宮本輝「泥の河」「蛍川」を読む

 読みたいと思いつつ、さぼっていたこの本を古本屋のよりどり百円箱で見つけた。角川文庫で平成9年に70刷だから地味なベストセラーであります。芥川賞受賞の「蛍川」と太宰治賞受賞の「泥の河」両作品が一冊で読めるのだから「お買い得」本でもある。


 両作品とも主人公は少年。多感な彼らが味わう肉親や友人の死を通じて味わう切なさ、しみじみ感がウリでせう。著者30歳時の作品だけど、若書きといえるような未熟さはなく、練度の高い文章で読者を惹きつける。近年の芥川賞作品にみる、いかにも文学してますふうのキザな表現がないだけでも心地よい。 どちらの作品がより感銘深いかと問われたら「泥の河」です。舞台が中之島の西端(安治川の起点)という地理的親密感があるためですが、いまや流行らない古典的しみじみ感と読後の余韻においても勝っている。


 著者は現在芥川賞の審査委員を担っている。先日紹介した今期の受賞作「影裏」の審査では、これを推さなかった。賞を取るための小細工に嫌悪感をもっている。文章が上手い云々以前の問題でアウトにしたようですが、本書の二作品を読めば、レベルの違いは納得できる。しかし、そんなの dameo の「昔はヨカッタ」ふう懐古趣味のせいかもしれない。それは認めるとしても、毎日数時間もスマホをいじってる人たちが決して味わえない、文学作品を読むヨロコビを100円の投資で享受できたのであります。スマホを捨てよ 本を読もう。(昭和55年 角川書店発行)

 

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Nostalgia ~旅の思ひ出~

なつかしい旅のワンシーンを綴ります

路線バスが燃料切れという珍事

 前回は宮古島無人空港で感じた旅情?を綴りました。さらに南の石垣島でも珍しい体験をしました。この旅は年下の友人S君との二人旅、往復の乗り物を除いては予約とかナシのええかげんな旅です。当時の八重山地方は観光情報なんかほとんどありませんでした。


 石垣島についてから二日目、海岸風景が美しいと聞いていた川平湾へ行きました。お正月ですが半袖で過ごせそうなぽかぽか陽気の日です。街中から島を一周する路線バスに乗って川平湾へ。うわさ通り珊瑚礁の海がきれいで前景は広々した草原が続くなか、停留所ではないところでバスが止まりました。


どうした?・・運転手が降りて止まってるバスへ向かいます。しばらくして戻って来て言うに「あのバス、燃料切れで停まってる」
 え!そんなアホな。乗り合いバスが燃料切れなんて聞いたことがない。で、どうする?。このあたり、今はおしゃれなリゾートホテルが並んでるそうですが、当時は茫々たる草原がつづく未開発の自然風景。往来する車は皆無なので、民家まで歩いて会社に連絡するのが常識だけど、家があっても、たぶん電話がない。


 観光目当ての我々は文句言うどころか、こんな景色の良いところで停まったことを喜んですばらしい風景を堪能しました。では、他の数人の地元の乗客は文句言ったのか、というと誰も苦情を言わず、おとなしくしています。この緊張感の無さに感心を通り越して少し感動を覚えたくらいです。


 結果をいうと問題は解決しました。神が降臨した。奇蹟が起きた、というしかないハッピーエンドになったのです。10分、20分・・いやもっと経ったか。向こうの方からブルドーザーがのろのろやってきた。このブルにバケツとポンプつきのビニールホースが積んであったのです。なんという大幸運!。


 対向バスのぼんくら運転手は大喜びでブルのおっちゃんからホースとバケツを借り、我々の乗ってるバスから燃料を吸い出し、自分のバスに注ぎました。運転手には白いタオルで頬被りしたおっちゃんが神に見えたにちがいない。


 自分が宮沢賢治だったら、この感動的な場面を「神は来ませり」と詩にしたかもしれんなあ・・。いっぽうで、この大迷惑に腹がたたないどころか、一緒に喜んでる自分を「アホちゃうか」とイジッたり・・不思議な気分でした。
 けっきょく、1時間以上遅れて町の営業所へ戻っても謝罪の言葉なし。(言ったかもしれないが、方言だったら自分たちにはわからない)もし、内地のバス会社でこんなドジをやったらニュースになり、社長さんは深刻な顔つきで謝罪の記者会見をする場面です。ひょっとして、あれは珍事ではなく日常?ま、そこまで疑いたくはないけど。


右が燃料切れのバス。中央、白いタオルで頬被りしたおっちゃんが「救世主」

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図書館閉館で「本ひでり」

 コロナ禍で大阪市の図書館は先月25日から閉館していて再開は今月末の予定。民間の「まちライブラリーもりのみや」も休館です。一ヶ月以上休んでいるため自分のような貧乏読書人は借り入れができずに困っています。大事件ではないけど、こんなの生まれて初めての経験です。


 で、古本屋で仕入れることにして天神橋筋商店街へ。人出はいつもよりやや少ないけど、ひっそり感はない。そして、古本屋は常より客が多くて繁盛しています。やはり、自分みたいな「本ひでり」状態の人間が小銭もって町へ繰り出してるらしい。古本屋にしたらコロナは味方?・・いや、それは穿ちすぎでせう。


 4軒まわるつもりが時間食って2軒で終了。仕入れた本は・・・
白洲正子「いまなぜ青山二郎なのか」
由良弥生「原典・日本昔ばなし
・サムエル・ウルマン詩集「青春とは、心の若さである」
・杉江弘「機長が語るヒューマンエラーの真実」
有島武郎「生まれ出る悩み」(復刻本)
・木版字による「竹取物語

の6冊、投資額1150円ナリ。

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5冊目、6冊目は「往生しまっせえ~」覚悟で買った「100円均一本ワゴン」での掘り出しもの、帰宅してよく見たら本当に「往生しまっせえ~」本でした。
有島武郎本は大正7年発行の原書をリアルに復刻したものですが、なんと、製本も当時の技術を再現したみたいです。


 8ページを一枚の紙に印刷し、折り畳んで綴じて、という製本なので、読者が読むときはナイフで折り畳んだ紙をタテ・ヨコに切り裂く必要があります。
作品は191ページあるので24回「切り開き作業」が必要。めんどくさあ。題名は有名な「生れ出る悩み」ですが、読者は「読み出す前の悩み」を味わうことになります。こんなリアルな復刻本、はじめて出会いました。
 一度調べてみたいけど、明治の末~大正初めのころはこんな「西洋綴じ」本が普通だったのかも知れない。(それより以前は和綴じ本だったと思う)

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 「竹取物語」なにしろ有名な物語でありますから、いろんな編集、製本の作品があり、本書は「木製活字」版という珍しい?バージョンです。常識として、筆書きの本は原稿をそのまま木版にして刷る。ところが本書は一字、または一句をあらかた「活字」としてこしらえておき、注文が来たらそれを組み、手書きも加え、原版とする。このほうが少しは効率よく制作できる。そういう作り方をした「竹取物語」です。


 だったら楷書にしてほしかったなあ・・と令和の日本人は勝手なこと言います。半分くらい読めるのでは、という予想見事にはずれ、一行も読めないではありませんか。一ページでギブアップです。
こんな難儀な本、誰が読むねん、となにげに奥付をみると・・昭和35年発行、昭和56年16版発行、とある。なんのなんの、人気本でした。大学の国文科とかに籍を置いたら基礎教養として読まされるのかもしれません。
 200円の投資でエライ目に遭い・・いいへ、ええ勉強になりました。

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伊吹かのこ スーパーの野菜売り場でパートやってます

 著者の伊吹かのこさんは学生時代から漫画家になりたくていろんなコンクールに応募したけど連戦連敗、この世界の厳しさを味わった。で、生活の糧を得るために選んだ仕事がスーパーの野菜売り場のパートだった。


 ま、それがどうした、という平凡?な生活がはじまったのですが、神は見捨てず・・この珍しくもない仕事体験が本書の発行につながったのだから夢をあきらめてはいけません。(株)KADOKAWAのコミックエッセイシリーズの一つとして選ばれ、出版に至りました。ご本人、いかほど嬉しかったことでせう。一生のいい思い出になります。その前提にパートさんとしての誠実な仕事ぶりが認められたはずです。


 「他人は何でメシを食ってるのか」について知りたがりの dameo はこういう本を読むのが好き。伝記を読むのが趣味なのもアカの他人の生業、人生に興味があるからです。本書はスーパーの、客には見えないバックヤードの野菜担当者の仕事の紹介です。


 売り場を見れば野菜担当者の仕事はあらかた見当がつくけど、カット、小分け(秤やサイズで)包装、ラベル貼り、陳列、が主な役目、チーフは正社員でこのような作業はパートの役目、普通は3人で野菜、果物類をカバーします。


 はじめはド素人だからモタモタするのは仕方ないが、ワザと早さを求められるのが「包装」で、これは数をこなして慣れるしかない。ラップでくるむ専用の機械があるからキャベツの半切りなんかピシッと包装できる。実際にはコツがあってこれを習得できたら一人前。一方、ラベル貼りなんて簡単な作業ですが、ときどき値段を間違えてプリントするドジがあり、あせりまくって陳列した商品を全部張り直さなければならない。そんな場面、見たことあるような・・。


 チカラ仕事もあって夏のスイカの季節ではドでかいスイカを半分、四等分、八等分・・と早く正確に、カンに頼って切る。涼味満点の果物なのに、裏方さんは汗だくという場面です。カボチャはもっと腕力が要ります。


 他店との厳しい競争のなか、大事な値決めは誰がするのか、正社員のチーフの役目と思いがちですが、意外にパートのおばさんが決めることも多いらしい。
販売者にして消費者でもあるパートさんの生活感覚で「今日はこの値段でいく」の判断が妥当であること納得できます。上司任せより「自分たちが責任をもつ」
ほうがやりがいもあるでせう。もちろん、失敗もある。


 パートさんに「昇級試験」があること、知りませんでした。長期に働く人の義務だという。2級は商品づくりと品出しの実技、日常の仕事がレベルに達してるかどうか試される。1級は接客応対や事務作業という知的な仕事の向き、不向きを試される。合格すると、2級は50円、1級は100円、時給がアップします。(各社がやってるかどうか不明)そうか、パートさんも競争社会だったのか。誰でも簡単にこなせると思ってはいけないのであります。(2014年(株)KADOKAWA発行)

 

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◆吉田秀和「マーラー」を読む

 マーラー作品に関するウンチクを傾けた本。なのに、本文の頭ではこう書いてある。「マーラーはむずかしい、私には」。のっけから何です?専門家がそんなこと言ってしまってはド素人の dameo なんか取りつく島がないでせうが、フガフガ。勘ぐれば、マーラー作品の評論を書くのはとても難しい。でも、書かねばならないので、あらかじめ予防線を張っておく、ということでせう。音楽を言葉で語ることの難しさ、分かって下さいまし、であります。特にマーラーは。


 著者は、本書がマーラー入門書になってくれたら嬉しいと言ってますが、入門書にしては内容が難しすぎる。それとも自分の頭が悪すぎるのか。まあ、後者でありませう。で、小難しいことは書かないことにして、駄目男の愛好曲は、交響曲でいえば、一番、二番、と「大地の歌」の三曲。本書で、そうだったのか、と納得したことがあって、大地の歌の冒頭、おたまじゃくし10個ぶんくらいは、シューマンピアノ曲「交響的練習曲」の冒頭のメロディとそっくりさんだということ。両方のメロディを覚えていたので納得です。どうして今まで気づかなかったのか。剽窃か、偶然の一致か、はわからない。


マーラーファンの誰もが誉める「九番」の交響曲も聴き直してみた。あちこちに「一番」のモチーフが再現されるのがやや気になる。それと第四楽章のコーダの美しいがもったいぶった曲想が好きになれない。ブルックナーの「九番」のコーダのほうが余程感銘深い。ま、これらはあくまで個人の好みでありますが。・・というわけで、dameo は全面的にマーラーにのめり込めないのであります。(2011年 河出書房新社発行)

 

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◆又吉直樹「劇場」を読む

 芥川賞受賞作「火花」は芸人の話、本書は演劇人(自称、脚本家、演出家)の話。読み始めると「火花」より読みやすくて文章もこなれている。しかし、半ば過ぎて、友人とメールで悪口兼演劇論を交わすあたりから退屈になる。難解な議論をスマホのメールでやりとりするに及んで読者のほとんどはシラけてしまうでせう。しかし、これを省けば安直なラブストーリーになってしまうから外せない。著者の自己満足であります。

 

ストーリーは、食うや食わずのしがない演劇人の失恋物語。自称、脚本家のくせに彼女との会話に四苦八苦し、結局、振られてしまうのでありますが、そのダメ男ぶりをいかに文学的に表現するか、がキモでせう。主人公がコテコテの大阪弁を通すことでそれなりの情感は醸し出せるのですが、もし標準語に置き換えたら陳腐この上ないメロドラマになること必定であります。又吉さんは標準語での愛の会話は生涯書けないのでは、と予感。(本人がシラけたりして)むろん、生涯、大阪弁でもかまわないのですが、物語のつまらなさが表現で救われている感は免れない。


昔、石原慎太郎が選者であったときは、作者のみみっちい世界観を「身辺10mのことしか書けない」といつもくさしていましたが、又吉さんも芸人や演劇世界に拘泥しないで、身辺100キロくらいの視野でテーマを選んでほしいと思います。(2017年 新潮社発行)

 

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閑人帳

「大阪の医療崩壊は橋下元知事と維新の会の責任」

・・という内容の記事を読みました。ライターは大村大次郎。(おおむら・おおじろう 大阪府出身。10年間の国税局勤務の後、経理事務所などを経て経営コンサルタントフリーライターに。主な著書に「あらゆる領収書は経費で落とせる」(中央公論新社


 記事は広告が多くてとても読みにくいのでコピーして掲載します。昨年11月の「大阪都構想」再投票に関してdameo は8回にわたってFC2ブログで反対論を述べ、維新の会を支持する大阪市民は「アホ」な人たちとボロクソに書きました。この思いは今でも変わらない。


 このたびのコロナ禍で大阪はすでに全国最悪の医療崩壊の状態であること、知事も府市民も認めている。それなのに行政や維新の会への批判や苦情の報道が異常に少ない。「無い」と言っても差し支えないくらいです。なぜか。関西のメディアはみんな維新の会と仲良しだからです。吉村知事、松井市長、それに橋下徹氏を厳しく批判する報道を見たことがない。東京のメディアの小池知事に対する姿勢に比べても大甘です。前置きが長くなりましたが、以下、大村氏の批判記事を紹介します。(青色文字が引用文)

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● 戦犯は「橋下維新」。大阪のコロナ医療崩壊を招いた知事時代の愚策

 大阪のコロナ死者数を激増させた維新の責任。この医療崩壊は人災だ
新型コロナの第4波がひどいですね。特に、大阪は目も当てられない状況です。大阪で目を引くのは、死者の多さです。下のように、人口当たりの死者数は、大阪が群を抜いています。

100万人あたりの直近7日間の死者数(5月15日現在)
大阪   28.0人
東京   2.6人
北海道  7.4人
全国平均 5.4人

大阪府は2021年3月1日以降は、全国の死者の20%以上を占め、4月以降は30%以上を占めています。しかも2021年5月1日時点では、7日間の人口当たりの死者数が、インドやメキシコよりも多くなっています。大阪は「世界でもっとも新型コロナの死者が多い地域」となったのです。


感染症対策において、もっとも重要なことは「死者を出さないこと」です。それを考えたとき、大阪はもっとも新型コロナ対策に失敗しているということがいえるはずです。また大阪は医療を受けられないままに死亡した人が18人にも及びます。日本でもっとも医療崩壊が激しい地域だといえます。


よくSNSなどでは、「大阪は高齢者が多いから死者が多いのだ」という意見が散見されます。が、これは的をはずしています。大阪は高齢者が多いといっても東京と比べて数%程度であり、これほどの死者の差が出るほどではないはずなのです。


●大阪の医療崩壊は今に始まったことではない
そもそも第4波以前においても、大阪は新型コロナの死者が非常に多かったのです。5月16日時点での大阪の累計死者数は1,958人で東京を抜いて日本最悪となっています。が、大阪は第3波のときにも東京を抜いて日本最悪となっていた時期もあったのです。


東京の人口は、大阪の人口の1.6倍もあります。しかも東京は日本の首都であり、世界中からたくさんの人が集まっています。その東京よりも、死者数で上回っているわけですから、いかに大阪の死者数が多いか、ということです。

 100万人あたりの死者を比べると東京は140人で大阪は200人です。なぜこれほど大阪では死者が多いのでしょうか?大阪は老人が多いと言うけど、その差は数パーセントです


●「行政の無駄を省く」という政策に奪われた命
 はっきり言うと、橋下徹氏や「維新の会」の責任が大きいのです。2008年に橋下徹氏が知事になってから、大阪府大阪市は、「行政の無駄を省く」という号令のもと急激に公立病院を減らしました。


市立病院を独立法人化したり、府立病院に統合したりして、大幅に病院施設の削減を図りました。もちろん人員も大幅に削られることになります。総務省の統計によると2007年の大阪府の公立病院には医者と看護師は8,785人いましたが、2019年には数半分以下の4,360人になっているのです。


ざっくり言えば、大阪の公立病院の「医療力」は、橋下氏と維新のために半減させられたといえるでしょう。この医者と看護師の数を半分以下にしたことが、新型コロナでの大阪の死者数の激増の最大の要因だといえるのです。橋下氏は維新の会は、ぜひこのことについて明確に説明していただきたいものです。


また維新は、赤十字病院済生会病院など、慈善事業系の病院の補助金も大幅にカットしました。赤十字病院済生会病院は、その地域の救急医療や感染症医療も担っていましたので、これも新型コロナの被害が拡大する要因となりました。


現在、大阪は「新型コロナ対策の医療関係者が不足している」として、自衛隊や近隣府県から看護士を派遣してもらったりしていますが、何のことはない、自らが医療関係者の数を減らしてきていたのです。


公立病院や慈善系の病院は、感染症や救急医療などにおいて中枢を担うものです。公立病院や慈善系の病院の戦力がダウンすれば、それはそのまま感染症対策や救急医療の低下につながるのです。


●公的病院の割合が全国平均の約半分しかない大阪府
~公立病院は感染症対策の砦~
 日本はよくわかっていない要因により、欧米よりも桁違いに感染者が少ないにも関わらず、医療崩壊の危機に瀕しています。「それは日本は公立病院が少なく民間病院が異常に多いからだ」と、何度かこのメルマガでご説明しました。
下が先進諸国の公的病院と民間病院の病床数の内訳です。


  公的病院(非営利病院含む)    民間病院
日本    約20%          約80%
アメリカ  約75%          約25%
イギリス  大半           一部のみ
フランス  約67%           33%
ドイツ   約66%          約34%
「諸外国における医療提供体制について」厚生労働省サイトより

このように、日本は民間病院の比率が、先進諸国に比べて異常に高いのですが、中でも大阪は、特にこの比率が高いのです。


民間病院は、利益を出すことを優先しますので、金のかかることはしません。集中治療室(ICU)を設置しているところも少ないですし、感染症や救急治療の受け入れ態勢も整っていません。だから世界中のほとんどの国で、集中治療室や感染症、救急治療などは、公立病院が大半を担っているのです。


しかし、日本では公立病院が異常に少ないので、集中治療室や感染症病床が少なく、必然的に、わずかな患者で医療崩壊を招いてしまうのです。この日本医療の悪しき流れの先頭に立っているのが大阪なのです。日本の公的病院の割合は約20%ですが、大阪は約10%です。つまり、大阪は公的病院の割合が全国平均の約半分しかないのです。大阪の公立医療は、日本で最弱といえるでしょう。そして、大阪の公立医療を日本で最弱のものにしたのは、橋下氏と維新の「公立医療削減政策」なのです。


橋下氏や維新というのは、医療行政に関して無責任この上ないのです。思い起こしてください。橋下氏は、去年、新型コロナが流行しはじめたとき「やみくもにPCR検査をしてもダメ」ということを盛んに述べていました。しかし、感染症を防ぐためには、「感染者をできるだけ早く特定し隔離すること」は基本中の基本です。


日本は人口当たりのPCR検査が世界で100何番目という状態がずっとつづいています。これは絶対におかしいことであり、日本政府の重大な落ち度です。そして、できるだけ早くこの状況を改善しなくてはならなかったのです。そんな中、橋下氏はテレビで「PCR検査を拡充することは有効な対策ではない」ということをしきりに吹聴していたのです。しかも、しかも、です。


去年の4月、橋下氏は自分がちょっと体調を崩した時には、真っ先にPCR検査を受けているのです。当時は相当に、症状が重い人でもなかなかPCR検査は受けられないような状況が続いていました。その、一番PCR検査が受けにくい時期に、橋下氏は受けているのです。こんな無責任なことってあるでしょうか?


橋下氏と維新は大阪の医療を崩壊させた最大の戦犯のはずです。彼らに対して、メディアはもっときちんと批判すべきでしょう。
 大阪の公立病院の医者や看護士が、維新の政策により半減させられているのは、見誤りようのない事実なのです。そして、公立病院の医師と看護士の少なさが、「病院に行くこともできずに死亡する人」を増やしている大きな要因であることも間違いのないことなのです。


それにしても、なぜ橋下氏や維新の会は、このような愚かな医療削減を行ってきたのでしょうか?その驚くべき「未熟で雑な政治思想」を次回以降、つまびらかにしていきたいと思います。


引用元
https://www.mag2.com/p/news/497411?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_9999_0518&trflg=1
https://www.mag2.com/p/news/497411/2
https://www.mag2.com/p/news/497411/3

 

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         大阪に不幸をもたらしただけのスリートップ

井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」を読む

 久しぶりに「読み出したら止められない」本に出会いました。止められない理由は内容自体の面白さに加え、文章の上手さゆえです。著者はこの作品を「記録文学」というジャンルで書いたので、勝手な想像によるフィクションに仕立ててはいけない・・ハズですが、読めば「講釈師 見てきたようなウソを言い」場面が多々で、これに惹きつけられてすらすら読んでしまう。しかも、自分で資料探しをしたのではなく、他人に借りた資料をネタにして書いているのだから、さすがプロやなあと感心します。


 冒頭、万次郎が仲間とともに土佐の浜から漁にでたところ、大嵐で遭難してしまい、何日も漂流したあげく、絶海の孤島(鳥島)に漂着するまでの描写なんぞ、記録資料には細部まで書かれていないはずなのにすごい現実感があって、まるで著者も一緒に遭難したかのよう。読みながら、ニュースで知った、日本海で嵐に遭った北朝鮮のボロ漁船と乗組員の難儀ぶりを想像してしまいました。ようやく流れ着いた孤島の断崖への着岸のスリルや食料も水もない島での絶望的な日々の描写も「見てきたような・・」名文で読者はやすやすとのせられてしまいます。この文章力が評価されたのか、昭和13年の直木賞を受賞したことも納得です。


それにしても、ジョン万次郎の波瀾万丈の人生はそれこそフィクションとちゃうか、と疑いたくなるくらいです。貧乏で読み書きの素養ゼロの小僧が遭難で九死に一生の体験をしてからは、ハワイに渡り、米国本土に行き、捕鯨船の乗組員として世界一周の航海まで経験する。その間に英語を覚え、捕鯨の技術をマスターし、アメリカ西部ではゴールドラッシュに乗じて砂金堀りをして金を稼ぎ・・日本へ戻ったのは12年後だった。当時、こんな破天荒な体験をした日本人は彼ひとりではないか。


帰国当時の日本はアメリカに開国を迫られて大騒ぎのさなかだった。そこで万次郎の英語が生きる。なにしろ本場仕込みだから並みの通訳よりずっとすぐれものであちこちから引っ張りだことなる。そのうち、身分も上がって最後は江戸幕府直参の旗本に出世するのだからコミックみたいな実話であります。更に、語学力+航海術を買われて「咸臨丸」でアメリカへ向かう使節団の世話役になった。福沢諭吉勝海舟のお供をしたが、船長たる勝海舟は航海中ずっと船酔いでへろへろだったため、万次郎が実質、船長を勤めた。


本書を読む限り、万次郎が過酷な運命に翻弄されながら、異人にも同胞にも好かれたのは、天性の明るい性格と勉強熱心で、物事に積極的に取り組む姿勢が好まれたためでせう。出自が無学文盲ゆえに色眼鏡(教育・教養)で世間を見ることがなかった。大出世してもおごらず、晩年までもう一度捕鯨の仕事がしたいと地味な願いを抱いていた。明治31年死去。享年72歳。墓は谷中の仏心寺にあるそうだ。(昭和61年 新潮社発行)


 この万次郎の生涯、大河ドラマに向いてるのではと、ドラマを一切見ない駄目男が思いついた(笑)。ハズレの少ない幕末ものとして受けそうな気がします。難点は女性が全く出て来ないことか。映画や単発ドラマではすでに作品化されてるとおもうけど、退屈しないこと、請け合いです。

 

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Nostalgia ~旅の思ひ出~

なつかしい旅のワンシーンやエピソードを綴ります。

宮古島無人空港の思い出

 青春時代、日本の北端と南端を訪ねる旅を企画し、GWや正月休みを利用して実行した。北端は宗谷岬、南端は沖縄、八重山諸島波照間島。1967年の正月、那覇空港からプロペラ機で宮古島に降り立つと、そこは無人空港だった・・。川端康成「雪国」の冒頭シーンの空路版みたい。鉄道の無人駅というのは納得できるけど、空港が無人というのは半世紀前の当時でも理解しにくい。なので、このときの経験は強く脳裏に刻まれている。


 無人なのにどうして旅客機が発着できるのか、説明します。下の写真は宮古島空港の全景です。空港ビルに該当するのは10坪ほどの小屋。飛行機に乗りたい人は各自が那覇の航空会社に電話で本日の便の有無を尋ね、およその時間を訊いて空港へ出かける。悪天候などで休航になっても通知はない、というか、知らせる方法がないので、待ちぼうけで帰宅は普通にある。

 

1967年の宮古島空港。左の小屋がターミナルビル。

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「エアーアメリカ」はベトナムへの兵員輸送を請け負う米軍の下請け企業。パイロットは空軍を退役した元軍人。

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飛行機が到着する30分ほど前になると大きな荷物を背負ったオジサンが町からバイクでやってきた。オジサンは「管制官」で背負ってるのは軍事用の携帯無線機である。飛行機が近づくと無線機のスイッチをオンにして機長と交信し、素朴な吹き流しや風力計を見ながら気象を伝える。着陸OKとなれば雲の間から飛行機があらわれて着陸。むろん、誘導員なんかいない。


 写真に小さく写っているちゃちな鉄パイプ製のタラップをごろごろ押して機体につけ、乗降をはじめる。写真の中央右手の乗用車はタクシーだけど、アクセス道路がないので、滑走路を走って出入りする。雲が低い日は運転手は飛行機の接近が分からないからとても危険である。だからなのか、写真の白い看板には「交通ルールを守りましょう」と書いてある。道路と滑走路を兼用しているのはルール以前の問題だと思うのですが。


 機内に入ってビックリした。通路にでかいゴムボートが立てかけてある。自分の席へ行くのに一苦労させられる。客室にゴムボートをのせた飛行機なんて・・。
乗客のウワサでは数日前に片肺飛行をやったために「念のために」積んでるのだろうと。スチュワデスは日本人女性だが無愛想で、なのに、ライフジャケットの操作説明はくどいほど丁寧にやるから余計不安が増した。


 チケットはどうするのか。車内売り、もとい、機内売りであります。あらかじめ申請した名前を確かめてきっぷをきる。黒い皮かばんといい、大昔の乗り合いバスみたい。予約ナシの飛び入り客を乗せないのは、事故の時、会社に身元の資料がないのはマズイからではと想像した。料金は忘れたが、当時は1ドル=360円のレートだったから、すごく高価だったはず。


 長さ1200メートルの滑走路は旧日本軍が急ごしらえでつくった未舗装の素朴すぎる滑走路。機体を端っこぎりぎりに寄せてスタートする。エンジン全開で滑走するも、路面がでこぼこだからものすごいバウンドで、かつ、スピードが出ない。「まだ浮かへんがな、大丈夫か」ハラハラドキドキ、手に汗握る離陸シーンでした。無人空港なのに気象情報をおろそかにしないのは、離陸の難しさ(特に風向き)があるからではと想像します。また、強風とでこぼこ滑走路という悪条件でも運行できたのは軍用機だからで、民間機のヤワな構造ではとても離着陸に耐えられない、と何かの記事で読みました。


 宮古島の航空便は週に二便か三便しかないので、飛行機が飛び立つとたちまち空港は人影がなくなり、強い季節風が吹くなか、キビ畑がざわわ、ざわわ、となびく、荒涼たる風景に戻るのでありました。


 飛行機は与圧装置がないので高空を飛べず、せいぜい海上千メートルくらいのところを飛ぶ。海面の白い波頭がよく見える高さです。少し落ち着いて横にのさばるゴムボートを見て疑問が浮かんだ。この4mくらいあるボートを機外に出そうとしたらドアの手前で直角に曲げないと外へ出せない。すごい腕力がいる。無事に着水できたとしてもドアからザブザブと海水が入ってくるなかで、そんな作業できるんかい?。かといって小さいボートでは数人しか乗れないし・・。ボートを出すまえに機体が沈没したらライフジャケットも役にたたんやろ。飛行中、ドアが開けっ放しの操縦室を見ながら、余計な心配を募らせたのであります。


 読者のなかで近年に宮古島へ行かれた方がおられたら信じがたい風景に見えると思います。しかし、この最高に貧しい空港風景が自分には一番旅情を感じた、忘れ得ぬ空港になりました。

繁野美和「86歳ブロガーの 毎日がハッピー 毎日が宝物」を読む

 繁野さんは、今どき元気ばあさんのモデルでありませう。60歳でパソコンに出会い、82歳でブログをはじめた。タイトルは「気がつけば82歳」。そして平成29年の現在もブログは続いていて、今月6日に90歳になった!!この元気なら100歳ブロガーも不可能ではない。


 ブログ自身の人気が高くて固定ファンがたくさんいる。そこに幻冬舎が目を付けて出版したのが本書。軽い気持ちで、日記のつもりで綴った文章が本になり、さぞかし嬉しかったと思います。もし、ブログをやってなかったら、普通に年老いて普通にボケ、普通に亡くなっていたかもしれない。仮に生きていたとしても、認知症とか寝たきりでは楽しみも生きがいもない文字通りの「余生」だったりする。


本書=ブログにアップした文章 を読んで繁野さんの元気のモトは奈辺にあるのか考えてみました。

・生まれつき好奇心の強い性格
・趣味が多くて退屈することがない。
・この歳でも同年配の友人がいる。
・別居している家族とほどよい距離感を保つ。
・ドジをしてもくよくよしない。
・できないことはあっさり諦める。
・食事は自分でつくり、買い食いしない。
・薬漬けの生活にならないよう、病院の言うままにならない。

おおむね、こんなことで心身の健康を保っている。べつに変わったところはない、平凡と言えば平凡なライフスタイルです。この項目をみんな反転させればどうか。趣味がない、友だちがいない、くよくよする性分・・ボケるしかない生活です。アルツハイマーではない、廃用型(頭を使わないで起きる)の認知症は自己責任の度合が高いと言えます。(2014年 幻冬舎発行)   ~感想文はここまで~


 繁野さんの前向きな性格とブログという表現手段の相性がよかったのが長続きの大きな理由でせう。送受信のやりとりが煩雑なSNSでは気疲れして続かないと思います。反応はともかく、とりあえず、一人で勝手に綴って発信する。この形式だから気後れせずに続けられるのだと思います。


 ところで、前記の本、感想文書いたのは3年前ですが、発行はもっと前の2014年です。7年経っているけど今はどうか、まだ続いてるのでせうか。おそるおそるブログを訪ねてみました。

 

 ・・・わ、まだ続いています。すごいなあ。しかも、つい先日は94歳の誕生日でみんなにお祝いしてもらったと感謝の言葉が綴られている。冗談でなく、100歳まで続くのではないか。元気老人の鑑として文化功労賞(大げさ)くらい差し上げても良いくらい。70歳そこそこでボケてる人もいるのに何とした違いでありませう。以下は、その5月7日のブログの文章です。


.昨日、5月6日は私の誕生日。昭和2年生まれだから ああ94歳、両親や姉兄に比べて末っ子の私だけがこの歳までって感無量。

この世情になるまでは、5月のGWには遠くの家族も集まって、ついでに私のBDも祝ってもらったと懐かしい。今年はムリとあきらめていたら、思い掛けない嬉しい日になった。

朝、家人が迎えに来てくれて、遠くに住んでる家人の家に連れていてくれて祝ってくれた。彼らが結婚した頃以来の想い出が浮かぶ。

ご馳走をイッパイ戴いて、立派なバースデーケーキも!
夫を懐かしむ思い出話に、16年まえに逝った彼が居たらどんなに喜んだだろうと残念だ。

夕方、また車で送って貰って帰宅したら、会えなかったマゴからもお祝メールが〜 涙が滲むほど嬉しい日でした。

添付写真は、今日行った家人が今の郵便事情を考えて、早めに送ってくれてたバースデイカード、丁度BDに届いてました。

http://thoughts.asablo.jp/blog/2021/05/07/9375122