世阿弥「風姿花伝」を読む ~現代語訳 夏川賀央~

 本書の原文をすらすら読める人は皆無でせう。現代語訳ならすらすら読めるけど、内容を理解できる人はほとんどいない。そこで、本書では難解な中身をとことんミーハーレベルに引き下げて、どない?分かった?と語りかける。致知出版社にしては珍しいミーハー向けの本です。

 

 ここまでレベルダウンして解説してもなお「ワカッタ」と言いがたいのは世阿弥が芸術を抽象概念で説いているからでありませう。お能自体が高度に抽象化された芸能だから、誰でも分かる解説なんてどだい無理なのであります。・・なんて書くと、世阿弥は怒るに違いない。無学な農民でさえ感動するような芸こそ能楽の素晴らしさだと。

 

 これじゃ前置きの文ばかり書いてしまうことになるので、プッツンします。世阿弥は本書を室町期、1400年ごろに著しているので、私たちはこの「風姿花伝」を能楽論の原典のように思いがちですが、能の歴史はもっと古く、聖徳太子の時代まで遡る。600~700年ごろに発祥しているというから驚きます。どうやら能の原点は聖徳太子秦河勝のコンビがつくりあげたらしい。最初は神仏への祈り、感謝といった宗教色の濃い祭事だったが次第に農村の暮らしに溶け込み、庶民が神や仏の役を担うようになって世間に広まった。

 

 能楽という呼称はかなり後にできた名前で初めは申楽と呼ばれていた。名付けたのはプロデューサーであった聖徳太子で神へ奉る「神楽」の神の字の偏を取り除き、つくりだけの文字「申」にした。これは十二支では「さる」と読むので「申楽=さるがく」というわけです。後に「猿楽」とも呼ばれるようにもなったけど、原点は「神」であり、お猿さんとは関係ありません。・・てな、話なら退屈せずに読むことができます。

 

 なんせ娯楽なんかぜんぜん無かった時代、農民は意味もわからずに見よう見まねで歌ったり踊ったりするだけでも十分楽しかった。平安時代になると村上天皇がこれを天下太平のための国家行事へグレードアップさせます。こうして農民の娯楽が貴族階級の趣味にもなる。そうなるとインテリの嗜好に見合ったハイレベルな内容、役者が求められるようになる。その延長上に観阿弥世阿弥の父)と世阿弥という大天才が出現します。

 

 芸能界には天才と呼ばれる人がたくさんいたが、世阿弥を凌ぐようなスグレモノは恐らく永久に現れないでせう。世界の芸能史のなかでも飛び抜けた存在です。なにしろ、一人で脚本家、プロデューサー、ディレクター、役者(シテ)、デザイナー、そして、600年も読み継がれている「風姿花伝」のような芸術論の著者など、全部一流のレベルでやりこなした。逆に言えば、日本の能楽界は600年間、彼の思想、芸術論に縛られ続けていたといえます。こんなスーパーアーティスト、ほかにいません。(平成26年 致知出版社発行)

 

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