古本市で明治時代の教科書を買う

 春と秋に四天王寺で催される古本祭り、お目当ては「100円均一」台と「和綴じ本」の台。和綴じ本は従来300円均一だったのに今年は400円に値上げされた。100年前の古本も値上げとは・・・。
 で、より慎重に選んで買ったのが明治34年(1901)発行の国語教科書。この時代の大事件といえば日露戦争(1904~1905)です。これを読んで、では自分の小学一年生(1946)のときはどんな教科書だったのか、ずっと前から気になっていたことを調べました。自分より少し先輩の方は最初のページの文章が「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の文を覚えている人が多い。しかし、これは戦前の発行で敗戦後に使われることはない。


自分の記憶でハッキリしていることは、どんな文章であったか、ではなく、外形です。入学時に配布されたのは「本」ではなく「紙」だった。新聞紙2面ぶんくらいの大きな紙に数ページぶんの誌面が印刷してあった。これをハサミか包丁でゾリゾリ切り分けて束ね、母が糸で縫い付けてくれた。
 もしや図書館の書庫で保存されてるかもと思い、中央図書館の司書さんに「昭和46年度の一年生国語教科書が見たい」と相談しました。大量のデータと紙の資料集を調べてもらいましたが、なんという運の悪さ、見たい昭和46年のぶんだけ見つからない。製本されない「紙」であったことで「資料に非ず」と排除されたのか。そんな「差別扱い」があったと思いたくないけど、とにかく現物は見つからなかった。


しかし、文章は一点だけ見つかりました。下の画像「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」です。なんとも芸のない、無愛想な文章であるか・・とケチをつけてもしようがない。当時は前年の空襲で印刷工場も製本所もほとんど灰燼に帰し、紙自体も払底した状況でした。もし、教科書を子供たちに配布できないなら教育史上の大汚点になる。本の体裁がどう、内容がどうかなんて吟味できず、とにかく「紙」を配るだけで精一杯だったと思われます。

 

dameo が人生の最初に見た本がこの教科書

 

 

明治34年発行の国語教科書。帝国書籍発行 価格は10銭 当時の庶民の月収は10~20円くらいでした。

 

 

小学一年生の教科書にしては妙に切ない話が掲載されている。