三十六代 木村庄之助「大相撲 行司さんのちょっといい話」を読む

 大相撲の結びの一番は行司のなかで一番えらい「立行司」が仕切ります。この立行司には「木村庄之助」と「式守伊之助」の二名がいて、結びの一番は木村庄之助と決まっている。行司のトップです。・・というのは納得ですが、土俵の勝負はほとんどが1分以内だから、立行司の勤務時間はわずか5~10分くらいでせう。ええ仕事やなあ、とうらやむ人多いのではないでせうか。ほかに仕事は無いのかしらん? という興味もあってこの本を読みました。そうだったのか・・意外な話がけっこうありました。


◆きつい階級社会
 相撲取りにランクがあるように、行司にも「序の口」格から「立行司まで9段ものランクがある。関取とちがって大学卒はいなくて、たいていは中学卒。15歳で就職して定年は65歳だから50年間は勤められるわけです。立派な装束をつけて勝負を仕切ってる立行司が中学卒・・知りませんでした。


行司の定員は45名。みなさん相撲協会所属かと思いきゃ違うんですね。相撲取りと同じく部屋所属です。井筒部屋とか、出羽海部屋とか。仕事の中身からいえば、独立した組織のほうが合理的だと思いますが・・。 部屋所属なら三度のメシも関取と一緒に食べる。順番は部屋の師匠(親方)~関取(ランク順)~先輩行司~後輩行司~新米、と、格差社会そのものです。


◆レタリングの名人である
 意外なことの一番は相撲番付表の制作です。歌舞伎の招きという看板と同じような独特の書体で書かれた番付表の原稿を書くのが重要な仕事です。当然、難しい。だから誰でも担当できるものでなく、数名の達筆者が猛練習して書く。手描きだから全員同じ書体にはならず、微妙な違いがある。こんなの、パソコンソフトを使ってるとばかり思い込んでいました。失礼をば致しました。歌舞伎と相撲、いずれも「隙間なくお客が入りますように」という願望を込めて、あんなに黒々した字面にデザインしています。


◆場内アナウンスも

 「西方、大関貴景勝兵庫県出身・・」というおなじみのアナウンスも行司の仕事。ただし、声からして中堅行司の役目らしい。勝負後の決まり手のアナウンスも役目です。どの場所も同じ人の声に聞こえてしまうのですが、そんなことはないはず。ばらつきのないようにトレーニングしているのでせうか。これって大事なことだと思います。


四股名を考える
 ときに新人力士の四股名を考えることもある。実際には親方が決めることが多いが、名案が浮かばないときは相談相手になる。筆者の命名とは関係ないけど、白鵬のネーミングのいきさつは面白い。新弟子として部屋に配属されてしばらくのとき、原案は「柏鵬」だった。これは当時の人気横綱柏戸大鵬から一字ずつ借りたものだが、新米の将来性が全く分からない者には余りに大層な(重い)な名前だと却下。そこで、柏戸の「柏」の字から木へんを取り、白にした。「白鵬」これなら「厚かましい名前」と言われないで済む。これが命名の由来です。ほんまかいな?


◆ドジをしたときは・・・
 立行司といえど差し違えるときがある。最高に不名誉なことであります。立行司が短刀を帯びてるのは、差し違えたら責任をとって切腹するという覚悟の証しであります。現実にはどうなのか。翌日に相撲協会へ出向き、理事長に詫びる。これで落着ですが、短期間にドジを繰り返したら辞職ということもある。(2014年 双葉社発行)

 

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林真理子「運命はこうして変えなさい」を読む

 わりと白黒はっきりした物言いをする林真理子は、世間でも好き、嫌いの評価がきっちり分かれると思うけど、dameo は好きなほうであります。食うや食わずの貧乏暮らしの時代から「上昇志向」にこだわり、文筆力だけで出世してセレブの仲間入りを果たした。その自負と自信を背景にした物言いが世間の反感をかうのでありますが、それで怯まないのがこの人の良いところ。


週刊文春で38年以上エッセイ「夜ふけのなわとび」を書き続けてることが自信の背景であるらしい。(同一雑誌における連載回数でギネスに認定された)確かに、浮き沈みの激しい物書きの世界でこのロングライフは価値があります。嫉妬するライター多々と思いますが、ま、本人は「悔しかったらマネしてみろ」の思いでありませう。このエッセイの文庫化本の売れ行きが400万部以上というから、これだけで億単位の収入になるかもしれない。


作家修行時代の貧乏ぶりといえば、同じ名字の林芙美子を想像してしまいますが、苦労の度合いは芙美子サンのほうが100倍多かったでせう。ゆえに作家として成功したあともセレブどころか、染みついた貧乏性が抜けず、舞い込む注文は断れずに書きまくって過労、病死と「花の命は短くて・・」を自ら体現してしまった。


その点、林真理子センセは器が大きい。ガツガツ稼ぐ一方で、セレブな生活もしっかり楽しむゆとりがある。本書のどこかに「私にいちばん活力をもたらしてくれるのはショッピングなのである」とでっかい文字で書いてある。こんなえげつないフレーズを書ける「文化人」のはこの人だけです。読む方が恥ずかしくなる。ネットでの悪口なんぞ、巨象にたかるハエのごとしであります。(2018年 文藝春秋発行)

 

左ページには「私は掃除も料理も大好き」という人もいるが、この場合、どちらもイマイチということが多い」とある。

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わぐりたかし「地団駄は島根で踏め」を読む

 ふだん何気なく使ってる言葉の語源はこれだ!・・と日本中を旅して23の言葉のモトを突き止めた楽しいレポート。例えば、書名の「地団駄を踏む」は島根県生まれの言葉ですが、現地へ行くと本当に「地団駄」なるモノがあって踏むことができる。ぜんぜん知りませんでした。


取り上げられた23の言葉のうち、自分がすでに語源を知っていたのはどれほどあるか、チェックすると、京都の「あとの祭り」三重県の「関の山」同じく三重県の「あこぎ」徳島県の「うだつ」と、四つしかありません。大方は言葉の由緒を知らずに使ってました。ま、たいていの人はそんなもんかも知れない。「あこぎ」を知っていたのは、昔、能楽堂へよく通ったからです。(阿漕という謡曲がある)


「つつがなく」という言葉の源が重い病を引き起こす害虫「ツツガムシ」だなんてビックリです。その語源を探ったのが 山形県出羽三山の一つ、修験道の山として知られる羽黒山です。ここに藁でつくった巨大なツツガムシの模型をまつって祭礼に使う。それくらい恐れられていた虫ですが、虫自体はダニの仲間でサイズは1ミリ以下というミニサイズ。昔はこれに咬まれると有効な治療法がなかったために命を失う人が多かった。ツツガムシのツツはツチ(土)でガは咬む、土から出て来て人を咬むから「ツツガムシ」です。


この虫の名前と言葉の用法は聖徳太子の時代にすでにあったというから、千年以上の昔から恐れられてきた。ツツガムシに刺されないよう、つつがなく暮らせますようにという願い、祈りが広まって現代でも使われている。いま、この言葉を聞いてダニを連想する人なんかいないけど、歴史を遡れば「ダニに刺されませんように」が本来の意味でした。まあ、勉強になりましたよ。これは一生覚えているかもしれない・・といっても、あとちょっとの間ですけど。


著者が語源探しに出張した旅先にはとても魅力的なところが多い。羽黒山もそうだし「うやむや」の発祥地である鳥海山山麓、象潟近くの三崎峠なんか昔の険しい峠道が荒れた状態で残っていて歩いてみたくなります。「ひとり相撲」の語源地、愛媛県大三島、「うんともすんとも」語源地、熊本県人吉も訪ねてみたい。語源の話だけでなく、当地の宿やうまいもんの紹介もあるから、余計、そそられます。


悔しい・・と思ったのは「縁の下の力持ち」の語源が、大阪四天王寺の境内で舞われる舞楽に関わることだった。四天王寺のすぐ近くで生まれ育って、境内を遊び場にしていた、というくらい身近なところだったのに知らなかった。残念であります。(2009年 光文社発行)

 

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●北と南  ミュージアム巡りの旅 (10)

(注)熊本地震前のレポートです。

熊本城訪問 

 熊本城が大阪城や姫路城よりたくさんの観光客を集めているなんて知りませんでした。2008年には年間220万人を集めて日本一になった。(大阪城の1,5倍以上)なんでそんなに?と思いますが、理由は「本丸御殿」の復元が人気を博したからです。この御殿の集客力には国宝姫路城もお手上げ、大阪城も白旗あげるしかない。
 


熊本城の城郭(敷地)はとても広くて98万㎡あり、大阪城公園とさほど変わらない。設計は加藤清正、この人はかなり凝り性だったみたいで、特に石垣の設計にはあれこれアイデアを盛り込んだ。在任中はここを攻められることがなく、西南の役ではじめて戦場になったが、石垣はほぼ無傷で残ったという。ただし、天守閣は火災で焼失し、現在のは大阪城と同じ鉄筋コンクリート製です。
 昔の姿を残す「宇土櫓」と天守閣を見学すると、ビル10階ぶんくらいの階段上下を強いられ、年寄りにはいささかコタエますです。



ゼーゼーハーハーの息を整えて本丸御殿を拝見します。御殿は殿様の接見や接待、会議に使う部屋で、接待用の厨房もあるから、江戸時代のスーパーLDKですか。木造平屋建て、約3000㎡の建築に5年の歳月と54億円の工事費をつぎ込んだ。坪単価にしたらなんぼやねん・・貧乏人はこれでネウチを計るのであります。


これを「客寄せパンダ的ハコモノ」と批判することもできますが、古典技術の継承という面からは有意義です。実際、工事中は熟練職人から若者への技術習得がなされた。これがないと、20~30年後の修理が出来なくなる。


見る位置によっては天守閣が三つあるように見えるのが面白い

城 

宇土櫓」は昔の姿を残していて、かつては国宝だったが、見学用の階段をつけるとか、いろいろ手を加えすぎて重要文化財に格下げされた・・とは、ガイドさんの説明。
熊本城 

宇土櫓の内部(つなぎ廊下)
城 

本丸御殿下の通路 お城に地下道があるのは珍しい。
城 

天守閣からの眺め 芝生の向こうの森の中に美術館がある
城 

本丸御殿のふすま絵
城 

ふすま絵や天井画は時代考証のうえ、京都の美術工房に製作を依頼した。
城 

このアイデア「武将もてなし隊」 大阪でもマネしたらいかが? 記念撮影にひっぱりだこです。夏はタマランけど。
城 

抹茶で一服
城 

カズオ・イシグロ「日の名残り」を読む

 この本を読んでからもう4年も経っていた・・。人生の名残をしみじみ感じるこの頃であります。2017年暮れの某日、久しぶりに「まちライブラリー」を訪ねたら、この本と「夜想曲集」の2冊が棚にあったので両方借りました。書店では売り切れ、念のために市立図書館の予約状況を調べると200人待ちという状況・・この本を借りるために訪ねたのではないのにラッキーな出会いでした。


さらに、あくる日の夜、Eテレで「クラシック音楽館」を見終わったあとに「文学白熱教室」という番組があり、これがイシグロ氏の学生向けレクチャーを収録したもので、彼の文学観、発想方法などの話がとても参考になりました。この二つの出会いでもう読むしかない、という感じ。ノーベル賞は、文学音痴、駄目男にも効果を及ぼしたのであります。


受賞理由で語られた選定委員の言葉「世界とつながっているという幻想的な感覚にひそむ深淵」を聞くと身構えてしまいます。しかし、読んでみると難解な言葉やもったいぶった言い回しがない文章で一安心。ただし、その平易な文の裏に仕掛けられた隠喩を探りながら読まねばならない。字面だけ追うと3ページで退屈するでせう。


ストーリーは英国の貴族、ダーリントン卿に仕えた執事の回想録として概ね一人称で語られ、最高の執事の仕事はいかにあるべきか、完全主義を目指しつつ、失敗や挫折も味わい、主が仕掛けた政治、外交の駆け引きにも巻き込まれ、ふと気がつくと時代は変わっていて誇り高い執事人生は過去のものになっていた。・・といったところですが、本書の一番の魅力は上質な文章にあります。


これは翻訳者、土屋政雄氏の功績も大きい。それにしても、純粋な日本人であるイシグロ氏が、第二次大戦前の英国貴族の生活、執事や多くの使用人との主従関係のデリカシーをどうして学んだのか、この努力はたいしたものです。


そんなの驚くことはない。米国人の作家、ドナルド・キーン氏は清少納言の宮廷生活を見てきたように書いてるではないか、といわれたら、ナルホドと納得する。しかし、1930~50年ごろの英国貴族の暮らしについては、リアルに知っている英国人がごろごろいる。


何より、貴族は現存する。平安時代の宮廷とは全然ちがう時代設定だから、それを純粋日本人が書くのはものすごくリスクが大きい。リアリティに瑕疵があればボロクソに批判される。しかし、そんな危惧を乗り越えて本書は「ブッカー賞」を受賞した。少なくとも日本人が英国の貴族生活を描くことによる瑕疵は無いものとされた。(注・ドナルド・キーン氏は日本に帰化した)


ラストシーン。執事は港町の桟橋のベンチに座っている。夕焼け空が美しい。隣に座ったみすぼらしい男(実は彼もB級執事だった)に、三十五年に及ぶ執事人生を回想しつつ語る。「私にはダーリントン卿がすべてでございました。持てる力を振り絞って卿にお仕えして、そして、今は・・ふりしぼろうにも、もう何も残っていません」のみならず、ずっと忠実に仕えてくれた女中頭の愛にも報いることができなかった。最高、完璧を目指した執事人生は何だったのか。しょせんは丸出駄目男でしかなかったのか。執事はさめざめと泣く。


隣の男が言う「おやおや、あんた、ハンカチがいるかね。どこかに一枚持っていたはずだ。ほら、あった。けっこうきれいだよ。朝のうちに一度鼻をかんだだけだからね。それだけだ。あんたもここにやんなさい」とハンカチを差し出す。イシグロ氏が川端康成小津安二郎に傾倒していたとしても、このワンショットは彼らに学んだものではありますまい。川端康成が小説のラストシーンをこんなふうに描いたらドッチラケであります。ここんところはリアル英国人の感覚で書いている。


気を取り直した執事は最後にこう言う。「ダーリントンホールに帰りましたら、新しいアメリカ人の雇い主のためにジョークの練習に取り組んでみることに致します」英国の貴族社会の伝統が薄れ、アメリカ人富豪の生活感覚が浸食をはじめる・・とは書いていないけど、そういうことです。大げさにいえば、英国の没落、良き時代の終わり。


本書は英国最高の「ブッカー賞」も受賞したけど、内容は英国人にとって愉快なものではない。日本人著者が「英国は傾いてますよ」と書いてるのだから。それでも賞賛されたのは、はじめに書いたように「上質な文章」のためではないか。風景の描写からさりげない日常の会話まで、とことん気配りが行き届いた文章ゆえに読み始めたら止まらない。こんなに「しみじみ感」に満ちた物語を読んだの、何年ぶりだろう。


巻末の丸谷才一の解説が秀逸で解説と言うより小さなエッセイになっている。これを先に読んでしまってはしらけてしまうかもしれないが、文庫版で350ページもあるし、内容をイメージしにくい場合は大いに参考になります。訳者、土屋政雄氏の「あとがき」も楽しい文です。「THE REMAINS OF THE DAY」を「日の名残り」と訳したセンスにも敬服。 (2001年 早川書房発行)

 

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続・ヴェルレーヌと定家の「秋の歌」

 昨日の投稿「秋の歌」で藤原定家の歌を紹介したら nmukkun さんも同じ歌を選んで紹介され、古典名作のバッティングになりました。歌謡曲とちがって、賞味期限はあと1000年くらいはありそうな名歌です。作者、定家は「何も無い」と歌ってるのに、読み手には強烈に「ある(イメージ)」を印象づける、斬新な発想です。


昨日はヴェルレーヌの「秋の歌」は上田敏の名訳に一目惚れしたと書きましたが、金子光晴もこの詩を翻訳しています。(他に堀口大學訳もあります)


因みに、原語は以下の通り

Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon cœur
D'une langueur
Monotone.


金子光晴(第一節のみ紹介)

秋のヴィオロン
いつまでも
すすりあげてる
身のおきどころのない
さびしい僕には、
ひしひしこたえるよ。


上田敏

秋の日の
ヴィオロン
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。


 金子大センセには申し訳ないけど、語感、情感、余韻・・において上田敏訳にはとてもかないません。他にも「山のあなたの空遠く・・」など、名訳がたくさんあり、今でもン十万人のオールドファンがおられるのではと思ってます。

 

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ヴェルレーヌと定家の「秋の歌」

今週のお題「秋の歌」に参加します


秋の詩といえば、これしかない。

昭和30年ごろにはじめて出会った舶来の詩が
ヴェルレーヌのこの作品。
一目惚れしました。


落葉


秋の日の
ヴィオロン
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。


鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。


げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。


ヴィオロンが奏でる音楽はヴィヴァルディ作品と勝手に想像して、
以来、ヴィヴァルディのファンにもなった。
何より、訳した上田敏のセンスの良さに惚れ込みました。
この詩の情感を味わえるブロガーは少ないのが残念。


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和製作品ではこれが一番好き。


見わたせば 

  花も紅葉もなかりけり

    浦の苫屋の秋の夕暮れ   ~藤原定家~ 

 

 

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遠藤功「新幹線 お掃除の天使たち」を読む

 この本の主役、新幹線車両の清掃チームの仕事ぶりが、ハーバードビジネススクール(HBS)の教材に使われているそうです。いや、すごいですね。「清掃員」のイメージからはあり得ないモテようです。ほんの10年くらい前までは、きつい、汚い、危険、の3K労働で、頻繁な募集と退職のくり返しでようやく人員をそろえたという職場が、今や「感動ビジネス」「お掃除の天使」なんて賞賛される職業になっています。


生活の糧を得るためのしんどい仕事だったのに「自己実現の場」なんちゃって、最高のほめ言葉で讃えられる。むろん、魔法のようなすごワザがあったのではなく、経営者と従業員の試行錯誤をくり返しながらの地味な努力の成果です。本書を読むと、こういう努力と成果は、中国人やラテン系の民族では難しいのではと思われます。


たかが掃除。しかし、清掃員個人の意欲と責任感とチームワークが100%発揮されないと達成できない。「労働と対価」の一般概念だけでは無理な発想と実践の積み重ねです。この、従来の西洋的労働、雇用の概念から外れた仕事ぶりがHBSの目にとまった。学生の大半が欧米人だったら、彼らはシッカリ理解してくれるだろうか。やや懸念があります。


いくら世間で誉めてくれても、現実の仕事が、きつい、汚い・・ことに変わりは無い。一人で、たった七分間で100席の車両をきれいに清掃して乗客を迎えなければならない。よって、研修では一つの作業は秒単位で計測して「早く、きれいに」を身につける。


但し、トイレの清掃は専門の担当者が行う。これは技術と経験、さらに勇気?もいるから新米にはできない。排水が詰まって汚物があふれそうになってる場面や、なぜか、男性用小便器にウンコがてんこ盛り、の緊急事態もある。どうするか。道具ではラチがあかないと判断したら、ポリ袋を二重にして腕に巻いて手で・・。感動ビジネスの現場は、尋常でない責任感とモチベーションを要求される。


掃除のプロだから、完璧な掃除をして終わり、ではないところが彼らの魅力。列車の到着時はホームに整列して乗客を迎える。しょせん掃除人のつもりで作業を見ていた外国人は、彼らがお迎えとお見送りまですることに驚く。労働と対価の概念ではありえないサービスです。


目や耳の不自由な人のサポート、田舎から出て来てうろたえている老人の案内といった仕事外のサービスも上司からの指示でやるのではなく、自発的に行う。そういうささいなことを記録し、ミーティングで伝えて情報と経験の共有をはかる。これがまた別の「気づき」のもとになって、よりきめの細かいサービスを生むことになる。


ちなみに、この「お掃除の天使たち」が活躍するのは東京駅だけで、他の終着駅では停車時間にゆとりがあったり、新大阪駅などは線路構造が違っていたりして、モーレツ掃除場面は見られない。東京駅の線路容量のゆとりの無さが生んだ「お掃除の天使たち」です。何が幸いするか、わかりません。(2012年8月 あさ出版発行)

 

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細川貂々「ツレがうつになりまして」を読む

 著者の名前「貂々」はてんてんと読みます。テンはイタチ科の動物。この方の旦那さん(ツレ)がうつを患い、なんとかフツーの暮らしに戻るまで一年半の闘病生活をマンガで描いた。この表現のユニークさが受けたのか、25刷を重ねる人気本になった。病気が治ったうえに大きな臨時収入、こんなハピーなこともあるのですね。


ツレがうつになったのは会社(中小企業)が傾き、リストラでは生き残ったものの、辞めた社員の仕事もこなさねばならず、それが続いて過労~うつ~出社拒否という、よくあるパターンです。まずかったのは、テンさんが夫にやさしく寄り添うという付き合い方ができず、突き放した態度を続けたためにツレはたちまちどん底に落ち込み、自殺願望を起こしてしまう。


家庭における修羅場到来でありますが、そこは漫画家、陰険な場面でも笑いをとることを忘れず、よって、読者は「えらい薄情なヨメはんやなあ」とニヤニヤしながら読みすすめることができるのでありますが、ツレは食事も拒否して、頭からふとんかぶってシクシク泣く日々。


しかし、投薬が効いて少しずつ症状が改善される。もっとも、揺り戻しもあって、突然、落ち込んで「死にたい」と言ったりする。これを繰り返して一年半後、ほぼ正常に戻った。このケースで一番の救いは、ツレが失業してたちまち経済ピンチに・・ではなかったこと。ヨメさんの収入でなんとか持ちこたえられた。少々薄情でも有り難いヨメさんです。


うつを患ったことは不幸な体験ですが、ツレさんは以前のような頑固でわがまま、完全主義(神経質)という性格が変化して、人当たりがやわらかくなった、とテンさんが述べています。災い転じて福となす・・うつを患う人がみんなこんなハッピーエンドにはならないでせうが、今は「うつは治る」時代だという認識を前提に対処できる。このマンガもウツのイロハを学ぶには有益な「読むクスリ」の役目を果たしています。(2006年 幻冬舎発行)

 

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「歎異抄」近道入門ガイド?を手づくり

 半世紀前、秦秀雄という美術評論家がアート雑誌に連載したエッセイ「歎異抄」を読んではじめて歎異抄の何たるかがちょっぴり分かった気になりました。ほんとにちょっぴりですけど。そのエッセイを紹介する手づくり本(B5ファイル)です


歎異抄の解説本はいっぱいあるけど、どれを読んでも「要するに何の話やねん」という感想しかもてない。自分の理解力の無さを棚に上げて本の悪口をいうのは失礼千万でありますが、読者の9割は同じような感想ではないかと察します。


そもそも、親鸞唯円歎異抄の著者)が何十年もかけて思索し、推敲を重ねて著した著作物を、解説本を一冊読んで「ワカリマシタ」はあり得ない。さりとて「何の話やねん」で放り出してしまうのもちょっと悔しい。どこかに「取り付く島」があればいいのに・・と思っていたら、この秦秀雄のエッセイに出会った。ゴミ処分を頼まれた季刊誌「銀花」に載っていたのです。


そこで、この秦秀雄のエッセイを雑誌から切り取り、ファイルにまとめて「歎異抄 近道入門ガイド」なるタイトルをつけ、まちライブラリー@もりのみや に寄贈しました。50年ぶりに一冊きりの再デビューとなります。参考に「歎異抄をひらく」など、市販の解説本もセットにしました。(下の写真)


dameo  が巻頭に書いた紹介文は以下の通りです。


      新発想・・エッセイで味わう「歎異抄(たんにしょう)

 明治時代以後、おそらく百冊以上の解説本が発行された「歎異抄」。読んだ人は数百万人、いやもっと多いかもしれません。しかし、そのうちの何人が内容を理解できたでせうか。ほとんどの読者は「なんか、ようわからん」と手放してしまったのではと想像します。自分も「わからん」一人です。


 「歎異抄」より古い時代に著された「方丈記」や「徒然草」はどうでしょう。これらを読んだ人は詳しい内容はともかく、雰囲気とか、ぼんやりとでも覚えているのではと思います。中学か高校で習ったかもしれませんし。


 「方丈記」も「徒然草」もエッセイの名作です。で、ピカ~と閃きました。そや、「歎異抄」もエッセイ仕立てで解説したら分かりやすいのとちゃうか? 現在、流布している「歎異抄」解説本はみんな難解な原文を意訳するかたちで書かれています。だから分かりにくい。


 難解な原文にガチンコで対峙するのではなく、原文は脇に置いといて、仏の教えを庶民の生活感覚で語れば分かりやすいのではと考えた。ちょっとズルイけど、広い正面大通りではなく、細い近道を伝ってこっそりと歎異抄に近づく。この近道入門を案内してくれたのがここで紹介する秦秀雄のエッセイ「歎異抄」です。(文章は1973~74年 季刊「銀花」に連載された)


 原文の意訳や解説ではなく、秦秀雄個人の知見や人生観が綴られる。さらに、著者の知り合いである農夫、高桑藤ノ八翁の仏様に対する感謝報恩の念が方言で書かれて読者の心にストレートに届く。親鸞の説く「他力本願」の何たるかがすこ~し感得できます。「自力」の虚しさ、「他力」の尊さ、有り難さをちょびっとでも感じることができれば、この近道入門ガイドはお役に立てたと思います。


 歎異抄は第十八章までありますが、これはタマラン、しんどいと思う人は第十章で打ち止めでヨシです。なお、各章はじめの原文もパスしてもOK。その代わり、巻末の「奇特の人 高桑藤ノ八翁」はぜひお読み下さい。近道する上、ページの大巾カットにより、二時間~三時間で読了できるでせう。できれば、他の解説書と読み比べてみて下さい。


以上が「まえがき」です。難解な「歎異抄」のカンニングペーパーを見つけた、という思いです。親鸞上人様、唯円様、罰当たりなことしてスミマセンです。


歎異抄・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84

秦秀雄・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E7%A7%80%E9%9B%84

 

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