日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?

 最近読んだ本の中では深刻度一番。虐待された子どもが親への恨み辛みを綴った手紙百人分を掲載している。書名の後半「そんな親なら捨てちゃえば?」の語は本書を企画した人の言葉(主張)である。加害者である親と義理人情で和解するより「捨てちゃえ」と言うのだから、もう「歯には歯を」の発想だ。


百通の恨みの手紙は母親あてが半分、父親あてと両親あてが残りの半分ずつという感じで、すべて「改心や関係改善」が全く期待できないほど悪質な「毒親」の行状を訴えている。被害者のなかには作文能力がなくて辛さを伝えられない人もいると思えるので、世間の実態はもっとひどいに違いない。


すさまじい恨みの手紙の一部をピックアップすると・・
Aさん「私は母さんに親孝行しました。なぜなら、殺さなかったから」
Bさん「お母さんの訃報が届く日を楽しみに待っています」
 こんな親子が実在すること、信じたくないけど「話せばわかる」というレベルを超越してしまって取り付く島が無い。このような不幸な家族が全国に何十万世帯もあるらしい。


虐待が増えたことについて役所のつくった統計や実態調査の報告は見つかるけれど、なぜ虐待事件が増えたのか、という肝心の情報が見つからない。数値化しにくいから調査もしにくいのか。なので、以下はdameo の想像で書きます。


虐待事件が増えたのは国民の道徳観念の劣化による。これ以外に説得力のある「理由」はない。いつから劣化したのか。1945年の敗戦後からです。自分を含めた戦後教育を受けた世代が駄目親(毒親)のルーツになった。人数のボリュウムでいえば「団塊世代」が毒親(どくおや)の第一世代です。(生年が1940~50年位)彼らは「戦前思想の全否定」という環境で育った。そして、今問題になってるのは彼らの第二世代と第三世代。社会通念のイロハのイも持ち合わせないバカ親(毒親)を演じている。


人を殺してはいけない。モノを盗んではいけない・・道徳の基本のキさえ伝えられなかった。道徳という単語にさえ「戦前」をイメージして嫌悪した。家庭での躾ができないなら国が道徳の基本を教える「道徳教育」という言葉が蛇蝎のごとく嫌われた。その結果、他人だけでなく、我が子を虐待し、殺して悪びれない鬼のような人間がはびこるようになった。刑法犯全体は減少傾向にあるのに虐待事件は増えている・・ということは、政治や経済とは別の問題に起因するとしか考えられない。すなわち、良心や道徳の欠如である。


第一世代の見本は全共闘や「浅間山荘事件」の犯人たち、第二世代の見本は池田小学校の児童大量殺人事件の犯人。その息子、娘世代(第三世代)が子どもを熱湯に漬けて殺すという、犬猫にも劣る人間に育っている。若い加害者の親も祖父母もロクデナシというレベルの人間である。


 彼らの多くが中野信子著「サイコパス」に該当する人間なのか、そうでないのか、自分には分からない。ただ「ワルは遺伝する」はあり得る。池田小事件の犯人の親の態度を知るとそう思ってしまう。親がロクデナシなら子もロクデナシが普通なのだ。親子で正反対の人格という例はきわめて少ないと思える。


本書を企画した今一生(こん いっしょう)氏は「自分を殺しに来るような親とは絶縁しなさい」と奨めている。のみならず、今後は親を相手に裁判を起こし、損害賠償等を求める裁判の必要性を説いている。子供に訴えられて親が刑務所入り・・こんな世間に誰がした。国民総懺悔に値する大問題だと思います。(2017年dZERO社発行)


児童虐待事案の統計例

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