<紙の本?>をつくりませんか(5)

◆「遺書」を趣味で書いて委員会?

 筆者の手づくり本第一作は先に紹介した「半畳雑木林」。第二作目は「1945年・大阪大空襲 ~6歳の記憶を確かめてみた~」です。70年以上昔の体験を綴ったものですが、年々、記憶が薄れていくので、認知症になるまえに資料にあたって「いつ・どこで・何を見たか」という、時系列と場所の特定をしたいと願っての制作です。ドキュメント作品イコール「遺書」でもありますが、それにしては楽しい?経験でした。


 資料探しは「ピース大阪」と中央図書館の資料室で、現場確認は大阪市内数カ所を訪ねました。空襲体験は天王寺区大道2丁目の自宅とその近辺です。(四天王寺から南東へ250m)写真の大半は「ピース大阪」が発行している写真集から引用しました。作文は幼児期の特異な体験をなるべく客観的、かつ、わかりやすく記述することが肝心と心得、半年くらいかけて記憶と資料と現実の風景の「すり合わせ」をして、なんとか自分なりに納得できる原稿ができました。


 空襲体験を語れる人は自分の世代(昭和14年生まれ)が限界だと思っています。(アタマのよい人は5歳でも記憶してるかも)14年生まれは空襲時は6歳でした。これより年長の兄や姉は学童疎開で田舎の寺などに預けられたので空襲を体験しなかった者が多く、自分より年下の弟や妹は記憶が無い、というわけで、6歳児は運が悪かった。ただ、幸いなのは脳が未熟で記憶力も乏しかったため、恐怖体験によるトラウマやPTSDに悩まされることはなかった。テキトーにアタマが悪いことが幸いだった。大人の方がずっと辛かったと思います。


 資料を繰ってるうちにいろいろなことを思い出したけど、映像的記憶だけでなく、音の記憶も蘇りました。焼夷弾が落下するときのザ~~という風切音、頭上を大編隊で通過するB29エンジンの重低音、上空から機銃掃射のために急降下してくる戦闘機の緊張を強いるエンジン音(ドップラー効果というらしい)などです。雨に煤が混じって顔が黒く汚れた通行人(もちろん自分も)の姿や四天王寺女学校講堂でもらった大きなおにぎりの重さ・・。こんなしょーもないこと思い出しても何の役にもたたないが、妙にリアルに蘇りました。当時の大阪市民約100万人、市内の死者約1万1000人。

 1995年の「阪神大震災」でさえ、記憶の風化が懸念されるいま、1945年の惨事を語れる人はあと数年でゼロに近づきます。体験者は一人でも多く記憶を記録に残してほしい。


 サブタイトルを<6歳の記憶を確かめてみた>としたように、努めて唯物的に書いた体験談です。感情を交えたらウソ話になりやすい。貴重な資料や写真を残して下さった、今は亡き先達に感謝します。(2018年制作 42ページ)

ピース大阪
http://www.peace-osaka.or.jp/ 

 

f:id:kaidou1200:20210428153204j:plain

 

f:id:kaidou1200:20210428153250j:plain

炎上する四天王寺五重塔焼夷弾の軌跡

f:id:kaidou1200:20210428153609j:plain

左・燃える北新地の民家 昼間なのに猛煙で夜のように暗い

f:id:kaidou1200:20210428153818j:plain

廃墟になったミナミの風景 火に追われ川に飛び込んで溺死した人も多かった