短編名作を読む  武者小路実篤「お目出たき人」 志賀直哉「城の崎にて」「小僧の神様」

 古本屋の「よりどり一冊100円」のワゴンで探した本。計2冊、200円の投資にしてはずいぶんトクした感のある名作です。旧人類にとっては、今どきの芥川賞作品なんかより十倍はネウチがあります。以下、名作三編をご紹介。


武者小路実篤「お目出たき人」
 冒頭「自分は女に飢えていた」なんて文がでてきて、ムシャコウジさんにして、なんとはしたないことをとドッキリするのであります。ええしのぼんぼんが近所の女学生に片思いをし、実際は一度も口をきいたこともないのに、勝手に妻になるはず、なるべきだと思いこみ、しかし、彼女は別の男と結婚してしまい、主人公はよよと泣き崩れる・・・。そんな駄目な男を自虐的に「お目出たき人」と呼ぶのであります。


もしや、田山花袋「蒲団」のラストシーンもこんなんだったのでは(忘れた)。はたまた、強烈なる片思いといえば、ゲーテの「若きウエルテルの悩み」もひたすらラブレターを書いて書いて、結局、あかんかった~の話でした。ゲーテの恋心に比べたら、この「お目出たき人」は、今風にいえば「ストーカー」でありまして、いささか格調に欠ける。しかも作文が上手くない。なのに、今日、名作とされるのは、ヘタでも下品でも、一日25時間、彼女への妄想に明け暮れるパッションの強烈さ、執念深さが読者の心に無理やり食い込むからでせう。悲劇なのに、なんか笑うてしまいそうになります。


志賀直哉「城の崎にて」
 主人公は、電車にはねられて重症を負い、治療後の養生に城崎温泉に逗留する。ならば、温泉街の情緒が少しは描かれていいはずなのに、全く知らん顔。描かれるのは、旅館の屋根で死んでいた蜂、首に串を刺されてもがき苦しむネズミ、何気に石を投げたら当たってしまって即死するイモリ、の三匹の小動物の死の光景であります。よって、城崎温泉観光協会と致しましては、ぜんぜん面白くない話であります(笑)。一回くらいは、芸者をあげてちんとんしゃんの場面があってもええではないか。ぷんぷん。


なのに、こんな作品が「暗夜行路」についで名作とされるのはなぜか。著者は、小さな生き物の死を通して、危うく死にかけた自分の命の大事さを思い、生きていることの儚さに悄然とする。しかし、一見、つまらなさそうな内容に思えるのに、結構、印象が強いのは、上記の「お目出たき人」 に比べて、断然、文章が上手いせいでありませう。


志賀直哉著「小僧の神様
 秤屋の小僧、仙吉は貧しいゆえに番頭が話す「美味しい鮨」を腹一杯食べるのが夢だった。そのことを知った客の一人Aが可哀想に思い、ちょっとしたはかりごとを仕組んで仙吉の夢を叶えてあげる。で、めでたしめでたし・・に終わったのかといえば、そうではなかった。


最後の行を書き終えて、著者は「実はラストシーンを変更しました」と言い訳する。はじめの構想通りに書いては、主人公、仙吉が可哀想すぎる。だから、オチは書かなかったと。自分の創った物語の主人公に、自分が感情移入しすぎると、こういうことになるのか。わずか13頁に収められた、人生の悲哀。こんなに優れた作品に出会うと、読書の愉しみを知らない人には、同情の念を禁じ得ない。


巻末に阿川弘之が記してる解説文が面白い。 
 志賀と同時代人であった芥川龍之介は、師である夏目漱石に尋ねた。「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらあんな文章が書けるのでせうか」漱石はこう答えた「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからあんな風に書けるのだろう。俺もああいうのは書けない」
 名声では志賀を上回った二人にしてギブアップ、一目置かざるを得なかった志賀直哉の文章。でも、読者すべてが「上手い」と感じるかどうか、ちょっと疑問に思うのであります。