村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読む

 村上春樹の小説には全く興味がなくて長編は一冊も読んだことがない。なのに、この音楽がテーマの対談本をなにげに手にしたらめっぽう面白くて引き込まれてしまった。400頁近い大部の対談記録でテープ起こしは村上氏自身が行った。正確を期するためだろうが思い切りしんどい作業だったのではと推察する。しかし、好きな音楽の話だから、しんどいけど楽しい仕事だったのかもしれない。なんにせよ、音楽ファンには貴重な知識、情報満載のユニークな本であります。


 最初に取り上げられる話題がベートーベンのピアノ協奏曲第三番。村上氏がよほど好きな曲みたいだけど、これは自分も好きな曲(第四番も同じくらいに好き)弾き手はグールド、ゼルキン内田光子など才人とカラヤンバーンスタインなど大物指揮者との丁々発止の演奏の裏話が語られる。普通、こういうことを書けば演奏評で終わるところ、両人が昔の記憶も交えて好き勝手にしゃべるところが楽しい。小澤氏の下働きの時代の生活のようすもうかがえる。要するにひどい貧乏暮らしだった。指揮者の見習いだから食べるだけで精一杯というレベル。後年の大出世がウソみたいな貧乏生活を強いられた。


 村上氏はマーラーの大ファンでもある。このさい、マーラーに関する自分の蘊蓄をさらけ出し、知らない部分は小澤氏に教えてもらおうという魂胆?なのか、演奏法や楽譜の表記の細部まで根掘り葉掘り小澤氏に問う。小澤センセがまた本当に誠実に、自分の知ってることを全部さらけ出す、という感じで語る。マーラー作品の不可思議さと怪しさ(怪しいというのは評価において疑問があるということ)の話など一般のマーラーファンにも「なるほど」と思わせる話もある。要するにマーラー作品の楽屋裏を語ってくれてるみたいで楽しい。


 本書を読みながら、同じ対談スタイルの企画でブルックナー論も読みたいと思った。但し、村上~小澤コンビでは実現不可能で全く違う素人と指揮者・・昔なら指揮者は朝比奈隆にキマリだったけど、ネチネチ、コテコテのブルックナー論を読みたい。ともあれ、クラシック音楽ファンにとって新感覚の優れた啓蒙書であることを実感した本でした。(2011年 新潮社発行)

 

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