石原慎太郎 絶筆「死への道程」を読む

 本文を記したのは令和三年十月十九日。その約三ヶ月後に亡くなった。 著述の半年前、千葉の重粒子センターで膵臓癌細胞を焼き尽くしたはずだったが再発していた。そこで担当医師に自分の余命はどれくらいか尋ねたところ「まあ、三ヶ月くらいでしょうかね」とあっさり宣告された。


石原氏の文学人生の主題であった「死」が一気に身近に迫ったと自覚させられた。医師にすれば、年中、何十回も同じ質問を患者から発せられるから「余命何ヶ月」の宣告は日常であるが、患者にすれば二度と聞くことが無い「死の宣告」である。覚悟はしていてもショックは大きい。まして、石原氏の場合、半年前の治療でがん細胞を焼き尽くしたハズという認識だったから余計に衝撃が大きかった。医師の宣告に「私の神経は引き裂かれた」と正直に述べている。


されど、今さら狼狽してどうする。フツーの人は、すでに心づもりはしていた、家族のことや、仕事のことや、遺産相続のことなんかに改めて思いを馳せる。しかし、文学者、石原慎太郎がそんな俗事に惑わされるなんてカッコ悪い。
 そこで、ヘミングウエイやジャンケレヴィッチの著作を持ち出して「死の哲学」を一言ずつ語る。そして、原稿用紙6枚ほどの文章の最後にアンドレ・マルローの言葉を引用して「死、そんなものなどありはしない。ただ、この俺だけが死んで行くのだ」と書いて終わる。


ブンガク人とフツー人の違い、歴然であります。もし、フツー人がこんな絶筆を書いたら「ぐぬぬ、なんというエエカッコしい、キザ野郎!」とボロクソにこき下ろされるでせう。絶筆も、読むは易し、書くは難し、であります。(月刊文藝春秋2022・4月号)


月刊「文藝春秋」4月号

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