Nostalgia ~旅の思ひ出~

なつかしい旅のワンシーンやエピソードを綴ります。

宮古島無人空港の思い出

 青春時代、日本の北端と南端を訪ねる旅を企画し、GWや正月休みを利用して実行した。北端は宗谷岬、南端は沖縄、八重山諸島波照間島。1967年の正月、那覇空港からプロペラ機で宮古島に降り立つと、そこは無人空港だった・・。川端康成「雪国」の冒頭シーンの空路版みたい。鉄道の無人駅というのは納得できるけど、空港が無人というのは半世紀前の当時でも理解しにくい。なので、このときの経験は強く脳裏に刻まれている。


 無人なのにどうして旅客機が発着できるのか、説明します。下の写真は宮古島空港の全景です。空港ビルに該当するのは10坪ほどの小屋。飛行機に乗りたい人は各自が那覇の航空会社に電話で本日の便の有無を尋ね、およその時間を訊いて空港へ出かける。悪天候などで休航になっても通知はない、というか、知らせる方法がないので、待ちぼうけで帰宅は普通にある。

 

1967年の宮古島空港。左の小屋がターミナルビル。

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「エアーアメリカ」はベトナムへの兵員輸送を請け負う米軍の下請け企業。パイロットは空軍を退役した元軍人。

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飛行機が到着する30分ほど前になると大きな荷物を背負ったオジサンが町からバイクでやってきた。オジサンは「管制官」で背負ってるのは軍事用の携帯無線機である。飛行機が近づくと無線機のスイッチをオンにして機長と交信し、素朴な吹き流しや風力計を見ながら気象を伝える。着陸OKとなれば雲の間から飛行機があらわれて着陸。むろん、誘導員なんかいない。


 写真に小さく写っているちゃちな鉄パイプ製のタラップをごろごろ押して機体につけ、乗降をはじめる。写真の中央右手の乗用車はタクシーだけど、アクセス道路がないので、滑走路を走って出入りする。雲が低い日は運転手は飛行機の接近が分からないからとても危険である。だからなのか、写真の白い看板には「交通ルールを守りましょう」と書いてある。道路と滑走路を兼用しているのはルール以前の問題だと思うのですが。


 機内に入ってビックリした。通路にでかいゴムボートが立てかけてある。自分の席へ行くのに一苦労させられる。客室にゴムボートをのせた飛行機なんて・・。
乗客のウワサでは数日前に片肺飛行をやったために「念のために」積んでるのだろうと。スチュワデスは日本人女性だが無愛想で、なのに、ライフジャケットの操作説明はくどいほど丁寧にやるから余計不安が増した。


 チケットはどうするのか。車内売り、もとい、機内売りであります。あらかじめ申請した名前を確かめてきっぷをきる。黒い皮かばんといい、大昔の乗り合いバスみたい。予約ナシの飛び入り客を乗せないのは、事故の時、会社に身元の資料がないのはマズイからではと想像した。料金は忘れたが、当時は1ドル=360円のレートだったから、すごく高価だったはず。


 長さ1200メートルの滑走路は旧日本軍が急ごしらえでつくった未舗装の素朴すぎる滑走路。機体を端っこぎりぎりに寄せてスタートする。エンジン全開で滑走するも、路面がでこぼこだからものすごいバウンドで、かつ、スピードが出ない。「まだ浮かへんがな、大丈夫か」ハラハラドキドキ、手に汗握る離陸シーンでした。無人空港なのに気象情報をおろそかにしないのは、離陸の難しさ(特に風向き)があるからではと想像します。また、強風とでこぼこ滑走路という悪条件でも運行できたのは軍用機だからで、民間機のヤワな構造ではとても離着陸に耐えられない、と何かの記事で読みました。


 宮古島の航空便は週に二便か三便しかないので、飛行機が飛び立つとたちまち空港は人影がなくなり、強い季節風が吹くなか、キビ畑がざわわ、ざわわ、となびく、荒涼たる風景に戻るのでありました。


 飛行機は与圧装置がないので高空を飛べず、せいぜい海上千メートルくらいのところを飛ぶ。海面の白い波頭がよく見える高さです。少し落ち着いて横にのさばるゴムボートを見て疑問が浮かんだ。この4mくらいあるボートを機外に出そうとしたらドアの手前で直角に曲げないと外へ出せない。すごい腕力がいる。無事に着水できたとしてもドアからザブザブと海水が入ってくるなかで、そんな作業できるんかい?。かといって小さいボートでは数人しか乗れないし・・。ボートを出すまえに機体が沈没したらライフジャケットも役にたたんやろ。飛行中、ドアが開けっ放しの操縦室を見ながら、余計な心配を募らせたのであります。


 読者のなかで近年に宮古島へ行かれた方がおられたら信じがたい風景に見えると思います。しかし、この最高に貧しい空港風景が自分には一番旅情を感じた、忘れ得ぬ空港になりました。