夏目漱石「道草」を読む

 前回紹介の「彼岸過迄」よりはいくらか読みやすいけど、全編、陰々滅々物語で、これを楽しく読んだ人っているの?な感じ。大正4年に朝日新聞に連載された。毎日、まじめに読み続けた読者は、さぞかし気が滅入ったことでせう。


本作品は夏目漱石の自叙伝に近いというのが定番解釈だそうです。但し、リアルに生い立ち、人生を描いているのではなくて、人物像などかなり変えられてるところもあるが、人間関係についてはほぼ事実に近いらしい。この小説を書いたときは、作品に描かれた人物は生存し、本人の親類なども生きていたのですから、書くのには随分勇気が要ったに違いない。漱石に関わった人を褒めるのなら何の問題も無いけど、ほぼ全員、悪く描かれている。こりゃ、たまりませんです。ブンガクって、因果な仕事ですなあ。


現実に生活を共にしているヨメさん(夏目鏡子)をコテンパンにくさし、昔の養親だった男は強請、たかりの悪人、その回りの人物もろくでなしばかり、という設定で話しが進むから、陰々滅々物語になって当然です。そして物語の軸になるのが夫婦不和で、DVこそ起きないが、悪意とイヤミ満載、救いのないまま終わっている。


 ・・てな単純な話だったらブンガクたりえない。なので読者は上っ面だけ読んで「しょーもな」なんて文句垂れてはいけないのであります。では、この陰気な小説から何を読み取るべきなのか。dameo の脳ではどだい無理な命題ゆえ、巻末の解説の一部を引用します。(青色文字)


「主人公、健三(漱石)と妻のお住(鏡子夫人)との根本的な対立の一つは、実用的価値を重んじる生活者と、実用性から切り離された精神的価値に生きる知識人との葛藤にあるとされている。これは単に健三夫婦に固有な対立にとどまらず、西洋的な学問や論理に従って自己を立てていった知識人と日本の身辺現実に忠実であった庶民との断層という、日本近代全体の大きな歪みを鋭敏に嗅ぎあてているということができよう」


・・てな具合に読み解かなければ文学鑑賞にならないのであります。主人公は、知識人、エリートの自覚が強いぶん、庶民感覚と折り合いをつけるのが難しい。全く、家族からも世間からも浮いてしまってるインテリのしんどさであります。まあ、この「近代の相克」みたいな難儀が漱石作品を私小説に堕することから救っているとも言えますけど。嗚呼、漫画が読みたい。(2009年2月 岩波書店発行)

 

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