想(妄想)実現のためには「国を売る」行為も辞さなかった人物がいたことは知っておくべきでせう。(2016年3月 吉川弘文館発行)

 

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