ロシア国民の無能を嘆く

 8月2日のBS報道番組でウクライナ戦争の裏事情を報じていた。小ネタでありますが新鮮なニュースです。最近、少しずつ増えてきたモスクワへのドローン攻撃は当然ウクライナ軍によるものでありますが、実はウラ事情があってロシアの反政府組織がウクライナ軍とぐるになり、モスクワを攻撃しているということです。これだけでも「えらいこっちゃ」でありますが、驚いたのはこんな極秘情報を組織のリーダーがノーガードで明るく語っていたことでした。オイオイそんなに無防備で大丈夫かい?と心配になるくらいです。
 この情報によってクレムリンやモスクワのオフイス街へのピンポイント攻撃の正確なワケがわかりました。こんな「ロシアの内なる敵」が増殖すればロシア軍はウクライナと「内なる敵」両方を相手に闘うことになり、もう双方に勝利することは不可能です。よって核兵器使用のリスクは高まります。


ロシア国民のうち、若い世代は情報統制のなかでも外部情報を仕入れて国情をそこそこリアルに理解できるが、中高年世代の多くはプーチンを支持している。この状況、日本の戦時中の「大政翼賛」思想(ふる~~~)と似ていて歯がゆくなります。政府の発するニセ情報や怪しい思想を信じて「とにかく今は政府について行く」風潮がプーチンの独裁政治を支えている。
 但し、日本の古い大政翼賛思想まるごとコピーではなく、一部の金持ちはフツーに海外旅行や保養地暮らしを楽しんでいて日本のような「国民総我慢大会」みたいな切なさはない。国土の広さや貧富の差の大きさが異なるからでせう。


かくして自分のようなヨソもんにはロシア人中高年世代の政権追従ぶりに歯がゆさを感じるのであります。現実には無理な徴兵が増えるなど人生の不幸に関わる難儀があるにも関わらず、プーチンの横暴を許している。おじさん、酒に浸ってる場合じゃありませんぞ。


大政翼賛などと安直に書いてみたけれど、日本とロシアには決定的な相違がある。それは民族の数であります。細かく分ければ100くらいの民族があり、もしプーチン政権が無様に倒れたら・・日本人には想像できない大混乱が生じる恐れがある。そうならないための下ごしらえは進んでるのだろうか。ロシアのおじさん、おばさんたち、しっかり学習しておいて下さいよ。
 ロシアの大難儀を日本人はどうとらえるか。なにはさておき北方領土返還のチャンス到来であります。何種類かのシナリオが用意されてることを期待します。

史上サイテーの記者会見

  ・・という言葉がトレンドになりそうなビッグモーター社長の辞任記者会見。大企業の経営者、一社会人としての資質の低さが丸出しになった珍しいケースであります。しかし、どうやらご本人はそれをぜんぜん自覚していないことがさらに評価を下げてしまった。自分の想像するところ、社長自身が会見のビデオを視聴しても己の頓珍漢ぶりに赤面するなんてないでせう。自分は正しい、社員と世間がアホやねん、であります。


社長が交代しても前途は多難。株主である前社長がヒモを操って実質支配するにちがいない。もし、自分が社員だったら、と想像すると、まず、お客さんに挨拶するときBIGMOTORの名刺を出すのが恥ずかしい。もてる劣等感、罪悪感がどどどと噴出して手が震えそうだ。これだけで退職願い書く動機になります。びびらずに名刺を出す社員がいたら、鈍感ぶりは社長並でせう。
 あれこれ改善計画をつくって出直しするより、ご破算にして前社長の持ち株を生かさないようにするほうが社員も納得しやすいと思います。


これと真逆の例を思い出した。あの山一証券破綻の大事件です。あれこれ粉飾のアイデアも出したが、にっちもさっちもいかなくなってとうとうパンク。たしか1997年?だったか。たった三ヶ月前に社長になったばかりの野澤社長は記者会見の冒頭「社員は悪くありません。悪いのは経営者です」というなりオイオイ泣き出した。たちまち顔面くしゃくしゃの号泣。大企業の社長が記者会見の場で大泣き・・あまりに印象強烈だったので未だに覚えてます。


「社員が悪い。経営陣は知らなかった」と堂々と述べたBIGの社長さんと真逆の態度でした。もし、元山一証券社員だった人が今回の仰天記者会見を見ていたらどんな感慨を抱いたでせうか。少なくともBIGMOTORで車の修理をしたり、保険に加入することはないでせう。 この事案には尾ひれがついて損保ジャパンもワルに加担したのではと疑われている。消費者は両社のカモにされてた可能性大であります。


<追記>元山一証券の野澤社長はその後どうなったのか。業界のあちこちからのヒキで証券の仕事を続けているらしいです。生き馬の目を抜く業界とはいえ、基本、誠実な人柄を世間は認めているのでせう。

藤田孝典「棄民世代」

 10年以上前?「下流老人」という本を著した人が、この本ではかの「氷河期世代」の困窮ぶりを調査し、問題提起した本。読めば問題の深刻さに気が滅入ってしまうのですが、さりとて「こんな施策で解決できる」という提案もない。せいぜい小泉純一郎竹中平蔵を恨むしかないのであります。


前世紀末に雇用に関する規制が緩和された結果、企業には甘く、労働者には厳しい<就職氷河期>という社会的困難が生じた。一方で雇用の自由化に乗じて就職斡旋外社がドカドカ生まれ、一部は大企業にまで成長した。このシステムを主導した一人が竹中平蔵である。政府中枢のメンバーであった竹中は待ってました、とばかり就職斡旋大手の「パソナ」のトップに転職し、甘い汁を吸い続けている。弱きをイジメ、ワルにすり寄る江戸時代の悪代官をどどんとスケールアップしたような人物だ。


書名に「政府に見捨てられた氷河期世代が日本を滅ぼす」という副題がついている。ン百万人の困窮世帯が中年から高年、退職後まで困窮のままだと国家の負担が大きくなりすぎて、ヘタすれば経済的破綻を起こしかねないという。
 氷河期世代のとらえ方は幅広いが、大卒・高卒の新規就職者でみれば、概ね、1993~2003年に就職活動した数百万人と、同時期に転職した中高年約2000万人が対象になる。日本の総労働者数の3割以上が「氷河期」を体験している。これらの人が2050年には退職時期を迎える。


具体的に何が問題なのか・・・
・    氷河期世代は老後の年金が期待できない
・    なのに国保の保険料や介護保険料は上がる
・    40代の4人に一人は貯金ゼロもありうる
・    貧しくても長生きしてしまうリスク
・    親の介護問題
・    最後の頼みは生活保護・・


数年前、ある役所が公表した「老後2000万円問題」を覚えていますか。65歳で定年になった夫婦が月額21万円の年金を受けながら暮らすと標準生活では月5万円の赤字になり、退職後20年では1300万円、30年では2000万円が不足するという。役所自ら発表したため、年金をアテにしたら生活できないのかとボロクソに批判された。


しかし、これは最高に恵まれた受給者の例、すなわち、40年間きっちり年金を納付した人の話である。こんなの氷河期世代にはほぼあり得ない。月額21万円の支給額も夢のような高額だ。年金の滞納も普通にあるのがこの世代である。40~50歳代で貯金額が100万円未満というのは自分の経験から言うと恐怖を覚える少なさである。そんなときに親の介護問題が生じたら・・。仮定の話ではなく、現実に起きている。親の年金と自分の給料を合わせてかろうじて暮らしてるというのも普通にある話で、貯金どころではない。


かように氷河期世代の生活は厳しい。なのに昨今はAIが進歩してさらに圧力をかける。国が無為無策を続けると、たとえば、ベーシックインカムなる思想が議論されるかもしれない。根がマジメな日本人には似合わないけれど、議論する価値はありそうな気がします。(2021年 ソフトバンククリエイティヴ発行)

 

 

東大阪市のおすすめ文学館めぐり

 文化勲章を受章した二人の作家、田辺聖子司馬遼太郎の記念館がわずか1kmの距離にあること、ほとんどの人が知らないのでご案内。
 近鉄奈良線河内永和から5分ほどの松蔭女子大学のキャンパス内に田辺聖子文学館があります。コロナ禍のあいだは予約が必要でしたが、その制約がなくなって訪ねやすくなりました。(見学無料)
 ここから直線で1kmほど東に司馬遼太郎記念館があります。静かな住宅街の細道を辿る散歩コースですが、道は十分ややこしいので地図がなければ迷います。司馬記念館は有料で500円。帰りは近鉄八戸ノ里駅まで徒歩10分くらいです。

 

 司馬遼太郎記念館は館内の撮影禁止。恐らく訪問者には不評でせう。田辺センセの記念館は撮影OKで、館内のしつらえも華やかなのはセンセが宝塚ファンだったからです。なお、河内永和駅前には東大阪市立図書館の分館があります。さらに八戸ノ里駅の北300mには音楽ホールのある施設、東大阪市文化創造センター内に「まちライブラリーカフェ」があり、ここでお茶のひととき、というのがおすすめです。<文化>の香り皆無?と思われている東大阪市にもこんな楽しいエリアがあるのだから積極的に宣伝したらええのに、と思います。

田辺聖子文学館   https://bungakukan.osaka-shoin.ac.jp/access.php
司馬遼太郎記念館  http://www.shibazaidan.or.jp/

 

田辺聖子文学館

 

 

 

文化勲章親授式

 

左側は小澤征爾氏、右端はドナルド・キーン

 

あの世へ行くのも高くつく・・東京都の火葬料金

 6月23日の産経新聞のコラムで編集委員のI氏がぶつくさ文句を垂れている。東京都の火葬料金がべらぼうに高いというのであります。
 はじめて知ったが、東京には公営(2カ所)と民営(6カ所)の火葬場がある。で、公営を利用すると火葬料金は4万4000円。民営は8万7000円。8万8000円だと公営のもろ2倍の値段なので1000円だけ低くしている。


東京都民はこの料金を高いと思ってないのだろうか。素人では原価の算定なんかできない特殊な作業だから安易に高い安いが言いにくい料金であります。
 因みに、自分の住んでる大阪市は1万円。神戸市は1万2000円、横浜市も1万2000円。広島市は8200円であります。(大阪でも堺市は2万円ナリ)東京は公営、民間ともなんでこんなに高いのか。値段のたかいぶん、東京の火葬は丁寧にこんがり焼き上げる、とでもいうのか。それはないでせう。
 驚くべき事に、同じ東京でも八王子市や町田市は市民なら無料である。東京23区はぼったくりではないか。23区都民はあの世が近づいたらあたふたと八王子市や町田市へ引っ越しませうぞ。


東京の民営火葬場は<東京博善>といい、広済堂ホールディングの子会社で、トップは中国人だそう。コロナ禍のなか、燃料費高騰などを理由に値上げをしてるようだが、昨年は売り上げ93億円に対し、31億円の利益をあげたというからボロ儲けであります。そもそも火葬という仕事は公共事業に近いイメージでゼニ儲けという感覚から遠いと思うがそれは日本人の感性でありませう。


東京都の火葬料金が高いからといって都民が横浜市の火葬場を1万2000円で使えるのか。むろんアウトであります。都民の利用は5万円ナリ。原則、火葬場はヨソ者には薄情であることで円滑な運営を図っている。
 なんやかんやで東京暮らしは高くつく。でも、火葬料金までこんなにひどい差があること、知らない人が多いのではないか。
 

 

佐藤大介「13億人のトイレ」

 この本を読んだ人のほとんどはインドという国が嫌いになるのではと懸念する。好きになる人はゼロでせう。その理由がインドの国家的恥辱といえるトイレ問題であります。タイトルの「13億人のトイレ」を具体的に述べるとインド人13億人中、5億人はトイレのない生活をしている。(最新の情報では人口は14億人を超え、中国を抜いて世界一になった)国民の三分の一はトイレなしの暮らしを余儀なくされている。トイレなしの理由は貧しいからである。


世界中から「成長を続ける大国」として認知されているインドが「トイレもない不潔な国」と言われるのは耐えがたい。で、モディ首相は2014年の就任早々「スワッチ・バーラト」(きれいなインド)をスローガンにトイレ普及運動を強力に進めた。汚いインドのイメージを払拭する善政だから国民はすべて賛同し、衛生環境は一挙に大改善されると思われた。


結果は?・・・大失敗ではないけど大成功でもない。本書での感想をいえば「そこそこ改善された」といえる。何もしないよりはマシというレベルだった。私たち日本人はカン違いしている。政府の後押し(補助金支給)で各家庭にトイレをつくるということは水洗便所または田舎では浄化槽つきのトイレをつくることだと思ってしまうが、これは間違い、インドにおいては「くみ取り式便所」をつくることであります。それでも野原の草陰で用を足す天然トイレに比べたら大改善といえる。普及するのが当たり前でせう。


それはヨシとして、コンクリート製の便槽に貯まった糞尿はどうするのか。年配の方ならバキュームカーによる回収を思い出す。アレが定期的にきてくみ取ってくれた。しかし、インドにバキュームカーはありません。自分で処理するのです。(野原に散布して乾燥させる)モディ首相の唱える国民運動「きれいなインド」づくり=各家庭にトイレ設置とはこのことです。


自分でくみ取る作業を嫌悪してトイレ使用をやめ、元の野原天然トイレに戻る人がいる。少しゆとりのある人は人を雇って処理する。誰に頼むのか。インド固有のカースト制度における最下層の人が請け負う。人種差別制度あればこその外注である。これでしか生活を維持できない人たちがいることを考えると暗澹たる思いである。


本書で繰り返し述べているのがインドでは人口の急増と工業の発展のためにすでに水資源が不足しており、早晩、飲料水にも事欠く事態になる。人口の半分が水洗トイレ利用者になるなんて夢のまた夢物語である。人口で一、二位を占める中国とインドが、水資源問題や食糧自給問題で舵取りを誤れば「世界のお荷物」国家に落ちぶれる可能性があります。(2020年kaokawa 発行)

 

 

斎藤美奈子「学校が教えない ほんとうの政治の話」

 自分の体験で言えば、今まで友人、知人と政治に関して議論した記憶がほとんどない。たぶん、日本人の多くが政治的議論を好まないのではないか、と思っています。なぜなのか?。著者は明快に答える。「贔屓がないからです」
 なるほど、そういうことですか。虎キチが集まれば自然に話が盛り上がる。巨人ファンに対してもガンガン言いたいことを言う。ところが、そんな贔屓がないと話題に事欠き、議論などできない。選挙の結果は贔屓の結果でもありますが、実情はみんな黙って投票するだけで終了です。


諸君、もうちょっと政治に興味を持とうではありませんか、と呼びかけ、政治のイロハのイから啓蒙しようと著したのが本書であります。とても分かりやすい書き方なので、新しく選挙権を得た若者が読めば役に立つと思うのですが、ま、こんな本、買わないでせうね。そうして中年になり、オジンに至っても政治オンチのままあの世へ行くのであります・・って、自分のことか。


何が分かりやすいのか。本書では国内政治のすべての論点を二つの対抗軸の設定で解説する。即ち、体制派と反体制派、資本家と労働者、右翼と左翼、国家と個人、保守とリベラル、と二分してあなたはどちらを支持するかを問う。
 なるほど、これなら分かりやすい。もちろん、自分は右翼か左翼かなんて考えたことがない人や、年収400万のサラリーマンだけど親父から10億円の遺産を受けた自分は資本家なのか労働者なのか、ワカランと迷う人もいるでせう。


それでも、このような論点の整理は役にたちます。現在の自分の立ち位置だけでなく、過去の自分を思い起こして比べることもできる。dameo も若い時分は左翼支持、反体制派の人間で、土井たか子のファンやったなあと懐かしく思い出すのであります。(しかし、共産党は嫌いだった。死ぬまで嫌い)
 ところで、著者、斎藤センセの立ち位置はどうなのか、これが気になりますが、本書の中程で「自分は反体制、リベラル支持」と述べている。だから内容も左よりに偏向しているのかといえば、そんなことはなく、100点をあげたいくらい平等の扱いをしている。内容はむろん、恐らく文字数まで等しくしたのではと思われます。


書名が「学校では教えない・・政治の話」となっているけど、国家と個人、資本家と労働者などのテーマは、ほんのさわりくらいは教えてるはずです。しかし、選挙の投票率が概ね50%前後しかないのは国民の半分は政治や行政に無関心であることをあらわしている。生まれ変われるのなら、日本人以外の国民になりたいと思ってる人たちでせう。(2016年 筑摩書房発行)

 

 

振り出しに戻る・・心斎橋駅ホームのデザイン

 大阪メトロ御堂筋線心斎橋駅は開業90周年を迎え、ホームのデザインを全面改装しましたが、数年がかりの工事を経てお目見えしたのは開業時の設計とほとんど変わらないものでした。改装計画時のプランはモダン感覚のデザインでしたが「イマイチやなあ」と評判が悪く、一からやり直しのハメに。
 ああだこうだとアイデア練ったものの名案浮かばず「ほな、90年前の開業時のデザインでええんとちゃう?」ということになって写真のような地味で重厚な感じのホームになりました。考えて考えて、振り出しに戻る、であります。


 結果、評判はどうか。今のところブサイクとか古くさいという悪口はないみたいです。老いも若きも納得したのは駅の上にはグッチやヴィトンやシャネルといった高級店が並んでいるうえ、大丸百貨店も文化財価値十分のクラシックな建物であり、これら高級店のイメージとバランスをとるにはモダンよりクラシックのほうがええやろ、と納得したと思われます。アート感覚でいえば、ここではA・ウオーホルは似合わないということです。


昭和8年(1933)開業時のホーム。電車は1両編成だったが、ホーム長さは10両ぶんこしらえた。当時は珍しい エスカレータも設置した。

 

 

今年ようやく工事が終わった改装後のホーム。電車は10両編成。

 

老いに抗う日々

 数日前、小学校以来の旧友M君から電話あり「えらいこっちゃ、ボケてしもたわ」M君の日頃の怠惰な生活態度から「やばいな」と思っていたが、本人から正直に言われると返す言葉が見つからない。
 M君がボケたとはっきり自覚したのは通販の商品購入でメーカーの担当者に電話をしているときにアタマに空白?ができて話がかみ合わなくなり、注文を取り消すに至った。注文商品とか話の中身だけでなく、言いたい言葉が出なくなってしまった。実際、今回の電話の話し言葉もなんだか滑舌が悪くて妙な「間」ができる。本人は大変なショックを受けたようだけど自分は「早急になじみの医師に相談して」くらいしか言えなかった。


M君とは同い年(83歳)だから「明日は我が身にも・・」と不安になる。実際、ごく最近は忘れもの(事)が頻繁になり自己嫌悪に陥ることもある。さりとて認知症については半端な知識がある?ので「なじみの医師に相談」という気にもならない。
 先月ははてなブログ<プロ>の更新月だったので、この機に退会しようかと思ったが、迷った末、グズグズ続けている。視力の低下で読書がしんどくなったうえ、作文(入力)でディスプレイを見るのも鬱陶しくなってきた。


・・・というわけで、読書感想文の投稿は減ります。一方、ボケ予防のために外出(ウオーキング)は意図的に続けているので、街ネタ、ヒマネタなどがあればアップします。

 

吉本隆明「ひきこもれ」 ~一人の時間をもつということ~

 子供から中高年に至るまでのひろい世代に普及してしまった「ひきこもり」。ふつうはこういう人たちに「ひきこもらないで」と訴える本が多いけど、さすが吉本センセは真逆に「ひきこもれ」とハッパをかける。ひきこもり・・一人の時間をもつことの意義や大事さを説く。著者名から難解な言葉での説教を想像してしまうけど心配無用、中学二年生くらいでも理解できるのではと思うくらい平明な文章で綴っています。五味太郎による表紙デザインも秀逸です。ま、問題は当事者がこの本をひもといてくれるかどうか・・です。


センセの自説としてこんなことを述べている。子供はお母さんの胎内にいるときから生後一年くらいの間は母親の生活状態、精神状態の影響をモロに受ける。例えば、夫との諍いが絶えないとか、ひどい困窮状態とか、日々、精神的に苦しむ暮らしを続けるとそのマイナスのダメージが子供にコピーされる。母親の不幸が一歳に満たない赤ちゃんの脳に刷り込まれてしまう。これは恐ろしい。


そんな赤ちゃんが成長すると,本人は全く自覚も記憶もないのに万事にネガティブに世間と対応する子供になる。逆に言えば、お母さんが安定した精神状態のときに授かった子供は素直に育つという。
 子供がイジメに遭って引きこもり状態になり、挙げ句に自殺するという大きな不幸が生じたとき、親はいじめた相手やその両親を糾弾し、裁判で倍賞を求める事件があるが、訴えた親は自分の過去の人生を顧みることがあるのだろうか。自殺した子供を育てたのは他ならぬ自分、という認識は持ちにくいのではないか。


暗い気質の親に育てられた子供が暗い性格を引き継いだ。むろん、それで親の非を咎められることはないが、親の不幸な人生が子供の人生を壊してしまうことは普通にある。裁判に勝って謝罪や賠償金を得ても子供は全く救われない。


最近の事件、都立大の宮台教授を襲った犯人は41歳の引きこもり男性で逮捕される前に自殺した。世間はたちまちこの事件を忘れてしまうが、犯人の70歳代の両親の苦悩はいかばかりか、時期をみて被害者に謝罪に赴くだろうけど、それで悲嘆が半減・・でもあるまい。あんなダメ息子を生み、育てた夫婦の懺悔、自虐の日々を想像すると他人事ながら気が滅入る・・とこれは自分の勝手な想像で、もしや、想像とは逆にサバサバした日々を送ってるかもしれないが。
 吉本センセは、母親が妊娠中から生後一年くらいの期間にひどい困窮とか生活のピンチに見舞われることを想定して国による援助が望ましいと書いている。引きこもりを減らすには、子供本人に対する教育、指導ではもう遅い。安心して子供を産み、育てられる環境整備が必要というわけです。センセのこの提案、理解してくれる人いるかなあ。(2002年 大和書房発行)