著者名を見て、堅苦しい中国史の話なのではと想像したけど、読んでみれば平易な内容だったのでホッ、であります。解説によれば、著者が本書を書いたのは京都大学を定年退官したあとで、教授の肩書きがとれたから気楽に書いたのではということでした。
隋の煬帝(ようだい)って、なんのこっちゃねんの向きもありそうですが、推古天皇の時代、中国では隋の時代、時の天子が煬帝でした。聖徳太子が「日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」の有名な親書を届けた相手であります。
波瀾万丈の生涯だから当然関わる人物の数もハンパでなく、かつ、人名にふりがなが無いので、誰が誰やら、ちんぷんかんぷんであります。1500年もまえに、よくぞこんなに詳しい情報があったもんだと感心するくらい、複雑な人事を描いている。
人事とは何かといえば「殺し会い」のことであります。日本の歴代天皇で身内に暗殺されたのは一人きり?ではないかと思うけど、あちらでは権力の座を守るためには、家族、親戚、友人、家来、入り交じって殺し合いをする。邪魔と思えば、無抵抗の幼子でも平気で殺す。煬帝の時世だけでなく、天子たるもの、人命を虫けらのように扱う度量がなければ勤まらなかった。この伝統?は不幸にも現代まで受け継がれ、毛沢東や鄧小平のもとでも国民は虫けらのように殺された。
隋の一つ前の時代、北魏での殺伐とした権力者一族のありさまは次のように書かれている。(18頁)
北魏の実質的な創立者は道武帝であるが、強壮薬を飲みすぎて神経衰弱にかかり、皇太子と仲違いして殺された。次の次の太武帝もまた皇太子と喧嘩し、自分が殺されぬうちにと早まって皇太子を殺したが、あとで後悔し、讒言をした宦官を殺そうとして、かえって殺された。その曽孫の献文帝は母親の太后に殺され、そのまた曽孫の孝明帝というのがやはり母に殺されている。(引用ここまで)
実の親子でも殺し合うのが中国王朝のセオリーなのかもしれない。仲違いしたら先に殺したほうが勝ちというわけであります。煬帝も本書のなかで「殺した」と書かれてるだけで数百人はいる。特に謀反を企てた者は本人だけでなく親族も皆殺しにしないと安心できない。中には讒言を信じて罪のない者を殺してしまうこともままあり、宮廷は年中疑心暗鬼ワールドになってしまう。
では、煬帝は無事に寿命をまっとうできたのか、といえばさにあらず、最も信頼していた近習の家来に殺されてしまう。その場面、宮崎センセイには失礼でありますが、まるで「講釈師 見てきたような ウソを言い」そのまんまであります。最愛の息子を目の前で斬殺され、覚悟した煬帝は首巻きをを家来に差し出し、それで絞め殺された。むろん、煬帝の近親者は全部殺された。
内輪もめも大変でありますが、外国との戦争も天子の仕事です。煬帝は在位中に隣の高句麗に三度も戦争を仕掛け、一度も勝てなかった。相手が強いせいでなく、隋の軍隊がドジばかりするせいもあって、その指揮官であった煬帝は無能をさらけだした。高句麗征伐どころか、自国の反乱鎮圧に苦労した。これじゃ勝ち目がない。疑い深いくせに讒言に乗せられやすい性格も災いした。
隋の時代の千年も前に「孔子」が出て仁や徳を説いたのに、後世のバカ殿にはなんの役にも立たなかった。のみならず、偉大なるモラリストを生んだ中国は、2500年後に、世界でもっともモラルに欠ける国家、国民に落ちぶれてしまった。なのに、孔子の偉大さをもって、中国は偉大なりと勘違いしているアホな日本人がいる。残念であります。(1987年9月 中央公論社発行)