山本博文「忠臣蔵の決算書」を読む

  武士の暮らしは「忠」や「義」といったメンタルな面が主で、エコノミー(経済)にはさしたる関心をもたないのが普通です。その忠と義のドラマの典型である「忠臣蔵」をゼニ勘定でとらえたのがこの本。別に皮肉やイヤミで「金と忠義」をテーマにしたわけではなく、くそまじめに、討ち入りを支えた経済的裏付けを研究したものです。


はじめに、討ち入りの決算報告書から述べると、総費用は8400万円になります。当時の金で約700両、一両を12万円としての計算です。う~ん、そんなもんかなあと、駄目男は納得出来る金額でありますが、高すぎる、いや、安いもんや・・いろいろ見方があるでせう。


どうしてこんなにリアルな金額が算出できたのか。それは主人公の大石内蔵助がマメに帳簿をつけていたからです。忠臣蔵といえば、主君の仇討ちという忠義の思想から生まれる人間ドラマばかり取り上げられるのですが、義士といえど普通の生活人でもあるから、衣食住にお金がかかります。それが47名もいるのだから、経理担当の大石内蔵助は銭勘定の面でも苦労が絶えませんでした。


大石が丹念に書き付けていた帳簿は「金銀請払帳」です。これがきちんと残っていた。元禄14年(1701)3月に主君、浅野内匠頭が殿中松の廊下で刃傷沙汰を起こし切腹。幕府は赤穂藩取りつぶしを決めます。赤穂藩を会社に例えるなら倒産です。重役から平社員まで全員解雇。強力なコネのある人は他の藩に仕官できますが、大方は失業者になりました。しかし、ここで救いになったのは、赤穂藩がひどい貧乏藩ではなかったことです。領地は小さく、藩士も少ないのに、塩田の経営などで、そこそこ潤っていました。


家老であった大石内蔵助は藩にあった金をかき集めてみんなに退職慰労金として配ります。刃傷事件は3月でしたが、6月には残務整理も大方落着して、各種支払いのあとの残金が700両となりました。これが「討ち入りプロジェクト」の資金となり、この時点から帳簿付けが始まります。帳簿付けといっても当然「収入の部」はありません。全部支出です。その支払い相手は討ち入り参加予定者だけど、これがなかなか決まらない。忠義のタテマエから言うと、主君に近い幹部、会社でいえば重役、部長クラスがメインになるはずなのに、実際の義士は課長や係長クラス、平社員が中心になりました。エグゼクティブほど忠誠心が薄いのでせうか。


著者は支払いの内訳を分類して,何に多くの費用がかかったか計算しています。222ページの文をコピーすると、こうなります。

 

討ち入りプロジェクトの費用内訳
■仏事費・・・・・・・1524万円
■御家再興工作費・・・・780万円
江戸屋敷購入費・・・・840万円
■旅費・江戸逗留費・・2976万円
■会議・通信費・・・・・132万円
■生活補助費・・・・・1584万円
■討ち入り装備費・・・・144万円
■その他・・・・・・・・360万円

 

はじめの仏事費と御家再興工作費は討ち入り計画とは直接関係のない費用なので、実際には約6000万円が資金になりました。また、江戸屋敷購入費は、アジト用に買った物件が、幕府の公共工事予定地とかち合ってしまい、使えなくなって840万円がパーになっています。


帳簿によると、出費のほとんどは大石が家来に直接手渡しており、すべて領収書をとっています。武士とは思えないこまめさです。「討ち入装備費」では衣装や帷子、槍や長刀、木戸を打ち破るための木製ハンマーの値段までいちいち書いてある。 さらに感心するのは、帳簿の締め切りを討ち入りの二日前とし、義士全員に借家の家賃や掛け買いの精算を済ませるよう命じていることです。町民に借金を残しては折角の大義がすたると考えたのでせう。


討ち入りは元禄15年12月14日に行われた。刃傷沙汰から1年9ヶ月も経っており、当時は遅すぎたという批判が多かった。外野席だけではなく、義士の間でも遅い、もっと早く実施すべきという意見が多かった。途中で怖じ気づいたり、シラけて脱退した者もいる。大石内蔵助は家来の突き上げや批判に悩み、一方で資金はずんずん減っていく。この 「人事と金」の案配を計りながら決定したのが12月14日という日程だと言えます。帳簿締め切り時点では資金が底をつき、大石個人の財布から払うような場面もあった。


討ち入りをもってプロジェクトは終了し、義士たちは江戸在各藩にお預けの身となった上、翌年の2月4日、幕府の命により切腹します。
 以上が忠臣蔵の決算物語でありますが、歌舞伎や文楽忠臣蔵に親しむと、ドキュメントとフィクションが頭のなかでごっちゃになってしまいます。萱野三平(ドキュメント)と早野勘平(フィクション)を「仕分け」しながら読まねばなりません。また,大石の京都での遊興費用なんて出費があると、つい「祇園一力茶屋の場」の場面を想像してしまいますが、これは芝居での場面です。芝居しか知らない人は、遊女「お軽」の身請け代に何両使ったの?と気になったりして・・。


もうトコトン解説され尽くしたと思える忠臣蔵でありますが、こんなウラ話もなかなか興味深い。著者は現在、東京大学大学院情報学教授です。(2012年11月 新潮社発行)