井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」を読む

 久しぶりに「読み出したら止められない」本に出会いました。止められない理由は内容自体の面白さに加え、文章の上手さゆえです。著者はこの作品を「記録文学」というジャンルで書いたので、勝手な想像によるフィクションに仕立ててはいけない・・ハズですが、読めば「講釈師 見てきたようなウソを言い」場面が多々で、これに惹きつけられてすらすら読んでしまう。しかも、自分で資料探しをしたのではなく、他人に借りた資料をネタにして書いているのだから、さすがプロやなあと感心します。


 冒頭、万次郎が仲間とともに土佐の浜から漁にでたところ、大嵐で遭難してしまい、何日も漂流したあげく、絶海の孤島(鳥島)に漂着するまでの描写なんぞ、記録資料には細部まで書かれていないはずなのにすごい現実感があって、まるで著者も一緒に遭難したかのよう。読みながら、ニュースで知った、日本海で嵐に遭った北朝鮮のボロ漁船と乗組員の難儀ぶりを想像してしまいました。ようやく流れ着いた孤島の断崖への着岸のスリルや食料も水もない島での絶望的な日々の描写も「見てきたような・・」名文で読者はやすやすとのせられてしまいます。この文章力が評価されたのか、昭和13年の直木賞を受賞したことも納得です。


それにしても、ジョン万次郎の波瀾万丈の人生はそれこそフィクションとちゃうか、と疑いたくなるくらいです。貧乏で読み書きの素養ゼロの小僧が遭難で九死に一生の体験をしてからは、ハワイに渡り、米国本土に行き、捕鯨船の乗組員として世界一周の航海まで経験する。その間に英語を覚え、捕鯨の技術をマスターし、アメリカ西部ではゴールドラッシュに乗じて砂金堀りをして金を稼ぎ・・日本へ戻ったのは12年後だった。当時、こんな破天荒な体験をした日本人は彼ひとりではないか。


帰国当時の日本はアメリカに開国を迫られて大騒ぎのさなかだった。そこで万次郎の英語が生きる。なにしろ本場仕込みだから並みの通訳よりずっとすぐれものであちこちから引っ張りだことなる。そのうち、身分も上がって最後は江戸幕府直参の旗本に出世するのだからコミックみたいな実話であります。更に、語学力+航海術を買われて「咸臨丸」でアメリカへ向かう使節団の世話役になった。福沢諭吉勝海舟のお供をしたが、船長たる勝海舟は航海中ずっと船酔いでへろへろだったため、万次郎が実質、船長を勤めた。


本書を読む限り、万次郎が過酷な運命に翻弄されながら、異人にも同胞にも好かれたのは、天性の明るい性格と勉強熱心で、物事に積極的に取り組む姿勢が好まれたためでせう。出自が無学文盲ゆえに色眼鏡(教育・教養)で世間を見ることがなかった。大出世してもおごらず、晩年までもう一度捕鯨の仕事がしたいと地味な願いを抱いていた。明治31年死去。享年72歳。墓は谷中の仏心寺にあるそうだ。(昭和61年 新潮社発行)


 この万次郎の生涯、大河ドラマに向いてるのではと、ドラマを一切見ない駄目男が思いついた(笑)。ハズレの少ない幕末ものとして受けそうな気がします。難点は女性が全く出て来ないことか。映画や単発ドラマではすでに作品化されてるとおもうけど、退屈しないこと、請け合いです。

 

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